グリューナたちに誘われ、飛鳥が、神殿と呼ばれる三つの建築物のうち、中央の建物へ踏み込むと、漆黒のガラスで覆われているはずなのに、そして照明らしきものも見当たらないのに、中は適度な明るさに保たれていた。
少なくとも、たとえここで広辞苑を熟読したとしても、文字を追うのに何ら不便を感じないだろう。
中は広く、とても静謐だった。
音だけでなく、内部のすべてが静かだった。
そこは、黒と白と灰色、あとはわずかな青で統一された、静かなトーンの、大学の講堂のような場所だ。
緩やかな円形を描いた、百や二百どころかその十倍程度の人間がいちどきに押しかけたところで何ら窮屈さを感じないであろう広さの、部屋というカテゴリでくくっていいのかすら微妙な場所だった。
事実、なにかの講話が行われるところなのだろう、部屋の最前中央は一段高くなっていて、更に教壇のようなものがあり、その教壇を囲むように、木造の――これも艶のある黒に塗られていた――据付椅子が設置されている。
何かを髣髴とさせると考えて、少ししてから教会の雰囲気に似ているのだと思い立った。飛鳥本人はまったく縁がない場所なので、思い出すまで時間がかかったわけだ。
迎えの人々が色とりどりの鮮やかな出で立ちだっただけに、神殿内部の、色合いにおける静けさは際立っていた。
ふと天井を見上げると、広々としたそこには、こちらの世界における宗教画だろうか、やはり教会を思わせるステンドグラスのようなものが幻想的に浮かび上がっていた。
漆黒のガラスで覆われた外壁からどうやって光を通し、この細工絵を浮かび上がらせているのかまでは判らなかったが、そんな仕掛けなど理解できずとも、ステンドグラスに描かれた世界の美しさが損なわれることはなかった。
中央で手を取り合う男女、黒髪に黒目のふたりが黒き双ツなる神と呼ばれる雷神だろう。筆で描いたものでないことは確かなのに、その描写は恐ろしく緻密で美しかった。いったいどんな匠が心血を注いで創り上げたのだろうか、と飛鳥は思う。
雷光、稲妻を模した金銀が、荘厳かつ美麗に二柱の神を彩り、その周囲には、ふたりを守るように、二組四人の、やはり黒髪黒目の男女がひざまずいている。これが恐らく黒の精霊王だ。
黒髪黒目の飛鳥は、この雷神か、もしくはその配下である黒の精霊王たちの加護を受けている、ことになっているらしい。
更にその周囲では、様々に色鮮やかな――しかし気品のある――花や鳥とともに、背中に漆黒の翼を持った、いわゆる天使と呼ぶのが相応しいであろう生き物が優雅に舞っている。
宗教画以外のなにものでもない絵だったが、それは、信仰という不可視不可触の存在へ身を捧げるものが描く神々の世界の大抵がそうであるように、慈愛と希望に満ち、荘厳で静謐だった。
神を信じない、必要としない飛鳥にすら、緩やかな微笑をもたらした絵だった。
「加護持ち殿。――――アスカ様?」
立ち止まって天を眺めていた飛鳥に気づかず、数歩を進んだグリューナが訝しげに彼を呼ぶ。背後につき従っていた迎えの人々からも、不思議そうな視線が寄せられた。
飛鳥は肩をすくめた。
「呼び捨てでいい」
「しかし、貴い加護持ちたる方を……」
「というより呼ぶな。様付けされるとむず痒い」
「……判りました。あなたは、変わった方ですね。わたくしがこれまでにお会いしたいかなる加護持ちとも違っておられる」
「褒め言葉と受け取っておくさ。で、どっちだ?」
「はい、こちらです」
「ああ……そうか。単なる講堂かと思ったら、別の部屋にもつながっているんだな」
