次の日のことだ。
「な、何故私がこのような……」
細工師バドの工房には、ちょっとした珍客があった。
といっても、そう差し向けたのは飛鳥だが。
「あ? コーネさんに言われてきたんだろう、あんた」
「そ、そうだが、私は貴族だぞ。貴族である私が、何故、」
「つべこべ言うな、やかましい」
「な、」
「この工房に働けない人間は要らん。コーネさんのたっての希望でここに来させてやったが、くその役にも立たんようならやはり駄目だったと言って帰すぞ。それでもいいのか?」
「ぐ……」
それはすなわち、彼のラムペ家からの追放を意味する。
飛鳥に切り捨てるように言われて、工房の店先で、高価ではあるが個性も何もない十把ひとからげの出で立ちをした、整ってはいるがどこか貧相な雰囲気を醸し出した青年が、飛鳥の物言いに詰まり、それから震える拳を握り締めた。
下級とは言え財力ならば上級貴族にも迫る、最近ではもっとも勢いのあるラムペ家の一員でありながら、今日の彼は供も連れていない。もちろん、供を連れてくることを禁じたのは飛鳥だが。
「ヴェーエトロース・ソガエ・ラムペ。俺はあんたの親父さんに、あんたをちょっとはマシな人間にするよう頼まれたんだ。それは聞いているだろう?」
「……あ、ああ……」
「父や兄の働きに隠れて好き勝手してきた乳母日傘のお坊ちゃんが、すぐに彼らのような優秀さを発揮できるとはとても思えんが、まぁ、約束は約束だ。親父さんの許可ももらってる、あんたのその、砂糖水に浸かり過ぎて根腐れした根性、存分に叩き直してやるからありがたく思え?」
「ぐぐぐ……」
ヴェーエトロースが納得の行かない表情で奥歯を噛み締め、射殺さんばかりの目つきで睨んでくるのへ、飛鳥は微塵も堪えていない、晴れやかなほど邪悪な笑みとともに、圓東が仕上げたばかりの幻和灯を差し出した。
今日の幻和灯は、紋白蝶に菜の花という、少々季節はずれだが大層精緻で美しい彫刻の施された、他の作品に勝るとも劣らぬ素晴らしい出来だ。
馬鹿だ馬鹿だといつも罵っている柴犬系眷族だが、飛鳥は、彼の持つ、物体の形状を把握しそれをもっとも美しいかたちで表現する能力には一目置いている。口には出さないが。
なんやかやで圓東の創り出すものに愛着を持っている飛鳥は、このあかりが、よき買い手を得て、末永く愛でてもらえればいい、と思う。
「さあお坊ちゃん、仕事の時間だ。店先で腹から声を出して、こいつを通行人の皆さんに売り込め。初心者の、しかもあんたみたいな甘ったれに初めからたくさんのノルマを課したところで無駄だろうから、今日はひとつ売れたら許してやる」
幻和灯を反射的に受け取ってしまったヴェーエトロースは、それをしげしげと見下ろしたあと、ハッと我に返り、生白い顔に怒りの朱を上らせた。
「き、貴様、いかに父上の命とは言え、下賎の身で貴族たる私にこのような無礼、許されると思っているのか……!」
「五月蝿い黙れ穀潰し」
「な!? 貴様、」
「……黙れと言っている」
飛鳥は冷ややかな笑みを唇に浮かべると、怒りに何ごとかを喚き出そうとしたヴェーエトロースの顔面を右手で鷲掴みにした。
「もがっ!?」
妙な声を上げたヴェーエトロースが、飛鳥の手を引き剥がそうともがくが、素手で林檎や胡桃やワインボトルまで割り砕く飛鳥の膂力に、武人でもなく鍛えているわけでもない貴族のお坊ちゃんが敵うはずもない。
「むぐぐ、むぐー!」
鼻を押し潰さんばかりに鷲掴みにされて、呼吸が出来ないのだろう、ヴェーエトロースは、飛鳥の、鋼を髣髴とさせる腕に手をかけ、必死に引っ張ったり、爪を立てたりしていたが、飛鳥はやはり、微動だにしなかった。
「……いいか、よく聞けよ?」
圓東辺りが聞いたら、青褪めて回れ右をしそうな、静かでやさしげなのに、ノーヴァならその場で土下座をして謝り倒しているだろうほどの威圧感がこもった声音で飛鳥は囁く。
「親父さんは俺に、出来の悪い末っ子の命まで預けると言ってくれた。どんな不出来な息子でも我が子だ、可愛くないはずがない。それを、俺に任せると言ってくれたんだ」
