店の外へ出ると、市場へ買い物に来ていた雑多な――様々な色彩と顔立ちの人々が、ひそひそ話を交わしながら、フィアナ大通りのとある一角を遠巻きに見ているところへ行き逢った。
「ふざけた真似してんじゃねぇぞ、蛮族のクソガキが!」
「おぅおぅ、てめーらもだよ! ダレの許しを得て、ここで商売してんだ? ああ? ここで店を出したいってぇヤツぁ、月に金貨三枚、きっちりと、耳をそろえて払いやがれ!」
「金貨三枚!? ここは自由市場じゃないのか!?」
「んなもん、表向きに決まってんだろが。これだから地方のいなかもんは困るんだよ。ほら、どうする。払うのか払わねぇのか」
「そんな……地方から出てきて商売を始めたばっかりなんだ、三枚なんて大金、無理だっ」
「だったら店をたたんでこっから出て行くんだな! ほら、手伝ってやるよ!」
「うわあっ、や、やめてくれ、ああっ、商品がっ」
 飛鳥の耳に届くのは、知性とか理性というものからはほど遠い……品性の欠如した濁声(だみごえ)と、ものがあちこちで壊される音、か弱い悲鳴と嗚咽、そして優越感に満ちた、卑しい笑い声だ。
 眉をひそめた飛鳥は、恐怖を含んで囁かれるいくつもの言葉の中を泳ぐように人ごみを掻き分け、騒ぎの真ん中へと辿り着いた。――無論、その背後には、無口な眷族の姿がある。
 買い物客たちが遠巻きに――円を描くようにして見守るその中心では、褐色の肌の少年と、飛鳥にイモを振る舞ってくれた気のいい男と、その他何人かの露天商たちが、ごろつきという表現以外使えなさそうな、ガラも悪ければ頭も悪そうな連中に凄まれていた。
 円の向こう側に、大量の食品を抱えたまま、蒼白な顔でオロオロしている圓東の姿があった。あちこちをきょろきょろと見渡しているのは、恐らく、飛鳥と金村を探しているためだろう。
「……」
 飛鳥は肉付きの薄い唇を引き締めて周囲を見遣った。
 不細工な筋肉で身体をよろったごろつきは全部で十七人。彼らの腰には短いものの剣が引っかけてあり、一般市民への威勢の鼓舞という点では、文句のつけようのない数だし、武器だ。
 そのごろつきどもに殴られたのだろうか、ガラの悪い連中に囲まれた数人の露天商たちは――もちろん、蒸かしイモ屋の男も――鼻と口から血を流していた。引き据えられた彼らの店、商品もまた悲惨なことになっていて、飛鳥が先ほど世話になった男の露店でも、立派なイモが湯気を立てていたあの大きな鍋は引っ繰り返され、中身が無残に地面へぶちまけられている。
 ――飛鳥の眦が厳しく釣りあがる。
「おいボウズ。ヒトにぶつかって詫びもなしたぁどういうこった。第二大陸にゃ、そんな常識もねぇってのか?」
 派手な、趣味の悪い衣装に身を包んだごつい造作の男が、地面にへたりこんでぶるぶる震えている少年の、やや黒っぽい灰色をした前髪をきつくつかみ、上を向かせた。
 親の遣いか何かで来ていたのだろう、少年の傍らには小さなかごが落ちており、その中から転がり出たいくつかの鶏卵が、ごろつきたちの下足(げそく)によって粉々に踏みにじられている。
「ご、ごめ、な……」
 少年は十歳かそこらだろうか、褐色の肌が示すとおり、アルヴェスティオン・バーゼラと人種的に似通った、エキゾティックな顔立ちで、質のよい翡翠を思わせる鮮やかな双眸からは、恐怖の涙が幾筋もこぼれ落ちていた。
 言葉からすれば、少年がぶつかったかかすったかした男、頬に大仰な刃物傷をつけた男が、犯罪者以外にはなれなさそうな顔を捻じ曲がった愉悦にゆがめて笑う。
