誰もが無言だ。
三人の東方人たちも、ジーンも。
穏やかな、とてもよい気候のはずなのに、彼らの周囲だけ空気が冷たく、重い。息が詰まる。
ハイキング日和のこんな午後に、この雰囲気は似つかわしくなかった。
(あの人たちのパパを殺した、って……どういうこと……?)
神殿に向かって歩きながら、櫻良はずっとそのことを考えていた。
ジーンが東方大陸を出たのはずいぶん幼い頃だと聞いている。
だとしたら、そんな子ども時代に大の大人を殺すような凶悪さを持っていたのだろうか、ジーンは。
そんなはずない、ジーンはやさしい人だもの、と思いながらもちらりと盗み見たかれの顔は、いつも以上に無表情でどこか硬く、そこからはいかなる感情を窺い知ることも出来ない。
面と向かって尋ねることも出来ず、櫻良が小さな溜め息をつくと、
「……驚かれましたか、姫」
彼女の内心を鋭敏に感じ取ったのか、隣を歩く頴貴が静かに問うた。
「いえ、あの」
何と答えてもジーンにとって不利益になる気がして、前方を歩くかれを伺いつつ、言葉を濁す。
それを、ジーンの本性や罪を知った当惑と取ったのか、
「我らの父は、双ツ葉の歴史の中でも突出した実力の持ち主でした。現在は私が家長を拝命してはいますが、あれに殺されなければ、今でも当代一の東方人として、北の武門の要として、神統世界の平穏に貢献していたことでしょう。――まったくもって、嘆かわしい話です」
頴貴がジーンの背を睨み据え、断じる。
責める言葉に心臓を掴まれたような気持ちになって、何ら変化の見えないジーンを案じつつ、
「だけど、あの、それって、でも」
もごもごと口ごもる櫻良を見下ろして、頴貴が溜め息をつく。
「そのような呪い子と、片方だけとは言え血がつながっているとは思いたくもありませんが、覆しようのない事実ではあります」
「えっ!? ……じゃ、じゃあ、ジーンと皆さんって、ご兄弟なんですか」
「ええ。忌々しい話ですがね」
それもまた衝撃だった。
では、顔立ちが似ていると思ったのは、種族的なものだけではなく、血の近さによるものでもあったわけだ。しかし、だとすれば、ジーンは己の実父か、もしくは義父を殺したことになる。
何故、どうして、という疑問が胸のうちをぐるぐると渦巻き、判らないことが苦しくなって息を詰めたら、鈍いかれには珍しく櫻良の胸中を察したのか、
「櫻良、気になるのなら尋ねてくれてもかまわない。私にでも、その三人にでも」
振り向かぬままのジーンがそんなことを言い、何よりもまず声を聞けたことにホッとして、櫻良は小走りにかれの隣に並んだ。
「姫。……まったく、いかなる策を弄して取り入ったのだ、お前は」
「いえ、あの、そういうのじゃないです。ジーンはあたしの命の恩人なの」
忌々しげな頴貴に、一生懸命事情を説明しようとするも、彼の、ジーンを観る目から冷ややかさや嘲りが消えることはなかった。
櫻良はそれをとても苦しく思ったが、おそらく櫻良の知らない、もっと深い場所に根本的な理由があるのだろう。だとしたら、今の彼女に出来ることなどないに等しかった。
「何を言ったところで弁明としか取られぬのなら口を噤むが吉だろう」
「その可愛げのなさ、憎らしさはまったく変わっていないのだな。神万木の大長にも報告させてもらうぞ」
「好きにしてくれ。今更、取り繕うようなこともない」
ジーンの口調がどことなく投げやりなのは気のせいではないだろう。
故郷と縁を切ったというジーン、長い間西方大陸を放浪していたというジーンの言葉が浮かんで、櫻良は、故郷でのかれが、ずっとこういう扱いを受けて来たのだろうと思い至り、いたたまれない気持ちになった。
本当なら、それは家族と呼んでおかしくない関係のはずなのに、半分だけとはいえ血のつながった相手から散々に罵られ否定されるというのは、いったいどれだけの苦しみだろうか。
時にこっぴどく怒られ、部屋を引っ繰り返すような喧嘩もしてきたとはいえ、基本的に――そう、ごくごく一般的な――仲のよい家族だった櫻良には、きっと完全に理解することなど出来ないだろう。
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、
「あの、ジーン。嫌だったら、辛かったら、いいよ」
マントの裾をぎゅっと握り、囁くように言う。
「……あたしは、今のジーンがここにいてくれるのが大事だから」
理由を聞けば、驚いたり揺らいだりしてしまうかもしれない。
それでも、最後には、何があっても自分はジーンの味方だと、ジーンと一緒にいたいのだと、きちんと声にして言いたい、と櫻良は思うのだ。
櫻良の、幼くて拙い言葉は、思いは、しかしジーンにはきちんと伝わったようだった。
かれはようやくかすかな笑みを見せ、首を横に振った。
構わない、ということらしい。
しかし、
「……彼らは父と言うが、私にとっては母だ」
次の瞬間発せられたのは、爆弾発言というのも馬鹿馬鹿しいような言葉だった。
「あ、そうなん……はい?」
目が点になるとはこのことだ。
「母は、私を生んだ翌日に亡くなった。おそらく彼女には負担が大きすぎた……身体を『つくり変え』たのだから、それも、当然だ」
淡々とした言葉に、思考が一瞬止まる。
「あの、え、それ、ど……?」
