村の有り様はひどいものだった。
 老若男女の別に関わらず、年端も行かぬ子供までが、無慈悲で残酷な食欲の犠牲となっていた。山奥の小さな村だけに住民は百人程度のものだったが、その中の誰ひとりとして、生き延びたものはいなかったのだ。
「……くそ。こんなところにも悪創念(あくそうねん)は湧くのか。こんな、穢れも邪念もないような僻地にまで」
 レーヴェリヒト・アウラ・エストは、やわらかい腹の部分だけを食われた幼い少年の骸に銀の眉を厳しくした。己の足元に、まるで壊れた人形そのもののような無機質さで転がる小さな遺体をそっと抱き上げ、恐怖に見開かれた虚ろな目を閉じさせてやる。
 誰もこんな死を迎えるために生まれてきたわけではないだろうに、と思うとやりきれない苦さが込み上げてくる。
「助けてやれなくて、ごめんな……」
 届けることも出来ない言葉をつぶやきながら、レーヴェリヒトは村の中央広場へと歩き、青白く燃える浄化炎のやぐらへ遺体を静かに寝かせる。浄化炎は風もないのにゆらりと揺らめくと、少年の小さすぎる身体をゆっくりと飲み込み、あっという間に灰へと変えて行った。
「悠久なるソル=ダートを統べる五色十柱の神々よ、五色二十重(はたえ)の精霊王よ。なすすべもなく失われた無辜の命が、無念の魂が、せめて御身(おんみ)らの元では安らぐように、どうか温かく迎え入れてやってくれ。不甲斐ない王として、――いずれは同じ地へ往く人間として、切に祈る……」
 切実な祈りの言葉とともに浄火葬を見届けた後、悪創念によって冒された村の浄化に走り回っている騎士たちをぐるりと見渡して目的の人物を探す。
 生きた緑柱石との呼び名も高い、レッヒェルン玉樹の生い茂る森への入口付近にそのふたりはいた。まったく同じ造作なのに雰囲気はまったく違うという珍しい顔をつきあわせ、慎重に何かを探っている。ふたりの、貴重な黒金のごとき漆黒の髪が、午前のまぶしい光を受けて輝いている。
 レーヴェリヒトは大股でふたりに近づきながら声をかけた。
「カノウ、ウルル。どうだ、何か判ったか」
 すると、黒髪に真紅の目をした片割れ、カノウ・ゾンネがレーヴェリヒトへ視線を向け、
「おお、陛下。どうもあまり芳しくはないようじゃぞ。為った異形(いぎょう)は全部で三体、この森を抜けてばらばらにイデュル街道へ向かったようじゃ。相当大型に育ったようじゃの、玉樹があちこちで折れておる。おかげで追跡には苦労せぬで済みそうじゃが、憐れなものじゃ」
 どちらかというと男性的な声でそう返した。
 カノウの指が指し示すまま、深々と拡がる森の奥部へ目をやったレーヴェリヒトは、整然と美しく生い茂っていたであろう木々のいくつもが薙ぎ倒され、へし折られているのを確認して眉をしかめた。
「うわホントだ。国樹になんつーことしてくれんだ、あいつらは……!」
「怒るべきはそこではなかろうと思うが。一度に三体も現れれば、このような山間の寒村ではひとたまりもあるまい」
 カノウの言を受け、今度は黒髪に真青の目をしたウルル・シックザールが口を開き、
「これだけ喰ろうても、彼奴らはまだ腹を減らしているようです。出会えば出会うだけ、いくらでも喰らいましょう」
 どちらかというと女性的な声で付け加えた。
 カノウにせよウルルにせよ、その声から性別を図ることは難しいが、どちらにせよそれは、ふたりの姿かたちと同等に神秘的な美しさを持っていた。
「位階は?」
「《五色》どころか、《色持ち》ですらないようじゃ。《色持ち》の匂いがせぬでな」
「しかし、《無色》の中では特に危険な部類に位置するかと。それが三体ともなれば、軽視できぬ脅威となりましょう」
 カノウとウルルの言葉にレーヴェリヒトはまた眉を厳しくする。
「イデュル街道の向こうは……ゲミュートリヒ市だ。メイデやアルディアの手を煩わせるわけにも行かねぇ……よし、追撃するぞ、集まれお前ら! 来い、ズィンゲンメーネ!」
