「……なるほど。それで、将を連れ帰ってきた、と」
 対クエズ戦の顛末を聞き終えたのち、飛鳥は身なりを整えられた上で拘束された壮年の男を見下ろした。男はすっかり観念しているのか、それともたとえ殺されても喋ることなどないと思っているのか、目を閉じて椅子に腰掛け、身動きすらしない。
 飛鳥の言葉に、隣のレーヴェリヒトが小さくうなずく。
「ああ。第三大陸で何が起きてんのか、詳しく知っておきてぇしな。まぁ……現地で話が聴けりゃ一番よかったんだけどな、どうも……妙でな」
「妙、とは?」
 言うと、レーヴェリヒトは少し考える風情を見せ、目映いばかりの銀髪をがしがしとかき回した。
「クエズって国は、排他的で他国に対して厳しい。そういう国風を俺がどうこう言うつもりはねぇし、資格もねぇだろうけどな」
「ふむ」
「だが、クエズ国民同士には、強い絆みてぇなもんがある。他国民との婚姻を原則として認めてねぇくらい自国の血を大事にする。まぁ、奴隷は国民とは認められてねぇが……そんなわけで、だから、国内での争いは少ねぇし、結束力も強い。お陰で、情報もなかなか漏れて来ねぇって国だ」
「それで?」
「それが……彼を拘束して数時間後、明らかにクエズ国民と判る連中が、彼を殺そうとした。返り討ちにして事情を尋ねようとしたら全員自害しやがった……ちゃんと答えたら無傷で自国に帰す、って神々の名にかけてまで保証したのに」
「お前たちの信仰……五色十柱の神々と、五色二十重(はたえ)の精霊王だったか。そいつらは、自殺をなんと定義づけてるんだ?」
「禁じられてるさ。もちろん、表向きは、かもしれねぇけどな」
「つまり、身の安全は保証されていた上、しかも信仰上の禁忌を冒してすら知られるわけにはいかないようなことが今のクエズにはある、と?」
「ああ。そう判断して、王都に連れ帰った。ヴェルの采配に文句をつけるわけじゃねぇが、クエズに近いあっちに放っておいたらそう遠くねぇうちに口を封じられちまう気がするんだ」
「……ふむ」
 飛鳥は顎に手をやり、小首を傾げて男を見下ろした。
 年の頃は五十代半ばから後半に見える。
 身長は百八十cm前半、がっしりした身体つきだ。
 髪はオレンジに近い茶色、目は青みの強い緑。
 それがクエズ国民としての特徴らしく、長く伸ばした髪を細かい三つ編みにし、その三つ編みを頭の天辺で結い上げて団子状にまとめている。
 一国の、一軍を預かる将の風格もあり、鍛え上げられた身体からは彼が手練れであることが伺える。
 事実、レーヴェリヒトが言うには、国内でも十指に入る手練れのヴァールハイトと斬り結んで何ら遜色のない戦いぶりを見せたというから、ロベルタ市攻略及びリィンクローヴァ侵攻を任せられるだけの器を持った男なのだろう。
「そんな男に、何かあったのか……と、尋ねるだけ無駄、かな」
 独語のように呟くものの、やはり答えはない。
 男の視線は正面の一点を見つめるのみで、揺らぎすらしない。
 男の引き結ばれた唇を見て、飛鳥は肩を竦めた。
「どんなに痛めつけたとしても徒労に終わりそうな面構えだな。まぁ、そういう人種は嫌いじゃないが……ふむ」
 クエズ、ダルフェ、フェアリィアル。
 目下のところの、リィンクローヴァの敵対国だ。
 それはつまり、飛鳥がレーヴェリヒトとこの国を護るために行うべき一連の行動の中で、最初に攻略すべき国々ということでもある。
 その場合、リィンクローヴァを格下視しているモーントシュタインはさておき、血縁に均しいハルノエンと同盟国であるキャスレードとヴァルシアを足掛りにして取り掛かるのが一番相応しいように思われる。
 と言っても、未だレーヴェリヒトの客分でしかない飛鳥に出来ることなどたかが知れている。
 レーヴェリヒトが他国への侵攻に乗り気でない現状において強権を揮おうと思ったら、国王陛下ファンクラブの皆さんを納得させ黙らせるだけの実績を積み重ねていくしかないのだ。
