そこから十数分後。
飛鳥は、様子を見に現れたふたりの眷族と下僕騎士たち、そして細工師バドに事情を説明していた。
「えーと、じゃあ、あっちの男の人がツヴァイおじさんで、そっちの女の人がアディおねえさん? すっごいそっくりだけど双子じゃないんだなー。それに、やっぱ、王様ともよく似てるよね」
「そうだな、遺伝子と言うのは面白いものだ。だが圓東、気をつけろ。そっちの男は誰彼構わず抱きつくくせのある変態だ、お前のようなへなちょこなんぞは抱きつかれた拍子に背骨のひとつやふたつはへし折られるかも知れん」
「背骨!? っていうか背骨ってひとつ……ってか一本しかないよね!? へし折られたらものすごく困ったことになるんじゃ……うん、なるべく近づかないようにしよう」
「息子君の弟君は失礼だな!? 別に私は誰彼構わず抱きついてるわけじゃない、家族だからこその愛情表現じゃないか!」
「あー。だったらおれは対象外かな……?」
「ふむ……そうだな。む、しかし、息子君の弟であるきみも私にとっては息子ということになるのか……」
「アッなんか思いついちゃった感じ!? ちょっ、ツヴァイおじさん、怖いからにじり寄って来ないでよ!」
「いや、ほら……ここはやはり、あふれんばかりの愛情を表現すべきではないかと……」
「いやいやいや、そこは思い留まろうよ、ね! ほら……うん、おれ見ての通り恥ずかしがりやさんだし、別にそんな過激に表現してもらわなくてケッコーですから! あああ、アニキ、なんかこの人怖い……!」
「お前がどうなろうと俺は構わんが、とりあえずツヴァイ、そいつが俺の弟ってのは訂正しろ。こんなお恥ずかしい弟は要らん。つぅかこいつの方が年上だっつーの」
「えっ年上!? この顔とこの小ささで!?」
「小さいとか言わないでよ気にしてんだから!? っていうかアニキ、お恥ずかしい弟ってなんかひどい表現じゃないかなそれ!」
「やかましい。お前ら五月蝿(うるさ)い、ちょっと黙れ」
「おれ別に悪いことしてないのに、お前らとか一括りにされてるし……!」
「ただの愛情表現なのに五月蝿いとか言われた……!」
飛鳥に一刀両断にされ、圓東とツヴァイクロイツが(内容はまったく別だが)ショックを隠せない、という顔で打ちひしがれている。絵的にはおもしろいが、同時にとてつもなく情けない。
「圓東が馬鹿なのはさておき、リィンクローヴァの王族がここまで馬鹿ってどういうことなんだ……?」
飛鳥がぶつぶつ呟くと、ノーヴァはなんとも言えない表情をした。金村とイスフェニアはいつも通りの無表情だが。
「すみませんアスカ、俺には返答出来ません」
「期待もしていない、気にするな」
「いやでもツヴァイクロイツ殿下と言えば、常にアディリア殿下とともに最前線で国を護っておいでで、本来ならお目にかかるどころかお姿を目にすることすら出来ないような方々なんですよ。俺なんかが言うことじゃないですけど、武人としての勇猛さのみならず、指揮官としての実力は大公家出身の将軍たちを凌ぐとも言われてますし」
「……でも、馬鹿なんだな」
「すみませんそれにも返せません……」
肩身が狭そうにノーヴァが言い、飛鳥は肩を竦めた。
もともとは奴隷出身というノーヴァにしてみれば、王族などというものは雲の上の存在なのだろう。
一都市の騎士という、日本の感覚で言えば地方のおまわりさん的な位置づけだった彼が、レーヴェリヒトや国の中枢に関わる人々と深く関係することになったのは、兄貴分であるイスフェニアのこともあるだろうが、恐らくその大部分は、飛鳥直属の下僕騎士になったからだ。
それがいいことなのか悪いことなのかはさておき。
「というかアレだな、あの変態殿下は、俺の眷族であるならそいつも息子だ、と言い張るつもりなら、金村のことも激烈に抱擁しなきゃいけないことになるんだが、そこはどうするんだろうな」
