花と闘争

「じゃあ始めるぞ。血反吐と内臓をブチ撒けて死ね」
 宣告は一方的だった。
 反論する暇も、制止する時間もなかった。
 ヴォルフガング・ビルケンシュトックの鋭い蒼眼がこちらを見据えた、そう思った瞬間彼の腰から剣が抜き放たれ、
「おまっ、ちょ、ふざけんな……!?」
 御剣聖は必死の形相で迫り来る刃を避けた。
 明らかに殺す気満々だと判る勢いの剣風が鼻をかすめていき、背筋を冷たい汗が滑り落ちる。
 育ての親が傭兵稼業を営んでいる関係上、聖は確かに、戦いの技術なども習得しているが、基本的にそれは我が身や家族を守るためのものであって、実際に戦場で武器を振り回したことはないし、殺し合いを演じたこともない。
 《クリエイター》は創造する者であって破壊するものでも殺戮するものでもないのだ。
 とどのつまり、聖と、殺意に眼をギラギラ輝かせて一直線に向かってくるヴォルフガングとは対局に位置するわけで、どう考えてもなぶり殺される以外の結末が思い浮かばず、今すぐにでも回れ右をして逃げ帰りたい衝動に駆られるが、ここは、KOPの公式訓練場の一角である。
 小学校の体育館を三つか四つ合わせた規模の設備なので、逃げ回ることは出来ても、出口はヴォルフガング配下の兵士たちによって固められているため、力ずくでここから出て行こうと思ったら相当苦労しそうだ。
「逃げるな、戦え。そして俺に殺されろ」
「だから何でその一択なんだ!?」
「それ以外の選択がどこにある」
「もう数え切れないくらいあるだろ、あちこちに!」
 命がけで聖が突っ込む間にも、冷徹極まりないヴォルフガングの剣が空を斬り、聖の首とか命辺りを刈り取ろうと一直線にやってくる。
 正直、ヴォルフガングからは殺意以外を感じない。というか、最初からそのつもりだったとしか思えない。
 周囲をヴォルフガング直属の兵士たちが固めているのも――そして転がるように逃げ回る聖を面白そうに見ているのも――彼の思う壺以外のなにものにも思えない。
「おま、コレ手合わせじゃなくてただの公開処刑だろーが……!?」
「……なるほど、そうかもしれない。なかなか巧いこと言うじゃないか、褒めてやろう」
「誉めなくていいからその剣を仕舞えー!」
「は? 何故こんな絶好の機会……もとい、大っぴらに目障りな相手を屠れる……でもなく、まあアレだ、せっかくの手合わせなのに中止するなんてもったいないじゃないか。大事だぞ、もったいないという気持ちは」
「本音が駄々漏れだよそこのお兄さん! ああもう何でこんなことになってるんだ、俺!?」
 殺意はそのままに、クールな笑みを見せるヴォルフガング。
 そこらの女なら一息で恋に落ちても仕方のない、怜悧で鋭利な男前ぶりだったが、聖にしてみれば理不尽以外のなにものでもない。
「もったいないの使い方を盛大に間違ってるっつーの!」
 そもそも、ヴォルフガング・ビルケンシュトックは、世界最大規模の力を誇るフォエニクス財団の私兵軍、The Knights Of Phoenixの副総指令官である。つまり、KOPのカリスマ、ジル・ディアボロスの副官だ。
 血のつながりはないらしいが、フォエニクス財団総帥、アーサー・フォエニクスの遠い縁者でもある彼は、要するに世界でも有数のセレブというやつで、日本の下町で細々と暮らす何でも屋兼主夫の聖など一生お目にかかる機会のないたぐいの人種だったのだが、
「貴様が現れてから、ジルはその話ばかりだ。……俺のこの切ない胸の内が判るだろう? 判るなら今この場で即死して俺に報いろ」
「だからそれは俺の所為じゃないって言ってるだろーがアァ! お前のやるべきことは俺を殺すことじゃなくてまずジルと話をすることだッ!」
「貴様、世界に名高いKOP総指令官を呼び捨てか。不遜にもほどがある……やはり斬るしかないな」
「あああ、ああ言えばこう言う……!」
 今は、ひょんなことから知り合い、親しくなったジル・ディアボロスの寵を競って(ヴォルフガング談)争う仲なのである。少なくともヴォルフガングの脳内ではそういうことになっているらしく、聖は目の敵にされているのだ。
「……いや、目の敵っつーか抹殺対象だな……」
 ヴォルフガングが繰り出してくる一撃死級の剣を避けながらぼそりとつぶやく。
