ソファに腰を下ろしたところで、灰色の髪に鮮やかなコバルトブルーの目の青年が、とろりとした質感のスープが注がれた銀器を恭しい手つきで飛鳥の前に置く。更に、金茶の髪に琥珀の目をした、片割れよりも年かさの青年が、飛鳥のみならず金村と圓東の目の前にも、繊細な細工の施された銀のスプーンを置いた。
 置かれたそれを観た飛鳥は、個人用のスプーンがあると言うことは中世ヨーロッパよりも文化が進んでいるのか、などと考察する。
 異世界の文化が地球と同じ変遷を辿るわけでなし、考えても仕方ないと理解しているのだが、蓄積された知識を元に無意味な思考を展開することが、身体を動かすことと同等に得意な飛鳥の癖のようなものだ。それが時として彼に素晴らしい閃きをもたらしたりもするので、決して無駄ではないのだが。
 中世ヨーロッパにおける会食では、スプーンとは各自が持ち寄って使う、非常に貴重で高価なものだったのだ。客の分まで準備できる主催者は、つまりそれだけの力を有していたということだ。あまりそれらしくはないが、仮にも国王陛下なら人数分の食器を用意することなど容易かろうとも思いはするが、それにしてはスプーンの扱われ方は無造作だった。
 しかしながらそれらの造作は見事で、銀盆といい圓東が進められるままにパンや肉や果物を載せている銀の小さな取り皿といい、施された細工は精緻だったし、派手ではないが美しかった。
 ディキャンタや赤ワインが注がれたグラスには見事なカッティングがしてあり、ちょっとした宝石のように輝いている。
「いただきまっす!」
 異世界の文化への興味が尽きず、周囲の小物を観察していた飛鳥を尻目に威勢のいい挨拶をした圓東が、きつね色にローストされた大きな鳥の脚にかぶりつく。ものすごい勢いで肉の一部を食い千切ると、咀嚼する時間も惜しむかのように申し訳程度に噛み、あっという間に飲み込んでしまう。一片を飲み込むと、すぐにまたかぶりつき、肉を引き千切る。
 そのあまりの勢いのよさに肉汁が飛び散り、滴った。
 こぼれたそれらを、コバルトブルーの目の青年が甲斐甲斐しく拭う。
 青年は飛鳥より二つか三つは年上だろうか、長身痩躯だが、しっかりした筋肉が衣服の上からも見て取れるし、レーヴェリヒトの背後に控える琥珀の目の青年と同じく、その立居振舞には隙がなかった。
 ふたりとも金村と同じくサーコートにチュニカ、脚衣という出で立ちだが、彼のものより丈夫で装飾の多いそれの腰に剣を佩いているところからして、恐らく騎士階級の青年だろう。
 近衛騎士だろうかと想像した飛鳥だったが、何故近衛騎士が給仕までするのかという素朴な疑問に行き当たる。この世界では、得体の知れない『客』の給仕は騎士がすると決まっているのだろうか。……普通は侍従か何かにさせるものだと思うのだが。
 などと思った飛鳥だったが、肉を飲み込んだ圓東が、
「あー、幸せー」
 などと、心の底からの声を上げたので、現金なヤツだと苦笑して彼を見遣る。飛鳥が何かを言うよりも早く、圓東はすでに二本目の肉に移っていた。またしても凄まじい勢いで食いつき、食い千切る。
 ――はっきり言って、見ていて綺麗な食べ方ではなかったが、必死ささえ感じさせるその勢いには、生きているという実感があった。
 飛鳥が呆れて見守る中、あっさり二本目を食い尽くした圓東は、次に渦巻き型に焼かれた拳大のパンを手に取り、たっぷりとバターを塗りたくると(塗りたくるというよりてんこもりに乗せると言った方が正しい)、それを二口ほどで平らげてしまった。すぐに二個目に取り掛かり、二口で平らげると、同じような動作を三回ほど繰り返した。
 それから大きなチーズの塊に手を伸ばし、ジャガイモに酷似した芋を蒸かしたものにそのひとかけらを載せると、それを丸ごと口に放り込んだ。目を閉じて味わいながら幸せそうに咀嚼している様子は、牛が反芻でもしているかのようだ。
「……よく食うな、お前」
 圓東の隣に座った金村が、対照的なほどゆっくり、少しずつしか口にしていない所為もあるのだが、彼の食べっぷりには賞賛せずにはいられないような勢いがあった。食事が『楽しみ』であった試しのない飛鳥には、新鮮極まりない光景だ。
 汁のたっぷり詰まった、トマトと思しきものに齧りついていた圓東が、飛鳥の言葉に目を瞬かせる。
「んぐ……ほ(そ)うは(か)な?」
「……ものを口いっぱいに入れたままで喋るな、鬱陶しい」
 顔をしかめた飛鳥の隣に、四つのグラスを器用に持ったレーヴェリヒトが小気味いい笑い声とともに座る。

