驚愕しつつも、グラナートたちの動作は素早かった。
「壱の陣!」
眦を厳しくして飛鳥を真っ向から見据えたグラナートが、低く鋭く号令を発すると、騎士たちは一切の無駄のない足運びでさっと立ち位置を変えた。グラナートを先頭かつ真ん中に、半時計回りに90度回転させた平仮名の『く』の字のような配置で騎士たちが並ぶ。
飛鳥を迎え撃つに相応しい、素晴らしく統制の取れた動きだった。
「……なるほど」
飛鳥は眼を細め、棒を手に打ってかかる。
最初に動いたのはグラナートだった。
名匠の作と思しき剣を熟練の動作で掲げ、彼が飛鳥の棒を受け止めると同時に、グラナートの両脇に並んだふたりの騎士が一歩踏み出し、同時に剣を突き入れてくる。
グラナートの非常にこなれた動きといい、ふたりの剣のわざといい、彼らはハルノエンでは名の知れた武人なのかもしれない。
グラナートの剣を弾きつつ二条の雷光のごとき剣を避けると、ふたりの両脇に並んだ騎士たちがわずかな時間差でもって更に数歩踏み出し、上段と横薙ぎの一閃を加えて来る。
「ふむ……」
紙一重で身を捻ることでそれらを避けた飛鳥だったが、息を継ぐ間もなく次の騎士たちの揮う剣が襲いかかり、その妙技とぴたりと合った呼吸には感心せざるを得なかった。
彼らの剣は、まるで押し寄せる怒涛のような圧倒的質量でありながら――ひとりひとりの錬度が高い分、相手が複数であっても、並大抵の腕では陣の餌食になるだけだっただろう――滑らかかつ流麗で、これだけ密度の高い、入り乱れた戦い方であるにもかかわらず、互いの刃がかすったりぶつかったりすることもなく、ただひたすらに飛鳥を狙い定めて逃さないのだった。
ここまで精錬されるまで、どれほどの鍛錬が必要とされたのだろうか。
――とはいえ、飛鳥にとっては、決して恐怖しなすすべもなく屠られるようなわざでもない。別に、飛鳥が人外の存在となり体機能が格段に上昇したから、という意味ではなく。
一対多数を想定して『調整』されてきたのが雪城飛鳥なのだから。
「さすがに刺さったら痛そうだ」
飄々と言って、手の中の棒を回転させて打ち揮い、剣を次々と弾きながら騎士たちの間を潜り抜ける。
「むっ」
「くそ、このっ」
恐るべき弾力性を秘めた膝の力で、弾むゴム鞠を髣髴とさせる、突拍子のない……予測のつかないジグザグの動きで騎士たちの間を擦り抜け、ここぞとばかりに突き込まれる剣を、棒を揮って弾き、かわして行く。
飛鳥の瞬発力、全身のバネを舐めてはいけない。
畳の上に大の字になって寝転んでいても、次の瞬間には真っ直ぐに立っているような人間なのだ。
「何だ、こいつ……ッ」
左右に踏み込んだかと思うと前後に跳ぶ飛鳥に引っ掻き回され、騎士たちが苛立った声を上げる。要するに、騎士たちの扱う正規の剣技だけでは、飛鳥と正面きって戦うのは難しいということだ。
それがどんなに恐るべき力を持っていようとも、騎士のルールに則って行動しない飛鳥では、彼らの常識だけに当てはめて予測を立てることは不可能に近い。
「……大体、判った」
それでもしばらくは騎士たちの『壱の陣』のただ中で、襲い来る怒涛のような剣閃を、ただ避けるためだけに避けていた飛鳥は、ややあって低く呟き、後方へ大きく跳躍して彼らから距離を取った。
「戯れに尋ねるが」
くるくると棒を回しながら言い、
「腰を抜かしてる奴らを連れてこのまま退く気はないか? 俺が『何』であるかを知ってもなお戦おうとするあんたたちに言うだけ無駄かも知れないが。……まあ、もっとも……」
唇の端に、かすかな笑みを浮かべる。
それは冷笑のようにも、嘲笑のようにも見えたかもしれないが、実際のところは苦笑だった。誰へ向けたものでもなく、単純に、どうあっても争いから逃れられぬ人間への呆れと諦観の含まれた。
