次の日。
「うぉーい、アスカー?」
どこまでも美麗なのにどこまでも間抜けという、なんとも表現し難い声とともに、レーヴェリヒトが自室のドアを開けたとき、飛鳥は黒い脚衣にブーツだけという恰好で祝いの品を準備していた。
ティカの父親の誕生祝いは、結局、圓東をパシらせて厨房からくすねて来させた酒と、イスフェニアに準備してもらった色とりどりの果物、そして圓東が作ったおそろいの根付三つになった。
初めは、このまま手渡そうと思っていたのだが、着替えの途中で、せめて何かに包んだ方がいいんじゃないか、という当然といえば当然の意識が芽生えたので、生肌をさらしたままメイデにもらった綺麗な紙の山をがさがさやっていたのだ。
我ながらせっかちな、落ち着きのないことだと思うが、性分なのだから仕方がない。
そこへ、突然ドアが開き、まぶしい白銀の髪を頭のてっぺん辺りでひとつにまとめたレーヴェリヒトと、彼の遠い従兄であるリーノエンヴェがなんの断りもなく入ってきたものだから、飛鳥は少し顔をしかめた。
「部屋の主の断りなしに入ってくるなよ。俺が女で、性別を偽って生活してたらどうするつもりだ。秘密を知られた腹いせに、国王陛下と近衛騎士団長閣下に変態行為を働かれたと王宮内に吹聴して回るしかなくなるぞ」
「またその脅しかよ!? いや、つーか、もうすでに何度も男だって確認してる気がするんだが、気の所為か……?」
「純然たる気の所為だ」
「断言された……!」
「何を間抜けな言い合いをなさってるんですか。減るようなものでもなし、細かいことを気にしないでください。というか、男以外の性別のアスカなんて、私は嫌ですよ」
「なんでだ、リーエ」
「うちの母以上に、女性への美しい幻想が喪われます」
「ああ、すんげー納得」
「どういう意味だそれ。俺はこんなに曇りも穢れもない、女神のごとく清らかに澄んだ心をしてるのに、心外だぞ」
「うわー、なんか白々しいっつーか寒々しいっつーか……」
「なんか言ったか、レイ?」
「えっ、いや、その……」
飛鳥が胡散臭いほど晴れやかに笑ってみせると、案の定というかスタンダードにもというか、レーヴェリヒトは言葉に詰まり、明後日の方向を見るふりをした。判りやすい誤魔化し方である。
面白いヤツ、などと思いつつ、飛鳥は「それで」と続けた。
何せ、あと一時間もしたら、金村とイスフェニアを伴ってティカの家まで行かなくてはならないのだ。
「どうかしたのか、国家の重鎮がふたりも雁首そろえて」
それでようやく思い出したように、レーヴェリヒトがポンと手を打つ。
「あ、そうそう、用事があって来たんだよ、もちろん。なんでかな、お前と話してるといっつも本題を忘れるんだよな……」
「――……褒め言葉か?」
「え!? いや、えーと、う……うん、多分……」
「ならいいんだが。それで?」
「あー、うん。えーと、何を言いに来たのかマジで忘れそうだ……っと、そうそう。アスカたちのリィンクローヴァ国民化が終了したから、それを報告にと思ってな。一応、アインマールの財民扱いで登録してある」
「そうなのか。なら、しっかり働いて税金を納めないとな。……しかし、その程度のことなら、別に、ふたりで来る必要性はないような気がするが。実は暇なのか、ふたりとも」
「いや、俺は休憩がてらに来ただけだ。ついでだったしな」
「暇とは失礼な。我々を誰だとお思いですか? いっそ清々しいほどに忙しいですとも! 私は両親に伝言を頼まれて来たんです。レヴィ陛下とは、途中で一緒になっただけですよ」
「なんだ、そうか。……伝言?」
「ええ。両親は、明日、向こうで勉強と訓練を行うと申し上げていたと思いますが、急遽用事が出来たとかで、三日後に延期してほしいと」
「ふうん。何かあったのかな」
「さあ。向こうのことは、正直、私の意識の範囲外にあるもので」
「そうか、判った、ありがとう。じゃあ、明日明後日は結構暇になるな。一日中書庫にこもってもいいし、それに飽きたら、また、市(いち)でも覗きに行こうかな」
「アスカはずいぶんあの辺りが気に入ったみてぇだな」