「ははは、いい食べっぷりだ、キョウスケ。見ていて気持ちがいい、好きなだけ食ってくれな。ユージン、お前も遠慮せずに食えよ。アスカ、どうだここのメシは?」

 言葉の意味そのものは判らないのに彼の言っている内容は判るという不可解な状況にも、飛鳥は何故か疑問を感じなかった。ソル=ダートの言ったように、それが希望であり運命ならば当然なのだろうと思っただけだ。
「……悪くない」
 スープをひとくち啜った飛鳥がかすかに笑ってそう言うと、彼もまた飛鳥の言を理解しているらしく、ひどく嬉しげに笑ってグラスを差し出した。濃厚で芳醇な匂いから、相当上等なワインと知れる。
 グラスを受け取った飛鳥がそれに口をつけるよりも早く、同じようにグラスを手渡された圓東がそれを一気に飲み干す。飛鳥は呆れの混じった溜め息をついた。
「もう少し味わえ、馬鹿。大体、未成年が一気飲みとかあり得んぞ」
 自分が未成年なのを完全に棚に上げた飛鳥がグラスに口をつけながら言うと、グラスをテーブルに置いてから殻つきの大きな海老に手を伸ばしていた圓東はきょとんとした表情で彼を見つめた。
「おれ成人してるよ?」
「――――は?」
「あと一ヶ月くらいで二十一歳だけど、おれ」
 その言葉に、飛鳥は眉根を寄せる。
 目の前で器用に海老の殻を剥いている人物は、自分と同い年もしくは年下に見えても、とてもではないが年上とは思えない。下手をすれば中学生にすら間違われるだろう顔立ちなのだ。
「……俺より三つ年上か、その顔で」
「その顔でとか言われても判んないけど。そっかー、アニキは十七歳か。おれアニキより三つ年上なんだなぁ」
「……今凄まじく矛盾したことを言わなかったか、お前……」
「え、そう?」
「何で年下の俺が『アニキ』なんだ?」
「いやだってホラ、アニキはアニキだし」
「……」
 何の疑問もなく晴れやかに笑った圓東がそう言った時点で、飛鳥は色々なツッコミを諦めた。エキセントリックな『子分』を得てしまったものだ、と脳裏に思う。
 それからふと気づいて、赤ワインのグラスに口をつけている金村へと視線を向ける。
 そもそもあまり口数が多い方ではないのだろう、金村が飛鳥と圓東の会話に加わることはなかったが、静かで理知的な双眸には、ふたりの会話を楽しむような光が揺れている。
 飛鳥の視線に気づいた金村がその双眸を細めた。
「……どうかしたか?」
「いや、あんたはいくつなのかと思っただけだ」
「若の目にはいくつに見える」
「三十代半ばに思える。……というかその呼称はやめろ、居たたまれなくなるから」
「仕方ないだろう、若は若だ」
「……あんたも大概エキセントリックだな……」
 恐らく何度訂正しても改善はされないであろう呼称に、すでに色々と諦めた口調で飛鳥はこぼす。
「で、いくつだ。五十とか六十と言われても驚かずにいてやるから迅速かつ正直に答えろ」
「期待に添えなくて申し訳ないが、三十六だ。概ね当たりだな」
「いや、添ってくれなくていいから。そもそも期待もしてないっつの。……まぁいい、とりあえずあんたも食っとけ。そうそう悪いことばかりが起きるとは思わないが、この先何がどうなるか判らないからな」
「そうだな、まぁ、せっかくいい雰囲気なんだ、ゆっくりやるさ。そういう若もあまり食が進んでないみてぇだが?」
 金村の言うとおり、飛鳥が口にしたのは濃厚なスープと赤ワインだけだ。皿を空にしてからも、何かに手を伸ばすこともなく、グラスを手の中でもてあそんでいるだけだった。
 金村の指摘に、飛鳥は微妙な笑みを浮かべた。
「ああ……俺はいいんだ。あまりたくさんの栄養を摂取する必要がない。俺の身体はそういう風に出来てるんだよ」
 少ない熱量で呆れるほどたくさん行動できる、それが『奴ら』の目指した姿だったのだ。
 飛鳥はその顕著な成功例だった。
 むしろ、一気にたくさんの食物を摂取することは飛鳥にとって苦痛でしかない。少ないエネルギーに慣れた肉体は、一定量以上の養分には激しい拒絶反応を起こすのだ。
 ……奇怪な身体だと自分でもよく思う。
 もっとも、不便を感じたことは今のところないが。
 金村は飛鳥の言葉に不思議そうな表情をしたが、それ以上のことを重ねて尋ねようとはしなかった。飛鳥を気遣ったか、尋ねても答えが返らないと思ったかのどちらかだろう。
 金村はそうか、と小さく頷き、武骨で長い指を伸ばして葡萄をつまむ。彼も外見に似合わず少食だ。
 漠然と飛鳥の言葉を理解しているらしいレーヴェリヒトも、飛鳥にそれ以上の食物を勧めようとはしなかった。コバルトブルーの目の青年を手招きして、冷たい水をなみなみと注いだグラスを持ってこさせただけだった。
 飛鳥は微苦笑し、ありがたくその気遣いを受け入れる。
 今までに経験したことのない穏やかな気持ちだった。
 ――――飢えた獣のように、怒涛のごとき勢いで食事を続ける圓東を視界に入れなければ。
「もう少し行儀よく食え、みっともない」
「えー、だっておいしいから止まんないんだってー」
「二十歳超えた男が『だって』とか言うな気色悪い」
「そ、そんなこと言われても……」
 などと騒ぎつつも、昼食は一時間弱で終わった。
 飛鳥と金村はそれ以前に終えていたのだが、圓東が盆にある食物の最後のひとかけらまで食い尽くすのに時間がかかったのだ。あのひょろっとした身体のどこにあれだけの食物が入るのかと妙に感心した飛鳥である。
 その後、四人は騎士らしき青年ふたりが淹れてくれたハーブ茶を前に寛いでいた。
 レーヴェリヒトは飛鳥たちが話す言葉を興味深そうに聞いているだけだったが、何故か飛鳥はそれだけで安堵することが出来た。失ったものを取り戻した感覚といえば大袈裟だが、誰よりも愛した少女が傍にいるような感覚は確かにあった。
 そんなこと、恥ずかし過ぎて口には出せないが。
 これからどうするかというような具体的な話が出来るほど周囲の状況を飲み込めておらず、会話の内容は他愛ないものばかりだったが、焦ってどうなるものでもないという達観により、飛鳥にはそれ以上のことを話すつもりもなかった。
 例え困ったことが起きたとして、そのときに何とかすればいいのだ。
 何が起きても何とかしてやろうという、意地にも似た気概もある。
 そんな中、びっくりするほど白く滑らかな肌合いのティーカップに口をつけていた飛鳥だったが、そうか白磁を焼く技術はあるんだなと感心していた彼の名を不意にレーヴェリヒトが呼んだので、瞬きをして横を向いた。
 隣では、美貌と表現するのも馬鹿馬鹿しいほど美しい青年が笑みを浮かべている。飛鳥より五つ六つは年上だと思われるが、その表情はひどく子どもっぽく、楽しげだった。

