翌日の朝のことだ。
 冷ややかかつ激烈な復讐心に心を滾(たぎ)らせつつ――もっともそれは、自分の眷族、罪のない人間を傷つけられた義憤と言うよりは、自分だけが許される行為を他のどうでもいい連中に働かれたことへの怒りと表現するのが相応しかったが――、表面上はまったくの無表情のまま、飛鳥はハイリヒトゥームを待っていた。
 昨日散々な目に遭った圓東に関しては、一応大事を取ってしばらくトレーニングを休ませることにして、様々な薬効を持つたくさんのハーブできちんと治療を受けさせた。
 無論、この世界には魔法という便利な技術が存在するわけで、ハイリヒトゥームやアルディアに頼んで癒してもらってもよかったのだが、外部からの不自然な力に頼りきることは、本人の治癒力を低下させるような気がしたので実践はしていない。
 何にせよ、飛鳥が飛鳥である限り、そしてそれに反発する人間がいる限り、昨日のようなことは今後何度でも起こり得るだろう。
 言動を改めるつもりは一切ないが、もう少し周囲に気を配る必要性があるな、などと思いつつ、飛鳥は本に目を落とした。
 世界一との呼び名も高い魔導師ハイリヒトゥームに王城とゲミュートリヒ往復の送り迎えを頼むのが日常なら、彼を待つ間、いつもの居間で本を読むのも飛鳥の大切な日常だった。
 本の手触りと匂い、紙面に躍る文字は、飛鳥を穏やかにし、また、深い充足を与える。
「……至福だな」
 ぽつりとつぶやき、文字を追う。
 朝食後の、ゆったりとした穏やかな時間の中、今日の飛鳥が読んでいるのは百科事典だ。バタバタした所為で忘れたり思わぬ邪魔が入ったりで先延ばしになっていたものを、ようやく界神晶について調べる機会を得たのだ。
 知ってどうなる、どうするという目的があるわけでもないが、知ることそのものに大きな重要性を見出す飛鳥は、また邪魔が入らぬうちに、と、もはやすっかり見慣れた、手書きの流麗な文字を読み、お目当ての項目を探してページを繰る。
 それはあっさりと見つかった。
 世界共通語でならばヴィア・ラナ、古代語ならばエーデル・ヒルフェ。
 訳せば界神晶。
 この百科事典がアルディアの言うところの『世界一の』質を誇るものだからなのかどうかは判らないが、界神晶の項目は、およそ五ページにも及んでいる。機能や謂れや伝説などを詰め込むうちにこうなったものであるらしい。
 米や麦の粒のように小さな文字を、指先でなぞるようにしながら読み進めるうち、飛鳥の薄い唇に奇妙な笑みが浮かんだ。
「ふむ?」
 指先を頤(おとがい)に当て、独白したあと、
「これが本当だとしたら、面白いな。――役に立ってくれそうだ」
 右手の人差し指を目の前に掲げてまじまじと見詰める。
 ソル=ダートの部屋で観たあの穏やかな漆黒か、レーヴェリヒトの背に踊る二対四翼の痣のような、光沢のある漆黒が、窓から差し込む朝の陽光を受けて静かに輝いている。
 それに意識を凝らすと、確かに静謐な力がたゆたっているのが判る。
「あとは……御使い、と……」
 世界共通語で言えばロア・テーラ、古代語で言えばエル・デ・ナ・ヴェルトとなるその単語が載っているページを求めて事典を繰る。
 界神晶を持つ者イコール御使い、御使いに膝を折られた王イコール世界の覇者という図式は、この世界においてはごくごく普通の常識のようだったが、数千年に及ぶこの文明の中、十数人の御使いの記録があるものの、彼らが必ずしも界神晶を持っていたかと言うとそうではないようだった。
 乱世が始まってからの三千年間、御使いらしき人間は何人も顕れているものの、何かの妨害が入っているのか、それとも力が及ばなかったのか、その御使いが付き従った王たちは、確かに国を大きくすることは出来たようだったが、完全に世界を統一するという偉業はまだ成し遂げられていないらしい。
「ああ、あった」
 三千年前以前の記録、そんなものが残っていること自体が飛鳥には驚きだが、その中には、前文明を統一した王と、彼に仕えた御使いの記録が記されていて、その御使いは界神晶の持ち主だったようだ。
 こちらもまた、この世界においては様々な伝説や謂れを持つ存在なのだろう、なんと七ページに渡って細々と説明がなされていた。
