しかし、この能力にも制限はある。
「《クリエイター》は、一度喪われた命を、まったく同じものとして蘇らせることは出来ない。――俺は自分の無力をいやというほど知ってる」
「うん、知ってるよ。俺が、俺の炎と長時間一緒にはいられないように、能力には制限があって、ルールがある。能力者を生み出したのが世界の意志だって言うなら、きっと自然の摂理みたいなものなんだろうな」
「……その摂理を無念に思うから、多分俺は、自分の力が優しいとは思えないんだろう」
 この数ヶ月で、たくさんの人間が死んだ。
 人間ではないものも、たくさん死んだ。
 否、聖が聖としての生を生きはじめてから、いったいどれだけ、ほんのわずか手を伸ばせば届く位置の人々が死んでいったことだろう。
 二十年ほど前から深刻化した世界の乱れは、D-Arkと呼ばれる人外の集団が引き起こしているのだという。
 彼らを止めなければ、聖が暮らすスラム化した下町のような場所は増え、人間は――特に、身を守るすべを持たぬ子どもたちは――どんどん死んで行くばかりだろう。
 それをすべて護ることは、きっと聖には出来ない。
 世界最強と噂され、能力の稀有さゆえに付け狙われようとも、聖には出来ないことが多すぎる。
 そんな、やるせないような寄る辺ないような気持ちが顔に出たのか、かすかに笑った理珠がぽんと聖の肩を叩いた。
「頭領君には護りたいものがあるんだろ。俺は正直、もう何のために戦ってるのか判らなくなりつつあるけど、君は目的を違えたりしないだろうから、まずは出来ることをやるしかないよ。そのひとつずつを確実にこなすことが大切なんじゃないの?」
「……理珠が、理珠の癖にまともなことを……!」
「えー、嫌だな、俺はいつだってまともだよ」
「自分でまともだと言うやつほどまともじゃないと決まってる」
 呆れた口調で言ってから、聖は少し笑って理珠の背中を叩いた。
「……まあ、そういうことにしとく」
 理珠が笑って頷く。
「思ったより早く片付いてよかった。帰ろうか」
「ああ、そうだな。早く帰って夕飯の支度をしないと」
「今日のごはん何? 俺お腹減ったな」
「……お前、まさかとは思うが、たかる気じゃないだろうな……」
「たかるなんて人聞きの悪い。頭領君のごはんは美味しいからお相伴に預かりたいなーってだけじゃないか」
「それをたかると言うんだ。日本一くらいの金持ちの癖に」
 そんな他愛のない会話を交わしながら、《ゲートマスター》が復路用に設置した転移陣目指して歩き出そうと――踵を返そうとした時だった。
 みしみしみしッ。
 上の方から何かが軋むような音がした。
「!」
 巨木と化した“代弁者”を振り仰げば、その幹の半ばには、先ほどの触手蛇を二十分の一程度に縮小したような黒い塊がしがみ付いていて、ふたり目がけて今にも飛びかかろうとしているところだった。
 ぬらぬらと濡れた風合いの赤は口だろう。
 聖は小さく舌打ちをする。
「二体いたか……ぬかったな」
 轟!
 二体目の“代弁者”が風圧すら伴う咆哮を上げる。
「うわ、めんどくさ……」
 ぼやいた理珠が腰の刀に手をかけ、
「同感だが、手間を惜しんでいても仕方ないだろうな」
 溜め息をついた聖が『それ』を何かに創り変えようと集中するよりも早く、
「……詰めが甘い」
 静かに響いた、思わずハッとなるほど流麗な美声は、傍らから。
 同時に空間が震えるような、歪むような奇妙な感覚があって、
「砕け散れ、汚らわしい【魔】の使いめ」
 冷ややかな声が傲然と断じると、

 ごばっ。

 今まさに、彼らを押し潰すべく飛び掛ろうとしていた“代弁者”は、あっけないほど――拍子抜けするほど簡単に、粉々に砕け散った。
 砕け散ったそれの放つ瘴気を、巨木があっという間に浄化してしまい、周囲にはまた静寂が落ちる。
「……まったく」
 嘆かわしいと言わんばかりの、呆れを含んだ声。
「俺がいたからよかったようなものの……何だあの様は。下手をすれば貴様らでも死んでいるところだぞ」
 居丈高な言葉に横を向けば、そこには眩しい銀髪に透き通った蒼眼、透けるような白皙の、これは夢なんじゃないか、それとも何かの冗談じゃないかと疑ってしまいそうなほど美麗な青年が佇んで、聖と理珠を冷ややかな眼で見つめている。
 女性と見紛う繊細な、男女関係なく振り返らせ、虜にしそうな美貌と、極限まで無駄な肉を削ぎ落とした野生の猛獣を思わせるしなやかな肢体を、厳めしい――といっても彼が纏うとこのままファッションショーでも出場できそうな気がする――コートと制服に包んだ青年の姿に、聖はぱちぱちと数度瞬きをした。
 ストイックな印象を与える制服には、彼が、世界最大規模の力を持つフォエニクス財団の有する私兵軍、The Knights of Phoenixの総司令官であることを示す徽章が鎮座して、その存在を主張している。