「そうだ、忘れるところだった。アスカ、お前にこいつらを紹介しておこうと思ってたんだ」

 言ったレーヴェリヒトが、邪魔をせぬようにとの配慮からか部屋の隅に控えていたふたりの青年を手招きする。手招きされたふたりは彫りの深い顔にわずかな緊張の色を載せて歩み寄り、ひざまずいた。
 ……何故か、飛鳥の傍に。
 上官や王にするような、流れるように優雅で恭しい、しかしまったく隙のない仕草だった。その動作だけでも、このふたりの戦士としての腕が相当のものであることが見て取れる。
「……何やってるんだ、あんたら」
 胡乱げにふたりを見下ろし、声をかけると、コバルトブルーと琥珀の目が飛鳥を見上げる。その視線に含有された色合いが、先刻の金村と圓東のそれと同じだと気づいて飛鳥は眉をひそめた。
 金村と圓東に向けられるものならまだ話は判る。一応、命を助けるかたちになったからだ。
 しかしこのふたりに目の前でひざまずかれ、憧憬のこもった目で見られるような謂れはない。……と、思う。
 説明を求めてレーヴェリヒトへ目をやると、彼は飛鳥の困惑には気づいていないのか、初夏の空を彷彿とさせる闊達な晴れやかさで笑って、琥珀の目の青年を指し示した。

「彼はイスフェニア、イスフェニア・ティトラ・エルンテ。エルンテ市領主タリカ・フィス・エルンテの末息子で、聖叡騎士団小隊騎士長だ」

 金茶の髪と琥珀の目。日焼けした肌。長身痩躯の引き締まった身体。
 剣の柄に結び付けられた黄水晶の細工物。
 際立った美男子ではないが、知的で物静かな、落ち着いた物腰の男だ。
 その世界、その国独特の固有名詞は飛鳥にはさっぱり判らないが、何度か繰り返された人名だけは理解できた。
 彼はイスフェニア。恐らく、エルンテという地名の場所を治める一族の一員だ。