「ったく、骨が折れるかと思ったぜ、なあ? ガキだからって大目に見てもらえると思ったら大間違いだぜ、ボウズ。お前みてぇな甘ったれたガキにゃあ、大人の世界の厳しさってヤツを教えてやるべきかな」
「はは、そりゃいいや。子どもってのはそうやって大きくなるもんだ、ガツンとやってやれよ。おうお前ら、お前らもヒトゴトじゃあねぇぞ。ここはブレーデ一家の取り仕切る場所だ、俺らの許可なしに店を出そうなんざ考えねぇほうがいい。こいつらみたいになりたくなきゃな」
 ――――その辺りが、飛鳥の限界、堪忍袋の緒の切りどころだった。
 もともと、彼の沸点は、恐ろしく低い。
「うるさい黙れ、いっそ死んでろ」
 声は淡々として、感情の揺らぎというものは一切感じられない。
 断じるや否や、飛鳥は、するりと――素早く、滑らかに、自然に――人の作り出した円の中へ入り込み、まずは幼い少年を虐げている男、少年の傍にしゃがみ込み、彼のやわらかな頬に不細工な剣の刃を押し当て、少年が蒼白になるのを観て楽しんでいる変態の後頭部に、見事としか言いようのない踵落としをお見舞いする。

 ごしん、

 とでも、そのときの音を表現すればいいだろうか。
「ぅぐお……ッ!?」
 飛鳥が履いているのはいつもの黒いブーツ、地球でも愛用していた、特別製の頑丈な代物だ。
「子どもにぶつかられた程度で折れるような軟弱な骨なら、この場で今すぐ粉々にしてやろう。そんな骨、あるだけ無駄だ、無駄。むしろ引っこ抜いてやってもいい」
 ここで飛鳥が全力を出すと本気で殺しかねないため、そこそこ手加減したものの、それでも強烈な一撃だったことは確かなようで、低い呻き声を上げると同時に手足を痙攣させ、白目を剥いて引っ繰り返りかけた男の後頭部を無造作に鷲掴みにし、その身体を引きずって、凶悪で酷薄な笑みとともに恐ろしいことを口にしたあと、彼は眷族の名を呼ばわった。
「金村!」
「……ああ」
 答えた眷族もまた、ごろつきたちが再度ぎょっとしたくらい自然に、密やかに、いつの間にか『輪』の中にあった。
 あまりに突然の出来事に度肝を抜かれたのだろう、飛鳥の周囲では、露天商たちを責め立てることも忘れて、残りのごろつきたちが彼を凝視している。何が起きたのか判然としない、といった風情だ。
 異大陸の少年も、露天商たちも、何事かという目で……ポカンとした表情で、唐突に乱入してきた飛鳥を、恐怖も忘れたように見上げていた。
 不自然な、痛いほどの沈黙が落ちる中、白目を剥いて失神した男の巨体を――その頭を――何でもない風情で引っさげながら、飛鳥は厳しい視線を金村へと投げかける。
「あんた、ヤクザだったんだよな?」
「ああ」
「極道ってのは、何だ」
「……?」
「何の道を極めた者をそう呼ぶんだ。愚者の道か、奢れる者の道か。こいつらをヤクザと呼ぶことに、俺は躊躇わない。俺が出会ってきたヤクザどもは、皆、こんな風に、善良な一般市民の生き血を啜るクソッタレどもばかりだったからだ。――だが、あんたは、どうだ」
「……」
「俺はあんたをただのごろつきとは思わないし、断じたくもない。だが、なら、仁侠とはなんだ、その道を征く者の覚悟とはなんだ。ヤクザ者が本来果たすべき責務とはなんだ」
 厳しい口調だった。
 それを金村の責ではないと理解しつつ、飛鳥の、ヤクザとか暴力団とか呼ばれる連中への憎悪は激しかった。
 この風景を目にした飛鳥の脳裏を、胸中を這い上がったのは、半年ほど前の苦い別れと懊悩の記憶だ。何度夢に観て飛び起きたか知れない、彼をかたちづくる疵(きず)のひとつだ。
