13.「俺が必要だと言え、国王陛下!」

 合同の葬儀が行われたのは、戦いが終わってから二日後の夜だった。
 領主夫妻をはじめ、今回の戦いで死亡した人々を、ゲミュートリヒ市民全員で見送った。
 緑の丘ラントシャフツマーレライに大きな櫓が幾つも組まれ、そこに友人同士や部隊ごとに分けた遺体を安置して、神殿が管理している聖なる火を、家族や恋人、友人が投じた。
 この世界では、どの大陸でも火葬が基本であるようだった。
 いのちが繰り返すという輪廻転生的な考え方はあるようだったが、宗教的な意味での復活思想はなく、よって遺骸を焼くことはむしろ浄化であって禁忌ではないのだ。
 上古の昔に、創造神ソル=ダートが半身でも伴侶でもある破壊神ルエン=サーラと戦って相打ちになった際、五色の双神がその骸を古聖火によって焼き、弔ったという伝説も関係しているかもしれない。
 各神殿が数百年に渡って受け継ぎ続けているという聖なる火は、夜の闇の中にしろくあかく輝いて櫓を飲み込み、どこか清流を思わせる凛冽な薫りを立ち上らせながら静かに燃え続けた。
 火は、神官たちの手でこのまま三日三晩維持され、喪われた人々の魂を浄化して、彼らを次の生へと誘うのだという。
 飛鳥は、それらの静謐な炎に照らされながら、人々の嘆きの声、別れの言葉を聴き、櫓に投げ入れられる花や手紙、死した人々の愛用の品や好物などを見つめていた。
 私兵とはいえ、兵士たちは死を前提にしてこの職に就いている。
 労働力を提供し生産に関わらない代わりに、身体を張って国やまちを護るのが職業軍人の仕事だ。私兵軍への入隊も、兵民登録も強制ではないのだから、それらは死を恐怖しながら嫌々就く職業ではない。
 彼らは、様々なものを案じつつも、斃れた己を悔いてはいなかっただろう。
 ただ、残された人々は、それでも……どうしても惜しんでしまうというだけのことで。
 それはどんな場所でも、どんな世界でも同じだ、と飛鳥は思う。
 両親を初めとした研究所の人々や、老博士夫婦が、自分たちの信じるもののため護りたいもののために戦い、斃れて悔いなかったように。
 ――丘の片隅では、同じく、ハルノエン兵士たちの骸も別の櫓で焼かれていた。
 同胞たちの直接の死因ともなった彼らを同じ場所で弔うことには憤りや疑問の声も上がったが、哀しみによる不満を燻らせつつもそれはまち全体を覆うほど大きくもなっていない。
 それは、そもそもリィンクローヴァ国民が賢明だからという理由と同等に、
「……生まれて育つのには何十年もかかるのに、喪われるのは一瞬なんだよなァ」
 彼らの心を捕らえて放さない、お人好しの国王陛下が、――この一連の騒動で親代わりの領主夫妻を喪った青年王が、ハルノエンへの憎しみを一切口にしなかったからなのだろう。
 彼は、納得が行かない様子のリィンクローヴァ人たちに、詳しい事情はまだ説明できねぇけど、と前置きして、『その時』が来たら全部話すから今は自分を信じてくれと、ハルノエンを恨むよりまず先にやるべきことに備えようと、静かに、真摯に語ったのだ。
 ゲミュートリヒ市民たちは領主夫妻とレーヴェリヒトの関係をよく知っている分、彼の悲嘆もよく理解していて、それが自分たちと同じ痛みであることも判っているから、レーヴェリヒトがそういうのなら、と今回は引き下がったかたちだった。
 この件に関しては、現在待機させている――そのうち、何回かに分けて秘密裏にハルノエンへ帰還させ、機を伺わせるつもりだ――六千弱のハルノエン兵たちへの感情も含めて、いずれ何かしらの衝突があるかもしれないと思いつつ、その時は自分が憎まれ役になろうと飛鳥は思っていた。
 要するに、レーヴェリヒトが飴であるなら自分は鞭であろうという、それだけのことだ。
「……だからこそ、大事なものなんだろ、たぶん」
 ぽつりとしたレーヴェリヒトの言葉にそう返すと、色味の穏やかな鬱金色の弔衣を身に纏った――この世界では黄色が弔いの色とされているらしい――彼は、一際高い櫓を見上げながら小さく頷いた。――あそこには、メイデとアルディアの遺体が安置されているのだ。
 戦いが終わり、安堵がまちを満たすと同時に、再度押し寄せてきたのが哀しみだった。
 葬儀に参列し、神官たちの唱える弔いの聖言を聴きながら、レーヴェリヒトの双眸が何度も涙をはらんだのを飛鳥は見た。
「そういう大事なものだからこそ、あの人たちも命をかけたんだよ、きっと。お前はそのくらい大切にされてるってことだろ」
「……ああ」
 少し離れた位置で、人々が鎮魂歌をうたいはじめた。
 そこへ弦楽器や笛が加わり、胸を切るような物悲しい音楽が辺りを満たしてゆく。
 レーヴェリヒトはそれを黙って聞いていたが、ややあって、
「なあ、アスカ」
「ん、どうした?」
「……お前はさ」
「ああ」
「――……俺のこと、置いていかねぇよな」
 陳腐な表現を使うなら迷子のような、頑是ない、途方に暮れたような表情で飛鳥を見遣り、そう言った。
 飛鳥は苦笑する。
 苦笑するしかないだろう。
 一国の王が口にするには少々脆弱だが、友達が口にする言葉だとしたら飛鳥にも判る。
 飛鳥だって、レーヴェリヒトや下僕たち、その他親しい人たちに置いていかれるのは嫌だ。だからこそ先頭を突っ走るのかと責められても文句は言えない程度には、置いて行かれるのは怖い。
 そしてそもそも、飛鳥には制限がある。
「……そうだな」
 どんなに長くても三十年。
 恐らく、二十五年前後が限度だろう。
 物心ついた頃からそう言われて生きて来た。
 その計算で行くと、もう、半分以上が過ぎていることになるし、この先も様々な力を使い続ければ……飛鳥が無茶をし続ける限り、たぶんそれは更に縮まることだろう。
 ――どちらにせよ、飛鳥は、自分に執着するつもりはないのだ。
 諦観ではあっても絶望ではない。
 終点が見えているからこそ、今やるべきことをきっちり果たす。
 そう思って生きている。
 とはいえ、この場でそれを正直に言って、ただでさえ沈んでいるレーヴェリヒトを二重の悲嘆に暮れさせるほど空気が読めないわけでもなく、そもそも彼にそれを言うつもりもなく、飛鳥は肩を竦めて頷く。
「仕方ないから、お前に付き合ってやるよ。ちゃんと、傍にいて」
「……ん」
 いつも通りの飛鳥の言葉に、レーヴェリヒトはほんの少し笑い、頷いた。
 飛鳥はその肩を叩き、彼を促す。
「泣きたいなら胸のひとつも貸してやる。今は悼むことが俺たちの仕事で、権利だ」
 どうせすぐに煩雑なあれこれが押し寄せてくる。
 ハルノエンとのことも、御使いとしてのことも、乱世の諸々も。
 だから今は好きなだけ悼んで、悔やんで、嘆けばいいと思うし、あの時、レーヴェリヒトがマントを貸してくれたように、飛鳥は彼に涙の場所を提供する、それだけのことだ。