内心で俺の脳内におけるコイツの渾名は今日から柴犬かポチだななどとつぶやいた飛鳥がふぅんと頷き、
「……ああ、魚介類の介か」
 と、どうでもいいようなことを口にすると、
「いやあの、た、確かにそうなんだけど、そう言われるとなんかイヤなのは気の所為……?」
「ああ、気の迷いだ」
「な、何か騙されてる気がする……っ」
 またしても凹んだのか、圓東が地面にへたりこんで先ほどと同じ打ちひしがれたポーズを取る。……恐らく、主人にこっぴどく叱られたわんこよりは、呑んだくれの亭主に人生をめちゃくちゃにされた幸の薄い女の方がこんなポーズをする確率は高いだろう。
 飛鳥はそれを無感動に見下ろしているだけだったが、堪え切れなかったのか金村がぷっと吹き出した。決して表情豊かとは言い難い金村だが、表情がまるで変わらないわけではないらしく、笑うと目尻にわずかなしわが寄り、親しみを感じさせる。
 その金村に、
「……面白いな、お前ら」
 などと言われて飛鳥は眉根を寄せる。
「『お前ら』とかいう言葉でひとつにくくるな、不愉快だ」
「えええっ、いいじゃんそのくらい!」
「少なくとも俺はお前と同レベルだと思われるのは屈辱だぞ?」
「ひ、ひどいっ! ひどいよアニキっ!」
「誰がアニキだ」
 よく判らない呼称に更に眉根を寄せて言うと、圓東が身振り手振りを交えて言い募る。幼児が何かを一生懸命に主張するような風情だった。これでもう少し小さくて女の子だったら間違いなく可愛かったのに、とはどうでもいいような飛鳥の内心である。――つまり、圓東がやってもあまり可愛くない、ということだ。
「いやだってほら、助けてもらったわけだしっ。危ないところを救われたら恩返しに子分になるのが筋ってもんだろ! ってかおれあんたみたいな強いヤツに会ったの初めてなんだって! なあなあ、だからおれのこと子分にして、絶対役に立つから! なあいいだろ、アニキっ!」
「却下」
「なんでっ!?」
「鬱陶しい」
 よく判らない理論を一刀両断にし、ひどいっ! と涙目でわめく圓東をまたしても無視すると、飛鳥はまだ伸びたままの襲撃者たちに目をやった。ここへ運ばれたことそのものが負担だったのか、一向に目覚める気配がない。
 大股で彼らに近づき、ひとりひとりの様子をチェックして、顔色こそ悪いものの、その呼吸が正常であることを確かめる。ちなみに、打撲で顔を青くしていることについては無視である。あれは飛鳥を怒らせた彼らが悪いのだ。
 ついでに、襲撃者のひとりが後生大事に握り締めていた匕首を奪い取り、更にその腰に挟まれていた鞘も奪うと、その刃を鞘に収める。
 これは、正気づいた彼らが再び金村を襲わないようにという用心と、何か危険なものが現れたときの護身用だ。正直な話、襲撃者たちのあのへっぴり腰ぶりは見ていられなかった。飛鳥は刃物の使い方に精通しているわけではないが、あれならまだ彼が使った方がましだ。
 何にせよ、ヤクザは嫌いだし密造拳銃を持っていたことは許し難いが、ここまで十把ひとからげに運ばれたのも何かの縁だ、という意識が飛鳥の中に芽生えてしまったのは事実で、この不細工で頭の悪そうな男たちを放って行くつもりは彼にはなかった。
 飛鳥がそんな風に思うことは非常に珍しいことなのだが、それはもしかしたら、ここの緑の美しさに魂を洗われたような思いがしたからかもしれない。
 多少薄情ではあれ、飛鳥だって鬼や悪魔の類いではないのだ。……たまに、それよりもひどいことをする場合もあるが。