「あんたたちが、言われて退いてくれるような事情しか抱えていないなら、そもそもこんなことにはなっていないんだろうけどな」
事情、という言葉に、騎士たちの間にわずかな動揺が走る。
それは本当に一瞬の、表情の翳りのようなものでしかなかったが、無論飛鳥は見逃しはしなかった。
だからこそ、返答の予測もつく。
「……生憎だが」
何か渋いものを飲み込んだような表情のグラナートが、真っ向から飛鳥を見据える。
「我々の受けた命はゲミュートリヒ市の奪取だ。それを覆すことは出来ん」
「ああ、言うと思った。まあ……そうだろうな」
「友好国に攻め入ろうと言うのだ、判りきったことだろう」
「その辺りは俺の関知するところじゃないが……そうでなくては危機にさらされるものがある。そういうことだろう?」
うっすら笑った飛鳥の言に、返答はなかったが、グラナートたちは確かに息を飲んだ。虚をつかれたような、そんな表情が一瞬、彼らのまだ若い顔をかすめてゆく。
しかしそれはすぐになりを潜め、
「……我らの仕事はゲミュートリヒ市を落とし、リィンクローヴァ攻略の足掛りとすること。そして、そのために死ぬことだ……それ以外に語る言葉を、我らは、持たん」
何かを堪えるようにほんのわずか瞑目してから、グラナートが再度剣を構える。他の騎士たちもまたそれに倣った。
飛鳥は軽く肩を竦める。
彼らの背後に控える、彼らを死に赴かせる――彼らが死へ赴かざるを得ない事情。
その片鱗が、ここにも垣間見える。
「もう少し暢気な状況なら、ちょっと話してみろって言えたんだけどな」
言うと同時に飛鳥は地面を蹴った。
「――……貴殿に話すことなど何もない」
頑なに言い放ちつつ、深紅の双眸に何がしかの逡巡が揺れたのを飛鳥は見た。
「だろうな」
どちらにせよ、ここで押し問答をしている時間はない。
飛鳥は、居残り組を鎮圧し次第ゲミュートリヒ市へ立ち戻り、都市の防衛に加わらなくてはならないのだ。
「なら……まァ、いつものように行くか」
言うなり飛鳥は騎士のひとりの懐へするりと入り込み、
「なっ」
「遅い」
次の瞬間には背後に回り込んで、棒――槍の柄だ――で彼の首筋を強かに一撃した。
「ッ!?」
声もなく昏倒した騎士の身体が地面につくよりも速く、飛鳥が揮った棒はもうひとりの脱落者をつくり出している。
「ゼト!」
倒れた騎士の名を誰かが呼んだ。
飛鳥は頓着せずに踏み込み、ふたりの騎士が同時に繰り出してくる横薙ぎの剣を、彼らの頭上を飛び越えることで避け、
「な……何なんだ、お前は……!?」
「何と言われても、俺は俺だ」
唖然となる彼らの背後に降り立つや、振り向きもせず後方へと突き出した棒でふたりの脚を払い、あまりの勢いに転倒したところで首筋を一撃し、沈黙させる。
飛鳥の一撃一撃で、あっという間に騎士たちが脱落してゆく。
グラナートを除く十一人が全員地面に沈没するまで、十分もかからなかった。
「く……!」
ぎりりと奥歯を噛み締め、最後のひとりとなったグラナートが焦燥の滲んだ表情で飛鳥を睨み据えた。双眸に燃える火は、邪魔者への苛立ちだろうか、無力な己への怒りだろうか。
「で、どうする?」
柄で肩を叩きながら、呼吸ひとつ乱さぬまま飛鳥が問うと、グラナートはひとつ、複雑な息を吐いた。
「……どうするもこうするもない」
「だろうな」
その言葉とともに、双方同時に地面を蹴る。
飛鳥は跳躍、グラナートは疾走。
瞬時にふたつの人影が交錯し、
ごっ。
鈍い打擲音は、グラナートの身体から。
「……ッ!」
槍の柄に腹部を強かに打ち据えられ、グラナートは勢いよく吹っ飛んでいた。
