圓東がその胸中を代弁するかのように声を上げた。
「あれ、ヴェスタじゃん」
「の、ようだ」
「……なんか、囲まれてない?」
「だな」
「なんだろ、あんまユーコーテキな雰囲気じゃないよね」
「ああ」
 位置的に言うと、大ホールの隅、非常に人目につきにくい――というより、あえてそこに目をやる必要性のない――ところだ。
 そこには、結局断りきれず、ほとんどなし崩しに飛鳥の部下になった青年、アルヴェスティオン・バーゼラの姿があった。
 褐色の滑らかな肌とエキゾティックな美貌は今日も健在で、光沢のある茶色の髪を美しく結い上げ、簡素だが清潔で趣味のいい衣装に身を包んでピンと背筋を伸ばした姿は、有能な文官以外の何者にも見えない。
 アルヴェスティオンは、羊皮紙の大きな巻物と紙の束を手にしてそこに佇んでいる。
 しかし、彼はひとりではなかった。
 五人の男が、彼の前に立っていた。
 ――否、それは、立っているなどという穏便な表現で済ませられるものではない。横一列に並んで行く手を遮(さえぎ)り、彼がその場から逃げられないようにしているのだ。
 アルヴェスティオンの前に立ちはだかっているというべきだろう。
 アルヴェスティオンは、左右から隅に追い詰められるようなかたちになっていて、そのために逃れることが出来ないようだった。
「若、ありゃ誰だ?」
 飛鳥は首を横に振った。
「さすがに、後ろ姿だけで誰なのか判るほど記憶力はよくない。――いや、大抵判るがあれは判らん。衣装からして貴族だが、軍族の面々ならともかく、あれは間違いなく文官だ。隙がありすぎる。まぁ、とどのつまりは馴染みの人間ではないということだな」
「なるほど」
「とりあえず、困ってるみたいだよ、ヴェスタ。助けに行かないの?」
「あれだけ如才がなければひとりで切り抜けるようにも思うが……行き合ったのも縁か」
「うん」
「そうか、仕方ない。一応俺の部下らしいしな、身内くらい助けてやるか。では、電光石火の勢いで激烈な助け舟でも出して来よう」
「なんか人死にが出そうな助け舟だなぁ……」
 圓東のつぶやきを背後に、飛鳥はゆっくりと歩を進めた。
 アルヴェスティオンが儚げな美貌に困惑を載せて何かを言っている。貴族たちが、どこか嘲弄を含んだ声で何事か返すと、アルヴェスティオンは長い睫毛を震わせて目を伏せた。
 大層様になる表情だが、飛鳥には、それもどこか作り事めいて見えた。
 男たちは、飛鳥の接近には一切気づいていない。
 彼らの背後十数メートルまで近づいたところで、アルヴェスティオンを取り囲む貴族たちが何を言っているのか、アルヴェスティオンが何に困っているのかも大体聞き取れるようになる。
 彼らは基本的に小声で喋っていたが、飛鳥の耳は恐ろしく高性能だ。特に苦労はしない。
 もっとも、それを耳にして、あまりのくだらなさに、こんなもん聞かなきゃよかった、とがっかりしたのも事実だったが。
「異大陸の蛮族が、よくもここまで偉くなったものだ。我らを差し置いて一等秘書官とは。末は秘書官長どのか?」
「はは、冗談であろう。蛮族の、平民の秘書官長になど、誰も従わぬぞ」
「無論戯れよ。だが、万が一を思うと寒気がする」
「いえ、あの、私は……」
「シュトゥルム家の若君に目をかけていただいたからといって付け上がるでないぞ。所詮蛮族の、血の賎しい平民が、国王陛下に近しき責務をいただくなど、あってはならぬことなのだ」
「若君も国王陛下もお優しい方ゆえ何も仰らぬだろうがな。皆、何故お前がここにいるのかと思っているのだぞ」
「……申し訳ございません、仕事がありますので」
「仕事か。お前の手にかけられては、貴い責務が泣くというものだ」
「そのうえ、今度は黒の申し子の侍従官まで勤めると来た。大層なご出世ぶりだな、一等秘書官どの」
