何だか妙に重い溜め息を吐きつつ、レーヴェリヒトの寝室へ踏み込む。
「あー……」
 この部屋もまたひどいことになっていた。
 疲れて思考回路が壊滅していたのかそれともただ単に本人が大雑把なだけなのか(多分両方だろう)、引き出しがはみ出たままの小物入れからは彼がよく身につけている佩玉たちがあふれそうになっていたし、つまづいて引っ繰り返したのか、いつも彼の耳朶を飾るピアス(という表現はここにはないようだが)や指輪、サークレットなど、様々な種類のいかにも高価そうな宝飾品が、小振りの小物入れとともに恐ろしい勢いで散らばっている。
 はっきり言って、足の踏み場もない。
 本来寝酒やティーセットを置く場所である小さなテーブルには、薄いグラスと琥珀色の酒が入ったガラスのディキャンタのほか、護身用の懐剣や、帰って来た時まで身につけていたらしい指輪とブレスレット、髪を結うための絹紐が放り投げてある。
 綺麗に掃除され、整頓された庭に、河原から拾ってきた小石をぶちまけたかのような鬱陶しさだ。部屋が簡素かつ清潔で美しい造りだけに、その鬱陶しさは際立っている。
 もっとも、それはまだ許容範囲として、王冠まで無造作に放ってあるのはどういう了見なのだろうか。
 王の価値がそこに見出されるものではないとしても、そしてここに盗人(ぬすびと)などという不逞の輩の入り込む余地がないとしても、少なくとも、歴代の国王とともに長い長い歴史を紡いできたそれは、もう少し大切にされてしかるべき代物だと思う。
「ここは一国を統べる若き王の居室か? それとも単なる片付けられない男の私室なのか? ……この掃除に国民の血税の一部が使われるのはどうかと思うんだが……」
 ぶつぶつつぶやきながらベッドへ向かうと、くだんの国王陛下は、薄青色のやわらかなブランケットを被り、ふわふわの枕に顔面を突っ込むようにして眠っていた。
 ぴくりとも身動きをしない辺り、眠っているのか意識を失っているのか判然としない。
 というより、あんなふわふわした枕に顔を埋めて呼吸困難にならないのか不思議で仕方ない飛鳥である。
 ブランケットがずれて、左半身が丸見えなのが生温い笑いを誘う。
 男の尻など観ても、なにひとつ嬉しくない。
「……視覚的暴力によって精神的苦痛を与えられた、とか言って最高裁まで争えそうな勢いだな……」
 陽光に照らされた雪原のごとき白銀の髪が流れる背中の、まるで装飾品のような痣、二対四翼の、漆黒に輝くそれが目に入る。
 この痣に関しては、目に入って嫌だ、視覚的暴力だと思うことはない。
 飛鳥は、色にせよかたちにせよ、何度観ても美しいものだと思うのだが、これを不吉と断じ、何の罪もない幼いこどもを哀しませる馬鹿がいるのだから世の中は信用ならない。
 飛鳥は、こどもに真摯な態度を取れぬ者を軽蔑する。
 故郷でもそうだったように。
「レイ」
 ひとまず、当初の目的を果たすべく、飛鳥は絶賛爆睡中のレーヴェリヒトに声をかけた。
 もうあと一時間もすれば、トレーニングを終えた圓東と金村が帰って来るのだ、レーヴェリヒトほどではないが結構な緻密さでスケジュールの詰まっている飛鳥としては、あまりぐずぐずしていられない。
 朝食のあとには、三人の博士を相手にした勉強が待っている。
「レイ、起きろ」
 仕事の疲れが重なってこうまで沈没しているのだから、あまり激しく揺さぶり起こすのもさすがに気の毒だ、という彼にしては真っ当な配慮のもと、静かに……穏やかにレーヴェリヒトを呼ぶものの、名を呼ばれた当人に起きる気配はない。
「――レイ」
 返事はない。
 飛鳥は鼻を鳴らした。
 彼の言葉を無視するならば――もっとも、そう詰(なじ)られれば、レーヴェリヒト本人はそんなん判るかなどと泣いて抗議するだろうが――、穏便な目覚めが不可能ならば、実力行使あるのみである。
 ずかずかと枕元へ近づき、鋼のような肩を掴んで揺さぶる。
 レーヴェリヒトが低く何かをつぶやいた。
 寝惚けた声だった。
「起きろ、レイ。俺が話をしに来てやってるのに寝たままとか、ありえない不遜さだぞ」