「まぁいい、とりあえず起きろ」
 独語とともに、飛鳥はだらしなく伸びたままの男たちの脇腹やスネを蹴飛ばして歩く。非情なまでに的確に、純粋に痛い場所を硬いブーツの爪先に蹴飛ばされ、鈍いくぐもった悲鳴がいくつも上がる。
 飛鳥が傲然と見下ろす中、男たちはしばらくの間呻きながらもぞもぞと動いていたが、やがて徐々に覚醒し起き上がり始めた。自分の身に何が起きたか判らないのか、痣やこぶの出来た位置を押さえてしきりに頭を振っている者もいる。
 何にせよ十人が十人とも大事ないようで、人間というのはもろいようでいて本当にしぶといものだと飛鳥は感心する。だからこそ彼らは、地上の王者として世界に君臨することが出来るのかもしれない。
 まだ状況を把握できていないらしく惚けたような表情で周囲を見渡している男たちを観察しつつ、さてではこの脳味噌筋肉馬鹿どもをどうやって丸め込むか、と、飛鳥が脳内で算段を始めようとした、そのとき。
 ――――不意に、虫の音が消え、鳥の声が消えた。
 あんなに明るくまぶしかった陽光が力を失い、辺りに奇妙な影が落ちる。
 かと思うと、悲痛ささえ感じさせる甲高い声で、絶叫のように鳴きながら鳥の群が飛び立ってゆく。不気味な沈黙が満ち、何かに勘付いたらしい金村が眉を厳しくする。圓東は身を竦ませて金村にしがみついた。
 飛鳥の背筋を、凄まじく冷たい何かが滑り落ちてゆく。勘とも本能とも知れぬものが、全身全霊で危険を告げている。
 ……何かが近づいてくる。
 無意識に飛鳥は身構えていた。
 全身の毛を逆立てるように、身体中の感覚を駆使して気配を探る。
 十人二十人の暴漢やヤクザに周囲を取り囲まれたときでも、ここまで緊張したことはなかった。
 暑くもないのに、手の平に嫌な汗がにじむ。
 覚醒の最中にある男たちは、そもそも鈍いのか頭が寝惚けているのか、明らかに異常な周囲の状況にまったく頓着していない様子だった。ただ、何が起きたのか理解出来ないといった風情で彷徨っていた視線が飛鳥に行き着くや、眦を怒りに吊り上げて立ち上がっただけだ。
 立ち上がった男のひとりが拳を固めて詰め寄り、
「おい、お前っ! 何のつもりであんな……!」
 喚こうとしたその顔面を問答無用で飛鳥は掴んだ。無表情のまま男を見据え、言い捨てる。
「……いいから黙れ」
 ちょっとした事情で常人離れした握力を持つ飛鳥に、握り潰さんばかりの勢いで顔面を掴まれ、男は苦痛と恐怖の色を浮かべてばたばたともがいたが、飛鳥は顔色ひとつ変えずに彼をその場に引っ繰り返して周囲をうかがった。
 南側に位置する森よりも深く暗い、奥をうかがうことの出来ない北側の森から、めきめきべりべりという不吉な音が聞こえてくる。二十メートルを超えようかという立派な木々が、その音とともにぐらぐら揺れる。木々が揺れると、悲鳴じみた叫びとともに鳥が飛び去ってゆく。
 男たちもようやく自分たちの置かれた奇妙な状況と、何か得体の知れないものが近づいてきているという事態を理解したらしく、不審げに眉をひそめてひとところに集まった。そして、今まさに何かが現れようとしている、薄暗い森を凝視する。
(何だ、この寒気は……?)
 飛鳥は彼らの様子を視界の端に認めつつ、背筋を這い上がる壮絶な悪寒に耐えていた。
 今まで生きてきた中で、こんな感覚は初めてだった。
 自分の中に存在する感覚のすべてが危機を叫んでいるのが判るのだ。
(くそ、指が、震える……!)