「いや、かの申し子どのも平民と聞くぞ、賎しい血の持ち主同士、似合いではないか」
「――私が第二大陸民の血を引く平民だということは変えようのない事実です、私はどう言われようと構いませんが、どうかあの方の悪口は仰らないでください。あの方には何の落ち度もないはずです」
「落ち度? あるではないか、致命的な落ち度が。貴い加護の持ち主ゆえまだ大目には見るがな、血も財も地位も持たぬ賎民が、国王陛下と肩を並べるなど、不敬以外のなにものでもない」
「それを、不敬と仰るのですか……」
「不敬ではないとぬかすか、お前は?」
「……」
「おお……そうだ、よいことを思いついたぞ」
「何だ、何を思いついたのだ?」
「やはり、ふたつの仕事を兼任するのは大変だ、一等秘書官どのには申し子どのの侍従官としての責務を優先していただくことにして、一等秘書官の職をお国に返上してもらえばよい。そうすれば、それに相応しい血筋と能力を持った者が、そのお役目をまっとうできるであろう」
「ふむ、それはよい。ならばそなたに重要なお役目がまわってくることになるだろうな」
「いやいや、そなたかも知れぬぞ」
 飛鳥は、あまりに自分の都合のみで彩られた言葉の数々、一般人を人とも思わぬその口振りに、ある種の晴れやかさすら感じていた。持つ者の傲慢さ、その勘違いぶりを幸せだとすら思う。
 無論その晴れやかさとは、これなら何の躊躇もなく小突き回せる、という、飛鳥流の邪悪な代物だったが。
 飛鳥は無言のまま歩を進めた。
 背中に、圓東と金村の視線を感じる。
 貴族たちの背後数メートルに迫った時点で、アルヴェスティオンが飛鳥に気づき、ホッとしたような困ったような複雑な表情をした。紺碧の目が、申し訳なさそうな色彩を含む。
「何だ、どうした秘書官ど――」
 アルヴェスティオンの表情が変わったことに気づいたのか、男のひとり、真ん中にいた彼が訝しげな声を上げ、背後を振り向こうとした、その一瞬のことだった。
 秘書官どの、をすべて言い切る前に、男の身体は、恐ろしい勢いで横滑りを起こし、
「んなっ……がっ、ぐほぅあっ!?」
 いっそ腹を抱えて爆笑したいくらい奇妙な悲鳴とともに、磨き上げられた床に引っ繰り返った。
 べちゃっ、ごつっ、という、やはり壮絶に笑える音がする。文官とは皆こんなものなのか、引っ繰り返る様子は無様の一言に尽きた。受身も何もあったものではない。
 ぎょっとしたらしい残り四人が、ほんの一瞬飛び上がり、引っ繰り返った男を恐る恐る見下ろす。
「お、おいヴェトル……?」
「大丈夫か、ヴェーエトロース?」
「うう……な、なんなのだ、一体……」
 あれだけ無様に引っ繰り返れば当然なのだが、横っ面と腰を打ったらしい男が、呻きながら身体を起こすのを視界の端に入れつつ、飛鳥は抑揚のない淡々とした調子でアルヴェスティオンを呼んだ。
「ヴェスタ、こんなところで何をしている? 旧交を温めているところならすまないが、仕事を放っておくわけにはいかんだろう」
「あ……はい、アスカ。申し訳ありません」
「あんたたちも、こんなところで無駄話をしている場合か? 国は、城はもう動き出しているぞ、あんたたちのやるべきことをやれ」
 男たちの包囲をするりと突破したアルヴェスティオンが、飛鳥の元へ歩み寄る。その立ち居振る舞いから、彼がただの文官ではないことが見て取れた。あれは、少なくとも、戦い方を知らぬ人間のする足運びではない。
「今日もいい天気だ、仕事をするのに気持ちがいいだろう」
 飛鳥が淡々と言うと、毒気を抜かれたか呆然としていた貴族たちがハッと我に返り、確かに整ってはいるがどこか貧相な印象を与える、生白い顔に怒りとも羞恥とも不審とも取れぬ表情になった。