 それを読み進める飛鳥が、今度は苦笑したのは、自分がそれなのだと言われても到底信じられないような、そこに、ソル=ダートの長い歴史の中に顕れた何人もの御使いたちの、華々しく麗しい、まさに神話そのものの活躍が綴られていたからだ。
「……なんかの間違いだな、多分」
 心の底からつぶやく。
 何せ彼の黒目黒髪はほとんど偶然(人種的には必然)でしかないのだ。その偶然から加護持ちと称されたに過ぎない彼が、今度は世界を平和に導く御使いだなどと、胡散臭すぎて笑えてしまう。
 ――恐らく、あの部屋に迷い込んだ飛鳥を面白がったソル=ダートが、何かの足しにと与えてくれたのだろう。
 その程度のことなのだろうと思う。
 もちろん、与えられた面白い力を使ってレーヴェリヒトを助け、リィンクローヴァを発展させることに否やのあろうはずもないが、まさか、『神々の与え賜うた軍勢を率いて唯一の王に仕え、彼を世界の覇者にする』だとか、『王の敵を神の御業の妨害者と断じ、その絶大なる力を持って粉々に撃ち砕いた』だとか、そんな人外魔境めいたことが飛鳥に出来るはずもない。
 ソル=ダートの言った界神晶を調べてみろという言葉は、その辺りの事柄、この世界において人々が抱いている認識を理解しておけという意味だったのだろうと自己完結した飛鳥は、ひとまず百科事典を閉じた。
 多分、もうじき迎えが来る。
 ハイリヒトゥームの時間は非常に正確だ。
「今日は確か、古代言語学の権威とかいう爺さんが言葉を教えてくれるんだったよな」
 古代語が完璧に判るようになったら今度は古文書の類いを死ぬほど読み耽ろう、などと思いつつ、飛鳥がリビングにしつらえられた大きな本棚に百科事典を戻していると、
「おお、ここにおられたか、主殿(ぬしどの)」
 低くて渋い、穏やかな声がして、六十後半から七十前半と思しき老人が部屋に入ってくる。真紅の、色鮮やかで表情豊かな目には、陽気で闊達な光が輝いていた。
 老人とはいってもその身体のどこにも衰えは見受けられず、むしろ屈強ですらあるその肉体は四十代と言っても通用するだろう。
 なめした革のような、よく日焼けした血色のよい肌には艶と弾力があり、美男子とかそういう表現は当てはまらないものの、笑うと目尻に皺が寄る様などはひどく魅力的だ。
 きっと、若い頃には、たくさんの浮名を流したことだろう。
「ん、あんたか。どうかしたか?」
「いや、なに。主殿と話がしたいと思ゥてナ」
「ふむ?」
 バドと名乗る老細工師、この先、七八割の確率で圓東の雇い主となるだろう人物の言葉に、飛鳥はかすかに首を傾げた。
「一緒に帰るんだから道々話せばいいじゃないか、ってのは無粋なのかな。そういう類いの話か?」
 飛鳥が言うと、バドの目尻に深い皺が寄った。
「鋭いナ。さすがは加護持ち殿」
 飛鳥は肩をすくめる。
「加護持ちだから鋭いわけじゃない。それで、一体何なんだ?」
「おお、そうよナ。昨日の、キースのことよ」
「ああ」
 頷くと、バドが少し表情を改めた。
「主殿は、キースのことをこれからどうなさるおつもりなのかと思ゥてナ」
「……うん?」
「ワシには主殿のお考えは判らぬがナ。誰も彼もが主殿のように強くはあれぬ。否、主殿のごとき強さは稀有なのだ。特にあの子は繊細だ、今後あのようなことが続けば、せっかくの腕前に迷いや濁りが出るやもしれぬ。ワシはそれが心配なのよ」
「アイツのために、権力に阿(おもね)り周囲の機嫌を取るような、萎(しな)びたような生き方をしろと?」
「そうは言わぬ。それは主殿を殺してしまうだろう、そのくらいのことはワシにも判る。そしてあの子もそれを望みはせぬであろうナ。だが……強い光が深い闇を生むことを、それが主殿のみならずその周囲の人間まで傷つける可能性があるということを、心のどこかに留めておいてほしいのだ」
「――あんたの言いたいことは、判る。昨日のあれは、確かに気の毒な話だったな」
 バド老人の言葉からは、彼が圓東を、まだ本決まりではないものの弟子の職人という意味合いと、それと同等に孫のようなという意味合いで可愛がっていることが感じ取れた。過去に色々あったらしい圓東が、バドを無条件で慕っていることも判る。
 人が人を思う気持ちを無下にすることは、飛鳥の望むところでは決してなかったが、それでも、この生き方を今更変えられるはずがないのだ。
