ガラガラガラッ。
どこかで瓦礫の崩れ落ちる音がして、それでようやくレーヴェリヒトの意識は正常に機能し始めた。
「……」
衝撃のあまり、一瞬、気を失っていたらしい。
爆発の衝撃のゆえか、感覚が曖昧で、身体の末端が痺れているのが判る。頭かどこか、打ったのかもしれない。
それでも自分が生きているという意識だけははっきりしており、レーヴェリヒトがやれやれ、と溜め息をついていると、外部の、ざわざわというざわめきが伝わってきた。あやふやな感覚の中でも判るくらいだ、当然のことながら、皆、相当慌てふためいているようだが、人手が集まったのなら掘り起こし作業もじきに始まるだろう。
「あー……くそ」
死ぬほど心配しているだろう人々のことを思い起こし、低く毒づくものの、どうやら完全に瓦礫の中に埋もれてしまっているようで、何も見えないし、身体を動かすことも出来ない。
吹き飛ばされたクッションか、ソファの一部かが、後頭部まで覆っているらしく、恐らくこれのお陰で大きな怪我は免れたのだろうが、身動きも出来ないというのは不便だ。
「『遊魂』の状態で『白陽弾』の特大とか、あり得ねぇだろ。……ってことは、あれは、黄の御使いか。厄介な奴が敵に回ったもんだ……」
とは言え、幸運にも痛みもなく、
「アスカ、無事か? おっさんはどうなったかな。ったく、防御もクソもなかったな……」
何の疑問もなく周囲に声をかけたレーヴェリヒトは、返事がないという事実に眉を顰めると同時に、ようやく……本当にようやく、自分の身体に、温かく重い何かが圧し掛かるようにして覆い被さっていることに気づいた。
後頭部を覆っている『何か』もまた、ひどく、温かい。
「あ、」
それが何を意味するのか、深く考えることが怖くて、咽喉の奥が詰まる。
がらがらがらッ。
瓦礫が掘り起こされていく。
「レヴィ陛下、アスカ!」
誰かの声が耳を打った。
――それがリーノエンヴェだと気づくのに若干の間があった。
がらがらっ。
大きな瓦礫が取り除かれ、上空から陽光が差し込んだ。
「アス、……!!」
最初に目に入ったのは、赤だった。
自分を抱え込むようにして身体を丸めたアスカの、腕から、頭から、――身体のあちこちから流れ落ち滴る、血の赤だった。
「馬鹿、お前……!?」
瓦礫を跳ね除けて、飛び起きる。
崩れ落ちた瓦礫が頬をかすめ、血が滲んだのが判ったが、そんなことはどうでもよかった。
「アスカ、おい、返事しろ!」
ぐったりとした身体を抱え上げ、耳元で怒鳴る。
普段なら、そんなことをすれば即刻やかましいと怒鳴り返してくる短気な少年は、低く呻いたのみで目を開けることもなく、決してたくましくなど見えないくせにやたら力強い腕は、だらりと力を失って項垂れたままだった。
「レヴィ、ご無事ですか……!」
見かけよりも相当重いアスカを、特に苦もなく抱えたまま、瓦礫の真ん中に呆然と佇むレーヴェリヒトの傍らへ、障害物を軽々と飛び越えてリーノエンヴェが近づき、アスカに気づいて目を見開いた。
「アスカ……何故」
「……あいつの攻撃から、俺を庇って、咄嗟に……」
頭から、身体から流れ落ちる血が止まらない。
閉じられた目が開くこともない。
一番しっかりしなくてはならないのは自分だと思うのに、何をどうすればいいか、判らない。
――胸の奥が、ヒュウと冷たくなる。
国を統べる者として、獰悪な戦いの場に身を投じ、たくさんたくさんたくさん、守りきれず喪って来たけれど――奪われて来たけれど。そして、彼自身、命を狙われ、いつすべてを奪われてもおかしくない立場にいるけれど。
それでも、そのどれを喪うよりも、アスカがいなくなることが、喪われることが、一番怖いのだと……何よりも恐ろしいのだと、きっと自分は耐えられないだろうと、レーヴェリヒトは唐突に気づいていた。
同時に、胸の奥から込み上げて来るのは、激烈な怒りだった。
憎悪と言ってもいい。
「許さねぇ……」
「? レヴィ、今何と?」
「あいつも、クエズの連中も、許さねぇ」
ぼそり、というレーヴェリヒトの呟きに、リーノエンヴェが眉を顰める。
「なんでこいつがこんな目に遭わされなきゃならねぇんだ……狙うなら、俺だけ狙えばいいのに!」
「レヴィ、動顛されるお気持ちは判りますが落ち着いてください、まずはアスカを手当てしなくては。大丈夫、アスカのしぶとさはあなたが一番ご存知でしょう? すぐに何ごともなかったように起き上がりますよ」
「だが、」
自分が取り乱しているという自覚はあったがそれを止める方法が判らず、平静なリーノエンヴェに尚も言い募ろうとしたレーヴェリヒトは、唐突に髪を引っ張られて動きを止めた。
「許すとか許さないの問題じゃない、お前が怒ることでもない」
淡々とした、いつも通りの言葉、
「さすがに、効いた……」
それから、低い呻き声。
髪を引っ張っているのは、無論、アスカだ。
「……アスカ! 大丈夫なのか!?」
彼がどのくらいのダメージを受けているのかが判らず……立たせていいものなのかも判らず、抱えたままで問うと、アスカはあっさりレーヴェリヒトの腕を解いて、自分で地面へ降り立った。
相当な出血だったが、思ったよりも足取りはしっかりしていて、レーヴェリヒトはホッとする。
それを確認して、かすかな笑みを浮かべたリーノエンヴェが、小さく一礼し、この場をあとにする。恐ろしく気の利く、目配りの行き届いた彼のことだ、医者の手配に行ったのだろう。
