金村勇仁は、ミストと呼ばれた刺客の男と静かに対峙していた。
降り止まない大粒の雨が、広い廊下の手すりに打ちかかり、ちりちりとした細かい飛沫となって勇仁の頬や手を濡らす。
雨の向こう側、城の外がどうなっているのか、もうひとりの刺客を追いかけて出て行った飛鳥と、更にそれを追ったレーヴェリヒトがどうなったのか、ふと根差したあの嫌な予感が本当に正しかったのか、気になることはいくつもあったが、彼が今もっとも心を砕くべきは目の前の刺客をどうするかだった。
――形勢は、まったくもってよろしくないと言うしかなかった。
勇仁の剣は細い頼りない儀礼用のもの、それに対して刺客の剣は刃幅の広い、頑丈そうな段平。
それだけでも勇仁にとっては不利なのに、更に、刺客の立ち居振る舞いは明らかに手練れのもので、彼に隙はなかった。彼の踏み込みの一歩一歩が、計算され尽くした百戦錬磨の武人の足取りそのものだった。
恐らく……間違いなく、この男は勇仁よりも強い。
技量でも、経験でも。
しかし、それらの状況を理解しても、勇仁の心に焦りが生じることはなかった。恐怖や後悔や不安が根ざすこともなかった。
血溜まりを作って部屋の中で倒れ伏す青年、どうやらこれから飛鳥の配下になるらしい人物の傍らで彼の様子を確かめていた圓東が、心配そうにこちらを伺っているのが感じられる。
圓東は荒事には徹底的に向いていないので、思い切り腰は引けているが、そこでひとりだけ逃げ出せるほど薄情にも腰抜けにもなりきれず、びくびくしながら勇仁と刺客の戦いを見守っている。
勇仁には、もちろん圓東の気持ちも理解出来たが、声をかけてやるほどの余裕はなく、ただ、淡々と――まっすぐに、段平を手にして立つ男を見据えているだけだった。
「お前、名は?」
「……勇仁。金村勇仁」
「ユージン……か。その姓からして、異大陸の者だな。よい腕だ……よい、覚悟だ。お前のような手練れは、ふと気づけばどこにでもいるものなのだな。名の知れる知れぬは関係ないと言うことか」
問うた刺客が、感嘆の言葉とともに、呼吸なしに一歩踏み込み、段平を揮う。呼吸の有無、強弱で攻撃のタイミングを計る癖のある勇仁にはやり辛い相手だったが、弱音や愚痴をこぼしている場合でもない。
勇仁はわずかに身体をひねってそれをかわし、無防備になった刺客へ刃を突き出したが、ミストはその一閃を難なく避け、剣を引きながら後方へ飛び退がった。そのまま、油断なく再度身構える。
恐ろしいほどの落ち着きと胆力とが伺えた。
「予想外のことが重なったが……総じて言うなら、今宵はよい夜だ。お前のようなつわものと出会えたのだからな」
黒い、時代劇にでも出てきそうな覆面からのぞく緑色の双眸が細められ、ある種の親しみすら含んで勇仁を見遣る。
勇仁は剣を手にしたままでかすかに肩をすくめてみせた。
いいとか悪いとか、そういう観点で今のこの瞬間を計ることは彼には出来そうもない。
今のような命のやり取りが、彼にとって決して非日常に属するものではないとしても、勇仁にとってそれらはなすべき仕事であり義務だった。戦いを楽しみと思うような感覚は彼にはなかった。
「何故、若と陛下を狙うんだ? 若はまだここに来たばかりだし、レヴィ陛下みてぇないい王様を亡き者にして何の得があるってんだ」
だから、代わりに勇仁は、素朴な問いを口にした。
無論彼とて馬鹿ではないし、歴史を学んできた関係上、善い王であればそれだけでいいというわけではないことも理解している。
しかし、だ。たとえレーヴェリヒトが善い王でありすぎるがゆえに命を狙われるのだとしても、それは飛鳥がこんなにも急に襲撃を受ける理由にはならない。
飛鳥はまだこの国に来て半月足らず、王都アインマールに来てたかだか二日だ。国王の寵愛が篤いという噂が王宮を駆け巡り、それを疎んだ人間が暗殺を企むにしても早すぎる。