 圓東が圓東鏡介としてしか生きられないように、彼には彼の生き方があり、その生き方を全うすることでしか充足を得られないように、飛鳥は雪城飛鳥としてしか生きられず、それ以外の生き方で満ち足りることもない。
「あの子は戦うためには出来ておらぬ。あれは、創ることでしか輝けぬ類いの人間だ」
「それはよく判っている。俺が、創るためには生きられないように、アイツも戦うためには生きられないだろうな」
 その差異、その意味、意義の違いを、飛鳥は理解している。
 ヴェーエトロース・ソガエ・ラムペが差し向けたごろつきが、下手をすると、圓東からその意義や意味を奪いかねなかったことも、これから先も奪いかねない危険性をはらんでいることも。
 バドがそれを憂慮し、そのために飛鳥に話をしに来たことも。
「……あの子は、主殿には言うてくれるなとワシに懇願した」
「ああ、知っている」
「あれは優しい子だ」
「そうだな」
「弟子など取るつもりはなかったが、あの子と会(お)うて気が変わった。若さとはまぶしいものよナ」
「年寄り臭いぞ、爺さん」
「事実、年寄りじゃもの。のう主殿、たかだか十日でと笑われるやも知れぬがナ、ワシはあの子が心底可愛いのだ」
「――ああ」
「キースの手指の巧みさは稀有だ。あれは神に愛された才なのだろう。だが、それがなくとも、ワシはあの子が可愛い。爺の戯言とお笑いになるがいい、だが重ねて頼む。どうかキースを守ってやってくれ」
 ルビーのような真紅の双眸が、真摯な輝きとともに飛鳥を真っ向から見据える。
 飛鳥は肩をすくめた。
 バドに言われるまでもなく、圓東は飛鳥の眷族だ。もはやそのことについては諦めもついているし、その事実を翻すつもりはない。
 そして、身内を守るのは飛鳥の務めのひとつだ。彼は、己が懐に入ることを許したものを傷つける、無粋で無礼な輩を決して許しはしない。
 だから飛鳥は晴れやかに――どこか黒く笑い、なら、と言を継いだ。
「さっさとあいつを正規の弟子にしろ」
「……?」
「心配なら、目の届く範囲に置いておけ。何せ、俺は忙しいんだ」
「無論、あの子を弟子として取るに否やはない。だが、」
「あれは俺の眷族だ」
「……ああ、それは存じておるが」
「身内というのは、俺だけが自由にしていいモノの総称だ。あれを痛い目に遭わせていいのは俺だけだ。俺は俺の身内に手を出すものを決して許しはしない。――バド爺さん、これは誓いだ、判るか」
「……」
「馬鹿に口で言ったところで通じるまい、だから俺は、あの無礼な馬鹿を完膚なきまでに叩き潰そう。二度と俺に牙を剥こうなんてふざけた考えが起こらないように、粉々にしてやろう」
 きっぱりとしたその物言いに含まれるのは、つもりだとかそうなるといいだとかいう曖昧なものではなく、そうするのだという強い意志だけだ。
 ――そうすることでしか、飛鳥が飛鳥らしく彼の道を行きつつ、非力な身内を守ることは出来ないのだ。
 攻撃は最大の防御だという言葉を、飛鳥は至言と感じる。
 あまりにも攻撃一辺倒の飛鳥に、バドはしばらく絶句している様子だったが、ややあって苦笑し、頷いた。
「主殿にはそれが一番似合うようだナ」
「似合うというか、そういう方法でしか出来ないんだ」
「ならば……そのように。その間のキースは、ワシが守ろう」
「ふむ。それは、奴の就職先が決定したと受け取っていいのか?」
「おお、そうとも。王城の料理人たちには悔しがられるやも知れぬがナ。今更あの、神の手を逃すのはあまりに惜しい」
「そうか。さぞや圓東が喜ぶことだろう。――礼を言う」
「礼など言われることでもないがナ。ワシもワシのやりたいようにやるだけじゃもの。主殿は主殿の務めを果たしてくださればよい」
「当然だ、働かざるもの食うべからずと言うだろう。――ひとまずあの馬鹿に吠え面かかせてやる。心痛のあまり身が細るようなキツいのをお見舞いしてやろう、爺さんも楽しみにしておくといい」
「それは、楽しみと言うべきなのか恐ろしいと言うべきなのか判らぬナ」
 目尻に皺を寄せてバドが笑う。
 飛鳥はまた肩をすくめた。
 そこへ、バタバタという隙だらけの、子供のような足音が響き、