 毒々しい怒りに染まった顔で口を開いたのは、仲間からヴェトル、ヴェーエトロースと呼ばれた男だ。
 その名、ドイツ語でつまらないとかくだらないとかそういう碌でもない意味を持つそれには聞き覚えがあったのだが、どうやらそれはこの十日間の、他愛ないどうでもいい会話の端に耳にした類いのものらしく、完全に思い出すことは出来なかった。
 この場に集った貴族たちは、年の頃にして十代後半から二十代前半、ひょろりとした、肉体労働など出来なさそうな貧弱な身体の持ち主たちだった。衣装の趣味は悪くないが、あまりにありきたりすぎて個性が見えない。
 服飾品の質などから見て、どこにでもいる平凡な下級貴族の子弟といったところだろう。同年代同レヴェルの人間が群れるのはどこにでもある話だが、厄介で迷惑な話でもある。
「き、貴様……今、何をした……!?」
 『貴い』加護持ちであり、国王陛下の友人として大々的に名の広まった飛鳥に対して敬語のひとつもないのは――別に使ってほしいとも思っていないが――、怒りと狼狽に脳が沸騰しているからだろうか。
 生白い顔を怒りに赤黒くする男に、飛鳥は肩をすくめてみせた。
「別に、何もしてない」
「嘘をつけ!」
「なあ、ヴェスタ? 何かしたように見えたか?」
「いえ……あの、それが、本当に何も見えませんでした」
 本当に、というアルヴェスティオンの言葉に、飛鳥の手際のよさが見えるというものだ。たとえ、飛鳥が何をしたとしても知らぬ存ぜぬで通しただろう彼の目にも見えなかったのだから。
 彼は、ただ単に、ヴェーエトロースと呼ばれた男の背後に迫るや、ものすごい勢いで足払いをかけただけだったのだが、あそこまで見事に転んでくれるといっそ嬉しくすらある。
「さて、では行こうかヴェスタ。今日も忙しいんだ、時間は大切にしないとな。俺は十時から勉強だが、お前はどうなんだ?」
「あ、はい、今のところはアスカの勉強を受け持つ人間の設定と、ユージンとキースの就くべき職を模索しています。前者は皆さん快く受けてくださるのでいいとして、ユージンは提示されたどの職業よりも、アスカの近衛を希望しておられましたが……」
「却下だ」
「……仰ると思いました」
「ちょっと待て!」
「このまま行けるとは思っていないだろうな、貴様ら!」
 飛鳥は、主に彼らのために、何事もなかったかのように立ち去ろうとしたのだが、それを察することも出来ないからこそ馬鹿なのか、男たちが怒りの声を上げる。
 そこに含まれた驕慢さ、平民という、国の根本を支える存在に対しての侮蔑を感じ取り、飛鳥はかすかに鼻を鳴らした。
 リィンクローヴァがどんなに国民に近い、いい国でも、完璧には律せないものを人間と言う以上、こういう馬鹿がいなくなることはないのだろう。
 平民、一般市民と呼ばれる彼らなしに世界がまわらぬことを、何故彼らが理解できないのか不思議で仕方がないが、蟻の巣を観察していると、働き蟻の何割かは必ず怠けているのが判るというアレと同じだ。
 平和で堅固な国であればあるほど、その堅固さに胡座をかき、裏側で楽をしよう、いい思いをしようとする馬鹿が現れる。
「このまま穏便に済ませた方があんたたちのためだぞ」
「抜かせ!」
 飛鳥の胸中など知らぬげに、貴族のひとりが吼えた。
 もっとも飛鳥は、ひょろひょろした頼りない身体つきの彼に何を言われたところで、揺らぐような弱い心はしていない。これならまだ、本気で怒った圓東の方が多少怖い。
 平民平民と嘲られていたアルヴェスティオンすら、まったく動じていない辺りが生温い笑いを誘う。
「貴い加護持ちといえど、平民の、貴族への無礼を許すわけには行かぬ。相応の罰を覚悟するがいい」