「ツヴァイ殿下がユージンをですか。……なんかちょっと微妙過ぎませんか映像的に」
「そうだな、そんなことになったら俺はひとまず回れ右をして見なかった振りをする」
「なんだ若、なんの話だ?」
「ん? あそこにおわすツヴァイクロイツ殿下が、もしかしたらお前と抱き合って家族愛を語り合いたいと言い出されるかもしれんと言うことだ」
「なるほど、熱いお方なんだな。うちのオヤジさんを思い出す。だが、俺は嫌いじゃねぇぞ、そういうの」
「……暑苦しそうなヤクザの一家だな、それは……」
真顔の強面天然朴念仁が感心したように、納得したように頷いたので、飛鳥は呆れた。
今は亡き篠崎組の前組長と言えば、あの辺りでは武闘派で鳴らした強面と聞いているが、金村の話から推察するに、身内に対してはそんな暑苦しいスキンシップを好む男であったらしい。
圓東辺りが彼にとっ捕まってぐりぐりされている姿を想像し、俺ならたぶん殴るな、などと思っていた飛鳥の耳を、
「バド、あなたはもう、戻らないの?」
「……そうですナ、今は……とても、その気にはなれませぬよ」
「そう。でも……あなたを待っている人たちも、たくさんいるのよ」
「ああ、存じております。ですが……ワシの不明が、愛しいものを喪わせました。ワシはまだ、それを償うことすら出来てはおらぬのです」
「……そう」
アディリアとバドの、静かな会話がかすめていった。
何となく予測はついているが、バドにも、様々な事情があると言うことだろう。
そう思って見ていると、視線に気づいたらしいアディリアがこちらを向き、にこりと笑った。それから、胸元からチェーンのついた何かを引っ張り出し、飛鳥に差し出す。
「アスカにこれをあげようと思っていたのよ、そういえば」
「ん? そうなのか?」
小首をかしげ、彼女に歩み寄ると、アディリアは頷いた。
それを見て、レーヴェリヒトがああ、と笑う。
「星鋼の原鉱のお守りか」
「ええ。アスカ、手を出して」
「ん? ああ」
言われるままに手を差し出すと、掌を、夜空に瞬く星のような静かな光沢を放つ、親指の先ほどのサイズの金属が転がった。それほど大きなものではないのに、驚くほど正確な擬切隅星型大十二面体と表現するのが相応しく、原鉱とは思えないほど左右対称の金属で、幾つもの星型を組み合わせて創り上げたかのような、コロンとしたフォルムには愛敬がある。
「ああ、これは……あれか。俺がメイデたちにもらったのと同じ……?」
飛鳥はそれと同じ形状の金属を――といってもサイズはこの何百倍何千倍あったが――、ゲミュートリヒ市からアインマールに移る際、これでいつか随一の鍛冶師に剣を鍛えてもらえばいい、と譲り受けていたのだ。そのことを言うと、レーヴェリヒトが頷いた。
「星鋼がゲミュートリヒ市でしか採れねぇ貴重な金属で、こいつで鍛えた剣は他のどの鋼を使ったものよりよく斬れるんだ、ってことはアスカも知ってるよな」
「ああ」
「大きな塊ってのはなかなか採れねぇんだけどな、こういう、小せぇのは結構産出されるんだ。ただ、こんだけ小せぇと剣には出来ねぇらしくてな。それでまぁ、強くて貴重な鉱(かね)だってんで、お守りとして贈ってるんだとさ。俺もひとつ、おまえのと同じようなのを持ってる」
「なるほど。……だがアディ、これはあんたのものなんじゃないのか? 俺がもらってもいいものなのか?」
「ええ、わたしはまだいくつも持っているから。お裾分け、というのだったかしらね。アスカが様々な試練を乗り越えていけるよう、祈りをこめておくわ」
「そうか、ならいただこうか、ありがとう」
飛鳥はかすかに笑って礼を言い、掌を転がる擬切隅星型大十二面体をまじまじと見つめた。
「……不思議な波動を感じる金属だな。何かを震わせるような、そんな感覚がある」