 リーノエンヴェやシュバルツヴィント辺りに聞かれたら、不遜はどちらだと顔をしかめられるようなことを臆面もなく言いつつ、なおもレーヴェリヒトを揺さぶる。
 しかしレーヴェリヒトは目覚めない。
 飛鳥の眉根が寄る。
 圓東の腰が引けるような表情だ。
 どうしてくれようかと飛鳥が思ったとき、もぞもぞ動いたレーヴェリヒトが、呻き声とともに上半身を起こした。
 呻き声ですら美しいのは稀有だと思うが、呻き声まで美しくてはかえって間抜けな気がする飛鳥である。
 それでも、やっと目覚めたかとちょっと安堵した飛鳥だったが、
「起きたか、れ――」
「朝飯要らねぇから、もーちょい寝かせてくれ、も、マジで死ぬ……」
 半分寝惚けた、畏怖すら感じさせるほど美麗な所為でかえって間抜けな声とともに、レーヴェリヒトが再度枕に顔を突っ込んだ時点で、圓東やノーヴァが泣いて逃げるくらい眦を厳しくした。
「…………」
 白銀の髪が流れる、滑らかで美しい背中を無言で見下ろす。
「いいから……」
 こぼれた声は地の底から響くかのような低さ、禍々しさだ。
「起きろッ、この駄目王!」
 鋭く叫び、レーヴェリヒトの白く無防備な背中の真ん中に、思い切り平手を叩きつける。
 この時ばかりは、美しい痣への感慨などはるか彼方の代物だ。
 ばちーん、という、間抜けな音がして、
「っぎゃ――――っ!?」
 やはり間抜けなのに美しいという、笑いを誘わずにはいられない悲鳴を上げて飛び起きたレーヴェリヒトが、ブランケットに絡まったまま、ものすごい勢いでベッドから転がり落ちる。
 よほど驚いたらしい。
 実際、飛鳥の膂力で思い切り平手打ちされたら、普通の人間は茫然自失するくらいのショックを受ける。
 ぶっちゃけ、泣くほど痛い。
 さすがにそこまで行かなかったのは、レーヴェリヒトが鍛え上げられた武人だからなのだろうが、ベッドからなすすべもなく転がり落ちたその姿に、武人としての威厳はない。
 ごすん、という鈍い音は、派手にどこかを打った所為だろう。
 何があったか判らないという様子のレーヴェリヒトは、しばらくの間、巨大な芋虫のような姿で絨毯の上をのたくっていたが、
「な、なな、ななな……!?」
 ややあって、二十四歳の成人男子とは思えない涙目で、ブランケットから顔をのぞかせた。そして、飛鳥の姿を認めるや、神秘的なアメジストの双眸に疑問や驚きや不審の色彩を載せる。
「あ、アスカ……!? 何でお前、ここに。確か扉は開かないようにしといたはず、」
「向こうから来た」
「向こうって、壁じゃねぇか。って、登ってきたのかよ!」
「まぁ、有り体に言えばそうなるか」
「有り体に言えば、じゃねぇだろ! そこは移動用の通路じゃねぇっつの! つーかなんなんだ、一体。なんで俺は、背中にこんな赤痣をこしらえなきゃならねぇんだ。すげぇ痛ぇぞ、ヒリヒリする」
「そんなもの、決まっているだろう」
「え」
「俺が起こしたのに起きないからだ」
「うう……」
 飛鳥の傲然とした物言いに、がくりと肩を落としたレーヴェリヒトが、腰をさすりながら立ち上がる。どうやら打ったのはそこらしい。
「あー、思いっきり目ぇ醒めた。こりゃどう考えても二度寝は無理だな」
「つーか、可能不可能の問題じゃなく、ここに俺がいるのに二度寝しようとした時点で二三回は平手打ちしてるぞ」
「うわー痛そう。なんかすげぇ腫れ上がりそうだな……。――まぁいいや、起きちまったもんは仕方ねぇし。仕事すっかな……」
「その前に片付けろよ、この辺。自分で散らかしたものは自分で片付けるとか、世界の理(ことわり)並の常識だろう」
「うっ。いや、それはそうなんだが。……えーと、それは多分、ディーナーとかアウフロイメンとかがやってくれるから。その……なんだ、ほら、こう見えても俺って忙しいし、な?」
「な? じゃない。まァ確かにお前大雑把そうだし、整理整頓には向いてない気はするが。というか、そのふたりはお前の侍従か?」
「この部屋担当のな」
「……召使と掃除か。なんか、こういうところにまでそのまんまさが顕れるんだな、この世界……」