三人の東方人にとっては父親で、ジーンにとっては母親だという、その真意が判らず、櫻良が顔に?マークを貼り付けると、
「……東方人にとって性別というものはあまり重要ではない。それというのも、東方人は生まれて数十年は性を持たないからだ。大よそ、成人の頃に性が分化し、相性のよい連れ合いが決まる。我々の身体というのは、そういう風に出来ている」
東方人、詳しくは幻翅族と呼ばれる不思議な一族の、『つくり』に関する事実が浮かび上がってきた。
「えっ……じゃあ、ジーンは? 東方人の成人は五十くらいって聞いたけど、ジーンはもうどっちかになってるってこと? ええと、ジーンって、男の人……だよね?」
「私はどちらでもない」
「えっ」
「私は、出自が特殊でな。成長そのものが遅いのもあるかもしれないが、まだ分化していない。恐らく変わるのなら男だろうと思っているし、意識の上では、ほとんど男のつもりでいるが」
「あ、そ、そうなんだ……」
ぽろぽろと明らかになる新事実に頭がついていかず、しどろもどろになった櫻良を、ジーンはいつもより更に表情の少ない目で見つめる。
「……おまえがもしも、私のようなものを気味が悪いと思うのなら、神子姫に言って護衛を替えてもらってもいい。それこそ、ケーニカやメイファに」
「気味悪くなんかないよ! あ、ご、ごめ、あの……あたし、ジーンが男でも女でもどっちでもなくても構わないから。あたしにとっては、ジーンがジーンだってことのほうが大事だから」
思わず大きな声を上げ、そのあと赤面してぼそぼそ謝る。
驚いたのは事実だ。
色恋的な意味でも。
しかし、
(……それでもあたしはジーンが好き。うん、それは何があっても変わらない)
ジーンの横顔を見ていると胸が高鳴ることに変わりはない。
ジーンの硬い表情に、笑っていて欲しいと切実に思うことにも変わりはない。
今はどこか華奢に見える身体を抱き締めて、あの白い額にキスをしたいと思う気持ちにも変わりはない。
(だから、別に、いいんだ)
要するに、櫻良の結論はそれだった。
そして、櫻良は理解する。
(あ、そうか……パパを殺した、って、そういうことなんだ)
射殺すような視線でジーンを睨み据える三人を憚って、口にはしないまま胸中に呟いた。
三人の父であった偉大な人物は、何らかの理由で女性へと変化し、ジーンを生んで亡くなったのだ。三人は、もしくは彼らの家族は、それを許せずにいるのだろう。『父』であったころのその人が、あまりにも偉大だったがゆえに、なのかもしれない。
もしかしたら、ジーン自身もそうなのかもしれない。
「……でも、それって」
思わず口をついて出た言葉に、
「ジーンの所為じゃ、ないよね?」
東方人たちの視線が鋭さを帯びる。
「姫、お戯れを。慈悲深き界護の姫と言えども、それをあまり甘やかされますな。碌な結果にはなりません」
「え、えーと、あの、でも。人間って、生まれる場所を選ぶことは出来ないわけだし。自分が生まれるときに、ママを殺したいって思うわけもないんだし」
「ですから、生まれたことそのものが罪なのですよ」
「え、あの、でも、それって乱暴すぎないですか……赤ちゃんに全部押し付けることになっちゃうんじゃ……」
言いながら、櫻良は先日見た夢を思い出していた。
あれはただの夢だと思いながらも、我が子の誕生を自分の死よりも待ち望んでいた母親の、慈しみの眼差しを思い出し、生むことを決めたのが母であるのなら、他の誰に何を言うことも出来ないのではないか、と櫻良は思った。
「ねえ、ジーン」
「何だ」
「東方人のヒトたちって、成人して性別が決まった後にもう一度性別が変わるって、よくあることなの?」
「さあ……私は、彼らの生態にそれほど詳しいわけではないからな」
幼い頃に故郷を出て、スタンダードな同族と接する機会がなく、また当人は規格外となればそれも致し方ないことなのかもしれない。
それゆえに小さく首を傾げたジーンを冷ややかに見つめながら、二番目の青年、翠貴が口を開く。
「我々のつくりとしては不可能ではありませんが、頻繁にあることでもありません。一度出来上がったものを再び変えることになりますから、肉体への負担も大きいのです。ですから、稀有な事例に入るかと。……その、稀有な事例で、我々は父を喪ったということです。誰もが止めましたが、あの人の覚悟を誰も覆すことが出来なかった」
「あ、そうなんですか……」
では、東方人たちにとっては父でありジーンにとっては母でもあったその人は、肉体に多大な負担がかかると判っていて女性へと変化し、さらには命を落とす危険性すら理解してジーンを生んだのだ。
我が身を生かすために腹の子を殺そうとは思わなかったのだ。
それは、父であり母であったその人の示した、すべての答えではないだろうか?
(だけど、でも)
きっと、彼らにはそれが見えていないのだ。
喪った人物があまりにも大きすぎて、死をもたらしたものに対するわだかまりで凝り固まり、その先を考えることを放棄している。
だからこそのジーンの扱いであり、『大罪人』という言葉なのだろう。
(……どうしたら)
ジーンの性格・性質形成にも密接に関わっているだろうそれを、その複雑に絡まった糸を、いったいどうすれば和らげ解くことができるのだろうか、と、櫻良は、無表情を貫くジーンと、どこまでも冷ややかな三人の義兄たちを交互に見遣り、小さな息を吐いた。