 一体何が、と、今までになく緊張する自分自身を訝る飛鳥の耳に、繁みをかき分けるガサガサという音がした。森の下生えがざわざわと揺れ、木々が震える。
 飛鳥は繁みの向こう側に、悪寒を伴う大きな気配を感じる。
 自然と、分捕った刃物の柄を握る力が強くなる。
(……来る)
 口を利くどころか身動きひとつせず、森の一角を凝視する彼らの目の前に、唐突にそれは姿を現した。
 悪夢としか言いようのない、醜悪で不気味なかたちを持って。
「え……?」
「な……あ……?」
 それを目にした男たちは、目玉がこぼれおちてしまうのではないかというほどに目を見開き、口をぽかんと開けて間の抜けた息を吐き出した。中にはぺたりとその場に座り込んでしまったものもいる。
 金村は瞠目したが声を堪えるようにぐっと唇を引き結び、取り乱すこともなく、腰を抜かしそうになっている圓東を無理やり引っ張って立たせていた。動揺していないわけではないのだろうが、その動揺を外に出さないだけの精神力を持つ男なのだ。胆力の違いというのはこんなところで物を言う。
 ――――それの造作はあまりにもふざけていた。
 飛鳥は何者かの悪意すら感じるかたちをしたそれを、ともすれば恐れに萎縮しそうになる精神を叱咤して見据えた。それが現れた意図を量るように、その姿を観察する。
 背丈で言うなら五メートルほどだろうか。
 ちょっとした住宅の屋根の位置辺りにそれの頭はあった。
 忌々しいことに、サイズの差はあれ、その造作は人間めいていた。頭があり、腕があり、胴体があって脚がある。獣たちのような体毛はない。その造りは『人間』という種族に許された、文化を営むに相応しいかたちだった。
 しかし、それからは人間の持つ『善きもの』が欠如していた。
 例えばそれは、人間という生き物のカタチが持つあの修練されたフォルムや、そのフォルムのもたらす様々な美、やさしい丸みややわらかさ、しなやかさの類いだ。飛鳥は人間を美しいだけの生き物とは思わないが、少なくともかたちが似ているからといって目の前のあの物体とひとくくりにされるほど醜悪でも嘲笑的でもないとも思う。
 ――それの『顔』には目がひとつしかなかった。
 目は大きく、顔の半分を占めていた。そしてそれは、『顔』の真ん中に、縦向きについていた。ゆっくりと瞬きを繰り返す、ぎょろりとしたその眼球は濁った赤、腐った血液を彷彿とさせる色だった。
 鼻はなく、眉も耳もなかった。ただ、本来ならば耳があったであろう位置まで裂けた大きな口があった。サメを思わせる凶悪な歯がずらりと並んだそれは、この生き物が草を食って生きているわけではないことを教えてくれる。
 人間と同じく肩から生えた腕は、人間とは違って滑稽なほどに長く、だらりと垂れて地面にまで届いていた。
 飛鳥はそいつの手に指が五本あることに気づいて更に気持ちが悪くなった。ここまで類似しているとたちが悪いとしか言いようがない。
 胸から腹に相当する部分、つるりとした質感の生々しい肌色をしたそこには、禍々しいとしか表現出来ないような紋様が浮き出ている。その部分だけが独立した命を持ってでもいるかのように、血色の紋様は大きく脈打っていた。不気味な拍動だった。
 胴体の長さと比べると下半身は極端に小さく、脚も短い。しかし巨体を支える目的だろう、その脚は頑丈で太い。足にも指が五本あり、爪まで見える。
 総じて言えばその造作は怪物じみていて、これを創った神とやらがいるのなら、その神はさぞかし狂っているのだろうと思わせたが、なによりも不可解でグロテスクなのは怪物の全身を針が貫いていることだった。
 裁縫に使う縫い針を何百倍何千倍も太く長くしたような、鈍い銀色に光る針が、一定の間隔で怪物の全身から突き出ているのだ。
 針はあちこちから生えているわけではなく、怪物の背面から前面に向けてを貫いていた。頭部からも頚部からも腕からも腹からも胸からも、腰からも太腿からも足首からも突き出していた。