「ん? なんか言ったか?」
「いや、何でもない。とりあえず着替えろ、こんなとこで観たくもないものをさらすな。十秒以内に着替えを始めないと、また国王陛下に痴漢行為を働かれたと城内に吹聴して回るぞ」
「観たくないもんとか言うなっ! つーか痴漢でもねぇっ!」
「ああほら、そんなこと言ってる間にあと五秒だ。四、三、二、一……」
「ぎゃー! ちょ、ちょっと待てって!」
「待たん」
「ううっ、こんなに頑張ってるのに、なんか可哀相だ、俺っ!」
 レーヴェリヒトが、悲嘆に暮れる仕草をしながら、ブランケットを被ったままの姿で寝室から出て行く。
 大変間抜けな後ろ姿である。
「馬鹿を言え、この俺が起こしに来てやったんだ、こんなに幸運で光栄なことはないぞ。それのどこが可哀相だ?」
 飛鳥は再度鼻を鳴らし、大層偉そうに断言すると、王冠と指輪とブレスレット、濃い藍色の絹紐を手にして、ゆっくりと彼の後を追った。
 本来衣装箪笥のあるべき部屋――何せ今、くだんの箪笥はバリケード代わりに使われている――で、レーヴェリヒトがもぞもぞと着替えているのを横目に観ながら、飛鳥はひとまず、ドアの開閉を妨げる数々の障害物を取り除く作業にかかった。
 火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、普通こんなもん動かさんぞ、と言いたくなるような、重量級の障害物たちが鎮座ましましている様は圧巻ですらあるが、規格外の膂力を持つ飛鳥にはそれほど大変な作業でもない。
「駄賃でももらわんとやってられんだろうな、こんな間抜けで馬鹿らしい作業……」
 レーヴェリヒトが仕事をサボるたびに行われているだろうこの片付けを思いつつ、しかしてきぱきと、立派なデスクや小物入れ(という名の箪笥)をもともとの位置に戻してゆく。
 最後の、流麗な鏡台を元の場所に戻し、ぐらぐらしたり倒れたりしないかを確認していると、部屋の向こう側から声が暢気なかかった。
 広い部屋なので、隅と隅にいると結構な距離がある。
「なあなあ、アスカー?」
「なんだ。語尾を伸ばすな気色悪い」
「ううう、ナニ言っても責められてる気がする、今の俺……ッ」
「事実だから仕方がない。それで何なんだ、用件があるなら早く言え」
「いや、うん。そこのベルト取ってくんね? 青い石のヤツ」
「……この俺を小間使い扱いとはいい度胸だなお前……」
「えっ、いやそのっ、だだだだってほら、せっかくそこにいるんだし!」
「ちょっと歩けばいい話だろうが、横着なヤツめ。大体、人に物を頼もうというのなら、ものの言い方というヤツがあるだろう。尊敬語と謙譲語を間違えないようにな」
「いちいちそんな大々的な物言いが必要なのかよ!?」
「当然だ」
「うう……。横着ですみません、大変申し訳ありませんがベルトを取っていただけませんでしょうかアスカさま。どうかお願いします……」
「うむ、素直でよろしい」
 がっくり脱力するレーヴェリヒトに、飛鳥は晴れやかに黒い笑みを浮かべてくだんのベルトを手渡す。
 溜め息とともにそれを受け取ったレーヴェリヒトが、薄紫の生地に黒の糸で蝶の刺繍が縫い取りされたサーコートの上から、引き締まった腰にそれを回すのを見遣りつつ、飛鳥は口を開いた。
 よく考えたら、漫才もどきの間抜けなやり取りをするためだけにここに来たわけではないのだ。
 それを楽しんでいるのも事実だが。
「で、どうなんだ仕事のほうは。終わりそうなのか?」
「あー、うー、もーちょいかかりそうだなぁ……」
「何をしてるんだった、今。ゲマインデとかいう連中への対策だったか?」
「んや、そっちはとりあえず一段落した。警備体制も組み直したし、ハイルに不審者を嗅ぎ分ける魔法も開発してもらってるし。今やってんのは密売組織関連のヤツ」
「ああ……フィルカ山の。組織自体は壊滅させたんだろう?」
「あー、うん。結構でかい組織だったぜ。あいつら、賢いことにリィンクローヴァ国内では一切商売してなかったらしくて、その所為でなかなか気づけなかったんだ。乱世だけに、国家間でそういう情報を回し合える時期じゃねぇもんなぁ」
