降誕者たちの日常 1
鈍く低い轟音が、腹の底を重苦しく震わせる。
「萎える……」
ぼそり、と呟いて、御剣聖(ミツルギ・タカラ)は前方にわだかまるそれを見遣った。
U.S.軍だろうか、先ほどから、大量の歩兵に加えて戦闘機や強襲ヘリ、戦車までが出張って執拗に攻撃を加えているが、『それ』がダメージを受けている様子はない。
そもそも物理的な攻撃が効きにくい存在なのに、今回のそいつは通常個体の十倍以上、全長で数百メートルもあるのだ。ちょっとした火器などでは毛ほどの傷もつけられまい。
「これまでで最大級じゃないか、あのサイズ」
『それ』の出現地点から一km以上離れているのに、『大きい』以外の形容詞が見当たらない。
形状で言えば、全身に槍のような触手が生えた禍々しい黒い蛇……だろうか。
もたげた鎌首は爬虫類と猛禽を掛け合わせたような印象で、横の長さは二百メートル強、高さというか胴回りで言えば二十メートル前後。
その巨大な化け物がぐねぐねとのたうつものだから、周囲の建物はすでに壊滅状態だ。
軍も善戦しているようだが、如何せん相手が悪過ぎる。
化け物に近づき過ぎた兵士が嘔吐し昏倒しているのはあの辺りに満ちる高濃度の瘴気の所為だろう。瘴気は魔素となり人間の根幹を蝕むから、このままではそう遠くなく大量の死者が出る。
「で、だから俺にあれと殴り合えってか。無茶振りにもほどがあるだろ……」
そのそも自分は今どこにいるのだろうか、と周囲を見渡すが、出張っているのがU.S.軍で、標識や看板が英語だから多分アメリカだろう、くらいのことしか判らない。聖は語学には堪能だが、残念ながらそれほど地理に詳しいわけではない。
おまけに彼をここに寄越した《ゲートマスター》は、とりあえず行って来いと聖を送り出したのみで、事情の説明は一切なかったのだ。
「くそ、天普(アマネ)め……絶対俺のこと嫌いだろ、アイツ……」
《朧》のNo.3、どうも自分を邪魔者と思っている節のあるギフト能力者の小憎らしい膨れ面を脳裏に思い描きつつ呻く。
なし崩しの勢いで、世界最大規模の実力を誇る(らしい)能力者集団の頭領になって早数ヶ月、その間に決して少なくない数の魔物だの“尖兵(スカウト)”だのといった人外の存在と戦ってきたわけだが、今回のこれはちょっと冗談が過ぎる、と胸中に溜め息する。
聖が能力者社会(というものがあるのかどうかはさておき)にデビューして数ヶ月、世界最強の能力者などというご大層な噂が出回っているようだが、当の聖はまだ今ひとつ能力者の何たるかも判っていないド素人なのだ。
持って生まれた能力の強大さに自覚はあれど、だから怪獣大決戦的なことを喜々としてやれるかと問われたら迷わず首を横に振るだろう。
と、
「うわ、大きいな。ちょっと『受肉』を頑張り過ぎちゃった感じ?」
横から唐突に声がして、聖はつい身構える。
別に驚いたわけではない。
彼と彼の一族の本拠地が、聖と《朧》と同じく日本であることは知っているが、聖に《ゲートマスター》がいるように、彼の傍にも同じような能力者がいるというだけのことだ。
そういう事情もあって、彼の神出鬼没ぶりにはこの数ヶ月で慣れた。
それでも身構えざるを得ないのは、単純に、この数ヶ月で、そうするに値する様々なことをされているだけだ。
「三日ぶり、頭領君」
そこには、すらりとした長身の、腰に二振りの日本刀を佩いた黒髪黒目の青年が佇んでいて、聖に朗らかな笑みを向けている。
名を彩園寺理珠(サイオンジ・リシュ)と言う彼は、年の頃なら十代後半から二十代前半に見える。絶世の美貌というほどではないものの、癖なく整った端正な――それでいてどこか危うさ妖しさを孕んだ――顔立ちの、優しげで誠実そうな青年だが、聖の口から出たのは、
「出やがったな変態外見詐欺師」
という実も蓋もないものだった。
「変態じゃないし詐欺師でもないって。頭領君ったら勘違いしちゃってー」
「お前が言っても何の説得力もないわ」
聖の罵倒にもまったくめげる様子をみせず、理珠は爆炎に包まれる『それ』を見上げる。
折しも、『それ』の表皮から伸びた触手のような槍のような何かが、周囲を飛びまわる強襲ヘリを薙ぎ払い、撃ち落として爆発させたところだった。
「今回の“代弁者(スポークスマン)”はビッグサイズだな。もしかしたら、名のある【魔】の差し向けた“代弁者”なのかも」
いっそ感心した風情で理珠が言い、スイと宙に向けて伸ばした手を振ると、爆発炎上していたヘリの火が消える。爆発に巻き込まれかけていた兵士たちがきょとんとした表情で『それ』から距離を取った。
「“代弁者”っていうのは、“尖兵”とは違うのか」