飛鳥の感覚が一般人と多少違うからなのか、それとも実は誰にでも感じ取れるものなのか、星鋼の原鉱からは、静かで深い、なんとも表現し難い『波』が発せられているように思え、飛鳥は指先でつまんだそれを太陽の光にかざしてまた見つめる。
「そうか。でも確かに星鋼で鍛えられた剣は不思議な力を持ってるって言われるな。持ち主に危険を知らせるとか、離れた場所に置いてあったはずなのに気づいたらひとりでに手元に来てたとか」
「それは若干ホラーだと思うが……まぁいい」
言って、星鋼のペンダントを懐の内ポケット(のようなもの)に落とし込む。くだんの携帯電話が入っている場所である。
最新で若干改造してあるとは言え、さすがに一ヶ月(こちらの一ヶ月なので、実際には四十日ほどが経過している)も経つと電池も残っているかいないか、くらいの状況だが、懐から取り出す仕草をするだけでレーヴェリヒトが小動物的反応をするのが楽しく、名前どおりいつも携帯している。
お守りが懐に収まると、何となく四肢の末端が暖まるような感覚になって、プラシーボにしても単純過ぎるだろう、と飛鳥は自分に少し呆れた。とはいえ悪い感覚はなかったので、そのままにしたが。
「ん、そうか」
そこで思い出したことがあって、飛鳥がレーヴェリヒトを見遣ると、紫眼の国王陛下は小首を傾げて彼を見遣った。
「どした、アスカ?」
「いや、ギイとの死合いの前に、お前、会わせたい奴がいる、って言っていただろう。それがツヴァイとアディのことだったのか、と思ってな」
「え? あー」
飛鳥の言葉に、レーヴェリヒトがきょとんとし、それから苦笑して首を横に振る。
「叔父上と叔母上は偶然だ、実は」
「そうなのか?」
「ああ、今日、連れて来てる。たぶん……そいつもすぐにアスカのこと好きになるだろうし、アスカも好きになると思うんだ」
「ふうん……?」
よく判らず、飛鳥が首を傾げていると、レーヴェリヒトはバドの工房のある通りの、ここからは死角になっている通りに向かって誰かを呼ばわった。
「ジーネ、フリーネを連れて来てやってくれ」
すると、それと同時に高らかな馬のいななきが聞こえ、蹄の音が聞こえた。
「……ズィンゲンメーネ?」
飛鳥は更に首を傾げるしかなかったが、通りの向こう側から、漆黒の美しい駿馬が、もう一頭の、よく似た黒馬を伴ってやって来るのに気づくと、
「もしかして……」
答えを求めるようにレーヴェリヒトを見遣っていた。
「ん、前に言っただろ、馬を用意する、って」
「それが、あいつか? ジーネによく似てるな」
「ああ、従弟に当たるのかな。今で五歳だか六歳のはずだから、まだ若いんだぜ」
「へえ……すごいな」
レーヴェリヒトの愛馬ズィンゲンメーネが主人の傍らに辿り着き、親しげに彼の銀髪を甘噛みする。レーヴェリヒトは笑って黒馬の鬣を梳いた。
その間に、ズィンゲンメーネの従弟という、どこまでも磨き抜かれた黒曜石のように美しい、弾むような躍動感を有した若駒は、飛鳥の目の前に歩を進めていた。
濡れて輝くような黒の双眸が、静かな理知を宿して飛鳥を見下ろす。
飛鳥が手を伸ばすと、若駒はその手の平の匂いを嗅ぎ、それからぶひんと鼻を鳴らして鼻面を飛鳥の胸元に摺り寄せた。どこか人間臭い仕草に、飛鳥は思わず微笑む。
「レイ、名前は?」
「フリーゲンメーネだ」
「飛ぶ鬣か……さぞかし速いんだろうな」
「ん? なんだって?」
「いや、なんでもない。……彼は、俺の元に来てくれるのか。その訓練はどこですればいい?」
お互いに一目惚れと自惚れてもいいものなのだろうか、これは。
フリーゲンメーネが鼻面を摺り寄せ、飛鳥の髪や耳を甘噛みする。かすかに笑った飛鳥が首筋を撫でてやると、気持ちよさそうに眼を細めた。