「それはそうだろうな。拠点のみをここに据えて、商売は別の場所でやるのは確かに賢明だ。秘密もばれにくい。でも、密告があったんだよな。俺たちが出てきたあとに」
「そうそう。手紙がな、騎士団の詰め所に届いたんだわ。詳しい場所とか規模まで記されてて、かなり助かった」
「へえ。誰なんだろうな、密告者は。少なくとも俺じゃないぞ」
「んなこた判ってら。大体、あんときだってこれから潰しに行くとかおまえが言うのを、詳しいことも判んねぇのに危険すぎるっつって必死で止めたんじゃねぇかよ」
「そういえばそんなこともあったかな」
「うわーさらっと流された……。でもまあ……誰も手紙を持って来たヤツの姿を観てねぇらしいからなぁ。そういやあいつら、あの、フィアナ大通りで馬鹿やったブレーデ一家とかいう連中とつながってたみてぇで、そっちも一緒に討伐した。なんぼか逃げられちまったから、一般騎士たちに残党狩りを命じてるとこだけどな」
「ふーん。でも、それでもまだお前の仕事は終わらないのか?」
「あー、そうなんだよ。別に討伐なんざ屁でもねぇけど、事後処理が大変でなー。それで時間食ってんだ」
「事後処理?」
「うん、そう。捕まって連れて来られた連中の処遇やら、盗品の返還やら、余罪の追及やら」
「ああ、なるほど」
「神獣系の連中はまだいいよ、基本的に懐の広い、気のいいヤツらばっかりだからさ。密売組織のヤツら、耳長(みみなが)とか海波人(うみびと)とか小幸霊(さきみ)、果ては天人(てんじん)まで売買してやがってな。下手すると種族間の戦いに発展するとこだっつの」
「その耳長とか何とかいう連中は、人間以外のヒトガタ種族だったか。実物にお目にかかったことがないからどんなヤツらなのかさっぱりだ」
「まぁ、あんま人間とは変わんねぇよ、数は少ねぇけど、ちょっと体機能とか寿命とか特性が違うだけで、考え方とか文化も人間と似てる」
「それは一度会ってみたいものだな」
「ま、そのうち普通に出会うと思うぜ、リィンクローヴァにも住んでるし。そんなわけで、救出されたヤツらを国に帰して、すでに売られちまった連中の調査とか奪還までやんなきゃならねぇんだ。あんま連中との関係を悪化させたくねぇから、手も抜けねぇ。それに、無理やり連れ去られてきたのを邪険に扱うのも人道に悖(もと)るしな。でも、別に俺がさらって売ったわけでもねぇのに、なんで俺が謝んなきゃいけねぇんだ。ありえねぇ……」
 長々と、億劫げな息を吐いたレーヴェリヒトが、それでも仕事を放棄するつもりはないのか、籐のサンダルに足を突っ込み、飛鳥から受け取った王冠や指輪やブレスレットを優美な動作で身につけてから、藍の絹紐で長い銀髪を結わえた。
 その様は、まさに神代のと評するのが相応しい美しさだ。
 中身のことはさておくとして。
 飛鳥は微苦笑とともに肩をすくめた。
「ま、それがお前の責務だというのなら、精々頑張ってくれ。俺は俺のやるべきことをやる。いずれ手伝いに行ってやるから」
「おう、期待してる。勉強はどうよ?」
「色んなことが学べて楽しい。アルディアはいい教師だ」
「そっか、そりゃよかった」
「――まぁ、あれだ」
「ん?」
「今日は市(いち)に行く日だから、頑張ってる国王陛下に免じて、美味い串焼き肉とシロップのかかった氷菓子と、それからスパイスシチューを挟んで揚げた輪っか菓子を土産に買ってきてやるよ。昼飯にでも食うがいいさ」
「お、やった!」
 飛鳥の、ちょっとこどもっぽい、不器用とも言える励ましに、レーヴェリヒトは満面の笑みを浮かべた。心底嬉しそうだ。
 彼のそういう笑顔を観ると、飛鳥もまた笑顔になる。
 単純だとは思うのだが。
「ついでにルクル茸の焼いたのと唐辛子スープもあると更に嬉しい」
「贅沢ものめ。と、言いたいところだが、まぁいいだろう。確かにあの茸はいいよな、特に匂いがいい」