「イースとお呼びください、我が君」

 拳を胸に当てた彼が、まっすぐに飛鳥を見つめて何事かを言う。低くて静かな、落ち着いた声だった。
 ただ、残念ながら、レーヴェリヒトの言とは違い、何を言っているのかは判らなかった。……むしろ、それが普通なのだ。何故レーヴェリヒトの言葉だけが理解できるのか、まったくもって判らない。
 眉をひそめたまま首を傾げる飛鳥を尻目に、レーヴェリヒトは次にコバルトブルーの目の青年を指し示す。青年の目には、それを待ち侘びるようなうずうずとした色彩があった。飛鳥はますます眉をひそめた。

「で、そっちはノートヴェンディヒカイト、ノートヴェンディヒカイト・ゼオラだ。イースの部下で中級騎士だ、地位は低いが腕は確かだぜ」

 濃い灰色の髪にコバルトブルーの鮮やかな目。イスフェニアよりも日焼けした小麦色の肌。どこか少年めいた躍動を感じるしなやかな身体。
 長い髪をはちまきに似た幅の広いリボンで結んでいる。
 こちらも決して美形というわけではないが、多分に子どもっぽさの残った表情豊かな顔立ちに惹かれる者は少なくないだろう。
 彼はノートヴェンディヒカイト。長い名前だなと呆れてすぐに、ドイツ語に同じ単語が存在することに気づいた。
 必然。
 そういう意味の言葉だ。
 何かの――誰かからのメッセージすら感じる。

「こうして目通りが許されたことを嬉しく思います、我が君。ノーヴァとでも、ノディとでも好きに呼んでください」

 イスフェニアと同じように、拳を胸に当てたノートヴェンディヒカイトが晴れやかに笑って言った。笑うとますます少年っぽさが助長される。
 言っていることが判らず、飛鳥は首を傾げていたのだが、その中に先ほどイスフェニアが口にしたのと同じ単語を聞きつけて繰り返した。
「『ヴィ・エッダ』?」
 ふたりが同時に深く頷く。

「そうです、我が君(ダス・ヴィ・エッダ)。あなたは俺たちの命の恩人だ、命の借りには命で返さなくてはならない。ましてやあなたは加護持ちの貴い方だ、これから先も手足となるものは必要でしょう。だから、どうか俺たちをあなたのしもべにしてください」
「しもべの名に恥じぬ働きをいたします。ですから、どうか」


 ひざまずいたままのふたりに何やら切々と訴えかけられ、飛鳥は眉根を寄せる。
 この表情、この仕草、この口調、この雰囲気。
 何だかよく判らないが、またしてもあまり嬉しくない事態に陥りかけているという実感がある。しかも、かなり強い確信を伴って。
 まったく自慢にならないし嬉しくもないのだが、何故か飛鳥は男に好かれるのだ。色恋という意味でなく。――金村と圓東のように。
「なあなあアニキ、何言ってんの、このふたり。なんか、すごい熱意みたいなのを感じるんだけど、おれ」
「俺に訊くな、いまいち判らん。……おい、レーヴェリヒト」
 溜め息をついた飛鳥が、隣でことの成り行きを見守っているレーヴェリヒトを呼ぶと、彼は一瞬すさまじく驚いた表情で瞬きをしたが、すぐにひどく嬉しげに笑って、続きを促すように首を傾げた。
 ――見ている飛鳥までが思わず嬉しくなるような、開けっ広げな歓喜の表情だった。アメシストの双眸がきらきらと輝く様子は、人間の美醜などにこだわったことのない飛鳥ですら見惚れるほど美しかった。
「彼らは何を言っている? 何を訴えている? いや、そもそも彼らは何者だ、俺に何か関係があるのか」
 言うと、レーヴェリヒトは「おや」という表情をした。

「なんだ、誰の言葉も理解できるってわけでもねぇのか、変わったヤツだな。このふたりは命の恩人のお前に仕えたいっつって、わざわざ俺に直談判に来たのさ。最初に言い出したのはノーヴァだが、イースも了承済みだ。ま、加護持ちに騎士がつくのはおかしいことでもねぇし、許可したんだ。つぅわけでよろしくしてやってくれ」