 針は大きな目からも突き出ていたが、針そのものが身体の一部なのだろうか、怪物は苦痛や不具合を感じる様子もなく瞬きを繰り返していた。かぱりと開いた口からは後ろ頭から続く針がのぞいていて、そのために怪物は巧く口を閉じることが出来ないようだった。
 凶器と表現するしかないようなサイズであり形状であるそれの先端が、弱々しい光を受けてぎらぎらと輝く様などは、シュールな悪夢としか言いようがなかった。
 あまりにも非現実的なモノの姿に、男たちは思考が停止したかのように立ち尽くしていたが、きょろりと眼球を動かした怪物が、ゆっくりとした動作で一歩踏み出し、長い首を傾げて男たちを見ると、彼らの顔にみるみる驚愕と恐怖が伝染していった。
「ば、化け物……ッ!?」
 腰を抜かしたらしいひとりが地面を這いずりながら喘ぐように叫び、
「な、ななな、何だ、一体何なんだ、あれは……っ!」
 同じく腰の抜けた男が必死で立ち上がろうとしながら喚く。
 暴力を生業にしていたとしても、どんなに肉体が鍛えられていたとしても、そこに信念という名の精神が伴わなければ、いかなる時でも揺るぎなく強くあることは出来ないのだ。
 男たちは情けなくも総崩れとなり、戦意など望むべくもないほどに萎縮してしまっていた。逃げようにも身体が強張ってしまったらしく、ぎくしゃくとした動きで、必死に怪物から遠ざかろうともがくばかりだ。
 飛鳥は彼らの動揺を理解しつつ――自分もあんな風に怯えて錯乱していられれば楽だっただろうになどと皮肉げに思いつつ、表面上は小揺るぎもしない無表情のままで、怪物を睨み据えてその動向を観察していた。
 背を見せて逃げることが最善ならばそうするが、腰を抜かした大の男を十人も抱えて、あの巨体に背後から急襲されればひとたまりもない。
 飛鳥の思惑をよそに、怪物はなおも男たちを見下ろしていたが、やがてその濁った血色の目をかすかに細めた。
 ――それは、明らかに、愉悦の表情だった。
 耳元まで裂けた口が笑みとしか言いようのないかたちに歪められる。
 そして怪物は、

「くけ、けけ」

 と、気味の悪い声で笑った。それは確かに人間のものでしかない声であり、間違いなく愉悦に満ちた笑い方だった。怪物は、飛鳥たちの恐怖を楽しんでいるのだ。
 飛鳥の肚の底に、冷たい針のような悪寒が落ちる。
 全身に鳥肌が立つ。
「う、うぅ……うわあぁあッ!」
 男たちの恐怖も限界を超えたらしく、男のひとりが絶叫する。ひとりが叫ぶとそれは伝染し、叫ぶことによって恐怖は増大した。
 この場にいることに耐え切れなくなったのか、男のひとりが怪物に背を向けた。がくがくと震えてうまく動かない脚で必死に逃げ出そうとする彼を、下手に逃げるなと飛鳥が叱咤するよりも早く、唐突に、彼の背中から銀色の針が生えた。
 飛鳥は瞠目する。
「あ、あぁ……?」
 針を生やした男は、自分の身に何が起きたのか判らないといった風情でその場に膝をつき、背中に――針が貫き通った胸に手を触れた。その顔にみるみる絶望が広がってゆく。
 ハッとなった飛鳥が怪物を振り仰ぐと、怪物の口から突き出ていたはずの針が一本足りない。しかし足りないと見えたのはほんの一瞬で、飛鳥が瞬きをすると針はもう元の位置に刺さっていた。再生した、と言うのが正しいかもしれない。何にせよ、まるでそれが錯覚だったのではないかと思わせるほどあっという間の出来事だった。
「あれは……あいつの……!?」
 飛鳥がつぶやくのと、怪物が再びあの気味の悪い声で笑うのとはほぼ同時だった。
 牙だらけの口を開いて笑った怪物が、子供がダンスでも踊っているかのようにその巨体をゆさゆさと揺すると、
「あ゛……ッ、あ゛、う、ぎ……ッ!」
 怪物の針に貫かれた男が苦悶の――悲痛なとしか言いようのない表情になってくぐもった声を上げ、胸を押さえてのたうちまわった。涙をこぼし、口から血の混じった泡を吹いて転がりまわる。