「お前が出てくるとは思わなかったな、ジル・ディアボロス」
 名を呼ぶと、青年――ジルの、氷を思わせる蒼い眼差しに侮蔑だか嘲笑めいた色が浮かんだ。ふん、と鼻を鳴らされる。
「貴様らが不甲斐ないからだろうが」
 憎まれ口も、ジルが言うと天上の音楽のように美しいから不思議だ。
 小馬鹿にしたような(いや、実際馬鹿にしているのだろう)ジルの言葉に、しかし、理珠などはどこか楽しそうにうんうんと頷いている。
「……なんだそのだらしないにやけ面は。何がおかしい」
「ん? いや? つまりジル君は、自分が間に合って、俺たちが……っていうか頭領君が無事でよかった、って言いたかったんだろ? 素直になれないの、可愛いな、ってさ」
 と、くすくす笑って理珠が言うと、
「!」
 ジルは一瞬言葉に詰まり、
「……知るか」
 耳の先を仄かにピンク色にして、ぷいとそっぽを向いてしまった。
 冷酷非道で知られるKOP総司令官の、実は可愛らしい内面に、聖は噴き出したいのを堪えて「さて」と言を継ぐ。
「ジルのお陰で助かった、ありがとう。ということで俺は帰って飯の支度をするぞ」
「じゃあ俺ご馳走になるー」
「……決定事項か、それ」
「うん。あ、ジル君も一緒にどう?」
「は? 何故俺が貴様らなどと一緒に、」
「そういえばジル、いつもの副官はどうした」
「……」
「……うん、すまん、また喧嘩中なんだな、もう何も言わないし訊かない。じゃあとりあえずお前もうちに来い、どうせしばらく本部には戻ってやらないとか思ってるんだろ。お前んとこの《トランスポーター》なら事情を察して迎えに来るだろうしな」
「……」
 よくないツボを突いたらしく、黙り込んだままのジルのコートを引っ張ると、世間一般に知られるジル・ディアボロスとはとても思えない素直さで、KOP総司令官が聖の後ろをついてくる。
 戦場においては超一流の武人である彼を子ども扱いする気はないが、何せ、外見上はさておき、この中では一番年下なのだ。ついつい可愛らしいやつめと微笑ましい気持ちになってしまうのは致し方あるまい。
 笑いを噛み殺しているらしい理珠と目が合って、小さな笑みとともに頷き合うと、
「……何がおかしい」
 拗ねたような声がかかって、聖は肩を竦めた。
「別に。ふたり増えるとなると、ちょっと買出しに行かなきゃまずいかな、と思っただけだ」
「……そういうものか」
「まあ、適当に何とかするさ」
「ところで頭領君、俺今日は魚の気分なんだけど。ちょうど旬だし、金目鯛のお刺身とかどうかな」
「黙れこのセレブめ。何故お前が献立を決めるんだとかいう以前に、刺身に出来るようなキンメがどんだけすると思ってる」
「えー」
 間抜けな会話を交わしながら帰還用の転移陣まで戻る。
 ジルは黙ったままだったが、間抜けで日常的な聖と理珠のやりとりを不快に思っていないのは確かなようで、ふたりを交互に見遣りながら大人しくついてくる。
「まあ……最近こういうの増えてるから、次の呼び出しがいつになるか判らないわけだし、ちょっと鋭意を養わなきゃだよねー」
 そんな、しみじみとした理珠の言葉に頷きつつ、転移陣を発動、帰還する三人なのだった。

 * * * * *

 日本に戻ってきたら、午後五時だった。
「微妙な時間だな……」
 溜め息をつきつつ、人数分の米を研ぎ、家の裏側の家庭菜園から野菜を採って来て味噌汁やおひたし、煮つけなどの準備をしていると、理珠とジルが台所を覗きにきた。
「邪魔になるから子どもらと遊んでてくれた方が助かるんだが」
「貴様この俺に子守りなどさせようというのか」
「あーそうだよね、ジル君、さっき赤ちゃんに泣かれて自分も泣きそうになってたもんね」
「……」
「ああ、うん、すごい想像ついた。奈央は人見知りが激しくてな、まあじきに慣れるとは思うんだが」
「何故断言出来る」
「ん? いやだってお前、どうせちょくちょくここに遊びに来るだろ。何度も顔を合わせていればそのうち泣かなくなるから心配するな」
「別に、遊びになど……」
「うんうん、遊ぶなんて親しげな単語で括られて嬉しいけどどう表現していいのか判らないってとこかな。そう言う場合は、次に来る時にお土産か何か持って行けばいいと思うよ」
「貴様、したり顔で代弁するのはやめろ……!」
「でも事実じゃないの?」
「……」
 厳めしい制服姿の美麗な青年が言葉に詰まって黙り込む様は見ていて面白いのだが、手を止めているわけにも行かないので聖は作業に勤しむ。
「頭領君、今日の献立は?」
「鶏もも肉と玉子のさっぱり煮になめこと豆腐の味噌汁、白菜とほうれん草の煮浸し、里芋の煮っ転がしに、デザートは蜜柑と林檎ってところかな」