「無事、とは言えないが、まあ……生きてるから、大丈夫だろう」
「そうか。……俺のこと、庇ってくれたんだな。ありがとう」
「ん? ああ、まあ……そういうもんだろ。ちなみにおっさんも無事だ」
言われて見遣ると、撤去された瓦礫の下から、完全に無傷なクエズ軍将軍の姿が見え、レーヴェリヒトはやはりホッとする。衝撃で意識は失ったようだが、分厚い胸板が規則正しく上下している様子から、彼の無事が確認できたのだ。
敵対国の一員とは言え、覚悟と矜持、守るべきものを持つ彼の生き様には好感が持てる。むざと死なせたくはなかった。
「おっさんには、最初から防御魔法をかけてあったからな、心配はしてなかったんだ。こっちに関しちゃ、咄嗟に界神晶を動かして防御シールドを張ったのと、どうも他に力を貸してくれた連中がいたみたいで、それでダメージを最小限に抑えられたんだが……防御シールドの重ねがけって結構大変なんだな。負荷でちょっと意識が遠くなった」
「あー、じゃあ、あの血は」
「ああ、エネルギーが逆流してあちこち切れたみたいだ」
「なるほど、そういうことか」
飄々として揺らがないアスカの様子に、レーヴェリヒトはホッと息を吐きながらも、同時に胸の奥から溜め息を吐き出す。
「でも、頼むから無茶しねぇでくれ、心臓が止まるかと思った」
「立場が反対だったら、多分同じことを俺も言うんだろうけどな。そうなるのが嫌だから勝手にやっただけだ。まあ……次はもう少し気をつける」
あまり堪えていない風情のアスカが、淡々と言い、額の血を拳で拭った。
と、そこへ、
「若、大事ないか。精霊が騒ぐから来てみたらこんなことになってるとはな……何があった?」
「うわー、すげぇやばい『波』だと思ったけど、やっぱすげぇことになってんな」
「アスカ、レヴィ陛下、大丈夫か? 俺とギイも、咄嗟に終着点付近に簡単な防御壁は張ったんだが……あんまり意味はなかったみたいだな」
アスカの近衛であるユージン・カネムラと、現在ではアスカ直属の部下的な扱いになっている超級討伐士のギイ・ケッツヒェンとエルフェンバイン・ハールとが顔を覗かせ、アスカはちいさく肩を竦めて無事である旨を伝えた。
「いや、助かった。力の差は紙一重だったからな。あんたたちの力添えがなければ、もっと不味いことになってたかも知れん。ありがとう」
言ってから、咳き込む。
『発作』の時を髣髴とさせる、ひどく苦しげな咳で、レーヴェリヒトが心配になったのは当然だったが、
「おい、アスカ」
「若」
「……急に力を使いすぎて身体が驚いているだけだ、気にするな」
アスカは、レーヴェリヒトの呼びかけにも、ユージンの呼びかけにも、小さく首を横に振ってみせただけだった。
「まあ……この調子だと、しばらくの間は、界神晶は使えないかもしれないが」
「何だって? 何か言ったか、アスカ?」
「……いや、何でもない」
「そうか、ならとりあえず手当てだな。お前確か魔法で治療すんの嫌いだったよな……よし、最高位の医者を連れてくるから思う存分治療されろ。あとになって響いたら困るからな、うん」
「いや待てそこまで重傷じゃな、」
「レヴィ陛下は時々惚れ惚れするほどいいことを言う。まったくその通りだ、若。傷でも残ったら大変だ、それに念には念を入れるって言葉もある。ここはICU患者ばりの手厚さで看護を頼もう」
「あんたのそういう物言いにはそろそろ慣れてしまいそうな気がして若干残念だが、それはさておき、一気にそんな意識不明状態の手厚い看護なんぞ受けたらかえってそのストレスで寝込むわ」
レーヴェリヒトとユージンの主張に大仰なまでの溜め息をつき、やれやれとこぼしたアスカが、完全に破壊され滅茶苦茶になってしまった部屋をぐるりと一望し、目を細める。
「どした、アスカ」
「いや……先が思いやられる、と思っただけだ」
「うん?」
「あの、クエズの僭王についた黄の御使い……だったか。あいつは、実体じゃない状態で、あれだけの力が出せるような奴っていうことだろ」
「ああ、御使いってのはそういうもんらしいな。しかも色が黄色となると、魔王や精霊王クラスだ。っつってもアスカ、お前は黒の御使いなんだから、もっとスゲーはずなんだぞ?」
「過去の黒の御使いはそうだったのかも知れないが、色は黒でも俺なんか御使いに毛が生えた程度のことしか出来ないんだからな、そこはしっかり認識しておけよ。まあそれはさておき、その、『そういうもん』を相手にしなきゃいけないとなると、色々と面倒なことも起きそうだな、と思ったんだ」
「……あー。どっちにせよ、クエズのことは様子を見ながら何とかしなきゃいけねぇかもな。敵国に情けをかけてる場合じゃねぇってのも判るんだが、だからって放っておくわけにもいかねぇだろ」
「確かに。放っておいた方が、今後不味いことになる気がする」
「ああ。早めに手を打った方がよさそうだな……」
黄の御使いを後ろ盾とする僭王に踊らされるクエズ。
何か、強大な、不吉なものを抱えている様子だった黄の御使い。
楽観視出来ない時代の潮流を、レーヴェリヒトはひしひしと感じている。
が、それでも、アスカが――黒の御使いが、という意味ではなく――ここに、この国に、自分の隣にいてくれるならなんとでもなる、と思ってしまうのは、もう、レーヴェリヒトの条件反射なのかもしれなかった。