「ん? そうだな、好きだぞ。みんな親切で、飾らなくて、つきあってて気持ちがいい。何より、ああいうところに活気があるってことは、国が元気だっていう証拠だと思う」
「なるほど、それはそうかも知れねぇな。じゃあ、俺も、ああいうとこがいつも元気でいられるように頑張らねぇと。今日も行くのか?」
「ああ、第二大陸民の子供と親しくなってな、父親の誕生パーティに招待された。今日がそうなんだと」
「へえ、いいな。めでてぇこった。ま、しっかり祝ってやってくれよ」
「無論だ。そういえばレイ、お前の誕生日はいつなんだ?」
「俺? 俺は春の生まれだよ。だからレーヴェリヒトっていうんだ」
ちょっとした興味による問いに対するレーヴェリヒトの言葉の、その意味は、まだ人名を解読するまでには至っていない、飛鳥の古代語レベルではよく判らなかったが、ドイツ語における獅子の光という強そうな名とは裏腹に、それはどうやら長閑(のどか)な意味を持つものであるらしかった。
面と向かって名前の意味を尋ねるのも面白味がない、もっとたくさんの語彙を身につけて、早く完璧に使いこなしたい、などと思いつつ、飛鳥は着替えを始めることにした。無駄に広いクロゼットに顔を突っ込んで、黒い綿のシャツと、襟ぐりに蔦の刺繍がされた、多分にアジア的なデザインの上着とを引っ張り出す。
「とりあえず、行って来るわ。レイ、今日はこっちで食うのか? お前も来るなら、圓東はもっと張り切ると思うぞ」
「あ、そだな。んじゃそうする。圓東はすげぇよな、あんなに色んなものが作れるんだから」
「そうだな、俺には到底真似できないことだ。なら、夕飯には国王陛下も同席されると伝えておくさ。時間はいつも通りだ、遅れるなよ。――じゃあ、行って来る」
綺麗な紙で包んだ贈り物を抱えた飛鳥は、ひらひらと手を振り、本当にせっかちなヤツだなとレーヴェリヒトが背後で笑うのへうるさいぞと返してから部屋を出た。
緑の匂いを含んだ爽やかな風が、強い陽光とともに王城へ吹き寄せる。
気持ちがすがすがしくなる。
「さて……」
金村とイスフェニアはもう外だろう。
俺も人のことは言えないが、あいつらも大概せっかちだ、などと胸中につぶやきつつ階段を降っていると、瑠璃色の目と沈鬱な灰色の髪をした、骨格以外女性にしか見えない賢者と行き逢った。
「――ハイル」
「おや、アスカ。お出かけですか?」
「お呼ばれだ」
「それは結構なことです。心が弾むでしょうね」
「そうだな。……ああそうだ、ハイル」
「はい、なんですか?」
「今日は何か、ありそうか?」
「何か、とは?」
「俺がぶち当たるような『何か』だ」
謎めいた飛鳥の物言いに、ハイリヒトゥームが妖艶な笑みを浮かべた。
瑠璃の双眸が、面白がるような、挑むような光を宿す。
「不思議なことを仰いますね」
「別に不思議じゃない。この前の朝、変なことを言ってただろう。しっかり当たったぞ?」
「ああ、あれですか。なんだ、本気になさったんですか? 何となくですよ、何となく。起きたことは偶然に過ぎません」
「ふん?」
「何かご不明な点でも?」
「いいや。なら……そうだな、その、何となくでいい。思い浮かんだことでも、言ってみてくれ」
「おやおや、酔狂な。では……そうですね」
飛鳥が言うと、ハイリヒトゥームは楽しげに微笑んだ。
儚げな、嬋妍たる――男性に使うべき表現ではないとよく判っているが――美貌に、毒を含んだ好奇がほんの一瞬差したのを、飛鳥は見逃さなかった。言葉遊びと断じつつ、これが、ただの『遊び』ではないことを、飛鳥はすでに理解していた。
紅を引いたような赤い唇が、不思議な言葉を紡ぐのを、注意深く聴く。
「今日一日でのことではありませんが。紡がれる糸の向こう側で、ささやかな営みを犠牲に、力ある色の凶宴が踊るでしょう。――情に流されて選択を間違われませんように」
意味深な、しかし意味不明な羅列に、かすかに眉根が寄る。
ハイリヒトゥームがくすりと笑った。
「お役に立ちそうですか?」
「……ああ」
「おや、それはよかった。どのように?」
「そうだな、少なくとも、あんたが純然たる味方ではないってことが判る。大事な収穫だ」