 的確に聖の急所か、もしくは再起不能になりそうな場所を――といっても恐ろしい再生力を持つ聖を再起不能にするのは骨が折れるだろうが――を狙ってくるヴォルフガングはとてつもなく活き活きしている。輝いていると言ってもいい。
「そういえば、ドSだって言ってたっけな……」
 重苦しいため息をひとつつき、食らえば腰から両断されそうな一閃を、わずかに身体を捻ることで避ける。
「まったく、ちょこまかと鬱陶しい……小蠅か、貴様は」
「ついに昆虫レベル行ったよ……!」
 聖が遠い眼をする間に、ヴォルフガングが一瞬で加速して間合いに踏み込んで来る。この辺りの戦闘センスはさすがと言わざるを得ないが、黙ってやられてやるほど聖は人間が出来ていない。
 鳩尾めがけて突き出される拳を手の甲で弾き、くるりと回転しながらヴォルフガングの脇腹に蹴りを叩き込む。
 目にも留まらぬ早業だ。
「ちっ」
 忌々しげな表情で後方へ跳ぶヴォルフガング。
 腰を落として身構え、
「あんたがジルとどうこうしようがどうなろうが俺の知ったこっちゃないが、とりあえず俺は早いとこ帰って夕飯の支度をしなきゃならんのだ。――ということで、早々に俺抹殺を諦めて手合わせとやらを終了させろ、でないといい加減温厚な俺も切れるぞ」
 まぁ無理だろーけどな、と胸中に溜め息をつきつつ聖が言うと、案の定、ヴォルフガングは秀麗な顔を怒りの色に染めた。
「貴様の一挙手一投足に憎悪を覚える。瞬きすら忌まわしい」
「そこまで嫌われるといっそそれも愛なんじゃないかと錯覚しそうだな……」
 とはいえ、聖にはあまり恐怖感というものはない。
 全力で、本気で殺しに来るギフト能力者が、目の前で激怒しているのが判っても、だ。
「やはり……貴様は殺しておく方がよさそうだ」
「好きにしてくれ。あんたにそれが出来るとは思わんしな」
「……」
 聖が言った途端、ヴォルフガングの周囲で激烈なオーラが渦巻いた。
 来る、そう思った瞬間、
「……挽肉になれ」
 冷え冷えとした言葉とともに、訓練場全体が激しく震動した。
 ヴォルフガングの部下たちが大慌てで『安全地帯』と呼ばれる能力中和帯へ逃げ込む中、怒れる副官を中心に、特殊な資材で造られた訓練場の床がひび割れ、陥没してゆく。
 ――《アースクェイク》。
 最大出力で半径1km内にマグニチュード8近い大地震を引き起こし、また『震動』のエネルギーを自在に操るギフト能力である。
 一般人なら地割れに巻き込まれるか、震動エネルギーに全身をシャッフルされてばらばらに分解されるかの二択といったところだが、
「お前俺が何なのか正直忘れてるだろ……」
 聖にとっては、世に存在するすべてのエネルギーが『材料』に過ぎない。結局のところ、聖がそれらに恐怖を覚えないのは、彼が、生命と創造を司る能力者だからだ。
「能力に能力で対抗しても卑怯じゃないよな」
 呟く聖の双眸が、目映いばかりの黄金へ転じるのと、彼を巻き込もうとしていた地割れや震動が、その眼前でぴたりと止まったのは同時だった。
 ヴォルフガングがそれを舌打ちせんばかりの目で見ている。
「あー……まあ、友達の大事な奴にあんまひどいことすんのも気が引けるしな……」
 自分ってもしかすると損な性分なのかも、などと思いつつ聖がぼそりと呟くと、彼を中心に清冽な風が吹き、風がさあっと吹き渡った場所から、次々と濃い緑色の芽が顔を覗かせ……かと思うと、一瞬でそれらは色とりどりの薔薇を咲かせた。
 わずか数十秒の間に、ひび割れた訓練場は、瑞々しい薔薇が咲き誇るローズガーデンへと転じている。
 薔薇の華やかな芳香が、周囲を包み込んだ。
 KOPの武官たちが目を瞠る中、
「ち……」
 忌々しげな表情をしたヴォルフガングが再度能力を発動させようとするのを見て、聖はまた溜め息をつく。
「まぁ、あんたが息切れするまで付き合ってやってもいいが、正直、無駄だぞ。ジルから聞いてないか、俺は《スラッシャー》の断裂能力さえ別のものに創り変えられるって」
 それは、D-Arkを率いる男が有し、ジル・ディアボロスの《コラプサー》や彩園寺理珠の《ルーラー【炎】》と同等か時にそれらを凌駕さえする、斬り裂き殺戮するための能力だ。
 D-Arkと真っ向から対立し彼らとの闘争に日々を費やしているKOPの人間なら、その凶悪さ強烈さは知っているだろう。