「“尖兵”より強い力を与えられているのが“代弁者”、って程度の括りかな。まあ、要するに【魔】の使い魔ってこと。“代弁者”の上、【魔】とほとんど変わんないのが“代理人(エージェント)”」
「あー、じゃあやっぱり能力者じゃなきゃ倒せないとかそういう」
「だなー。……なんか、面倒臭そうだな、あのサイズ。俺と頭領君が頑張るにしてもちょっと大き過ぎる気がする」
「あんまり頑張りたくない。出来れば変態外見詐欺師のお兄さんに頑張ってほしい」
「えー? まあ何とかなるとは思うけど……でも俺、全力で能力使えるのどんだけ頑張っても三十分だし。それに、出力上げ過ぎると周囲にも被害を及ぼしそうだから、騙し騙し行くしかないと思うぞ?」
「……俺、今日は家の大掃除したかったんだけどな……」
理珠の言葉につい愚痴がもれる。
人外の存在が集う、世界の支配を目論んでいる(らしい)D-Arkなる集団と、強大な力を持つ彼らと日夜戦い続けている(らしい)人々の戦いのど真ん中に放り込まれて数ヶ月、《朧》の頭領とか言うご大層なものになったお陰で主夫業も中断気味だ。
これで夕飯の時間に間に合わなかったら子どもたちに申し訳が立たない。
「……仕方ない、行くか」
盛大に溜め息をつき、特大のモンスターに向かって歩き出す。
ここでぐだぐだ言っていても話が進まないのも事実だし、“代弁者”と呼ばれる化け物を放っておけばこの辺りはじきに壊滅するだろう。
建物などの様子から察するに、この辺りはダウンタウンと呼ばれるような、スラム街とまでは行かずとも、決して裕福ではない人々が住んでいる区画だ。つまり、聖にとってはご近所さんのような場所であり、捨て置くことは出来ないということになる。
「しかしまあ金にならん仕事だな。金にならんのに必須というのが空し過ぎる。何でも屋の方も開店休業状態だし……おっさんたちがさっさと稼いで来てくれないと、その内おかずが一品減りそうだ……」
と、生々しい愚痴をこぼす聖の数百メートル先で、蛇と触手の融合体が金属同士の擦れ合うような咆哮を上げている。
彩園寺家を通じて軍に話が行ったのか、兵士たちが撤退を始めた。
「さて、じゃあ」
にこりと笑った理珠が、流麗な動作で腰から二刀を引き抜く。
――切れ長の涼しげな目が、唐突に真紅に染まった。
「血ヘドのひとつやふたつ、ブチ撒けてもらおうかな?」
優しげだった眼差しに、獰猛な……好戦的な光が宿る。
ゴウッ、と、彼の周囲を真紅のオーラが渦巻いた。
同時に、両手に携えられた日本刀に白い火がともる。
「『紅隼(ベニハヤブサ)』筆頭彩園寺理珠、推して参る! ……ってね」
飄々と楽しげに――鋭い殺意と愉悦を滲ませて言うやいなや地を蹴った理珠が、瞬きの間に触手蛇の元へと辿り着き、炎を纏う刀を一閃させた。
ビシュッ、という鈍い音がして、理珠を襲おうとしていた黒い触手が切り払われ、白い炎に焼き尽くされる。
「あははッ」
楽しげに笑った理珠が軽やかに地面を蹴った、そう思った次の瞬間には、彼のしなやかな身体は二十メートルの高さにまで跳躍している。
全世界に二十人しか存在せず、人間よりも古代種に近いといわれるジーニアス能力者の中でも一二を争う戦闘系特化能力者、《ルーラー【炎】》彩園寺理珠の実力がこれだ。
「焼け焦げろ……のた打ち回れ。そして、俺を愉しませろ」
先ほどまでの朗らかさはどこへやら、妖しい毒を滲ませて理珠がそう言い放った瞬間、彼の周囲に、直径一メートルほどの火炎球が無数に発生し、一斉に触手蛇目がけて撃ち放たれた。
ジュッ、ジュウッ。
肉が焦げるというよりも、水分が蒸発するような音がして、火炎球に貫かれた部分がごっそりと抉れる。血は出なかったが、傷口からはぶすぶすと黒煙が立ち昇っている。
巨大な身体をのたうたせ、ぎいいっ、と“代弁者”が鳴いた。
それが苦痛の所為なのか怒りの所為なのかは、聖には判らない。
「あはは、効いてるみたい?」
無邪気な、しかし獰猛な笑みとともに理珠が触手蛇の背に降り立つと、身体中の触手が蠢き、無数の『槍』が人間どころか自動車でも一息に貫いてしまいそうな凶悪さで彼を襲うが、それらはすべて、白炎を纏った日本刀によって薙ぎ払われ、炭化して散らばった。
「そんなものじゃないだろう? もっと……もっと、激しいのを俺にくれ。身震いするほど激しいのじゃなきゃ、嫌だ」
恍惚とした、というのが相応しい、淫靡ささえ滲ませた表情で理珠が言い、手にした刀を触手蛇に突き立てる。
刀が突き刺さった場所から青い炎が吹き上がり、また触手蛇の身体はぼこりと音を立てて砕ける。
身の毛もよだつ咆哮が周囲を震わせた。