「相性はばっちりみてぇだな、よかった。そいつに今まで相応しい主人が現れなかったのは、今日お前と会うためだったんじゃねぇかと俺は思うんだよな。ああ、訓練はリーエに頼んでもいいし、俺がしてもいいと思ってる。まぁ、お前のことだから、それほど手間はかからねぇと思うんだ。ジーネにだって結構危なげなく乗ってただろ、おまえ」
「そうか……」
飛鳥はなんとも言い難い感慨とともに漆黒の駿馬を見上げた。
静かで理知的な、やさしい光を宿した眼が飛鳥を見つめ、まるで笑うように細められる。
「……俺は飛鳥だ。よろしく、フリーゲンメーネ」
言って鼻面を撫でると、フリーゲンメーネはぶるる、と鼻を鳴らし、自分の頬を、飛鳥の頬に摺り寄せて親愛を示してくれた。
「早くお前を乗りこなせるようになって、お前たちの大切な王様を護れるようになれ、ってことかな、これは」
呟き、確かめるかのようにフリーゲンメーネの鬣に触れ、そのしっかりとした感触に込み上げてくる喜びを噛み締める。
まさか、自分が、ともに戦うための馬を得ることが出来るとは思ってもみなかった。
見かけによらず、と故郷での彼を知るものなら言っただろうが――ちなみに面と向かって言われたら殴る――、動物の純粋さに憧憬めいた愛着を抱いている飛鳥には、とても幸せで嬉しい邂逅だった。
もちろん、新しい家族が増えたということは、更に努力し学んでいかなくてはならないと言うことなのだが、そういう苦労は、飛鳥にとって手間でも何でもないのだ。
「レイ」
「ん」
「……ありがとう。なんと言うか、夢のような話だと思った」
「そっか。うん、ならよかった……フリーネも喜んでる。俺としても、甲斐がある。な、ジーネ?」
飛鳥は、新しい友人(人ではないが)が出来たことを無表情に喜びながら、愛馬と微笑をかわす――実際、ズィンゲンメーネも笑っているような気がしたのだ――レーヴェリヒトを見るともなく見ていた。
飛鳥馬鹿の人々が、
「アニキ、嬉しそうだね」
「そうだな、若が幸せそうだと、俺も嬉しくなる」
「あ、それ、なんか判るかも」
「しかし、絵になる光景だよな。アスカと駿馬か……見てるだけでときめくなぁ。なあ、イース?」
「……そうだな」
「えっ、ノーヴァはともかく、イースのアニキもときめいちゃうの? いや、絵になるってのはなんか判るんだけど……」
飛鳥馬鹿一直線の会話を繰り広げているのも聞こえていたが、鬱陶しかったので聞こえない振りをしていた。
と、そこへ、
「――……ん」
レーヴェリヒトが何かに気づいた様子で通りの向こう側へちらりと視線をやり、ほぼ同時に同じ仕草をしていた飛鳥に物問いたげな表情を向けた。
飛鳥とフリーゲンメーネの邂逅を微笑ましげに見守っていたアディリアや、構ってもらえなくて若干拗ねていたツヴァイクロイツ、訓練のお陰か最近どんどん腕を上げているらしい金村も同じ動作をしていて、さすがだな、と思いつつ口には出さず、飛鳥はフリーゲンメーネの鬣を梳きながら肩を竦める。
「馬鹿の後始末が残っていてな。……まぁ、それもじきに終わる。シュプラーヘ博士が復帰するまでには片をつけるつもりだ、お前は気にしなくていい」
「そういうもんか。ま、お前がそう言うんなら大丈夫なんだろ」
「当然だ」
飛鳥は自信たっぷりに頷き、
「馬鹿が減る。街も少し綺麗になる。ついでにコーネさんの心労も減る。いいことずくめじゃないか、なあ?」
誰にともなく言って、幾つかの気配が蠢く通りの向こう側を、邪悪な笑みとともに見遣ったのだった。
それを見て、フリーゲンメーネがどことなく楽しげにいななく。
飛鳥は小さく笑い、またフリーゲンメーネの首筋を撫でた。
――圓東を脅かす連中の後始末まで、もうそれほどかかるまい、というのが、飛鳥の客観的な予測だ。
もちろん、それでまた鬱陶しいほど暑苦しい飛鳥馬鹿が増えてしまう、などという未来は、彼の与り知らぬところだったが。