 しばし思案したレーヴェリヒトが集落に向かって号令すると、見事なまでの迅速さで浄化作業を終え、村人たちの墓を作りかけていた聖叡騎士団(せいえいきしだん)の上位騎士たちが表情を引き締めて彼の元へ集ってくる。その後ろからは、レーヴェリヒトの愛馬ズィンゲンメーネが黒いしなやかな肢体を日光に輝かせながら駆けて来ていた。
「御前(おんまえ)に、陛下」
 レーヴェリヒトが傍らへ歩み寄ったズィンゲンメーネのたてがみを撫でてやると、黒馬は甘えた声で鳴いて鼻面を彼にすり寄せた。そのレーヴェリヒトの足元へ、聖叡騎士団団長であり幼馴染みでもある青年、リーノエンヴェ・カイエを筆頭とした三十五名の騎士たちがひざまずく。
 リーノエンヴェがレーヴェリヒトの護衛官としてつくのは当然として、騎士団長である彼がたかだか三十五騎しか率いていないというのもおかしな話だが、視察として訪れた先で受けた急な報せに集められたのがこれだけだったのだから仕方がない。
 軍にせよ騎士団にせよ、このご時世では休む間もないほどあちこちに仕事が存在するのだ。
 レーヴェリヒトはひざまずいたままだった騎士たちを視線だけで立たせ、簡潔に事情を説明する。
「『為った』異形は三体、《無色》だが規模は小さくないらしい。しかも、三体とも腹を空かせたままばらばらにゲミュートリヒを目指してやがる」
 レーヴェリヒトの言を受け、上級騎士たちの間にざわめきが起きる。
「くそっ、奴らはまたこんな惨い光景を我々に見せようというのか。呪われろ、異形ども!」
 村の惨状を思い出したのか、騎士のひとりが忌々しげに吐き捨てた。
 その言葉に、ウルルがしゅんとうつむく。
 ウルルが動いたことで光の加減が変わり、その秀でた額を青く彩る三本角がかすかに輝き、それとともに臀部から生えた青い尻尾がゆるりと揺れた。猫のものに似たそれの先端に結ばれた真っ白なリボンは、今は亡きレーヴェリヒトの姉が贈ったものだ。
 ――それらの『ヒトにあらざる徴(しるし)』は、かれらが異形であることを示す顕著な特徴である。
 ちなみに双子の片割れであるカノウの額には、真紅の三本角が炎のように輝いており、その臀部からは真紅の、竜や蜥蜴を思わせる頑強な尻尾が生えている。尻尾の先端に結んである小さな鈴は、レーヴェリヒトがこの異形の五百回目の誕生日に贈ったもののひとつだ。
「申し訳ありません、騎士どの」
 目を伏せたウルルが、可憐ですらある風情で哀しげに謝すに至って、騎士は双子のことを失念していたことに気づいたらしく、
「あっ、い、いえッ……申し訳ありません、その、決してウルル様のことを申し上げたわけでは……ッ!」
 顔を真っ赤にして弁明を口にしたが、後の祭りというヤツだった。
 国内に数多く存在する、ウルル・シックザール親衛隊とでも言うべき連中は聖叡騎士団にも多数在籍しており、今のようにこの美しい異形を哀しませる行為が行われると彼らはいきなりおとなげのない報復に出るのである。案の定、てめぇ何ウルル様をいじめてやがるお前こそが呪われろクソッタレなどといった罵声とともに、騎士の四方八方から拳や蹴りが飛んでくる。
 あちこちから殴られたり蹴られたりの攻撃にさらされ、半泣きで何度も謝罪の言葉を口にする騎士を見やり、楽しそうだななどと少々ずれたことを考えてからレーヴェリヒトは再び口を開いた。自分の馬を呼び寄せていたリーノエンヴェを手招きし、
「三手に分かれてそれぞれ追撃する。俺はカノウとウルルを連れて最短の道を行く、リーエはそいつらを二手に分けて追え。あそこの急傾斜はジーネ以外無理だろ。イデュル街道で合流するぞ、遅れたヤツは容赦なく置いていくからそのつもりでいろ」
 そう言うと、若葉色の双眸を細めたリーノエンヴェが恭しく一礼した。
「御意。レーヴェリヒト陛下におかれましては、くれぐれもお気をつけあそばしますよう」
「お前らもな。よし行くぞ、カノウ、ウルル!」