肩をすくめた飛鳥が言うと、ハイリヒトゥームの笑みが深くなる。
淫靡で妖艶な、計算ずくを感じさせる冷ややかさの、しかしどこか必死ですらある真摯さを宿した眼差しが、飛鳥を射抜くかのように見ている。
「――あなたは面白い方ですね」
「褒め言葉と受け取っていいのか、それは」
「ええ、もちろん。これは……油断、出来ませんねぇ……」
「それは俺の台詞だ」
「ああ、そうかもしれませんね。でも、ご心配なく。あなたの送り迎えは真面目にきちんとやりますよ、わたしもあの、ゲミュートリヒ市の領主ご夫妻が好きですからね」
「……ふむ、そりゃ安心だな。移動の途中で見知らぬ土地にポイと放り捨てられたらどうしよう、って心配はせずに済む」
淡々と言葉を交わし、色々と再認識させられた辺りで飛鳥は自分の目的を思い出した。
「じゃあ、出かけてくる。レイなら執務室に戻ったと思うぞ」
「そうですか、ありがとうございます。では、行ってらっしゃいませ。どうぞお気をつけて」
「……ああ」
優雅に――美麗に微笑んだハイリヒトゥームが、長衣の裾を少しつまんで一礼するのを、横目に見ながら通り過ぎる。
飛鳥は、美麗な賢者の毒蝶のような視線が、自分の背に突き刺さらんばかりの勢いで注がれていることを感じていた。あちこちに色々な思惑があり、様々な行動理念があるのだと、今更のように思い知らされる。
案の定城門近くで待っていた金村とイスフェニアと合流し、ティカたち家族が暮らすという小さな家に辿り着いたのは、そこからおよそ三十分が経ってからだった。
奴隷や下層民、移民にも決して冷たくないリィンクローヴァは、彼らのような貧しい人々にもきちんとした住居を提供しているらしく、ティカたちの家は、日本でいうところの1DKマンション程度のサイズではあったものの――無論、この世界においては『この程度』であっても、日本の概念で考えればそこそこの広さだ――、清潔に整った、過ごしやすそうなところだった。
集合住宅と言えばいいのか、同じような造り、同じようなサイズの小さな家が集まったこの辺りは、第二大陸から流れてきた人々の住まいとなっている地域であるらしい。
その中のひとつ、木製のドアノブに白い布が巻かれた家を見つけ、扉をノックすると、
「はあーい!」
元気いっぱい、といった風情の返事とともに、褐色の肌の少年が飛び出してきた。
「っと……」
あまりにも勢いがよすぎて飛鳥に激突しそうになった少年を、彼は苦笑しつつ抱きとめる。子供らしい、体温の高い身体に、久々に懐かしい痛みがこみあげた。
しかし、飛鳥のそんな感慨など知る由もないティカは、表情豊かな顔を満面の笑みで彩ると、恐れ気もなく飛鳥に抱きついた。
そして、
「いらっしゃい、兄ちゃんたち! 来てくれてすごく嬉しい。準備出来てるから、入って入って!」
そう、明るく彼らを誘(いざな)った。
飛鳥は苦笑して頷き、背後に佇むふたりの男を促して中に入る。
「ああそうだ、ティカ、これをお前の親父さんに」
「わ、ありがとう! きっと父さんも喜ぶよ!」
「そんなに大したものでもないけどな」
「ううん、兄ちゃんの気持ちが一番嬉しいよ。あ、こっちだよ」
導かれるままに部屋の真ん中まで進むと、小ぢんまりとしたテーブルが据え付けてあり、その上には素焼きのティーセットと、色鮮やかな花が詰め込まれた籠が置いてあるのが見えた。
テーブルの真ん中に、A5サイズくらいの小さな額縁が置いてある。艶やかな、木彫りの、額縁だけでも美しい代物だったが、反対側を向いているので、何が描いてあるのかは見えない。
テーブルを取り囲むように置かれた小さな椅子の数は、五つだ。
これだと誰か余るな、などと思いつつ、飛鳥が、簡素だが清潔に整えられた室内を見回していると、
「いらっしゃい、アスカ、騎士様たち。来てくださって嬉しいわ。どうぞ、お好きなところへ座って」
白い砂糖衣と糖蜜漬けの果物で飾られた、ピラミッドのようなケーキを盆に乗せ、アマルが姿を現した。特別な日だからなのか、やわらかい緑色の布で作られた、ゆったりとした綺麗なワンピースを身にまとっている。
飛鳥は、にっこりとやわらかく微笑んだ彼女に促され、ああ、と頷いたものの、