 あの連中のお陰で、飛鳥は、味わいたくもなかった別離の痛みを舐め、二度と癒しようのない疵を受けたのだ。彼の声が外見と年齢には似つかわしくないほど低く、どこかしわがれているのも連中の所為だ。
 飛鳥の声音が険を帯びるのは当然のことだったし、その累が元ヤクザの眷族へ及ぶのも仕方のないことだった。
「この程度でしかないのか、ヤクザや極道や仁侠と呼ばれるものは」
 ――――だからこそ、飛鳥は、あの連中と金村とはまったく別の、違う人種なのだという、はっきりした証しを求める。
 半ば以上、問うまでもないことだと思いつつも。
 そして、それを求めようと飛鳥が思い立ったのは、恐らく、金村が姿のいい剣を手に入れたからだった。
 言うなれば、飛鳥はすでに、この金村勇仁という男が進むべき方向をひとつに定めていたのだ。
 それを飛鳥自身が渋々ではあれ納得し、自分もまた相応しくあるしかないのだと決めたのは、それほど遠い昔でもないが、少なくとも飛鳥は、彼我の関係を、『それ』のみと決定づけていた。
「あんたがこれからも俺のしもべを名乗りたいなら、応えてみせろ。ただの馬鹿と仁侠馬鹿の違いを――――拳を以て」
 飛鳥がそう、淡々と……厳しく、きっぱりと断じると、金村は小さくうなずき、そして、かすかに笑った。
 そこには、紛れもない喜色が含まれていた。
 そう、それは、飛鳥が、黒の加護持ちとかそんなものを抜きにして、金村勇仁という人間を『部下』と任じ、命を下した最初の瞬間であり、彼らが正式に主従となった始まりでもあった。
「――――若の命なら、全うしよう」
 答えた金村の言は静かだったが、それはどこか誇らしげで、その中には頑とした強さがある。
 返すと同時に、真紅の髪の眷族は、何の躊躇いもない、無造作な……しかし明らかに幾つもの修羅場をくぐってきたと判る足運びで、ブレーデすなわち馬鹿げたとか愚かなとかつまらないという、そのままにもほどがあるドイツ語的意味を持つ連中へ向かって歩を進めた。
 飛鳥はそのとき、言葉にするなら『流れ』とでもいうのだろうか、運命めいたそのなにものかにぴったりとネジがはまり、必然の響きを伴ってかちりと音を立てたのを聞いた、ような気がした。
「そうだな……確かに、みっともねぇ」
 ブレーデ一家の悪人面を涼しい顔で――傍目には渋くて鋭い無表情だが――見遣りつつ、金村がつぶやく。
 その辺りでようやく我に返ったらしいごろつきたちが、険のある目つきで金村を――飛鳥を睨みつける。
 だが……初対面のときにも思ったことだが、武人以外のなにものにも見えない金村と、人生の落伍者以外のなにものでもないごろつきたちでは、肚の内に呑んだ決意の強さが違う。
「なんだぁ、てめぇは?」
「そのガキの親か、身内か? ガキの不始末を詫びに来たってわけか? ふざけた真似をしてくれるじゃねぇか、ああ?」
「なんだ、その目は。――ん、加護色持ちか、てめぇ。だが……加護色があるってだけじゃあ、どうにもならねぇぞ? この人数とやるってのかよ。腰にゃあ立派なもんをぶら下げてるみたいだけどな、こっちは十五人からいるんだ、まさか勝てるなんて思っちゃいねぇだろうな?」
 口々に言い募るごろつきたち、数の有利さを疑ってもいない連中の目を、それでも時折不安とも怯えとも取れぬ影がかすめるのは、彼らが金村に気圧されているからに他ならない。
 飛鳥は薄い唇、表情の少ないそれを、このときばかりは凶悪な喜悦のかたちに歪めてみせ、