そもそも、国王陛下の寵愛篤きなどという表現は、彼と対等であろうとする飛鳥にはあまりにそぐわない。本人が聴いたら人のひとりやふたり絞め殺さんばかりの表情で顔をしかめるに違いない。
だからこその勇仁の問いだったのだが、刺客は苦笑めいた息を吐いて小さく首を横に振った。その後、段平を振りかぶり、重い踏み込みとともに撃ち込んで来る。
勇仁は剣の強度を気にしつつ、手にした細剣でその一撃を受けた。刃を滑らせるようにして巧く力をそらし、勢いを殺す。
その後、更に踏み込んできたミストとがっちりと組み合ったところで、刺客が囁くように言った。
「我らは損得のみで動くわけではない。お前だとて……そうだろう?」
「そりゃまぁ、そうだが」
「陛下は賢明な王だ。善き方だ。だが……それだけでは、国は治まらぬ。我らの主は、そうお考えだ」
静かな、諭すような言い方だったが、勇仁はそれに同意することなく薄く笑った。かたちは笑みだったが、その目はまったく笑っていない。
普段あまり表情をあらわにしない彼だが、どちらかというと負の感情は表に出やすい。この場合は、気に障った、というのが彼の内心をもっとも正しく表現したと言えるだろう。
薄い笑みを浮かべたまま、肚に力をこめてミストに足払いをかけ、一瞬バランスを崩しかけたミストの横っ面を拳で一撃する。
「……っ」
ガツン、という硬い手応えがあり、よろめいたミストが舌打ちとともに背後へ飛び退く。
喧嘩慣れした勇仁の拳の一撃は、鍛えていない、心積もりのない人間には脳震盪すら起こさせる代物だったが、さすがと言うべきなのか、ミストは軽く頭を振って口元を拭っただけだった。
緑色の目が歪んでいるのを観ると、痛かったことは痛かったらしい。
勇仁は指の腹で刃の調子を確かめつつ、一定の距離を保ってこちらを警戒しているミストを見据えた。
「いかにも腹黒い連中がてめぇの無能さを棚に上げてうそぶきそうな、虫唾が走るほど恥知らずな台詞だな。国のカシラぁ務める人間に、賢明で善良である以外を求める必要がどこにあるんだ? 王様に足りねぇ部分があるってんなら、それを補うのが配下の務めだろうが。てめぇでその補佐ができねぇんなら、無能は無能らしくおとなしくしてりゃいいんだ」
無口な彼には珍しいほど饒舌に、言葉に毒を含ませて語り、それからひとつ溜め息をつく。
彼の脳裏をちらつくのは、明らかに怪しい風体の勇仁たち三人を何の見返りも求めずに保護し、親身になって世話をし、友達が出来たと喜んでいたレーヴェリヒトの流麗な姿だ。
いつ見かけても忙しそうな、自分のことよりも他人のことばかり優先させていそうな、本当に王様なのかと時に苦笑すらしたくなるほどお人好しな、ゲミュートリヒ市の人々からも絶大な信頼と愛情とを寄せられているあの青年王の命を、そういう理由で狙う輩がいることが腹立たしい。
そしてそれのみならず、彼らは勇仁の若の命をも狙ったのだ。
恐らくは、彼らの操り手、今回の『仕事』を命じた者たちが、レーヴェリヒトに対して抱いているのと似たような、恥知らずで身勝手な理由で。
勇仁には、それを捨て置くことは出来ない。
「……あんたとあんたの主人とやらが、これからもてめぇ勝手な理由で若や陛下を狙うなら、俺は下僕の名に恥じねぇ働きをしよう」
「勝てると思うのか?」
「思う思わねぇの問題じゃねぇ。勝つんだよ」
「は、吼えてくれるじゃないか!」
いっそ楽しげですらある怒号とともに、両手で段平を構えたミストが突っ込んでくる。
体勢から言って、斬り払うため斬り下ろすための構えではなかった。
それは、突き刺すためのものだった。
狙いは確実、溜めも十分。しかも、想像していたものより格段に速い。
「……ッ」