「だが、好きなように座ってしまうとあんたの良人の椅子がなくなるぞ。今日の主役だろう。というか、その主役はどこにいるんだ?」
ティカの父、アマルの夫の姿が見えないもので、首を傾げて周囲を再度見渡した。飛鳥の疑問は当然のことだったが、その言葉に、ティカがアマルと顔を見合わせ、ちょっと哀しそうに笑う。
「父さんなら、そこにいるよ」
指差された先には、あの額縁。
ゆるりと微笑んだアマルが、綺麗に爪の整えられた指先で、その額縁を引っ繰り返す。
飛鳥は思わず沈黙した。
「……それは」
額縁の中では、精緻な筆遣いで描かれた、褐色の肌の男が、白い歯を見せて笑っている。赤茶色の髪と、濃い碧の目の、闊達そうな男だ。
――ティカに、目元や口元の印象が似ている。
「死んだのか」
ダイレクトに過ぎる飛鳥の言葉に怒ることなく、ティカは首を横に振った。
飛鳥が手渡した祝いの品を、額縁の傍にそっと置く。
「ううん」
「では、何故」
「父さん、行方不明なんだ」
「……そうか」
「ぼくたち、第二大陸のロエナって国にいたんだけど、父さんは第一第三大陸に出かけていって、色んな品物を仕入れてきては売ってたんだ。でも、二年くらい前かな、父さんの船が嵐で沈んだって、他の船の人が教えてくれた」
「……」
「あっ、そんな顔しないでよ、兄ちゃん! 父さんは死んでないよ、絶対。だって、父さんは泳ぎもうまかったし、遺体だってみつかってないもん。絶対、どこかで生きてるってぼくたちは信じてる。何か重大なことがあって、帰って来られないんだ」
「なら……何故リィンクローヴァに?」
「サアーダは……夫は、今回の仕事が終わったら、リィンクローヴァに移住しようと言っていたの。この国は第二大陸でも有名よ、国もだけれど、まずは人の心が豊かで、とても住み心地がいいって」
「ロアナでは、ずいぶん前から王様と王様の弟さんが喧嘩してて、国はもう全然駄目な状態なんだ。父さんはぼくたちに少しお金を残しておいてくれたから、先にリィンクローヴァで待ってようってことになったんだよ」
「夫には先見の明があったの。彼ならきっと、分裂状態のロアナを見限って、こちらへ来ると思うわ。彼が行方不明になる前に、住むならアインマールだと話をしたしね」
「……辛くはないのか。異大陸の、異文化の中で」
「ロアナ自体、決して幸福とはいえない国だったから。それに比べれば、リィンクローヴァは楽園のよう。お仕事は大変だけど、働けばなんとか生きていけるわ」
「――……そうか」
まさか誕生祝いのパーティに呼ばれて、こんな重い事実に行き逢うとは思わなかったが、ティカにもアマルにも、悲壮感は見受けられなかった。
不安を感じていないわけではないだろう。
もしかしたら、と思ってしまわないわけでも、決してないだろう。
それでも、ふたりは、父が、夫が、いつかは帰ってくると信じて、こうして強く生きているのだろう。
「サアーダ……幸福、か」
ぽつりと飛鳥はつぶやいた。
「あんたたちは、信じているんだな。良人が、親父さんが、生きてるって」
「ええ」
「もちろん」
きっぱりとした応えに、飛鳥はひっそりと笑った。
――胸の奥でうずくその感覚は、羨望だ、多分。
希望を持って待てる、そのことへの。
飛鳥が、還って来てほしいと望み、願った人々は、皆、彼の目の前で、疑いようもなく死んでいったから。血を噴きこぼし、少しずつ体温を喪い、果ては粉々になって。
もしかしたら生きているかもしれないとは、いつかきっと会えるとは、とても思えない別ればかりを経験してきた飛鳥には、母子(おやこ)の抱くその希望は、とても羨ましく思えた。
(行きなさい、飛鳥。お前の幸せを祈ってる)
(生きなさい、飛鳥。お前自身の明日のために)
そんな幻聴すら聞こえた気がして、飛鳥はほんの一瞬瞑目した。まさかこんなところで、その記憶と向き合うことになるなんて、思いもしなかった。
もはや遠く、しかし決して消えることのない、その懐かしい痛みと。
「……兄ちゃん?」
訝しげなティカの声に、飛鳥は苦笑して首を横に振った。