もちろん彼は高位の騎士だ、質のよい鎧も身につけているが、飛鳥の怪力の前には、衝撃をわずかにやわらげてくれた程度に過ぎなかったようで、数mを軽々と吹き飛ばされ、太い木の幹に背中から激突したあと、ずるずると地面へ滑り落ちる。
凄まじい衝撃だったらしく、何とか起き上がろうともがくものの果たせずにいるグラナートの元へ歩み寄り、飛鳥は屈み込んだ。
「まあ……すまんが、そういうことだ」
彼らがハルノエンのために命すら捨てようとしていることに変わりはない。
侵略されるリィンクローヴァに罪はなく、黙ってそれを受け入れる義務も必要もないにしても、自分ではない何か、誰かのために戦い斃れる覚悟の彼らを罵るつもりも飛鳥にはない。
「あんたたちの事情を酌まないわけじゃないが……それでリィンクローヴァが危機に陥るなんてことを見過ごすわけにはいかないんだ、悪いな」
飛鳥の言葉に、もがきながら咳き込んでいたグラナートがふっと身体の力を抜いた。そして、飛鳥を見上げ、言う。
「……殺してくれ」
「ふん?」
「我らの事情を知り、我らを憐れと思うなら、どうか。ここにいる我々、すべての兵を、粉々に打ち砕き滅ぼしてくれ。私たちに残された道は、もう、それしかない」
飛鳥を真っ直ぐに見つめる深紅が熱を孕み、潤み、涙を一滴、こぼさせる。
――彼らは最初からそのつもりだったのだ。
最初から、勝てるとは思いもせず、こうしてここにいる。
自分の命よりも大切なもののために。
「まあ、やって出来んことはないが。事情を尋ねてもいいか?」
「言えぬ」
「何故だ」
「――……眼がある、耳がある」
「ははぁ、なるほど……?」
グラナートの言いたいことを理解して、飛鳥はかすかに笑った。
飛鳥にはそれらしきものは感じられないが、『そういうこと』なのだろう。
「そういう事情なら、判った」
界神晶を見下ろし、意識を集中させて、使用可能な一覧をさぐる。
いくつかのコンテンツに当たりをつけ、クリックすると、今まで彼らを取り囲み渦巻いていた濃霧の檻が溶けるように消えた。
兵士たちが右往左往し、または呆然と座り込んでいるのが目に入る。
それと同時に、つい先ほどまで薄い星が瞬き始めていた空に、夜空の藍とはまったく違う、おどろおどろしいまでの暗雲が垂れ込め、濃厚な水の臭いが漂って、急激に気温が下がり始める。
墨のような黒雲の狭間に、黄金の光が瞬き、銀色の亀裂が走った。
すぐに、耳をつんざく雷鳴が辺りを支配する。
天の気紛れで済ますにはあまりにも唐突過ぎる、異常な光景に、兵士たちの間に動揺とざわめきが広がってゆく。
「まあ……これは仕方ないだろうし、な?」
空を見上げ、周囲を見遣って飛鳥はごちた。
それから、何もかもを甘受しようとでも言うように目を閉じたグラナートの傍らに再度しゃがみ込み、彼の耳元に囁く。
と、グラナートは目を瞠り、それから泣き笑いの顔になって頷いた。
飛鳥はにやりと笑って立ち上がり、
「なら……降れ、俺が許す」
傲然と告げ、天に掲げた手を、地へ向かって振り下ろした。
とたん、
が、ごッ。
がぁん、ごぉんッ!
黄金の光が、物理的な破壊力を――圧倒的な熱量を伴って、降った。
どこかから、絶叫。
何かが打ち砕かれる音。
耳が潰れそうな大音響が数十秒続いたあと、周囲が眩しいほどの光に染まり――……次の瞬間には、森はもとの暗闇へと戻り、すべての音を失って静まり返った。
何もかもが死に絶えてしまったかのような静寂が満ちる。
その真ん中で、飛鳥はうっすらと笑った。
「ま、こんなもんだろ」
周囲を見渡し、肩を竦める。
――その頃、多分に神威を含んだ光に『遠見』の魔法を掻き消された人物が、ハルノエン王城で舌打ちをしていたことなど飛鳥は知らなかったが、彼の目論見は、まさしくそれなのだった。