11.戦旗に集う英雄たち

 ゲミュートリヒ市中心部は物々しい空気に包まれていた。
 領主の館を中心として構成されるこの場所は、奴隷を含めたゲミュートリヒ市民の実に半数、およそ七万人が暮らすまちの要だ。ここが陥落すれば、その禍はすぐに離れた集落に住まうゲミュートリヒ市民にも及ぶし、隣接する都市にも波及して行く。
 それだけに、忙しく立ち働く人々の眼差しには緊張感が満ちている。
 閉められるべき門はすでに閉ざされており、土嚢や、日本人的感覚でいえば畳四畳分くらいもある頑丈な木造の防壁で道のあちこちが封鎖され、また内部を守る丈高い防柵がまちを取り囲むように設置されている。
 要所要所に建てられた背の高い櫓(やぐら)にはすでに見張りが立っていて、緊張した面持ちで周囲の警戒を行っている。
 肩当ての部分に意匠化された鈴蘭の紋章が描かれた甲冑を着込み、腰に剣を佩いた兵士たちが――男女比率は4:1といったところだ――厳しい顔つきで行き来しているのが見える。
 一般市民の住宅は扉や窓が硬く閉ざされた状態で、聴けば、移動の可能な非戦闘民の大半は、領主夫妻が命がけで稼いだ時間の中、隣市、ザーデバルクに避難したのだという。その他、退去が難しい、間に合わない非戦闘員たちは、避難所と呼ばれる、神殿地下に設けられたシェルター的な場所へと隠れ、息を潜めているのだそうだ。
 ゲミュートリヒ市領主の館には、喪を表す黄色の旗と、今が戦争中であることを示す戦旗とが鮮やかに翻り、人々を鼓舞している。
「ゲミュートリヒ市はリィンクローヴァとハルノエンとの永遠の友情を謳うための都市。それゆえに普段は開放的で長閑なまちですが……」
「だからこそ、いざという時の備えは、水面下において常になされていた、ということか」
「いかにも」
 品のいい髭を蓄えた壮年の男、領主夫妻の側近であった片割れのビノーに説明を受けながら、飛鳥は往来を見るともなしに見ていた。
 そこには見知った顔がいくつもある。
 その中のひとり、グローエンデ・バイト・シュトゥルムがこちらに気づき、一般兵に細かな指示を与えた後、飛鳥のもとへ歩み寄ってきた。
 ビノーが他の雑事のために一礼して去るのを頷いて見送り、飛鳥はグローエンデと向き合う。
「なんだ、あんたも来たのか。というか、近衛騎士団長はさておき将軍が二人もこっちに来てていいのか?」
「いいということはないだろうが、今のゲミュートリヒが一番逼迫した状況のようだからな。何、向こうはフィーラスに任せてあるし、カチェラもいる。そもそも、私が抜けたとして、すぐにどうこうなるような脆い軍ではない」
「なるほど、それは心強い」
「アスカ、お前はどう見る?」
「あ?」
「この状況を、だ。何故、こうなったのか」
「クエズの僭王に黄の御使いがついた。ハルノエンがああなったのも、多分黄の御使いが裏で何かやってる所為だ。目的がリィンクローヴァの支配だとは思えないが、すぐに解決できる問題でもないだろうな」
「ふむ……黄の御使い、か」
「実物と会ったことはないんだけどな、何か……色々ありそうな奴だった。しかし、ということは、だ」
「ああ、どうした」
「フェアリィアルやダルフェにも何か仕掛けている可能性が高い、と思わないか。俺だったら間違いなくそうする」
「……留意しておこう。王領グリュック市の守護は、我々シュトゥルム市の人間の責務だからな」
 飛鳥の言葉にグローエンデが表情を引き締めて頷き、それから労うような笑顔になって彼の肩を叩いた。
「夫妻の話はレヴィ陛下から聞いた。対ハルノエンにおけるリィンクローヴァ守護の代名詞であったおふたりの死を悼む気持ちは私も同じだ。だがおふたりは満足もしておられたのではないかと思う」
「そういうものか」
「――……自分たちの遺志を継ぎ、また自分たちのために涙してくれる者がいるのなら、それは無為ではない。そうだろう?」
「何のことだ」