「……金目鯛」
「却下。ただでさえ今月は収入が少なくて大変なんだからな! キンメ一匹分の金で三日食えるっつの」
「えー。だったら《朧》の方にアルバイト代でももらえばいいのに」
「金をもらって能力を使うつもりはない」
 意地なのか矜持なのか判然としないそれをきっぱりと口にすると、理珠が苦笑する傍らで、唐突にジルが携帯電話を取り出した。
 用事でも思い出したのか、もしくは副官と仲直りでもするつもりかと見ていると、
『レヴェッカ? ああ、俺だ――……』
 側近のギフト能力者の名を呼んで、英語で何ごとかを指示しはじめた。
 聖はそもそも十ヶ国語以上を母国語のように話す程度には語学が堪能だし、海外遠征が多いという理珠も、各国の様々な機関との密な関係を持っているジルもたくさんの外国語を滑らかに話す。
 そのためジルの指示内容も聞き取るのはわけのないことなのだが、
「……あいつ、なんか今牛一頭とか言わなかったか」
「神戸とか松坂って固有名詞も聞こえたね。あとクロマグロ一匹?」
「それをここまで運ばせろ、みたいなこと言ってるよな、今」
「Gift(手土産)って言ってるから、まあそういうことだろうねー。さっそく実践してみることにしたんだな、可愛いやつ。でも、ちゃんと解体して持って来てくれたらいいんだけど。あ、そっか、じゃあ俺も何か持って来させようかな。何がいい? ……あれ、頭領君?」
 聖のような一般人には少々スケールが大き過ぎて、脳が一瞬理解を阻む。
「いや、うん……ちょっと今お前たちふたりに惚れかけただけだ、気にするな」
「……頭領君って結構即物的だよね」
「まあな」
「んー、じゃあ俺は米とか味噌とか醤油とかその辺りがいいかな? あって困るものでもないだろうし」
「今一瞬理珠の顔が菩薩に見えた」
「喜んでいいのかよく判んないなーそれ」
 理珠が小首を傾げつつも携帯電話を取り出し、実家に連絡している間に、用件を伝え終えたジルが携帯電話を仕舞う。
 それからやたら偉そうに腕組みをしたジルが、
「土産とか言うものを貴様にくれてやる、感謝するんだな」
 超上から目線で(実際彼の方が背も高いのだが)言い放つ。
 傲岸不遜で冷酷な、という形容詞が何よりも相応しい、KOP総司令官としては相応しい表情で物言いだったが、
「ああ、うん、ありがとう。すごく嬉しい」
「! い、いやその、喜んでもらえたら、それで……」
 次の瞬間には、どこまでも素の聖の言葉に頬を赤らめ、視線を彷徨わせているようではどうしようもあるまい。
「ジル君ってなんでそんなに可愛いんだろうな。見てると襲いたくなるから不思議だよねー」
「襲うなよ変態。いやまあその辺は好きにしてくれて構わんが、少なくとも子どもらの前で変態行為に及んだら叩き出すぞ。一番上の子なんて思春期真っ盛りだからな、教育上よろしくないようなことは出来るだけ見せたくない」
「えー」
「及ぶか!」
 などと言っているうちに鍋が沸騰し、てきぱきと作業を続ける聖の手元からいい匂いが漂い出して、業務用一歩手前の炊飯ジャーからは、ふくよかな白い湯気が立ち昇り始めた。
「……いい匂いだ」
「だねー。お腹減ったなー」
 そう思ったのはこのふたりだけではなかったらしく、目や髪に様々な色を持つ子どもたちが入れ替わり立ち代り台所に顔を覗かせる。
 聖は笑って子どもらの頭を撫で、
「米が炊けたら飯にするか。おっさんたちは今日も遅いようだから、放っておこう」
 そう言って食器の準備を始めた。
 わらわらと入ってきた子どもたちが、我先に食器を持ち、食堂へと運んでいくのを、うちの子どもらは本当に勤勉で優秀だ、などと親馬鹿気味に思いながら見ていると、傍らで理珠がくすっと笑った。
「何だ?」
「いーや? 頭領君って判りやすいなあって思っただけ」
 聖は肩を竦める。
「判りやすくない俺なんて、俺じゃないだろ」
「まあね」
 食堂から賑やかな笑い声が聞こえてくる。
 それは聖を行動させるに足る、かけがえのない熱だ。
「頭領君、お腹減ったー」
「判った判った、判ったからお前も手伝え。……いや、ジルは手伝わなくていい、これ以上食器を壊されたくない」
「貴様、無礼だぞ……!」
 D-Arkなる集団が世界への支配力を強めていると言う事実に変わりはなく、世界の混乱は収束する気配も見せず、重苦しい現実の出口はまだ見えないが、そこで折れてしまえるような、安いプライドは持っていない。
 自分が削れてなくなろうとも、自分の持つ力のすべてを使って、約束を果たすだけのことだ。
「そうとも……護るべきものを護る、それだけだ」
 自らへの誓いのごとくに小さくつぶやくと、聖は、山のようにおかずが入った大鍋を手に、雛たちが空腹の大合唱をする食堂へと向かったのだった。