「そうですね、ここは高位神官たちが訓(おしえ)を垂れる堂であるのと同時に、神殿本体への入口です。あの扉を超えていただくと、神殿深部へつながる小回廊へ出ます。資格なき者は、それがたとえ王であれ貴族であれ、なんぴとたりともその先へ進むことは出来ません。偉大なる神威によって阻まれてしまうからです」
「なるほど。その神殿深部に、その巫女姫とやらがおわすのか」
「はい、そして黒双神の聖遺物が納められた神室とがございます」
「……なんともご大層なことだ」
「は? 何か仰いましたか?」
「いや、なんでもない。とっとと行こう、時間を無駄にしたくない」
宗教、信仰などというものとは無縁の生活をしていた飛鳥には想像もつかないややこしい世界に、彼はちょっと呆れたが、しなくてはならないことがあるのも事実なので、グリューナを急かして講堂を進む。
普段と勝手が違うのだろう、グリューナは不思議そうな表情のまま、飛鳥の催促に頷いて再び歩き出した。
そもそもこの世界の理のなんたるかをあまり理解していない人間が相手では確かにやりにくいだろう、と飛鳥自身も思う。思ったからといって何が改善できるわけでもないが。
神殿深部へ向かう『扉』は、『教壇』の背後にあった。
ぴっちりと閉じられているうえ、壁と同じ漆黒なので、判りにくいことこのうえないが、そこには確かに、単なる装飾上の線ではない、厚みを感じさせる切れ目が入っている。
取っ手も引き手もなく……というより出っ張りが一切なく、切れ目がなければ壁と言って差し支えないそれに、いったいどうやって開けるのかと内心で首を傾げていた飛鳥だったが、
「では、ご案内いたします」
一礼して言ったグリューナがその『扉』に触れると、彼の指先がほんのわずかな光を放った、と思うと同時に、壁の切れ目に白い光の線が走った。
なにごとかと瞬きをする飛鳥の目の前で、自動ドアよりも滑らかに、漆黒の壁の一部分がするりと動き――いや、動いたというよりは、『扉』の部分が壁の中に吸い込まれたというべきか――、つい先刻まで明らかに壁でしかなかったもののその向こう側に、淡く光を放つ漆黒の回廊を浮かび上がらせていた。
何から何まで黒なのかよ、なんか景気悪いな、とはそのときの飛鳥の内心だが、回廊にせよ神殿にせよ、髪から目から出で立ちから(そして中身から)真っ黒な飛鳥には言われたくなかったかもしれない。
「どうぞ、こちらへ」
「ああ、判った」
頷いて、回廊へ踏み込むと、グリューナがその後に続き、更にその後ろに神官たちが続いた。
しかし、振り返ってみたところ、騎士たち兵士たちは『扉』の向こうに一糸乱れぬ立ち姿で待機したままこちらへ入ってくる様子がなく、飛鳥はかすかに首を傾げた。
無論、ぞろぞろついて来られても面妖だし鬱陶しいだけなのだが、先刻まで金魚のフンさながらの密着感で背後にいたものが、唐突に――あっさりと動きを止めるのも妙な気分だった。
「あいつらはあそこでお役ご免なのか?」
気になるものは気になるのでグリューナに尋ねてみると、ああ、と微笑した神官は、
「ここから先は許しを得たものしか入ることが出来ませんから。神殿深部に入ることができる武属、つまり巫女姫さま直属の守り手は神衛騎士だけです」
当然の理を告げる口振りでそう言った。
不可思議で面倒臭い世界だ、と飛鳥は胸中に思う。
地球という世界の、日本という国が、表向きではあれ、どれだけ公平で分け隔てがなかったか、今更のように思い知らされる。
もっとも、ぐちゃぐちゃ考えても埒があかないので、その件にはさっさと見切りをつけ、グリューナの背を追って歩き出す。
「……面白い材質だな」
小回廊と紹介された廊下は、神殿の外壁と同じ、漆黒のガラスを髣髴とさせる光沢の、しかしガラスではない、貴石か半貴石、もしくは貴(希)金属と思しき何かで出来ていた。