 まだ身体が痛むのか、よろよろと立ち上がったヴェーエトロースが、何とか恰好を取り繕いながら傲然と断じる。
 飛鳥は平然と肩をすくめた。
「罰、か。何をどうするつもりだ?」
「決まっているだろう、王城から追放し、二度とここへ近づけぬようにしてくれるわ」
「ふぅん。まぁそこの可能不可能は置いておくとして、だ。で、その、無礼な平民に罰をくだそうと仰るお貴族様のお名前を教えていただけるとありがたいんだが?」
「ヴェーエトロース・ソガエ・ラムペだ。ミュゼス市の一角ラムペ区を預かる私への愚弄、ただで済むと思うなよ……!」
「あんたが預かってるわけじゃないだろ」
「なにっ!?」
 明らかに方向性を間違った傍迷惑な矜持と、馬鹿な貴族そのものの物言いに、ちょっとがっかりしつつ飛鳥は口を開く。あんなに頑張っているレーヴェリヒトの、その頑張りの影で、こういう馬鹿が育っているかと思うと怒りを通り越してやるせなくなる。
 それと同時に、俺がレイの側近になった暁には、レイの仕事をやりづらくする馬鹿の一掃から始めよう、という誓いを強くしたのも事実だ。
「いや、なんか聞いたことあるなーと思ってたわけだ、あんたの名前。ラムペでようやく思い出した」
「なんだと?」
「確か……博士たちが勉強の合間に話してたんだよな、うん。ラムペ区には、すごく綺麗な銀細工の灯火器(ランプ)があるって。一昔前には王宮でもすごくはやったらしいな」
「そうだ、あの銀灯はラムペ区の特産品だ。歴代の国王陛下に謙譲したこともある逸品で、貴族ならば誰もが欲しがるだろう。それがどうした、今更賛辞の言葉で場を取り繕おうとしても無駄だぞ」
「誰があんたの機嫌なんか取ろうと思うもんか。平民が誰も彼も貴族にぺこぺこすると思うなよ」
「なんだと、この……!」
「いいから聞けよ、お坊ちゃん。大人しく、お行儀よくだ。な?」
「ぐ……」
「ラムペ区を治めるラムペ氏というのは、位階こそ低いもののかなりの辣腕家と聴いている。ラムペさんには三人の息子がいて、一番上の兄貴は親父さんの手伝いを、二番目の兄貴は私兵軍の訓練と統率を受け持ってるらしい。それはもうふたりとも優秀で、上の兄貴に至ってはじきにリィンクローヴァ王城に官吏として召されるんじゃないかと博士たちが言ってた。彼らはラムペ区を今まで以上に発展させるだろうと、住民たちは期待しているそうだな」
「……そ、それが……」
「ところが、だ」
 飛鳥は大仰な仕草で肩をすくめた。
 誰に聞かせるでもない口調で、二の句を次ぐ。
「末っ子の、三番目の息子? こいつがもうまったく駄目な、箸にも棒にもかからないヤツで、勉強は嫌いだわ運動は出来ないわ人の心を掴むのはヘタクソだわで、心優しい兄貴たちが、実の父親にまで見放された可哀相な弟に自信をつけさせようと与えてくれた銀灯販売の業務もさっぱりらしい。誰でも欲しくなるような代物を、ただ売ることもできず、それどころか性格の貧相さが災いして顧客を減らしているんだそうだ。いや、もう、なんていうかいっそ可哀相になるくらいの人生の落伍者ぶりだよな? そうは思わないか、ヴェーエトロースさん?」
 飛鳥の物言いは、何人もの博士、おしゃべり好きな彼らから得てきた噂話から形成されたものだったが、何人もの博士が口にする噂を様々な角度から検証し、憶測や思い込みなどの違和感を除いた代物なので、ほとんど的を射ているはずだ。
 飛鳥はこういう、噂話から真実を言い当てることが恐ろしく巧い。
 ラムペ家の末っ子への悪意と憐憫に満ちた、的確に過ぎる飛鳥の言に、名指しで無能さを指摘されたに均しいヴェーエトロースが顔を赤くしたり青くしたりする。
 握り締めた拳がぶるぶる震えていた。
 しかし飛鳥は、彼の胸中になど頓着はしない。