「俺の手持ちに、情報を引き出せるような何かがあるかな……?」
 そんなわけで、クエズの現状という情報は、レーヴェリヒトでなくとも是非とも得ておきたいものでもあり、飛鳥は右手人差し指に意識を集中させた。
 加護持ちや御使いに関する情報を網羅した事典でも、少しずつ読めるようになってきた古代神聖語の書物でも、使いすぎると大変なことになる旨が記してあったが――事実、過去の御使いの中には、界神晶の使いすぎで別の存在に成り代わってしまったものも存在するらしい――、頼り切るつもりなどないにしても、使うべきときに使わなくては意味がないこともまた事実だ。
 それに、過去の資料を基に試算してみたが、界神晶の使いすぎで飛鳥が飛鳥でなくなるには、毎日小規模な魔法を使い続けて二年か三年かかるようなので、肉体の感覚からいっても、まだびくびくするようなものでもない。
「まぁ……俺は、そのためにここにいるんだから、な」
 どの道、我が身を惜しむつもりもなく、飛鳥が小さくつぶやいた瞬間、彼の周囲に、光沢のある闇が湧き上がり、飛鳥を護るように……慕うように、翼のように揺らめく。
「!」
 そこで男が始めて表情を動かした。
「それは、その力は……まさか、噂話は本当だったのか……!?」
 低くて渋い、腹の底に響くような声だった。
 飛鳥はうっすらと笑い、光沢ある闇をいくつもの光る文字に変えて自分の周囲に張り巡らせた。土星の輪を幾層にも重ねて周囲に展開したような、幻想的な光景が広がる。
 それらを見上げる男は、呆けたような表情になっていた。
 界神晶を目の当たりにして、というには、少々悲壮感が漂っている。
 ――やはり、何か事情があるようだ。
「ふむ、これは……ちょっと強過ぎるか。こっちでは……弱いし、効果は薄そうだな……」
 男の表情を視界の隅で監察しつつ、光る文字に直接手を伸ばし、触れながら、使えそうな力がないか確かめていく。飛鳥が触れると、文字が金色の光をこぼしながらくるくると回る。それを、レーヴェリヒトが不思議そうな目で見つめている。
 飛鳥としては、パソコン画面でアイコンをクリックするような感覚に近い。
 というよりも、界神晶の使い方が、いくらか調整が利くものだということに気づいた飛鳥自身が、自分の使いやすいように、今まで使ってきたものと似通ったやり方に整えたと言うだけなのだが。
「スパイ映画や安っぽいサスペンスドラマで見かけるような自白剤があれば楽なんだろうが、な……ん、これもちょっと強過ぎるな」
 飛鳥がぶつぶつ呟いている『自白剤』とは、それを注射されると捕虜や人質が秘密や情報をペラペラと喋りだしてしまうアレのことだが、現実的には、そんな便利なものは存在しない。
 本来の自白剤とは、精神を弛緩させる薬剤を投与することによって意識を緩ませ、喋りやすくさせるだけのもので、質問への答えの正確さには欠けるうえ、難解な問いに関しては、質問者の言葉のニュアンスなどによって変化してしまいかねないと言う、大変不安定で曖昧な代物なのだ。
 もちろん、この場においてもなんの意味もない。
「どうするつもりだ、アスカ?」
「ん? ああ、精神に直接働きかけて脳味噌から情報を搾り出してやろうかと思ったんだが、今の俺では微調整が出来なさそうでな。情報を引っこ抜くと同時に彼から魂を根こそぎ引き剥がしてしまいそうだ」
「魂を引き剥がすって……引き剥がされたらどうなるんだ?」
「確かめたことがあるわけじゃないが、本人の根本がなくなるわけだから、廃人になるだろうな。それではちょっと寝覚めが悪いだろう、さすがに」
「あー、ちょっとってか、かなり寝覚めとしちゃ悪いんじゃねぇかな。まぁ出来ればやめといてほしいかなぁ、それは。このおっさんにだって帰りを待ってる家族がいるんだって思うと、どうしてもな」
「そうか」