外壁と少し違うのは、壁や床に使われたそれらが、淡くやわらかな光を放っていることだろう。
光を蓄える性質を持ったものなら飛鳥たちの故郷にも色々あるが、こんな、ごくごく自然に、しかも蓄えるというより発光する鉱石鉱物というのは、過分にして聴いたことがない。
「……ああ」
それゆえの飛鳥の言だったが、目を細めてその光を見つめたグリューナは、
「今日はひときわ美しく輝いていますね。アスカ、あなたがおられるからでしょう」
またしても面妖なことを言った。
飛鳥の眉根が寄る。
「俺がいると何故光る」
「ああ……そうか、アスカは遠方から来られたとお聴きしていますから、ご存じないかもしれませんね。神殿の外壁にも使われているこれは、黒擁石(こくようせき)と申しまして、我が国ではお守りなどとして珍重されている鉱石です。この黒擁石は、実は、微量ではありますが黒神晶(こくしんしょう)を含んでいるのです。黒神晶は黒双神の神威を宿した神聖で稀少な貴石ですから、黒神晶を含有した黒擁石が、黒の申し子たるあなたの訪れを喜んで輝くのは当然のことなのですよ」
「なのですよとか言われてもな。……意味が判らん……」
飛鳥はなんとも珍妙な心持ちになった。
たかが鉱石、無機物が、ただ単に生まれつき黒目黒髪だっただけの(そしてそれはアジア圏内ではごくごく普通のことなのだ)飛鳥の来訪を喜んで光っているというのだ。
だからお前は何がしたいんだと問い詰めてやりたい。無機物だが。
世界の差異がここまで文化や風習の違いを生むことについては、確かに興味深くはあるが、自分がその当事者となると妙な気分だ。カルチャーショックと言って間違いない。
そんなわけで、動じない彼にしては珍しく驚かされ、この分だときっとまだまだこの世界には度肝を抜かれるような風習があるんだろうな、などと考えつつ仄かに明るい回廊を歩いていた飛鳥だったが、その回廊の終わり、更に深い漆黒の広がる付け根の部分に、背後にきっかり十人の騎士を従えた女が立っているのを目にとめて瞬きをした。
同じことに気づいたらしいグリューナが、
「……巫女姫様」
そう、低くつぶやく。
女は――というより、娘だ――美しかった。
もう何度その単語を脳裏に展開したか判らぬほどだが、巫女姫と呼ばれた娘、年の頃にして十代後半であろうと推測される彼女は、この世界に来て十数日、眷族という呼称が定着しつつあるふたりの同郷人以外ではついぞ目にすることのなかった、輝くような漆黒の瞳をしていた。
確かにそれは、神秘的で美しかった。
娘の顔立ちは高貴で、アーモンドのような美しい流線型を描いた目と柳刃のように整った眉の配置も完璧だし、小さな唇は陳腐な表現をすれば薔薇のようだ。肌は透けるように白く、濃い黄金の髪はつややかで豊かだった。
畏敬の念を感じさせるほど深い漆黒の双眸は、彼女の、浮き世離れした神々しい容色によく似合っている――もっとも、飛鳥がこの世界で一番神秘的で美しいと思ったのはレーヴェリヒトの顔だが――。
娘は多分、飛鳥よりひとつかふたつ年上だ。
小柄ではないが華奢な肢体、有り体に言えば豊満ではない身体を、白銀糸で流麗な縫い取りのされた黒いドレス、見ただけで極上のものと判る絹のそれに包んでいる。
娘は飛鳥と目が合うと、無表情に近かった面にゆるりと微笑をのぼらせ、ドレスを優雅につまんで美しく一礼した。
背後の騎士たち、恐らくこれが神衛騎士と呼ばれる神殿深部に入ることを許されたものたちだろう、先刻の騎士や兵士たちとは一線を画した雰囲気と出で立ちと立居振舞の持ち主たちが、姫君のそれにならって静かな一礼を寄越す。その動きは、一般騎士たちとは比較にならないほど整っていた。