 飛鳥が眉をひそめると、グローエンデは悪戯っぽく笑った。
「ずいぶん長いこと泣いていたんじゃないのか。まだ目が赤い」
「……」
 引っ掛けのような物言いに、どういう反応をしてもグローエンデを喜ばせるだけだという意識があって、飛鳥は無表情と沈黙を保った。グローエンデの認識がどうであろうとも、敵でないのなら別に何でもいい。
「まぁ、それはさておき、だ」
 飛鳥のそんな様子を面白そうに見遣った後、グローエンデが再度表情を改める。
「指揮官としての訓練を受けていないと知って戯れに尋ねるが、アスカならばどうする」
「罠と撹乱は必須だろう。せっかくここには、盛大な尾鰭のついた黒の御使いがいるんだ、利用しない手はない」
「ふむ」
「幸い、奴らが来るのは森からだし、ここに至るまでの道もほぼ一本だ、護り易い。さすがにゲミュートリヒの立地は防衛に向いているようだから、ゲミュートリヒ市に兵士が到着する前に、いくらか削ってしまえばいい」
「どうやって、と尋ねてもいいか? 罠と言っても、大規模なものを仕掛けて回るほどの猶予はないだろう」
「罠はおまけだ。鹿砦に狼穽(ろうせい)、牛の突き棒なんかがあればいいだろ。それがなければ、杭や釘を逆さにして泥に突き立てたものでも置いておけばいい。――撹乱なら俺がやる。『黒の御使い』の恐ろしさを大々的に宣伝してやる」
「なるほど」
 飛鳥の言葉にグローエンデが意地の悪い笑みを浮かべて肩を叩いた。
「いよいよ本性を現してきたということかな。先ほどまで泣いていた人間の言葉とは思えないが、いいだろう、第五天軍将軍の名において任せよう」
「その泣いてたってとこは別に強調しなくていいっつの」
「気にするな、私が面白いからだ」
「だと思った」
「はは、そんなわけだから諦めてくれ。……で、何が要る?」
「大量の水と、等身大の人型。人型は数さえあれば精巧でなくていい、余った木材を人間のかたちに切り抜いたもの程度で構わない。数は……そうだな、少なくとも二十、多くて五十あればいい」
「判った、用意させる。人員は?」
「うちの下僕連中がいればなんとでもなる。こっちに来たのは……金村に圓東、イースとノーヴァ、あとはシュメルツとゼクス、ディラインにケルヴァーだったか。……まあ、そんだけいりゃ大丈夫だ、奴らに正面切って戦わせるつもりはないしな」
 いつもの面々と、先日盛大かつ迷惑な告白をぶちかまし、ツァールトハイトの『教育』途中ではあるが飛鳥の下僕となった元ちんぴら及び元ブレーデ一家の生き残りたちの名を挙げ、飛鳥は思案する。
 過程はさておき、飛鳥の下僕とかそういうものになったからには、飛鳥には彼らの命も守る義務がある。無論、そのための準備も抜かりない。
「俺たちは兵力を削ることに血道を上げるから、こっちの防衛にはあまり手が回らないぞ。まあ、向こうの仕事が片付き次第戻るつもりではあるが。と言っても、この様子を見る限りじゃ、心配は要らないだろうがな」
「無論だ。レヴィ陛下を筆頭として、錬度の高い私兵軍、カノウ殿とウルル殿、私にリーエにシェル、副将軍たちもいるのに、何を恐れることがある?」
「言うと思った。なら、こっちはこっちの仕事を優先させる」
「ああ、そうしてくれ。メイデ殿とアルディア殿が命を賭けて護ったゲミュートリヒを、奴らにくれてなどやるものか」
 剣の柄を軽く叩いてグローエンデが言い、飛鳥はにやりと笑って頷いた。
「英雄たちの戦いぶり、楽しみにしている」
 ゲミュートリヒ市を護るべくまちを行き来する人々、そのひとりひとりがまさに英雄だ。
 彼らが黒の御使いに寄せる祈りめいた期待も判るから――そして、彼らを護ってほしいと願った、今は亡きふたりの思いが判るから、飛鳥は出し惜しみせず戦いに備えるのだ。
「さて、では……すべてを十全に。護るべきものを護ろう」
 グローエンデと拳を打ち合わせ、不敵な笑みを交わして別れると、飛鳥はさっそく、準備のために奔走を始める。