瞬時に眼前へ迫った剣の凶悪な姿に勇仁は息を飲み、何とか間一髪で避けたものの、あまりの速度と正確さに完全には避けきれず、鋭い切っ先に左の肩口をひと撫でされて低く呻いた。
切っ先が服地を破って肉へとめり込む。その刃が肩の骨に当たって、ごりりという嬉しくない感覚を勇仁にもたらす。痛いとか苦しいとか以前に、骨をこすられる感覚に寒気がした。窓ガラスを鉄で引っ掻くと身の毛もよだつような音がするアレだ。
「ってぇ……」
その一瞬あとに、痛みというより熱の塊のような波が来て、それでも戦意を削がれることなく飛び退き、段平の血を払っているミストから距離を取りつつ勇仁はこぼす。
骨に当たったのだからそれなりに深い傷なのだろう、裂けた肩からは結構な勢いで出血し、彼の左腕をべったりと濡らしていた。
もっとも勇仁は、こちらに来るまでに就いていた『職業』柄、大きな怪我にも慣れているので、それで取り乱して戦いを放棄し、泣き喚いていられるほど暢気でも腰抜けでもない。
正直なところ、極道に足を踏み入れておよそ十五年、その間に無茶な立ち回りのお陰で二度死にかけて、更に同じような理由で別にも五度ばかり入院している彼にとって、肉体の痛みはそれほど縁遠い存在ではなかった。
「ゆ、勇兄(ゆうにい)っ」
泣きそうな声を上げた圓東が、懐かしい呼称を口にする。勇仁はかすかに苦笑して、何でもないとばかりに首を横に振ってみせた。
わけあって篠崎組に身を置くことになった圓東が、親身になって世話をしてやった勇仁を慕って最初に呼んだのがこの呼称だ。
勇仁自身は弟もどきが唐突に出来たような気がして悪くない気分だったが、二年ほど経って、彼が若頭とかいうあまり嬉しくもない責務を負わされた辺りから、圓東が自ら「下っ端がワカガシラをあんまり馴れ馴れしく呼んじゃまずいかな」などと言い出し、その結果『金村のアニキ』という現在の呼称に変わったのだ。
今、この瞬間にそれが圓東の口をついて出たのは、圓東にとっての勇仁が、ヤクザの言うような『アニキ』ではなく、本来は純粋な意味での『兄』だからなのだろう。
勇仁は、それをとてもくすぐったく思う。
まるで、そう遠くない昔、望まずも裏切ってしまった『弟』への贖罪のように。
「……ずいぶん懐かしい名で呼ばれたな。大したこたぁねぇ、気にすんな。それより、そこの兄さんはどうだ」
「え、あ、う、うん。えーと、さっきアニキも言ってたけど、呼吸は安定してるし、血は止まってるから大丈夫だと思う、けど」
「そうか、そりゃあよかった。なら、もう少し様子を見ててくれ。俺ぁ、こいつをなんとかする」
「う……うん」
「――――やはり強い男だなお前は。私は骨までえぐったつもりだったが、それで戦意を失わぬか。その胆力、驚嘆に値するぞ。だが……見たところ、人を殺めたことはないだろう」
そこへかかった声に、勇仁はまた苦笑した。
「……判るのか、そんなことまで」
「何となく、だがな。大体は、剣の筋や雰囲気で判る」
「ふむ……なるほど、専門家の勘というヤツかな。――確かに、まだ人を殺したこたぁねぇな。今後どうなるかは判らねぇが。だが……それが、どうかしたか?」
虚勢を張ることも、意地になって人を殺す以外で積み上げてきた己の『功績』を誇示することもなく、淡々と勇仁が言うと、ミストの双眸が楽しげに細められた。
「なに、純粋な興味というやつだ。だが、ゲマインデの一員たる私を、人を殺めたことのない手が倒すことは出来ぬ」
「ゲマインデとやらが何なのかはさておき、まぁ、あんたの言いたいこたぁ何となく判る。覚悟の違いということだろう、それは」
やはり淡々とした勇仁の言に、今度はミストが苦笑した。
「胆(きも)が太いのか鈍いのかよく判らぬ男だな、お前は。その通りだが、そう言われて何も感じぬか」
「……絶望して震え出した方がよかったか?」
「そこでそう返されると、こちらとしても言葉を失うしかないな。まったく、変わったやつだ」