手には、剣や槍ではなく、先端に黒擁石製と思しき菱形の突起物のついた、二メートル弱の棒を手にしている。托鉢の修行僧が持つ錫杖を思い起こさせる棒だが、先端の『飾り』がやけに攻撃的な形状をしているように思えるのは、飛鳥の気の所為……ではないだろう。
当然、騎士というからには、暴力沙汰が大の得意に決まっている。偏見も入っているが。
「中央黒華神殿へようこそ、黒の申し子よ。ご来訪を歓迎いたします。わたくしは中央黒華神殿の巫女、エーヴァンジェリーン・ララナディア・エーポスと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
銀の鈴を打ち震わせるごとくに佳麗な声で歓迎の言葉を紡ぐ彼女の、神秘的な美貌の端に、ほんの一瞬、敵意めいた色彩がかすめたような気がしたが、次の瞬間にはその色彩は淡い微笑へ取って代わられ、それが現実だったのか確かめるすべはなくなってしまった。
「ご足労をおかけいたしました、主事様、神官の皆様方。ここから先はわたくしがご案内いたしますゆえ、どうぞお戻りくださいませ」
「はい、承知いたしました、姫様。それにしても、姫様がかような場まで出てこられるとは、この加護持ち殿はずいぶんと買われておいでのようです」
「ええ……そうですね、百年にひとりの椿事ですもの。手厚くおもてなしをしなくては」
「まったくです、それがリィンクローヴァの平和と発展のためというものでしょうから。それではアスカ、わたくしどもはこれにて失礼いたします。何か御用の向きがございましたら、いつでもお呼びくださいませ」
「ああ、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。加護持ち殿に礼を言われるのはくすぐったくて面映いですね」
穏やかに笑ったグリューナが一礼とともに身を翻すと、結局まともには言葉を交わすことすらなかった神官たちが神官主事にならって一礼し、静かにその場を辞した。
残された飛鳥は、無遠慮に周囲や巫女姫や神衛騎士たちを観察しつつ、黒擁石とかいう得体の知れない鉱物で出来た回廊が、やわらかな光をあちこちからこぼすのを感じていた。
「では……参りましょうか。こちらへどうぞ」
ドレスの裾を翻したエーヴァンジェリーンが、濡れたような漆黒の視線でもって飛鳥を促す。
――やはり、そこにいくばくかの敵意、粘着質のそれが感じられて、飛鳥は胸中に首を傾げた。
彼女とは間違いなく初対面だ。
そもそも一度観た顔を忘れるほど腑抜けてはいないという自負もあるし、なによりこんな特徴的な――といっても、この世界においては、だが――色彩を目にして忘れるはずがない。
それが何故、湿った敵意など向けられなくてはならないのか、まったくもって予測がつかない。
わずかに可能性として思い当たることといえば、彼女の名乗ったエーポスという姓が十大公家のひとつであることくらいだ。エーポス家の当主は祭務大臣、宗教や信仰に関わる諸々を司る部署の長を務めていると聞いたから、恐らく彼女の出自に関する予測は間違っていないはずだ。
直系ではないかもしれないが、彼女が大貴族の一員なら、国王陛下が友人などとのたまって連れ帰った得体の知れない不審者を敵視するというのも納得は行く。
上流階級とかいう連中の人間関係ってごちゃごちゃして面倒臭いな、などと思いつつ、何故か妙にこちらを伺っている神衛騎士たちに半ば囲まれるようにして――まるで凶悪犯でも護送しているみたいだ、というのが飛鳥の正直な感想だった――、やはり黒擁石製らしい、ほの明るい廊下を数分歩くと、唐突に広い、天井の高い部屋へ出た。