 指示のあと双子の異形に声をかけ、レーヴェリヒトはズィンゲンメーネの背にひらりとまたがる。
 黒き駿馬は主人が背に腰を落ち着けるや、高らかにいなないてレッヒェルン玉樹の生い茂る森へ向かって駆け出した。草を掻き分ける音とともに、緑の光が舞い踊る森へと突っ込み、そのまま疾風と表現するのが相応しい速度で、巧みに樹木を避けながら駆け抜ける。
 その両隣に、カノウとウルルがぴたりとつく。無論、ふたりが馬になど乗ることはない。
 およそ五百年に渡る長い時間をレーヴェリヒトの血筋に仕え続けるこの異形たちは、姿かたちの美しさとは裏腹に、人間という存在を超越した体機能を有するのだ。本気で走れば時に馬や鳥を追い越すことすらある。
 いくらも行かぬうち、なだらかだった傾斜が急に険しくなり、レーヴェリヒトはズィンゲンメーネの背で前のめりになる。
 玉樹に覆われたこの山林は、あちこちにこんな急斜面が存在するのだ。ここを一直線に降りれば一気にイデュル街道へ抜けられるとはいえ、なまなかの腕では無事に辿り着くことすら難しいだろう。
 彼らが何の障害もないような風情で、崖と斜面の中間のごときこの場所を駆け下りてゆけるのは、ひとえにレーヴェリヒトの腕とズィンゲンメーネの強靭さ及び優れた判断力のお陰である。
「ははっ……何とも、身震いするような緊張感だな! 癖になっちまいそうだ!」
 手綱を繰りながら巧みにバランスを保ち、何度も迫り来る枝葉を軽々と避けてレーヴェリヒトが笑うと、両脇でカノウが苦笑しウルルが微笑した。神馬とすら称され、国外にもその名を轟かせるズィンゲンメーネと同じ速度で走りながら、ふたりの呼吸が荒くなることはなかった。
「レヴィのこの暢気さは、一体誰に似たのじゃろうな、ウルル」
「レヴィのおじいさまではありませぬか、にいや」
「おお、そうやもしれぬ。ザイデも確かに、こんなじゃったのう」
「はい、ザイデもこのような、豪胆な方でした」
 赤と青の双子が交わす懐かしげな言葉を思考の端に聞きつつ、力いっぱい引き絞られて放たれた矢のような速度のまま、五分も下った辺りで周囲の空気が変わった。
 独特の、まとわりつくように濃厚で不吉な感覚にレーヴェリヒトの眉が厳しくなる。
「……近いな」
 独白めいた彼の言葉に双子がうなずき、赤と青の双眸を周囲に向ける。
 ――森の切れ目が近づいてくる。
 そう思い、気を引き締めたレーヴェリヒトの耳を、ハッと息を呑んだウルルの声が打った。
「レヴィ、向こうの原に異形の気配が。三体とも揃って……ああッ、誰か襲われております!」
「何だと!? 誰だこんな辺鄙な山奥で!」
「そこまでは判らぬ……十人はおるようじゃが、不味い、もう幾人かは餌食になっておるぞ……!」
「くそッ!」
 異形の――中でも《色持ち》と呼ばれる上位種特有の、人知を超えて鋭い感覚を駆使して周囲を探った双子が危機を伝え、レーヴェリヒトは舌打ちをしてズィンゲンメーネの首筋を叩いた。
「頼むぞジーネ!」
 レーヴェリヒトの低い激励に高くいななき、漆黒の駿馬は更に速度を上げて走り出した。まったく遅れることなく、双子がそれに続く。
 やがて森の切れ目、太陽光に満ちた野原が視認出来るようになったころには、レーヴェリヒトにもその明るい場所で行われている殺戮が感じられるようになっていた。濃厚な血の臭いと人々の悲鳴、異形の立てる愉悦の笑いが五感に届く。
 眼差しを厳しくしたレーヴェリヒトは、腰の剣に意識をはせ、誰でもいいから無事でいろ、と祈るようにつぶやいてから、レッヒェルン玉樹森を一息に抜けた。
 夏を目前にした強い太陽の光に目を灼かれるような感覚を味わうとともに、惨劇のただ中へと駆けて行く。

 自分自身の運命を変える出会いが、そこに待ち受けていることも知らずに。


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