 助けてやることも出来ず、なすすべもなくその様子を観ているしかない飛鳥たちの目の前で、男の身体は急激に縮んでいった。急激に年を取ったかのように、身体が皺まみれになり萎れてゆく。
 いや、縮んでゆくというよりは、針に何もかもを吸い取られてゆくと言った方が正しい。事実、彼の身体は、針に貫かれた部分から徐々に徐々に『なくなって』ゆくのだ。
 それは、時間にしてみれば一分ほどのことだっただろう。しかし、飛鳥たちには――捕食される者たちには、永遠にも均しい恐怖の時間だった。
 もうほとんど原形をとどめていなかった男だが、それでもまだ意識があったのだろう、彼はしわしわになった指を弱々しく宙に伸ばし、
「ぃ……ぃや、だ、し、死にたく、なぃ……」
 そう、奇妙にしわがれて甲高い声でつぶやいた。それが、彼の最期の言葉だった。
 その言葉が終わると同時に、まるで勢いの強すぎる掃除機にでも吸い込まれたかのように、彼の身体のすべてが針に吸われて消えた。残ったのは、彼が身につけていた服と靴だけだった。

「くくく、くけ、けけけ」

 ごくん、と確かに何かを飲み込む音がして、怪物が愉悦に満ちた声で笑う。腹の紋様が不気味に拍動し、瞳と同じ不吉な血色をぼんやりと輝かせた。
 ――あれは、人を食うのだ。
 もはやこの場に留まることは死を意味するのだと心底理解した飛鳥は、逃げるに逃げられずにいる男たちを睨み据え、
「寝惚けてる場合か、馬鹿の極地ども! お前らそれでもヤクザか、腰抜かしてる暇があったら反撃のひとつもくれてやれ! それが無理なら、今すぐ立ち上がって逃げろ、役立たずどもがッ!」
 自分へともヤクザどもへとも取れぬ、内心の忌々しさをすべて含有させたかのような、肚の底からの怒声を発した。
 まだ居残っていた鳥が大慌てで飛び去ったほどの大声は、あの、知能があるのか定かでない怪物すら、一瞬怯ませたほどだった。目と口しかない顔が一瞬仰け反り、怪物の動きが止まる。
 それでようやく我に返ったか、男たちがどうにか立ち上がり、我先に南側へと走り出したのを観て、飛鳥は小さな息を吐いた。そして、金村と圓東を視線だけで急かし、怪物の動向を気にしつつ走り出す。
 怪物が一体しかいないなら、たくさんの獲物が一斉に逃げれば目先をくらますことが出来るだろうと踏んだのだ。
 事実その通りだったようで、怪物は長い首をきょときょとと動かしたものの獲物の動きを絞りきることが出来ないらしく、飛鳥たちの後ろへ追い縋りつつも、あの物騒で不可解な針を打ち出して来ることはなかった。下半身の様子からして動きはそう俊敏ではないだろうという飛鳥の予想は当たり、巨体が一気に彼らの背後へ迫るということもなかった。針が飛んで来ないのなら、あとは逃げるだけでいいのだ。
 しかし、物事は飛鳥の思惑通りには行かなかった。
 このままあの通路らしき道を使って怪物を引き離そう、と思案しながら、背後の怪物を気にしつつ男たちの背を追いかけていた飛鳥の目の前で、先頭が急に止まった。
 飛鳥は金村に激突しそうになり、何をやってるんだと先頭に怒鳴ろうとして絶句する。
 ――――南側の森から、全身が目玉で出来た怪物がゆっくりと近づいてくるのが見えた。
 やはりどこか人間めいたフォルムを有したその怪物は、腐った血色の目玉をすべて愉悦のかたちに細め、目玉だらけの『顔』で唯一の別器官である口を大きく開けて笑った。サメのような歯がぞろりとのぞく。

「くく、くけけ」

 響いたのは、針の怪物と同じあの気味の悪い声だった。
「……くそ……ッ!」
 背後からは、針の怪物がゆっくりと――楽しむように近づいてくる。
 飛鳥は唇を引き結んだ。
 前後から非現実の塊に迫られた男たちにはもう声もない。
 そんな彼らの様子に、二体の怪物がまたあの声で笑う。

 ――――そして、殺戮が始まった。