「だろ? んじゃまぁ、美味い昼飯のために、もーちょい頑張るかな。――ん、そういやアスカ、お前はなんでここに来たんだ? わざわざ壁を登ってまで来たってことは、なんか、用があったのか?」
「ん、ああ」
 飛鳥は再度肩をすくめた。
 すでにほとんどの目的は果たされているのだが。
「まぁ……普通に話がしたかったってのもあるんだが」
「ああ、うん」
「なあレイ、この世界の、神々に関する話を調べようと思ったら、やっぱりゲミュートリヒか?」
「んー、そだな、それが一番だと思うぜ。なんせ、あそこの蔵書はリィンクローヴァ一のみならず世界一とすら言われてるからな。でも、なんでそんなこと急に?」
「いや……」
 一瞬、彼らしくもなく口ごもり――何せ、非常に微妙な、デリケートな問題だ――、あの夢ならぬ現(うつつ)のことを、どうやって説明したものかと思案していた飛鳥だったが、
《朝早くから精が出るな、お二方!》
 唐突に窓の外、バルコニーから不思議な音韻のある声が響いたので、レーヴェリヒトとほぼ同時にそちらを振り向いた。
 『彼』の姿を目にしたレーヴェリヒトが、満面の笑みを浮かべてそちらへ歩み寄る。
「よう、シュネ!」
 レーヴェリヒトの言うとおり、バルコニーの手すりには、その巨体を軽々と留まらせたシャイネンシュピーゲルがいて、漆黒の、優美で巨大な翼を緩やかにはためかせている。
 黄金の瞳孔を持った琥珀の双眸を、親しげな光がかすめる。
 涼やかな、薫香を伴った風が、彼の周囲を渦巻いていた。
「アインマールは満喫したか? いいとこだろ?」
 笑ったレーヴェリヒトが、シャイネンシュピーゲルの胸の、ふさふさとした毛を撫でながら言うと、西王虎と呼ばれる神威の獣は、ごろごろと気持ちのよさそうな声を上げた。
 シャイネンシュピーゲルがアインマールに滞在して十日、レーヴェリヒトが動物からさえ好かれる体質だからなのか、何故か妙に馬が合うらしいひとりと一頭は、よくこうしてスキンシップをはかっている。
《うむ、やはり世界でもっとも美しき国と呼ばれるだけのことはある。彼奴(きゃつ)らに囚われたは口惜しき出来事だが、佳(よ)き銘(な)を得たことといい、王国の花を堪能できたことといい、結果的に見れば幸運であったな》
 透き通った目を細め、シャイネンシュピーゲルが言う。
 それは、レーヴェリヒトには――というよりも、恐らくソル=ダート人には――ただの唸り声にしか聞こえないはずなのだが、
「そうかそうか、やっぱアインマールが一番か! そう言ってもらえりゃ俺も嬉しいよ。好きなだけゆっくりしていってくれな、神獣が来てくれたとなりゃ、皆も喜ぶ」
 能天気な国王陛下は、晴れやかな美貌に心情そのままの明るい表情を乗せ、身体をすり寄せてくるシャイネンシュピーゲルの身体を撫でた。言葉が判るとか、判らずとも意思の疎通が出来るというよりは、自分に都合のいい納得の仕方をしているというのが一番正しいだろう。
 ほとんど当たっているのも事実だが。
 レーヴェリヒトの、白くて優美で武骨な手で、親しげに喉を撫でられたシャイネンシュピーゲルが、うっとりというのが相応しいだろう表情で目を細め、ルルル、と喉の奥に楽しげな声を転がす。
 ひょいと顔を動かしたシャイネンシュピーゲルの、大きな舌に頬を舐められて、レーヴェリヒトがくすぐったげに笑った。
「いや、うん、なんというか」
 一歩離れたところでひとりと一頭を眺めやりつつ、飛鳥はつぶやく。
「ファンタジー映画の基本みたいな光景だな」
 実際、今来ているのはまさにファンタジーな世界なのだが、突っ込まずにはいられない『らしさ』だ。
 涼やかに吹く薫風の中、白銀の髪の美青年と、同じ加護の色を宿した白銀の虎とが睦まじげに戯れる様は神々しく、目を奪われずにはいられない光景だったが、それと同時に、故郷とはまったく違う世界に来たのだという、奇妙な感慨をも抱かされる。
「自分もまたその登場人物のひとりになっているのだと、そう考えると、むず痒いような面映いような気分だ」
 つぶやき、また、ひとりと一頭を見遣る。
 周囲に渦巻く風と、陽光を反射する白銀に、ほんの少し目を細めながら。