「戦場で剣を交えてる時に言えるほど余裕はねぇし、この時代に、国王として甘過ぎるってのも判っちゃいるんだけどな。俺の親父さんは、前線で受けた傷が悪化して死んだんだ。生きてりゃ、このおっさんと同い年くらいだったろう。ってこたぁ、クエズ本国にゃ、俺と同い年くらいの息子や娘がいるかもしれねぇってことだ……なんかな、そういうの、想像すると、駄目なんだわ。特に、今みてぇな、こっちにとって絶対的に有利な状況で、ってのは」
「……ふむ」
 飛鳥が頷くと、レーヴェリヒトは決まり悪げに頬を掻いた。
「俺がこんなんだからリィンクローヴァは守りに徹するしかねぇんだ、って、口の悪い連中はよく言うんだ。ま、事実なんだが」
「いや……」
「ん、どした、アスカ」
「残念ながら、お前のそう言う甘いところが、俺は気に入ってる」
 飛鳥が肩を竦めて言うと、レーヴェリヒトは一瞬きょとんとし、それからちょっとくすぐったそうに笑った。
「そうかな」
「ああ。まぁ……腹黒い部分はこれから俺が何とでもしてやる。だからお前は甘ったれのヘタレのままでいればいいと思う」
「ヘタレは余計じゃねぇかな、それ」
「そうか? お前を言い表すにもっとも相応しい表現だと俺なんかは思うんだが」
 さらりと言い切ったあと、
「ん、こういうのもあったな」
 飛鳥は光る文字のひとつを見上げてそれに触れた。
 シィン、という、繊細な金属同士が触れ合うような音がして、男の周囲四方に磨きぬかれたガラスのようなものが現れる。その、ガラスのような何かは、風のない日の湖面を思わせる静けさで、緩やかに、密やかに波打ちながらたゆたっている。
「アスカ、これは?」
「『鏡』、かな」
「鏡?」
「ああ。……そうだな、引っ張り出すことばかり考えていたから微調整が難しかったんだ。人間が幾つもの記憶によってかたちづくられたものであるのなら、彼自身から漏れ出たその記憶を映し出してやればいい。幸い、初期魔法の中にそれっぽいものがあった。今の俺が使えるこれは、無作為に記憶の中の光景を展開するだけだが……」
 言いつつ、光る文字をもうひとつ操作し、『鏡』を作動させる。
 また、シィン、と音がした。
 男がかすかに身じろぎすると同時に、
「……お」
 レーヴェリヒトがアメジストの双眸を瞠る。
 『鏡』に、いくつもの風景が映し出されていた。
「あれ……確か、クエズ一の霊峰って言われてるヴンダークラフト山脈だ。へえ……すげぇ神秘的な山だな……」
 年中頂きに雪を抱いた高い高い――畏怖すら感じさせる神々しさを有した山々、美しいが厳しい自然、石の多い大地、その中で助け合って生きる家族、貧しい村、貧しい町。
 年老いた男女が、痩せた土地を引っ掻いて稗や粟を育てている。
 痩せた家畜が、わずかな草を、競い合うように食んでいる。
 村と町の境にある小さな学校。
 薄汚れた出で立ちの、しかし目をキラキラと輝かせた子どもたちが、手垢に汚れぼろぼろになった本を手に、教壇に立つ人物の話を夢中で聴いている。
 ――都の光景。
 何もかもが美しく、洗練されていて、誰も彼もが有能な王都の姿。
「ああ、なるほど。あんたは、山すその寒村の出で、苦労して努力して今の地位まで上り詰めたんだな。あんたを学校にやらせてくれたのは両親で、学校からあんたを都にやってくれたのは村や町の人たちだったのか」
 やがて兵士としての訓練の光景が入り乱れ、戦場での阿鼻叫喚が映り込む。
 しばらく同じような光景が続き、やがて少しずつ、周囲が変化していく。
「あんたには剣の才能があった。人を動かす、戦の才能もあった。そういうことなんだろうな」
 付き従う人々が増えていく。
 尊敬の眼差しを向ける人々が増えていく。
 恐らくこの男は、寒村の出身でありながら将にまで上り詰めた身として、驕ることはなく、兵士たちに身近で、一般市民たちにとっても親しみやすい人柄であったのだろう。
 時折『鏡』に映り込む、明らかに高貴な出身と判る人々の、嘲るような……それでいて妬むような表情からもそれは明らかだ。