「人糞以下のクズどもに立たせてやるほどここは汚くない。――――殲滅してみせろ、あんたが仁侠の何たるかについて語るべきものを持ち、また、俺の配下として恥じぬ働きの出来る男だと言うのなら」
 そう、傲然と言うや否や、重さにして八十kg強の、意識を失ってぐったりとした男の身体を易々と抱え上げ、
「さあ…………見せてみろ」
 その言葉とともに、巨体をごろつきたちの群れの中へ無造作に投擲した。
「……ッ!?」
「な、――っっ!!」
 ――驚いたのはごろつきたちだ。
 飛鳥は、客観的に観て、自分がたくましくも強そうにも見えないことを理解している。
 彼は決して大柄ではないし、一般的に強面と呼ばれるような、恐ろしげな外見もしていない(眼光除く)。地球の、日本の街にあっては、ごくごく普通の、どこにでもいそうな少年のひとりでしかない。
 その彼が、明らかに自分よりも大きな男、しかも意識を失ってぐったりとした塊を、なんの躊躇も不便もなく、まるで玩具の人形でも投げるかのように放り投げてきたのだ。
 しかもその勢いたるや凄まじく、暴れ牛が突っ込んできたかのような衝撃をもたらし、何人かの男たちは、なすすべもなく『塊』と激突して吹き飛ばされ、『塊』と折り重なるようになって目を回していた。
 その勢いと、ごろつきたちが吹き飛ばされもみくちゃになって転がったことに驚いて、人々の輪が広がる。
 ざわざわと、恐怖のみではないささやきが周囲にこぼれた。
 ちらりと視線をやると、その視界の端で、圓東がホッとした顔をしていた。
「な……なんなんだ、てめぇは……ッ!!」
 幸い――と言っていいのかは不明だが――にも『塊』の被害にあわずに済んだ男が、その他の無事だった連中とまったく同じ、何か得体の知れないものでも見るような目で飛鳥を見、そして上ずった声で詰る。
 飛鳥は何も答えなかった。
 ただ、憫笑とも嘲笑とも取れぬ笑みをうっすらと浮かべ、かすかに肩をすくめてみせただけだ。
「――……そんなことでびびってるようで、どうする。まったく、しょうがねぇ連中だな」
 淡々とした渋い声は、彼らのすぐ傍でした。
「う、うわああっ!?」
 みっともない悲鳴が上がる。
 飛鳥が命を下したのちの金村の行動は、迅速かつ的確だった。
 『塊』の飛来に意識を奪われていたごろつきたち、ブレーデ一家の面々の元へあっさり踏み込んだ彼は、小さな溜め息をひとつ落とし、
「……例えば仁侠を、男の道を極めたとかなんとか云々するつもりはねぇ」
 そう、静かに言って、
「ンだてめ、この……ッ」
 一瞬遅れて彼の存在に気づき、血相変えて殴りかかろうとした男の背後にするりと回り込んで、固めた拳でその首筋を一撃した。
「……っ!?」
 目を見開いた男が、がくがくと身体を震わせながら、言葉もなくその場に崩れ落ちるのを見届けもせず、背後に忍び寄っていたもうひとりの顔面に強烈な裏拳をお見舞いし、野太い呻き声とともに鼻を押さえてしゃがみ込んだ彼を、ごくごく無造作に蹴り倒す。
 更に、前後から殴りかかってきた数人に、見事な――面白いほどのタイミングのよさで拳をお見舞いした。金村の、年季すら感じさせる硬い拳に身体を強打された連中は、地面に引っ繰り返り、またうずくまって、腹や顔を押さえたまま呻いている。
 そして、そこから再び起き上がってくる様子はない。
「やる気か、てめぇ!」
 仲間を数人、あっという間に戦闘不能にされて、ブレーデ一家の面々が色めきたった。中には剣を抜いた者もいる。