「褒め言葉と受け取っておくさ」
右肩だけを器用にすくめてみせ、それから勇仁は再び手にした剣を構え直した。
ざっくりやられた左肩はまだ出血が続いていて、とても左腕は使えそうになかったが、この手の痛みにはもう慣れてしまっていたし、利き腕と戦意とが無事なら何とでもなる。このことを思えば、扱いやすい軽い細剣でよかったと言うべきだろう。
「――まだ戦うか。どう勝つつもりだ?」
「さあ。まァ、適当にな」
「そうか。では……こちらも、なおさら真剣にお相手しよう」
言ったミストが段平の束を握り直す。
その、決して大柄ではないしっかりした硬質的な身体から、陽炎のように闘気が噴き上がったような気がした。黒い頭巾からのぞく緑の双眸は、しかしどこか楽しげだ。
勇仁は冷静に自分の状態を計りながら、どう斬り込むか思案していた。
傷と出血の状態から言って、恐らくもうあまり長くは動いていられないだろうし、次にもう一撃喰らえば完全に戦闘不能に陥るだろう。ミストの様子を鑑みるに、下手をすれば一刀の元に斬り捨てられて、この場で死んでもおかしくはない。
しかも、その可能性は非常に高かった。地球、日本という名の故郷で、碌でもない抗争に明け暮れていた頃よりもなお強く、死という名の終焉がひしひしと感じられる。
――しかし、死を身近に感じても、勇仁の心が大きな波を立てることはなかった。
絶望や恐怖や後悔は、もう何年も前に、一度に味わい尽くしてしまったからだ。あの時以上の大きな波はもう二度と来るまいと思えるような感情を、ほんの一瞬に味わってしまったからだ。
元から静かに凪いでいることの多かった彼の心は、そのときから、更に動きが鈍くなってしまった。
そんな今の彼が恐れるのは、たったひとつだけだった。
それは恐れであり、同時に強い誓いでもあった。
そのたったひとつが、今の彼に力を与えていた。
「……来ないのか。では、こちらから行くぞ!」
轟と吼えたミストが段平を振りかぶる。
踏み込みは重く、斬撃は速く、迫る刃はランプの灯りを受けてまるで光そのもののように輝いていた。
真剣にとの言葉通り、正確に首を狙って揮われた稲妻のごときその剣閃を、勇仁は奇跡のような巧みさで身を沈め、するりとかわした。赤く染めた髪の幾筋かが刃に持っていかれたが、それ以外の傷はない。
「なに……ッ!?」
真実の意味で必殺の一撃だったのだろう、かわされたミストが驚愕の声を上げる。
勇仁は細剣の束をきつく握り、振りの大きな一撃のお陰でがら空きになったミストの脇腹へ、三日月のように細い刃を叩き込んだ。服地を裂いた刃が肉へと潜り込む、あまり嬉しくない感覚が剣を通じて伝わってくる。
「ぐ……!」
しかしやはり手練れらしく、剣は、自らの隙に気づいた瞬間咄嗟に身を捻ったミストに、致命的な傷を負わせることは出来なかった。ぱっくりと開いた傷口の様子と、ぱっと散った血の多さから、決して浅くはないと知れるが、同時にそれで倒したと言い切れるほど深くもなかった。
「まだ甘いか、俺は」
思わずこぼした勇仁に、己の傷口を確かめていたミストが、笑みのかたちに細められた目を向ける。その目は、晴れやかなとでも言うべき感情を含んでいた。
「悪くない。殺す気で来たな、今。何がお前の覚悟を強くする?」
「さあな。想像に任せる」
「……そうか」
言った刺客が剣を退いた。背に負った鞘へと、大ぶりの剣が収められる。
何をする気かと訝る勇仁の前で、ミストが顔を覆う頭巾に手をかけた。黒い布が、するりと外される。
現れたのは、淡い茶色の髪と白い肌をした、思いのほか秀麗で理知的な男の顔。
勇仁よりも十ほど年上のように思われたが、そこに年齢ゆえの衰えは見られなかった。重ねた年月が、すべていい方向に現れた顔だった。