 この、あちこちで戦火のあがる時期に、一万五千もの兵士を動かせるのも、彼の実力を物語る。ちらりと見えた、クエズ国王と思しき人物は、彼に全幅の信頼を置いていたように思える。
 ――状況の変化は、玉座の人物の顔が変わった辺りから始まった。
 背の低い、前クエズ国王をどことなく卑屈にしたような顔立ちの青年は、玉座に腰掛け、傲慢な表情であれやこれやと命を下す。
「や、やめろ……やめてくれ、これ以上は、もう」
 『それ』が映り始めたことを知ってか、男の顔色が蒼白になる。
「私はいい、私なら、八つ裂きにしてくれて構わない、だから、」
「――あれは、王太子じゃなかった」
 男の言葉を遮るように、レーヴェリヒトが呟く。
「王太子とは戦場で見えたことがある……敵だが、立派な男だった。……あれは、誰だ? 何故、立太子されてなかったやつが、玉座にいる?」
「何となく、見えたな」
 朴訥ですらあるレーヴェリヒトの問いに、顔色をなくして黙り込む男を見つめ、飛鳥は腕を組んだ。
 記憶の『鏡』は、薄暗い、狭苦しい、汚らしい牢獄を映し出している。
 内側は、暗くて見えない。
 だが、その光景が何度も映し出されることから、この記憶の持ち主である彼が、何度も牢獄に足を運んでいたことが判る。
「王太子は正妃の第一王子で、人望も実力もあった。敵対国の王子を褒めるのもなんだが、彼以外に……彼以上にクエズを発展させられる人間はいなかったはずだ。それを廃してまで、何故あの男が王になる……いや、そもそも、俺が最後に彼を見た三年前ですら前国王は壮健だったし、まだ王位を譲るほど年老いちゃいなかったはずだ」
「だからこそ、この将軍閣下は蒼白になっておられるんだろう。問題は、それを成し遂げたのは、どう考えても現国王ひとりの力じゃないってことだろ。……大事なのは、誰が力を貸したか、何故力を貸したか、だ」
 急激な勢力の変化と、新しい後継者の性急な王位継承。
 前国王は生きているのかいないのか。
 ――否、生きていれば、現国王のこのような暴挙は許すまい。
 というよりも、前国王が没したからこそ、現国王は、なにものかの力を借りてではあれ、玉座を簒奪することが出来たのだろう。
 だとすれば、前国王は、現国王一派に弑された可能性すらある。
「誰が、その暴挙に力を貸した?」
 有能で人望もあり、戦の腕前も上々という王太子を廃して――あの映像からすると、何らかの罪を着せられて投獄されている可能性が高い――まで、どう見てもクエズという国家に、国民に不利益になりそうな男を王に据えた何者かの目的は、なんなのか。
 折しも、記憶の『鏡』は、玉座にふんぞり返る僭王の様子を映し出している。
 男は恐らく、跪かされている。視線が妙に低いのはその所為だ。
 たぶん、男の視線がその時動いたのだろう、映像がほんの少し動き、
「……何だ、あの色は……?」
 画面の端に、目映いほどの黄金を、わずかに映し出した。
 かすかに揺れる、絹糸のようなそれは、どうやら誰かの髪であるらしかった。
 怖じたように映像が揺れ、また、その黄金を映そうとした、その時だった。

 ――おやおや。

 どこかから声が聞こえた。
 聞き覚えのある声だ。
 飛鳥の優秀過ぎる記憶に、しばらく前にフィアナ大通りで目にした――実際にフィアナ大通りに存在していたわけではないようだったが――、黄金の髪と眼の、少女と見紛う美少年の姿が浮かびあがる。
 ざざあっ。
 ノイズめいた音を立てて、『鏡』が消える。
 否――掻き消されたのだ。
 外部から干渉する、大きな力の波動を感じる。
「!」
 レーヴェリヒトが素早く反応し、剣を抜く。
 一瞬遅れて男がびくりと震えた。
「なんだ……この、感覚。これはまるで、アスカと同じ……?」
 レーヴェリヒトの、独語に近い、小さな呟き。
 飛鳥はそれを思考の片隅に聞きながら、眦を厳しくして意識を研ぎ澄ます。
 ――第三大陸に何かが起きている。
 歴史が大きく動こうとしている。
 それを、肌で感じている。