 十人ものごろつき、剣という物理的な脅威に取り囲まれても、しかし金村はまったく動じなかった。鉄や鋼を思わせる、静かだが硬質的な眼差しで、殺気立つ男たちを見据えているだけだ。
「ヤクザ稼業なんざ、まっとうな道に生きられねぇ連中の吹き溜まりみてぇなもんだ、仁義だ人の道だ矜持だとやかましく言い立てたところで仕方ねぇ。そんなもんは人間の質と一緒だ、自然と出てくるもんだろう」
 その言が、飛鳥に聞かせようとしているものなのか、それともブレーデ一家のごろつきたちへ向けられているものなのかは判然としなかったが、今の金村は少し饒舌だった。
 ――怒っている時の彼が饒舌になることを、飛鳥は知らないが。
「だが……カタギに迷惑かけんのぁ、ご法度だろう。なぁ?」
「ほざけっ、死にやがれ!」
「弱ぇヤツが悪いんだよ、ここじゃあな!」
「……そうか」
 剣を構えた男がふたり、左右から突っ込んでくる。
 現代日本で言えば、匕首を握り締めた鉄砲玉が突っ込んできたという風情だが、金村は欠片ほども取り乱すことなく、
「なら……俺もその手前勝手な理論を遂行しようか」
 その言葉とともに、それなりにこなれた動きと速さで突撃してきた右の男の足をさっと払い、彼を勢いよく横転させると、ほぼ同時に左の男の手首を無造作に掴み、その手首をきつく捩りながらその足を払った。
 ぼきり、という鈍い音が飛鳥の耳に届く。
「い……いぃ、痛ぇえ……っ!」
「ああぁ……手っ、手が……!!」
 泣き声まじりの悲鳴にふたりを観ると、最初に足を払われた方は、引っ繰り返った拍子に自分の手にした剣でどこかを切ったらしく、地面に血溜まりをつくっていたし、もう片方は人間の関節としては明らかにおかしい方向に手首を捻じ曲げて呻いていた。
「……弱ぇから、悪ぃんだろう? てめぇで、そう言ったじゃねぇか」
 ふたりを見下ろす金村の目は、鋭く冷ややかだ。
 彼もこういう目をするのだと、変に感心させられるほど。
「若」
「ん」
「若に何があってヤクザが嫌いなのかは知らねぇが」
「ああ」
「少なくとも、俺や篠崎組の連中は、若を不快にさせるような、こいつらみてぇなことは一切してねぇぞ。――無論、まっとうな生き方かと問われりゃ、首を横に振るしかねぇが」
「……そうか」
「何をごちゃごちゃ話してやがる! ブレーデ一家に喧嘩売ったこと、後悔させてやるぜ!」
 金村の静かな言を、半ば当然の約束ごとのように聞いていた飛鳥だったが、声を上ずらせた男が、オリジナリティの欠片もない、頭の悪い台詞を吐くと同時に、服の下からクロスボウのようなものを取り出し、その射出口を、他のごろつきたちと向かい合っている金村に向けたのを見るや、眦を厳しくして地を蹴った。
 クロスボウはそもそも、地球の歴史で言うなら、四世紀から十八世紀辺りまでのヨーロッパで盛んに使われた、職業的な訓練を必要としない、非常に扱いやすく威力のある射出武器だが、基本的には一度に一本の矢しか射ることが出来ない。
 その、射出作業に時間がかかるという部分が、クロスボウの致命的な欠陥だったわけだが、しかし、彼が取り出したそれには、十本の矢がセットされていた。弓の形状から言って、連射ではなく、斉射用の武器だ。
 鉄製の矢は決して大ぶりではなかったが、それでも、当たりどころが悪ければ死に至るだろう程度には凶悪な鋭さを持っていた。
「死ね、クソ野郎がっ!」
 喚いた男の指が引き金を引く。
 バシュッ、という空気を切る音がして、鈍く光る鉄の矢が十本、勢いよく撃ち出された。