 惹かれずにはいられない、魅力的な笑みとともにレーヴェリヒトが言う。
 固有名詞は判らない。だが、意味のおおよそを整理してみると、飛鳥はふたりにとっての命の恩人で、命の借りを返すために飛鳥の部下になりたいと言っていて、レーヴェリヒトがそれを許したということのようだった。
 命の貸しなど作った覚えもない飛鳥は、ますます眉をひそめる。
「……いつ、どこでの話だ、それは。覚えがないぞ」

「つれねぇヤツだな、お前。こいつらはもうすっかりお前に心酔しちまってんのに。まぁいいや、覚えてないなら教えてやるよ。四日前、異形化しそうになった骸があったろう、あれを運んでいた連中だ。お前が異形化に気づかなかったら、このふたりも危なかった。……そういうことさ」

「ああ、あれか。……って、待て、あれは別にそのふたりを助けようと思ってやったわけじゃない。別にしもべも家来も要らん、子分とやらで間に合ってるし精一杯だ。そいつらはあんたが引き取ってくれ、腕が確かならあんたの駒として使ってもいいということだろう」

「冷てぇことを言うなよ、そいつらの心意気もくんでやってくれ。自分が傷つくことも厭わずにお前が取った行動に惚れ込んだってのは俺にも判る。大体、騎士が命をかけて仕えたいと思う相手に出会えるってのは本当に幸せなことなんだぜ? 俺は確かにそいつらの王だが、支配者じゃあない。そいつらが命と魂を捧げてぇってんなら、止めはしないさ」

「惚れ込まれても迷惑だと言ってるんだ、俺は! どんな押し付けがましい心意気だ、それは! 大体、俺に選択肢はないのか!」

「いいじゃねぇか、邪魔にはならねぇって絶対。使い勝手のいい侍従が出来たと思って喜べよ」

「喜べるかッ!」
 意味を考えるというブランクもなく、ひたすらダイレクトに罵っていることに――他言語同士で何の不便もなく会話が通じている、ということに不審を覚える暇もなく声を荒らげた飛鳥だったが、イスフェニアとノートヴェンディヒカイトがつい数時間前に見たのと同じ表情で自分を見上げていることに気づいて沈黙した。
 絶句したといっていい。
 ――――それは、金村と圓東が自分へ寄せた、期待と懇願と不安の入り混じったものとまったく同じだった。成人も過ぎた、いい年こいた男がすがるような目をするな、と、頭痛すら感じつつ思う。
 出会って一週間も立たない同郷人に子分にしてくれと懇願され、わずかな面識しかないはずの異世界の騎士にしもべにしてほしいとすがるような目を向けられる自分は一体何なのだろうかとちょっと凹む。彼はひとりで、自由に孤独に生きていたいだけなのだが。
 しかし、残念ながら飛鳥には理解できてしまった。
 ――――恐らくこのふたりも、飛鳥が首を縦に振るまで諦めない。
 そんな匂いがした。勘のようなものだ。
 そして、飛鳥のそういう勘は外れることがない。
「……」
 飛鳥は大きな溜め息をついた。
 そして、言う。
「あんたたちの期待に添えるかどうかなんざ俺の知ったことじゃないが、それでもいいなら好きにしろ」
 乱暴極まりないその言葉を、レーヴェリヒトに訳してもらって聞いたふたりの、それぞれに鮮やかな目が喜色を宿す。
 再び胸に――心臓に当てられる拳、恭しい一礼。
 飛鳥はまた溜め息をつく。
 この世界に来てから、ペースを乱されてばかりだ。
 拒絶し続けるのも面倒だと思ってしまったのも確かだった。
 しかし忌々しいことに、受け入れてやる気になった最大の理由は、レーヴェリヒトがそうあれと望んでいることを理解したからだった。
 いくら最愛の少女とそっくりの眼差しと光を持つからといって、まだ出会ってわずかしか経っていないレーヴェリヒトの心ひとつに翻弄されて嬉しいはずもなく、いずれ反撃に出てやると妙な決心をする。
 レーヴェリヒトがまぶしいほど裏表のない笑顔を飛鳥に向ける。それだけで、胸の奥で得体の知れない疼きが蠢く。果たされなかった約束が、脳裏に甦るのを感じる。
 しかし何故かそこに痛みはなかった。ただ、どうとも表現し難い、緩やかな感情が満ちていた。

「ありがとな」

 てらいのない言葉。
 自分にはない、まっすぐな視線と心のありよう。
 照れ臭くて返事を返す気にもなれず、飛鳥が黙ったとき、不意に窓から強い風が吹き込み、レーヴェリヒトの長く美しい銀髪を大きなモーションでなびかせた。
 ――陽光をまとって輝くそれは、どこか翼に似ていた。