何をやらせても巧く行かず、むしろ銀灯の名を落とし、顧客を減らすような言動の改まらない末っ子のことを、ラムペ家当主コーネが溜め息混じりに話してくれたのは、ギイとの死合いが終わってしばらくしてからの、商業に関する勉強会の時だった。
ヴェーエトロースは、今は亡き奥方が、命と引き換えに生んだ息子だというから、どんなに不出来でも大切に思っていないわけがない。
ただ、その不憫さゆえに甘やかしてしまった幼少時を、コーネは悔いていた。
同時に、ならばどうすればよかったのか、と悩んでもいた。
子育ての困難さというのは、どこの世界でも同じということなのだろう。
正直ヴェーエトロースのことなど飛鳥にはどうでもいいが、自分の知らなかった様々な世界を教えてくれるコーネに恩義や好意を感じているのは確かなので、ヴェーエトロースと付き合いのある、圓東を痛い目にあわせたごろつきどもを殲滅するためという以外にも、飛鳥はこの甘ったれのお坊ちゃんを調教もとい教育する気満々だった。
その過程の中に、圓東を護るための一連の行動が含まれていることも確かだが、飛鳥がそれを申し出た時の、コーネとホッとした表情、そしてどこか縋るような、期待の眼差しを思い起こし、飛鳥は更に囁く。
「お前がこれ以上ラムペ家の名を穢すようでは、俺はコーネさんやあんたの兄上たちに申し訳が立たん」
そこでようやくヴェーエトロースの顔から手を放し、咳き込む彼に、
「猶予はあまりない。……死ぬ気で学んで自分を変えろ。万が一それが出来ないなら、ヴェーエトロース・ソガエ・ラムペという存在そのものをなかったことにしてやる」
凶悪な笑みとともに告げる。
ヴェーエトロースが顔を引き攣らせた。
飛鳥が黒の御使いであることは彼にも伝わっているだろうが、界神晶のはまった指先を包帯で巻いて隠している現状において、それを信じることはなかなか難しいだろうし、そんなものをひけらかす気は飛鳥にはない。
が、何せ相手は飛鳥である。
彼の眼光を目にして、彼の物言いを冗談だと思える人間は少ない。
無論、冗談だろうと笑い飛ばすような馬鹿者には、笑ったことを骨の髄まで後悔するような所業に及ぶだけだが。
飛鳥は、話は終わったと言わんばかりに、胡散臭いほど晴れやかに笑ってみせ、
「さて、では始めようかお坊ちゃん。……ああ、この工房でのあんたは圓東の下僕という位置づけだ。あいつのことは旦那様と呼べ、いいな?」
「な、」
「それともご主人様の方がいいか? 俺はどっちでもいいが」
「誰が呼ぶか! 私は貴族だぞ!」
「……いいな?」
「うぐぐ……」
「圓東の言うことはきちんと聞いて、ちゃんと敬語で話すんだぞ。万が一圓東が、あんたの働きが悪いと言うようなら、微塵に刻んでギオラ湖の大銀魚の餌にするからな。判ったか?」
薄く笑った飛鳥が、眼光だけで射殺せそうな鋭い眼で見据えて言うと、ヴェーエトロースは気圧されたかのように一歩下がり、咽喉をごくりと鳴らしてから、渋々と言った風情でちいさく頷いた。
「わ、判った……」
「よし。さあ、では仕事だ。まずは店先で発声練習だ。『いらっしゃいませ』と『ありがとうございます』を一千回ずつ、向こうの通りに響くまでやれ。このふたつは基本だからな、手を抜くなよ」
「……」
「返事は?」
「わ……判った、やればいいのだろう、やれば!」
やけくそと言った風情でヴェーエトロースが叫び、大股で――といっても迫力などは一切ない――店先へと歩いていく。
途中、立ち止まって振り返り、
「貴様……あとで覚えていろ、この礼は絶対にするからな……!」
減らず口を叩く根性はまだあるらしい。
飛鳥は肩を竦めた。
「楽しみにしているさ」
彼の報復行動がどんなものであるかはすでに圓東が体験済みだ。
そして今回の、飛鳥の一連の行動は、ヴェーエトロースにもう一度それを引き起こさせるためのものでもある。
つまり、飛鳥にとっては、すべてが予想通り、ということだ。
「やるべきことは多い……これも、手っ取り早く終わらせてしまおう」
飛鳥は、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら店先へと出て行くヴェーエトロースの後ろに続いた。
もちろん、彼の一挙手一投足にまで駄目出しをするためである。