「あんたたちも、おおかた、あまりの無能さに爪弾きにされてるクチだろう。世の中には、類は友を呼ぶという至言もあるわけだから。そりゃまぁ、次男三男が苦労するのは世の常だが、リィンクローヴァのまつりごとは、実力のある人間に厳しくないはずだしな。それでヴェスタを逆恨みとは、怒りを通り越して憐憫の情すら湧くというものだ」
 飛鳥はあの、馬鹿丸出しの大貴族、大公家のひとつシャーベフルツ家のジオールダも殺意を抱くほど嫌いだが、次に会ったら鼻の穴にヒッツェを詰め込んでやろうとすら思っているが、彼は少なくとも、シャーベフルツ家の当主として、そしてリィンクローヴァの財政を預かる財務大臣として、その名に恥じぬ働きだけはしている。
 現在の税収システムのいくつかは、ジオールダが財務大臣に就任後設定し施行したといい、それらはリィンクローヴァの主要な財源のひとつとして有効に機能しているという。
 とどのつまり、大臣とは、無能でも務まるものではないのだ、特にこのリィンクローヴァにおいては。
 そのことは、飛鳥も認めている。
 面と向かうとぶん殴ってその場にひざまずかせ、額が陥没するほど土下座させてやりたい気分になるのも確かだが。
「さて、どうしようか、無能で可哀相な貴族の方々。落伍者の繰り言に付き合ってやるのも慰めのひとつかとは思うが、俺もヴェスタも、あんたたちと違ってやるべきことが山のようにあるんだ。これ以上無意味な言いがかりをつけてくるようなら、国王陛下とグローエンデ将軍辺りに報告して助けを求めるしかない。それでもいいのなら、もう少し頑張ってみるか?」
 晴れやかに黒い飛鳥の笑顔に、青年貴族たちは明らかに怯んだ。
 王と将軍の名を引き合いに出されたから、だけではない怯み方だった。
「俺は、どちらでもいいぞ? とりあえず、早めに決めてくれ」
 漆黒の双眸を細めた飛鳥が、最終通告のようにそう言い、一歩踏み出すと、男たちは色をなして後退した。まるで自分たちの前にいるのが、何か得体の知れない不気味な生き物だとでも言うように。
「くそっ」
 ヴェーエトロースが、オレンジがかった茶色の目を歪めて吐き捨てる。
 恐らく彼の胸中では、平民にこき下ろされた屈辱や怒りが燃えているのだろうが、飛鳥は、そんな自分勝手な感情に用はない。
「……今日は退く。だが、覚えているがいい、いずれ、そんな不遜な口を利いたことを後悔させてやる」
「俺が後悔するような手を、あんたが打てるならな」
「……。行こう、皆。血の賎しいものに交わっては、我々も穢れてしまう」
「あ、ああ」
「ここで安心するのは早いぞ、お前たち。己の犯した愚に震えながら、眠れぬ夜を過ごすがいいさ」
「ご忠告どうも」
 見事にそれらしい捨て台詞とともに、青年貴族たちがその場を立ち去る。
 飛鳥は、彼らの貧弱な背中を見送りつつ、捨て台詞というやつは何であんなに画一的で面白味がないんだろう、もう少し気の利いたことは言えないものなんだろうか、などと思っているだけだったが、
「あの、アスカ。お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
 アルヴェスティオンに頭を下げられた時点でまた肩をすくめ、首を横に振った。
「いつもあんな感じか、あいつらは」
 問いに、アルヴェスティオンが微苦笑する。
「……――はい」
「王城で働く平民は多いが、お前のように高い地位についたものは多くないからな。貴い血とやらを持ちながら、自分の満足の行く地位からあぶれたものにはさぞかし妬ましいことだろうよ」
「……はい……」
「もっとも、高い地位なんてものを喜ぶ連中に碌な人間はいないけどな」
 きっぱりとした飛鳥の言に、アルヴェスティオンが笑った。