さすがに先刻の講堂ほどの広さはなかったが、少なくとも小学校の体育館が二つくらいは入るだろう。材質はやはり黒擁石だ。
壁の全面に、先刻の講堂にあったものより荘厳で緻密なステンドグラス状の絵があり、いったいどこから光が射し込んでいるのか、男神と女神と精霊王、天使たちの姿が美しく浮かび上がっていて、四方に幻想的な空間を創り出していた。
田舎者よろしく周囲をあちこち見渡していた飛鳥は、部屋の中央に、直径一メートル、全長二メートルほどの、漆黒の――驚くほど透き通った、光沢のある――柱、真っ黒な水晶の巨大な塊をカッティングも研磨もなしに運び込んだかのような、自然そのままのゴツゴツとした、しかしなにものにも代え難いほど美しいモニュメントの存在があることに気づいてそれに釘付けになった。
この世界に来たお陰で様々な美しいものを目にする幸運に巡り会った飛鳥だが、そのモニュメントはただそこに佇んでいるだけで、思わず居住まいを正したくなるほど荘厳で神々しかった。
黒擁石と似た鉱物なのだろう、それは深い漆黒にやわらかな光を内包し、辺りを静かに照らしていた。
これなら確かに人工の照明は要るまい。
そのモニュメントを四方から囲むように、祭壇とも石製ベッドとも取れぬ台が設置してあって、その更に八方を、同じような台が囲んでいる。石はどれも黒擁石という光沢ある漆黒の石だ。
天井に使われているのは純度の高い黒擁石なのだろうか、小回廊で見たものよりも強い、しかし目を射ることのない光が降り注ぎ、部屋は漆黒に覆われていながら明るく、穏やかで静謐だった。
観れば観るほど黒い、飛鳥の感覚的には不景気極まりない部屋だったが、観れば観るほど美しい部屋でもあった。
部屋の中央、あの奇妙で美しいモニュメントの傍へ辿り着くまで、エーヴァンジェリーンはまったくの無言だったが、その横顔からは、彼女が何かを思案している様子が感じられた。
モニュメントがふわりと輝き、飛鳥がそれに見惚れていると、祭壇かベッドか判然としない石の台を白い繊手で撫でていたエーヴァンジェリーンがゆっくり振り向いた。
「……アスカ様」
「呼び捨てでいい」
「――では、わたくしのこともエヴァと」
「ああ。それで……何だ」
「はい、不躾を申しますが、お召し物を取っていただけますか。上だけで結構ですので」
「ああ、検査というヤツか。なら、すまないが、頼む」
飛鳥は巫女姫の言葉に頷いた。
アジアっぽい作りになっている上着の腰紐をほどくと無造作にそれを脱ぎ、下に着ていた、手触りの気持ちいいシャツもひょいと脱いで、騎士のひとりが差し出したかごにそれらを突っ込む。
職業柄……といっていいのかは微妙なところだが、恐らく世俗から切り離された生活をしている所為だろう、巫女姫は、年頃の女性らしくない沈着冷静な目で、取り乱すでも恥ずかしがるでもなく飛鳥が服を脱ぐのを見ていた。
そうして現れた彼の身体に、数人の神衛騎士から感嘆の溜め息が漏れる。
――彼の肉体は鋼のようだ。
幾度もひどい怪我をしているわりには、その健康的な肌は滑らかで、傷痕ひとつ残っておらず、強靭なまでの張りがある。
無駄な脂肪など一片もなく、決して大柄ではないがこれ以上望むべくもないほど引き締まり、実用本意に鍛え上げられていながら、少年らしいしなやかさまで残したそれは、飛鳥本人はあまり意識してはいなかったが、類を見ないくらい完成された美しさを持っていた。
それは、武の道に生きる者が、自分もこう創り上げられたいと願ってやまない肉のかたちだった。