「アニキアニキ、ハイルさん来たよ――って、あれ? バド爺ちゃん、こんなとこにいたんだ。爺ちゃんも一緒に帰るんだよな?」
 話題の中心たる人物が無防備に顔を覗かせた。
 昨日は満身創痍というのが相応しい状態だったが、少なくとも今の彼に痛みや疲労の影は感じられない。圓東がもともと頑丈に出来ているからかもしれないが、至高と呼ばれる色を持つことも、もしかしたら何か関係しているのかもしれない。
「判った、すぐ行く」
 自分の姿を認めた途端に浮かぶ、無邪気とすら言える満面の笑みに、飛鳥は胸中で密やかに苦笑した。
 そこまで懐かれるようなことをした覚えもないのだが。
 バドが笑って応ずる。
「うむ、帰って注文の簪(かんざし)を作るつもりでおる。よい黒檀も手に入ったしナ。ヌシはどうする? 時間が許すなら、今日も来るか?」
「うん、行く! おれ今日はやすりのもっと上手な使い方が知りたいです、先生!」
「そうか、では教えて進ぜよう」
 孤独に、ひとりを基本に生きてきた飛鳥にとって、今のこの騒がしさが面倒臭いものであることは確かだ。この煩わしさを飛鳥は否定しない。
 だが、煩わしいと感じつつも、それを不快だと、嫌だと感じてはいないことも稀有な事実だった。
 誰かとともに摂る食事や誰かとともに過ごす余暇、朝夕に必ず、欠かさず交わす挨拶の言葉、それが普通と化して行く日常の節々に、奇妙なくすぐったさとむず痒さ、充足を感じていることもまた真実なのだ。
 その充足を与える最たる要因のひとりのために行動することは、意固地で冷淡で薄情な飛鳥にとっても、無駄でも無意味でもなんでもない、ごくごく当然の、どうあっても果たされるべき行為でもあるのだった。

 * * * * *

 王城へ帰り着いたのは午前九時を回った辺りだった。
 十時から古代言語学の権威とかいう偉い博士が勉強を教えてくれる予定だったのだが、孫娘が産気づいたという報を聞いた博士が、取るものもとりあえず家へ駆け戻ってしまったとかそういう微笑ましい理由で今日の学習会が流れ、唐突に暇になった飛鳥は市(いち)へ行くことにした。
 市の開かれるフィアナ大通りの近くに集合区役所という場所があり、そこで各区に関する情報が得られると聞いて、ラムペ家についてちょっと調べようと思ったのもあるし、圓東がバドと一緒に庵(いおり)へ行くと言ったので、途中まで同行しようと思ったのもある。
 圓東には、結局、しばらくの間ノーヴァをつけることにした。
 身体つきや立ち居振る舞いからして喧嘩慣れしていると判るバドを信用していないわけでは決してないのだが、昨日よりも大人数で来られた場合、そして相手が刃物を持っていた場合を考えると、きちんとした護衛は必要だろうと思ったのだ。
 そのためにつける護衛は、腕が立つことはもちろんだが、護衛自身の裏切りによって圓東が危機にさらされぬようにと考えると、誰からも懐柔される心配のない人間でなくてはならない。
 となると、M体質で犬気質、飛鳥を裏切るくらいなら死を選ぶだろうほど彼にぞっこんラブ(圓東談)な直属下僕騎士、奴隷階級から今の身分にまで上り詰めたという実はちょっとスゴイ(かもしれない)青年、ノートヴェンディヒカイトくらいしか条件に当てはまらないのだ。
 飛鳥によってアルヴェスティオンに一時払い下げられ、秘書官の小間使いとして彼や眷族たちのリィンクローヴァ国民化における雑事に走り回らされていたノーヴァは、事情はよく飲みこめていない風情だったが、久々に飛鳥たちと行動できることを心底喜んでいるようだった。
「いやー、やっぱり騎士たるもの身体を動かすことこそ本分だよな。紙束とか文字と格闘しててもちっとも楽しくない」
「なに、そんなに大変だったんだ、書類仕事って」
「ん、ああ、何かこう、自分に合わない服を無理やり着せられてる感じ、かな? あれを毎日、俺の何倍もの速度でこなしてるヴェスタ様は本当にすごいと思った。いや、でも、あのままずっと書類仕事させられてたらおかしくなってたかもしれません。呼び戻してくださってありがとうございました、アスカ」
 自分が書類仕事をせざるを得なくなった諸悪の根源が飛鳥だということをすっかり失念している様子でノーヴァが一礼する。
 そこには言及せず、飛鳥は肩をすくめた。