 距離から言えば、矢は彼の仲間であるブレーデ一家の面々をも(むしろ彼らを主に)傷つけかねなかったが、実際には、その冷たい鉄の矢が、金村やごろつきたちを襲うことはなかった。
「クソは貴様だ、考えなしの度し難い阿呆め」
 何故なら、頭に巻いていた長いターバンを咄嗟にむしり取り、手にした飛鳥が、何の変哲もないその布をまるで鞭のようにしならせて、ほとんどの矢を払い落としてしまったからだ。
 タイル状の石が敷き詰められたフィアナ大通りに、カツンカツンという、鉄が石を打つ音が響く。
 落とし損ねた二三本の矢は、金村たち目がけて飛来したが、それらは、赤い髪の眷族が神技のごとき巧みさで抜き放った美しい剣の一閃によって、まるで紙か木のように斬り払われ地に落ちていた。
 さわさわと人波がざわめく。
「お、お前……」
 クロスボウもどきを手にしたまま、男が震える手で飛鳥を指差す。
 飛鳥は眉を釣り上げ、男の懐にするりと入り込むと、
「蛆虫以下の極小脳味噌の持ち主にお前呼ばわりされる謂れも、不躾に指差しされる覚えもない」
 その言葉とともに、固めた拳で彼を殴り倒した。
 むぎゅ、と表現するのが一番相応しいだろう、潰れたような呻き声を上げて男が引っ繰り返る。鼻を鳴らした飛鳥が彼を見下ろすと、少々力を入れすぎたらしく、白目を向いて失神していた。
 さわさわさわ。
 人々の視線が自分へ向けられているのを感じる。
 ブレーデ一家の連中ですら、絶句しているのが判った。
「……ああ」
 ややあって、飛鳥はその理由に思い至った。
 人々のささやき交わす声が、それを裏付ける。
(あの姿、あの色は……)
(もしかして)
(加護持ち?)
(漆黒の髪と眼……)
(百年にひとりの)
(なんて、美しい黒)
(なんて強い少年だろう)
(黒の加護持ち……初めて見る)
(彼は、この国を護るために?)
(なんて神々しい色)
(ではあれは、加護持ちの眷族か)
 畏怖と憧憬とを含んだそれらに、飛鳥はひっそりと苦笑した。
 正直なところ、そんなご大層なものではないのだが。
 だが……そのお陰で、騒ぎが鎮静化するのはいいことだとも思う。
 人通りの多い場所で刃傷沙汰など、一般人を巻き込みかねない行為は避けるべきだと思うからだ。
「……二度は訊かんからよく聞け。それでもまだ、やるのか」
 飛鳥が冷ややかに細めた漆黒の目で、まだ無傷な男たちを睨み据えると、彼らは顔を引き攣らせた。更に、追い討ちをかけるように、金村がバーディア・クロムの手になる剣を流麗な動きで構えてみせる。
 無数の目が、半分に減ったブレーデ一家の面々を、非難を込めて見る。
「……くそ……ッ」
「覚えてやがれ、この借りは必ず返すぞ……っ!」
 群れる者の習性で数には弱いのだろう、圧倒的不利となった彼らはセオリー通りの台詞を吐くと気を失った仲間を担ぎ上げ、傷を負った者には肩を貸して――仲間を見捨てて逃げないだけまだ根性があると言うべきか――、まさにほうほうの態というのが正しい姿でフィアナ大通りから逃げ去って行った。
 あちこちから歓声が上がる。
「脳味噌に不自由してる連中にしてやられるほど俺はお人好しじゃない、言っておくが次はないぞ。――つっても、聞いてないか」
 独白ののち、飛鳥はターバンを頭に巻き直す。今更ではあるが。
 露天商たちが顔や身体をさすりながら立ち上がるのが見えた。
「……まったく、要らん時間を食ったな」
 飛鳥はひとつ溜め息をつくと、まだ呆然としている少年へ手を貸すべく、地面に座り込んだままの彼へ向かって一歩踏み出した。