 要するに、聖の能力は恐ろしく地味だが恐ろしく強力なのだ。
 聖に届く武器、能力、エネルギーはこの世には殆ど存在しないし、彼に攻撃の意志があれば、もっと悪辣な生命を創りだして相手を襲わせることも出来る。 聖が、自分が命の危機にあってもそれをしたがらないのは、ひとえに、殺すより生かす選択を望む、甘ったれの平和主義者だからに他ならない。
「だから何だ、人間には己が尊厳を賭けてでも斃さねばならない相手がいる」
「待て待て、その尊厳を賭ける相手はたぶん俺じゃないと思うんだが!」
「……俺にとっては貴様が随一の相手だ」
「ああもう、嫉妬って面倒臭いなああああああ!」
 と、思わず聖が頭を掻き毟りたくなったのと、
「うむ、見事だ」
 清冽な美声と拍手が、薔薇の香りに満ちた訓練場に響いたのは同時だった。
「……ジル。総帥との会合だったんじゃないのか」
 明らかにやわらかさを増したヴォルフガングの声が問うのは、
「一時間も前に終わった。何やら騒ぎが起きているらしいと聞いて、駆けつけてみたわけだが……何なんだ、これは」
 フォエニクス財団次期総帥にしてThe Knights of Phoenixの総司令官、ジル・ディアボロスである。
「訓練場に薔薇とはなんともちぐはぐだが、美しいな。このまま薔薇園に造り替えてもいいかもしれん」
 処女雪を思わせる美しい銀髪にカシミール・サファイアのような神秘的な蒼の瞳、白磁めいた肌としなやかな肢体を持つ、およそ自分と同じ人間なのか疑問を抱いてしまいそうなほど美麗な青年だが、これで世界有数の前衛型能力者と言うのだから、世の中は判らない。
 いつもはKOP総司令官であることを示す制服に身を包んでいるのが大半なのだが、今日はその『会合』のためかスーツに身を包んでいて、武人というより美麗すぎる秘書のように見える。
「それで、何があってこうなった?」
「……いや、別に」
 ジルの問いに対して、赤裸々に告白するのは躊躇われるらしく、ヴォルフガングが言葉を濁す中、
「お、ジル。いいところで会った」
 聖が言うと、彼に警戒の目をされた。
 告げ口されて困るようなことならするなよ、とは聖の内心の(溜め息交じりの)言だが、無論、今あったことを逐一報告してジルを困らせるような真似をするつもりはない。ヴォルフガングのことはどうでもいいが、実はびっくりするくらいヴォルフガングを好きらしいジルに、彼は知らないだろう醜悪な部分を見せるのは忍びない、というのが理由だ。
「何だ、どうした聖」
「一昨日、有機栽培の紅玉りんごをもらったから、白ワインと蜂蜜でジャムをつくったんだ。お前、りんご好きだろ。パンに載せて食うと美味いから、今度取りに来い」
「……別に、好きなわけでは」
「んじゃ理珠と唯にやろう。要らないんだな?」
「い、要らないとは言っていない」
 どうやら、『KOP内のジル・ディアボロス像』に抵触すると困る何かがあるようで、周囲を気にしつつぼそぼそと言うジルに笑いを堪えつつ、
「まあそんなわけで、またうちに遊びに来いよな。結城がチェスを教えて欲しいって言ってたし」
 親しみを込めて彼の肩を叩き、聖は踵を返した。
「何だ、帰るのか。茶の一杯くらいなら出してやってもいいぞ」
「ん? いや、夕飯の支度がな、押し迫ってるもんでな」
「そうか、なら仕方ない。お前のところは戦場だものな」
 うんうんと頷くジルを、愛情と嫉妬の入り混じった表情でヴォルフガングが見ているのを感じつつ頷いてから、聖はジルにこっそり耳打ちする。
「あのな」
「ああ、どうした?」
「何かあいつ、ストレスが溜まってるみたいだから、ちょっと優しくしてやってくれ」
「……そうか、心に留め置こう」
 『優しく』の意味をどう受け取ったか、耳の先をほんの少し赤くしたジルが生真面目に頷く。
 それを確認すると、あとはもう何を気にするでもなく、溜め息をひとつついてジルに歩み寄るヴォルフガングの横をすり抜けて、のんびりと訓練場を後にする聖だった。
「そうだ、今度、ここの薔薇の花びらをもらって帰って、ハーブティー用に乾燥させたり、ジャムにしたりするのもよさそうだな」
 その、最強の能力者でありながらあまりにも闘争とは縁遠い、『普通』に過ぎる性質が、ジルを初めとした超級能力者たちを惹きつけ、また嫉妬もさせるのだとは気づかぬままに。