「……しかし……アレだな」
もちろん、聖とて黙って事態を見ていたわけではない。
いや、放っておけば理珠がひとりで何とかしてしまいそうな気はするが、何もせずに帰ろうものなら口うるさいNo.3に《朧》の面目云々と小言攻めされそうだし、何より、手伝わなかっただろうなどと言われて理珠本人に何をされるか判ったものではない。
「《クリエイター》って、本当に世界最強の能力なのか? 何かすごい地味だぞ、俺」
育ての親が優秀な傭兵だったので、肉弾戦や武器を持っての戦いも苦手ではないが、聖には理珠のような人間離れした身体能力はない。《クリエイター》と対になる能力者、《コラプサー》のような破壊力もない。
地味度で言えば、二十ある全ジーニアス能力中No.1なのではないかとすら思う。
しかし、それだけ地味なのに、《クリエイター》が最強と称されるのは、全能力中最大規模のエネルギーを有し、尽きることのない、無限の創造サイクルを持つからだろう。
――聖が目をつけたのは、触手蛇に薙ぎ倒され倒壊した建物のコンクリート片だった。
「まあ……やり方なんて人それぞれ、か」
呟き、周囲に意識を凝らす。
触れる必要すら、聖にはない。
そこに誰かいれば、彼の漆黒の目が、今ばかりは目映いほどの黄金に染まっている様を見ただろう。
「さて、と」
聖が足元の小石を蹴飛ばすと、ころころと転がったそれは、次の瞬間鴉へと転じ、空へと舞い上がった。それと同時に、“代弁者”の周囲にうずたかく積みあがった瓦礫が、様々な生き物へと姿を転じる。
そこには可愛らしい小鳥たちがいたし、小さな鼠や兎、猫や犬など、お馴染みの小動物たちがいて、彼らは、狂乱する触手蛇へと殺到し、触手蛇の中へずぶずぶと埋まってゆく。
小動物たちがすべて“代弁者”の中に埋まる頃には、蛇の足元をマメ科と思しき植物が覆い尽し、爆発的な勢いで生育してゆく。
すぐに植物は、触手蛇の胴回りほどの高さまで生長し、隣同士で絡まりあって更に太く長くなっていった。
「さあ、あの、可哀想なやつを仲間に入れてやろう」
いっそ穏やかですらある風情で聖が言うと、童話のジャックと豆の木を髣髴とさせるツタが、理珠に翻弄され続けている触手蛇を絡め取り、その漆黒の身体と同化してゆく。
どこから音を出しているのか判然としない声で“代弁者”が吠え、大きく仰け反った。もう、『それ』が黒い蛇なのか緑のツタなのか、どちらがどちらなのか判然としない。
「うわッ……と……っ」
吹っ飛ばされそうになった理珠が、蛇の背から飛び降りる。
全身を汗に濡らしているのは、当然、彼の能力が身体に多大な負担を強いるからだ。
「ちょっと頭領君、俺まで巻き込まれたらどーすんの」
「それはそれで世の中のためなんじゃないかと思うんだが」
「えー」
「三十七歳にもなって何がえーだこの外見詐欺師。もう少し年相応にしゃきっとしろ」
「駄目、無理」
「即答とかもう残念過ぎる……」
聖が溜め息をつく間に、『それ』はもうほとんど終わっていた。
「いつもながらおっかない能力だなあ」
ジャケットの袖口で汗を拭うという、おまえ幾つだ的なことをしながら理珠が言い、聖は小首を傾げて『それ』を見上げる。
『それ』は、雲にもとどこうかという巨木と化し、動きを止めていた。
そこには最早、“代弁者”の……魔の一員の禍々しい姿はない。
ただ、瑞々しい緑が、わずかな風に揺れるだけだ。
瘴気も魔素も、そこには残されていないし、この木もまた、数日もすれば周辺の完全な浄化を終えて土に還るだろう。
「そういうものか。俺はお前の火にだけは灼かれたくないけどな」
「だけど俺の火だって、頭領君は何か別のものに創り変えられるだろ」
「そりゃまあそうだ。そういう能力なんだから仕方ない」
聖が肩を竦めると、理珠はあははと笑って刀を腰に戻した。
眼から真紅の色が消え、先ほどの獰悪な雰囲気が嘘のように、その凜とした面には朗らかさが戻っている。
「頭領君の能力は、とても君らしいと思うから、俺は嫌いじゃないな」
「俺らしい? そうか?」
「すごく優しいよね。殺さない壊さない創り出す……って」
「さあ、どうかな……俺はこの力を優しいと思ったことはないな。臆病なんだよ、多分。命を背負うのを怖がってるだけなんだ」
この世に存在するすべてのもの、物質も非物質も変わらず、そこに『在る』ものから新しい生命を創り出し使役できる、それが聖、《クリエイター》だ。
小石ひとつ、マッチ一本分の火、誰かが零した涙ひとつぶ、吹き付けてくる強風、――世界中のありとあらゆる存在、エネルギーが、聖の武器であり、聖を護るものでもあるのだ。