「私のような賎しい、穢れた血の者にとって、アスカのお言葉はひどく心強いものですが、あなたのその物言いは、ひどく敵を作るような気がして仕方ありません」
「血に貴いも賎しいもあるか。絶対視されるべきは行いであり能力であり心の在りようだ、生まれなんて本人の運以外のなにものでもない代物で、いい気になってるような馬鹿に敵視されたところで痛くも痒くもない」
「――やはり、アスカは、お強いのですね」
「単なる地だ、変えようもないな。まぁ、半分くらいはわざと、かな」
「わざと、ですか?」
「ああ。派手な行いをすれば、自然、敵対者もはっきりしてくるだろう。俺の邪魔になるような連中は、今のうちから目をつけておきたいしな」
「いつでも排除できるように?」
「いつでも地獄を見せてやれるようにだ」
「……心強いお言葉です」
「褒め言葉と受け取っておくさ。なんにせよ、災難だったな。今後、連中があんまりうるさく嘴(くちばし)を挟んでくるようなら、グロウ閣下にも相談してみるとしよう」
「ええ……いえ、アスカのお陰で助かりました。ありがとうございました」
「礼を言われるようなことでもないがな。しかし、時々面倒臭くならないか、ああいう馬鹿の相手。――ああ、答えに困るかな、こういう質問は」
 あまり自分の感情を見せることのない、一歩退いたところで大人しい秘書官、侍従官を演じている風情のあるアルヴェスティオンに、貴族とかいう連中の関わる突っ込んだ問いをしても無駄かと思った飛鳥だったが、彼の意に反して、青年秘書官は微笑とともに頷いた。
 微笑の中に、冷ややかななにものかがかすめる。
「なります。望んでここにいるわけでもないのに、どうして、とも」
 返った言葉は、静かではあったが、飛鳥にはそれが、アルヴェスティオンの悲痛な真情を含んでいるように思えた。
「……そうか」
 飛鳥は苦笑する。
 儚げに見えるが、やはりこの青年、中身には強靭なものを持っている。
 何が目的で――グローエンデに命ぜられたから、という理由だけだとは到底思えない――飛鳥の配下に収まったかはともかく、油断は出来ない相手だということだ。
 あの足捌きが素人のそれでなかったことも含めて。
「まぁ、いい。俺は朝飯を仕入れに行って来る、お前はお前の仕事をしてくれ。土産に第二大陸特産の茶と茶菓子でも買ってきてやろう」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
 『大人しい秘書官の仮面』を被り直し、にっこりと、やわらかく微笑んだアルヴェスティオンが、深々と一礼したのち踵を返す。
 羊皮紙の巻物と紙束を手に、文官としての衣装の、長い裾を優雅に翻す姿などは、ちょっとしたモデル並に様になっている。
 飛鳥は、少しずつ遠ざかる彼の背を黙って見送っていたが、アルヴェスティオンが数メートル離れた辺りで、
「お前の望みとは、なんだ?」
 静かに声をかけた。
 答えが返ると期待しての言ではなかったが、アルヴェスティオンは立ち止まり、ゆっくりと振り向いて、一言、
「――――…………自由」
 そう、言った。
 その一瞬、紺碧の双眸に揺れたのは、怒りと哀しみと愛情と憎悪の入り混じった、複雑すぎる光だった。彼もまた、何か大きなものを背負っているのだと、飛鳥は言葉なしに理解する。
「難しそうな願いだ」
「……ええ」
 その短いやり取りと軽い会釈ののち、アルヴェスティオンは、あとはもう振り返ることも飛鳥を気にすることもなく、歩き去って行く。
 しゃんと背筋の伸びた、美しい後ろ姿だったが、それはどこか孤独で、悲壮だった。まるで、自分以外頼るもののない異邦の地に、たったひとりでいるかのような。
 断絶すら見えるその背中に、切実な何かを感じたのは、おそらく飛鳥の気の所為ではない。