手を伸ばして、ティカの髪をくしゃくしゃとかき回す。ティカが屈託のない声を立てて笑うのへ、ほんのかすかな笑みを向ける。
「いや、なんでもない、気にしないでくれ。――そうか、そうだな。あんたたちがそう信じるのなら、それはきっと真実なんだろう。早く親父さんが帰ってくるといいな、ティカ」
「うん、黒の加護持ちがそう言ってくれたら、きっとすぐに帰ってくるよ、父さん。ありがとう、兄ちゃん!」
愛くるしい表情で笑ったティカに抱きつかれ、飛鳥は苦笑するしかない。
それが彼らの希望になるのなら全うしようとは思うが、彼は、そんなご大層な存在では決してないのだ。
くすくす笑ったアマルが、飛鳥たちを手招きした。
「さあ、お祝いをしましょう、今日はサアーダ・イフティラーム・ジャヒートの三十五回目のお誕生日よ。たとえどこにいても、私たちの喜びと、お祝いの言葉が、均しく彼に届くように」
振り返ると、無言のままで三人のやり取りを見守っていた金村とイスフェニアが、穏やかな表情で頷くのが見えた。やっぱりこいつら大人だな、とは、久々に子供である自分を実感した飛鳥の胸中である。
「アスカ兄ちゃん、なにぼーっとしてんの? ほら、早く座って。ケーキ、切ってもらおうよ。母さんの作るケーキは本当に美味しいんだ、近所でも評判なんだよ」
「……そうか」
ティカに手を引かれ、促されるままに席につき、褐色の肌の母子と向かい合う。すぐに、金村とイスフェニアがそれに倣った。
「どの部分がいいかしら? お好きなところを選んでね」
アマルの明るい声に包まれるようにして、少し早いお茶の時間が始まる。
三人が帰途についたのはそこから三時間ほど経ってからのことだ。
「……人生ってのも、色々あるんだな」
ぽつりとしたつぶやきは、誰に向けたものでもなかったが、
「信じて待てるのぁ、幸せなことだと思うぞ、俺は」
「私もそう思います、アスカ」
なにやら慰めめいた返答があったので、飛鳥はひっそり苦笑した。
このふたりは、あまりにも飛鳥に甘すぎる。
「別に落ち込んでるわけじゃない、あんたたちこそ気にするな」
「ん、そうか。若は優しいから、と思ってな」
「母子の行く末を案じておられるのではと」
「別に優しくない。案じてないわけじゃないが、あのふたりなら多分大丈夫だろうとも思う。だからつまり、俺が今以上にできることはないってことだし、それ以上のことをするつもりもない」
肩をすくめた飛鳥が、迷うことなくきっぱり言うと、徐々に飛鳥馬鹿が悪化しつつあるふたりの男は――飛鳥は最近、こいつらこんなんでちゃんと結婚して家庭を持てるのかと、このふたりの将来が心配で仕方ない――、顔を見合わせてわずかに笑みを交わした。
何を視線だけで判りあってるんだ、と突っ込もうとした飛鳥だったが、視界の端っこを真紅が横切ったような気がして思わず口をつぐみ、そちら側を凝視した。
そして、首を傾げる。
「どうした、若」
「あれ、ギイ・ケッツヒェンじゃないか?」
「ん、確かに。向こうにいるのはエルフェンバインのようだな」
「なんでこんなとこに? いや、いておかしいってわけでもないが」
「……あそこにはラムペ家の、アインマール滞在用の居宅が」
「うお、本当だ」
「今、まさにふたりが立っている場所の、すぐ前がそうです」
「そうか、確かあそこの通りがアルティネラだな」
飛鳥はしばし沈黙し、赤髪の青年と黒髪の偉丈夫の後ろ姿を見送る。
無論、ただ見送ったわけではない。
「……入って行ったな、中に」
「みてぇだな」
「どんな関係だ、あいつら?」
「さあ、俺に訊かれても」
「まぁ、そりゃそうだ。しかし……ひとつの区を預かる下級貴族と、アインマールを守護する超級討伐士か。ありえなくはないが、妙な組み合わせだな」
「確かに」
「イースはどうだ、何か知ってるか」
「双方につながりがあるという話は聞いたことがありません」
「ふむ」
「調べますか」
「出来るか?」
「アルヴェスティオンをお貸しくだされば」
「なら、頼む」
「……御意」
イスフェニアが恭しく一礼する。
飛鳥はそれを見るともなく見つめつつ、何か、運命めいたものが少しずつ動き始めたような、そんな錯覚を覚えていた。