もっとも、体脂肪率数パーセント(しかも四捨五入すると0%になる程度には低い)という筋肉率の高さのお陰で寒さにはあまり強くないうえ、思い切り水に沈むので――ゲマインデの刺客に川べりまで追い詰められた時、水に飛び込んで逃げるという方法が取れなかったのはその所為なのだ――、飛鳥本人は、両極端すぎるのもどうかと思っている次第なのだが。
騎士たちの賞賛の視線を何でもない風情で浴びつつ、エーヴァンジェリーンの次の言葉を待っていた飛鳥は、かすかに眉をひそめながら彼を凝視する巫女姫に、
「アスカ。つかぬことをお訊きいたしますが、お怪我なさったというのは、どの辺りでしょうか……?」
そう問われて首をかしげた。
「ここだ。左の、肩と腕の付け根辺り。異形の、《死片》とかいうものを喰らった」
「《死片》のかたちはいかようでしたか」
「とげか、針みたいだった。針といっても、ちょっとした杖くらいの太さはあったが」
「……本当に、それを、そこに受けられたのですね?」
「まぁ、俺と眷族、レイと双子異形と騎士たちがそろって白昼夢を見ていたのでなければ、事実だと思う」
「そう、ですか……」
エーヴァンジェリーンはなおも何かを思案しているようだったが、やがて唇を小さな笑みのかたちにすると、背後に控える神衛騎士たちに漆黒の視線を投げかけた。
目配せとも呼べないほどかすかな合図を受けた途端、騎士たちが鋭い緊張を走らせたのが飛鳥にも感じ取れた。
いったい何が始まるのかと周囲の様子を伺う飛鳥に、エーヴァンジェリーンがまばゆく輝く双眸を向ける。
「――ひとつ、お尋ねしてもよろしいですか」
「俺に答えられることならな」
「ええ、もちろん。国王陛下、レーヴェリヒト・アウラ・エスト様とあなたのご関係を教えていただきたいのです」
「俺とレイ? 決まってる、友達だ」
飛鳥の答えは端的で、潔く、そしてどこか誇らしげだった。
あまり感情を含まない喋り方をする彼のことだから、よほど親しいものにしか感じ取れなかっただろうが。
しかし、彼がそう言った瞬間、周囲の騎士たちが、怒りとも困惑とも諦観とも違う、複雑な感情の波をまとったことに飛鳥は気づいていた。
エーヴァンジェリーンの笑みが深くなる。
赤い唇が、はっきりとした弧を描く。
――――彼女の目には、敵意と、怒りと、そして隠しようのない嫉妬が含まれていた。
「では、わたくしはあなたに罰を受けていただかなくてはなりません」
「……何の話だ」
「すべてが終わったあとに話して差し上げましょう。大丈夫、レヴィ陛下の大切なお友達ですもの、命までは取りませんから」
「…………」
飛鳥が、コミュニケーション断絶状態のエーヴァンジェリーンに目をすがめると、彼女はにっこりとあでやかに笑い、白い繊指を掲げて、周囲の、背後の騎士たちに合図を送る。
途端に、十人の神衛騎士たちが殺意に近い闘気をまとった。
「……俺は別に、騒ぎを起こしに来たわけじゃないんだが」
「騒ぐ暇(いとま)などありませんよ。わたくしの騎士たちは優秀ですから」
「そうか、そりゃ安心だな」
飛鳥は微妙な返答とともに複雑な溜め息を吐いた。
そして、こちらとの距離を縮めてくる神衛騎士たち、飛鳥と同じく複雑な表情をした彼らを観察する。騎士たちはどうやら乗り気ではないらしいが、巫女姫の命に逆らおうという意志は感じられなかった。
「せめて、お薬を用意しておきますからね。少し、我慢なさって」
どこか楽しげなエーヴァンジェリーンの声を脳裏に聞きつつ、飛鳥は、神衛騎士たちが、手にした棒――これの正式名称が黒擁枝(こくようし)、通称が懲罰杖(ちょうばつじょう)というのだと飛鳥が知るのは後のことである――を振りかぶるのを、特に取り乱すでもなく見つめていた。
――無論、黙って殴られてやるほど、飛鳥は人間ができていない。