「別にお前のためじゃない。とりあえず、脅威が去るまで圓東と行動をともにしろ。そこのへなちょこの命を握ってるのはお前だぞ、心しろよ」
「了解です。一命に変えて任務を遂行します」
「ってかへなちょこって! なんかすっごく嬉しくない表現……!」
「ん、なんだ、へなちょこじゃ不満か? なら、ぼんくらかボケナスかへっぽこか未熟者か間抜けか頓馬(とんま)か、どれでも好きなのを選べ。とりあえずレベルの低そうな言葉を集めておいたから。――ああ、ヘタレはレイの専売特許だから省くぞ」
「ううう、どれも嫌ですっ」
「何だ、慎み深いヤツだな。別に遠慮する必要はないぞ?」
「それを遠慮って言っちゃうアニキが判んないんですけど……!」
 どこまでも真顔の飛鳥と、男泣きに泣く仕草をする圓東に、バドとノーヴァが陽気な笑いを響かせ、顔を見合わせた金村とイスフェニアがかすかな笑みを唇にのぼらせた。
 男六人、色気もくそもないひとかたまりになって市を目指しつつ、飛鳥はいつにも増して周囲に気を配っていた。
 レーダー並に優秀な感覚で、周囲の気配を探りつつ、危険なものが自分たちを見ていないか、狙っていないかをチェックする。
「どしたの、アニキ。なんか、難しい顔してるけど。なんかヘンなものでもあった?」
「――誰の顔が二目と見られぬ見苦しさだと?」
「えええええ!? そそそそんなことひとっつも言ってないしっ! ううっ、すみませんごめんなさい何でもいいから謝りますんで指をパキパキ鳴らすのやめてくださいっ!」
 理不尽な言いがかりをつけられた圓東がワンブレスの謝罪とともに逃げ腰になるのを、晴れやかに黒い表情で見下ろして、今のところ差し迫った危険がないことを確認し、飛鳥は胸中に息を吐く。
 ――実は、何やかや言いつつ圓東のことが心配だなんて、だからこうして人知れず努力しているだなんて、そんな恥ずかしいことをあっけらかんと口に出来るような可愛げの持ち主ではない飛鳥は、まだびくびくしている圓東の額を指先で思い切り弾き、
「いっっ……てえぇーっ!! ななな、何だよアニキ! おれなんか悪いことしたっ!?」
「そうだな、存在そのものが」
「うううううアニキがいじめるううううっ!」
 非情かつあまりにあまりな言葉に、赤くなった額を押さえた圓東が叫ぶのへ向かって肩をすくめた。それだけ元気があれば大丈夫だろう、と、年下のはずなのに何故か兄の心境になって思う。
 などと、漫才もどきの掛け合いをしている間に、そろそろ、フィアナ大通りと、バドの庵に続く並木道との境い目だ。
「俺は調べものがあるから集合区役所へ行ってくる。バド爺さんとノーヴァにあんまり迷惑をかけるんじゃないぞ」
「うぁーい。晩ごはんは家でだよね?」
「ああ」
「んじゃ帰りにフィアナ大通りでなんか材料買う。今日は何にしようかなぁ。あ、ノーヴァとイースのアニキも食ってくよな。ちょっと多めに買って帰らないと」
「その辺りは好きにしてくれ。金はあるな?」
「うん、ある。んじゃまたあとでね」
「ああ。爺さん、すまないがそのへなちょこを頼む。せいぜいこき使ってやってくれ」
「うむ、承知いたした」
「ってかまたへなちょこって言われてるし……!」
「いいじゃないか、キース。アスカに罵ってもらえるなんて幸せなことだぞ? 俺なんかちょっと羨ましいくらいだ」
「いやあの、そう言われても。ノーヴァの幸せの位置がよく判んないんですけど、おれ……」
「そうかな。こんなにはっきりしてるのに」
 なにやら不穏当な会話を交わしつつ、三人が遠ざかるのを見送ってから、飛鳥は両隣を交互に見上げ、
「あんたたちはついてくるつもり……なんだろうな、訊くまでもなく」
 言ったのち、問うことそのものが愚行だったとでもいうように深い溜め息を吐いた。
「それ以外の理由で俺がここにいるわけがねぇ」
「直属騎士としての私の本分は、アスカに付き従うことにありますれば」
 返った言葉も予想の範囲内というか正直なところあまり的中してほしくなかったというか、飛鳥の意志はほとんど反映されていないようだったが、これにもそろそろ慣れそうだ。
「……まぁいい、なら行くか」
 腰に剣を佩いた強面の男前と品のいい朴念仁(双方無表情)を両隣に従えつつ、飛鳥は集合区役所目指して歩き出した。
 やるべきことなら、たくさんある。