「私はゲマインデの九、“ミスト”アイゼン・ディアス。……楽しかったぞ、ユージン。つい長居をしてしまった。お前がここに留まるというのなら、また見(まみ)えることもあるだろう。それまで、お前が私以外の者に倒されぬことを祈ろう」
ミスト……アイゼン・ディアスと重ねて名乗った男は、そう、言いたいことだけを言うと手すりへと飛び乗り、そのまま激しい雨の降りしきる外へと身を投じた。脇腹の傷など歯牙にもかけていない風情だった。
「……勝手なヤツだな。俺は別に、用もねぇのに喧嘩なんざしたかねぇ」
オージと呼ばれた男と、それを追った飛鳥がしたような、一般人には不可能に近い城壁の下り方をしながら去ってゆく“ミスト”アイゼンを見送り、勇仁は憮然とつぶやく。
あの口振りでは、また飛鳥やレーヴェリヒトの命を狙いに来るのだろう。そして、何度でも勇仁と対峙するつもりなのだろう。
「……もちっと強くならねぇと、不味いか」
再度つぶやいたところで眩暈が襲ってきて、そろそろ立っていられなくなってきた。ついでに言うと、血はまだ止まらないしかなり寒い。そのくせ、傷口は痛いというよりもひたすら熱い。
気だるげな溜め息を吐くと手すりに背中を預け、そのままずるずると座り込んだ勇仁の傍へ、
「金村のアニキっ!」
悲鳴のように叫んだ圓東が走り寄ってくる。
「死んじゃ嫌だ、金村のアニキ!」
悲痛な顔で不吉なことを言われ、勇仁はかすかに顔をしかめた。
一足飛びでそこまで辿り着かなくても、と思う。
「……勝手に殺すな」
「え」
「多分、死なねぇ」
「で、でも」
「……二年前な」
「うん」
「チャイニーズ・マフィアだかの末端組織とやりあって、何発か鉛弾ァ食らったことがあったろう」
「あ、うん。一ヶ月入院したよね、金村のアニキ」
「あん時より、痛くねぇ」
「えーと、うん、ならいいけど、それって死ぬ死なないの判断基準になるのかなぁ……」
圓東がそう言って首をかしげたとき、不意に幾つもの慌ただしい足音と、口々に何かを言う声が聞こえた。聞き覚えのある声に顔を上げれば、飛鳥直属の騎士たちを先頭に、同じような服装の男たちがこちらへ向かってくるところだった。
中に、白衣を身にまとった老人の姿もある。
「ユージン、キョウスケ! 賊は!?」
ノートヴェンディヒカイトのきびきびとした声が響き、勇仁は億劫げに手を上げて窓の外を指差した。コバルトブルーの目をした青年の隣には、当然のごとくに琥珀の目の騎士がいる。
「逃げた」
「そうか……ってユージン、怪我をしたのか! ひどい傷だな、大丈夫か」
「ん、ああ……まぁな」
「まぁなじゃないだろ、まぁなじゃ。っとに暢気だなあんた。医師殿に見てもらえ、俺とイースはヴェスタを施療院に運ぶ」
「ああ、頼む。若とレヴィ陛下はどうなった?」
「判らない。今、リーノエンヴェ様の指示で近衛騎士たちが探してる」
「そうか……」
「まぁいい、ひとまず安静にしててくれ、俺もじき捜索に加わるから。あんたに何かあったら俺がアスカにしばかれそうだ」
「……判った」
「キョウスケ、医師殿を手伝って差し上げてくれ、ユージンの手当てを頼む。あまりひどいようならあとでハイル様にお願いしてもいい」
「ん、了解。気をつけてなノーヴァ。なんか、すっごいおっかなかった」
「ああ」
かすかに笑みを見せたノートヴェンディヒカイトが、イスフェニアと他の騎士とともに気を失ったままの青年をそっと抱え上げる。頭を打っているためだろう、扱いは丁寧だった。
残った数人の騎士たちが周囲を警戒しつつ検分する中、つい先日飛鳥の診察をした老医師に傷口を確かめられながら、勇仁は未だ雨の降り止まない外へと目を向けた。
そして、恐らく今も戦っているのであろう、飛鳥へと思いを馳せる。
――もう、二度と、裏切らねぇ。
すでに過去と未来がごちゃ混ぜになってしまった、強い誓いとともに。