迫り来る刃を冷静に見極めると、飛鳥は手にした星鋼の剣を水平にし、その一撃を受け止めた。
 がちん、という金属音。
 間髪入れずに剣を勢いよく弾き、非常識な膂力に相手がよろめいたのを見逃さず、そのまま懐に飛び込むと、剣の柄で下顎をはね上げる。
 がつん、と鈍い手ごたえがあって、
「ぐ……ッ」
 低い呻き声とともに、しなやかな長身が髣髴線を描いて吹っ飛んだ。体勢を整えることも出来なかったらしく、鈍い地響きとともに地面に沈む。
 飛鳥はちょっとやりすぎたかな、などと他人事のように胸中につぶやくと、剣を鞘に戻した。それから、大の字になってぐったりと伸びている青年を見下ろし、手を差し出す。
「もしかして、死んだか? なら、腐敗が始まらないうちに火葬の準備をした方がいいかな。……うん、そうしよう」
 淡々とした、本気とも冗談とも取れぬ物言いに、ものすごく痛そうに顎をさすっていた青年、飛鳥直属の下僕騎士であるノートヴェンディヒカイト・ゼオラが顔を引きつらせて飛び起きる。
「どこからどう見ても死んでません! 問答無用で葬ろうとするのはやめてください、アスカ!」
「おや、それはすまん。いやなに、さっき、お前によく似たヤツが、冥府への橋を渡ろうとしている映像が見えたような気がしたんだ。勘違いだったか、それとも、単に脳内で展開された妄想だったか」
「どこで見たんですかそれ。いくら俺が馬鹿でも、意識も失わずに“死者の国”への橋を渡る器用さはないですよ……っていうか勘違いで葬られるとかあり得ませんし。不名誉どころの話じゃないです」
「案外楽しいかもしれないぞ、新しい世界が見えて」
「それって冥府ってことじゃないですか……!」
 飛鳥の軽口に全身全霊で突っ込んだノーヴァが、ややあって、大きなため息とともに立ち上がった。相当な勢いで顎を強打されたはずだが、あまりダメージにはなっていないようだ。
 その辺りは、やはり、飛鳥の配下なのである。
 そうでなくては務まらない。
 それに関しては、飛鳥も、この犬っぽい下僕騎士を信頼している。
 だからこそ、何の躊躇もなく、練習台として剣の鍛錬につき合わせられるのだ。圓東など練習台に選ぼうものなら、恐らくというか間違いなく、次の日当たりにしめやかな葬儀が営まれることになってしまう。
「なんにせよ」
 弾き飛ばされた剣を拾い、腰に戻しながらノーヴァが言う。
「ん?」
「もう俺では務まりませんね、お相手は。三日でこれだけ上達されるんですから、アスカは恐ろしい方です」
「ま、師匠と練習台が優秀だからだろ。あとは、そもそもの身体能力のお陰かな。こうして原理や使い方が判ってみると、剣というのもなかなか面白い。世の剣豪たちが、もっと速く、もっと鋭く、もっと重くと思う気持ちも判らなくはないな」
「確かに、剣の道を究めようという者の根本的な願望はそれに尽きるでしょうね。俺には多分無理ですが」
「ふむ」
「それに、そもそも俺よりお強いアスカが、不慣れな剣を手にしたからといって俺程度に先んじられるはずもありませんし。なんか、殴られ損て感じなんですけど。……ん、いや、でも、よくよく考えると俺的には殴られ得? あれ、となると実はこれものすごい幸運? やばいどうしようちょっと興奮してきた」
「千差万別が人間の長所だ、人様の嗜好に口をはさむつもりは毛頭ないものの、お前のそういうおかしげな部分は一刻も早く治してほしいと切実に思う次第なんだが」
「ええー? やだなぁアスカ。俺どっこもおかしくありませんってば。普通です、普通。なら、次の練習台はイースですかね? イースは俺の1.7倍くらい強いですよ」
「それのどこが普通だとか、なんでそんな微妙な数値なのかとか、いろいろと盛大に突っ込みたいところだが、さておき、イースには別の仕事を頼んでるからな。レイもまた忙しくなったみたいだし。まぁ、リーノエンヴェかグローエンデに頼んでもいいんだけどな。リーノエンヴェなんか、本気で来いとか言ったら嬉々として俺を切り刻みそうだ」
「ああ、なんかものすごく想像しやすい光景ですねそれ。ほんと、嫉妬っておっかないですねー」
「それは確かにそうだが、俺としてはむしろ、二十代を大幅に超えた男が、その嫉妬とか言うものを理由に本気で殺しに来ることの方が怖いぞ。もう少し自制心を持てというか、ちょっとは大人になれって話だ」
「アスカが老成しすぎって気もしますけどね、俺は」
「可愛げがないのは昔からだ、そこは斟酌しろ。そんなどこにも売っていないようなもの、求められても困る」
「売っててもびっくりしますけどね。というか、アスカにそれを求めるほど命知らずでもないですよ、俺は。まぁ、とりあえず、午前中の鍛錬は終わりですね。次は勉強ですか?」
「ああ……いや。午後からはレイの仕事ぶりを見学に行く予定だが、その前に、イースの報告がそろそろ入る。それを聴いて、対策を練る」
「死合いのですか?」
「ああ」
「確かに、七日後ですもんね」
「ま、今すぐと言われても応じるけどな」
 端的に返すと、飛鳥は星鋼の剣を手に踵を返し、鍛錬場を後にした。
 三日前、レーヴェリヒトと練習をしているとき、巨大な漆黒の竜を見たのと同じ鍛錬場だ。城から少し離れているのが不便だが、広々として使い勝手のいい空間と、どこまでも広がる青い空との対比がとても気持ちよくて、飛鳥はここが好きなのだ。
 城へ向かって歩く飛鳥の隣に、ごくごく自然にノーヴァが並ぶ。
 飛鳥より十センチばかり長身のこの青年は、飛鳥の実力、非常識な身体能力を知らぬわけではないだろうに、何故かいつも、飛鳥を守るように横に立つ。矢除け、弾除けのつもりなのだろうか、飛鳥に何かあっては大変だと思っているらしい。
 まったくもって大げさで過保護なヤツだと思うが、よくよく考えると、今の飛鳥の周囲には、過保護で心配性な飛鳥馬鹿が驚くほどたくさんいるわけで、それを思えばあまり大したことではないのかもしれない。
 ――大したことではないと思ってしまう自分の順応ぶりがちょっと嫌だが。
「でも、アスカ」
 そんなことをつらつら考えていると、ノーヴァが唐突に口を開いた。飛鳥は首をかしげて青年騎士を見る。
「ん?」
「ホント、どういう関係なんでしょうね、ラムペ家とあのふたり」
「ああ。引き抜き、ではないようだな」
「そうですね。ラムペ家は、ひとつの区を預かる下級貴族としてはかなりの規模ですけど、区ですからね。自分たちだけで超級討伐士を雇う必要はないと思います」
「だな。そもそもラムペ区があるあの辺りは、異形の発生も少ない穏やかな地区だと聞いた。なんにせよ、付け込めそうなネタを抱えててくれると面白いんだが」
「その物言い、なんかすごい悪人ぽいですよアスカ」
「事実、少なくとも善人じゃあない。俺にとって大事なのは結果だ、目的を果たすためなら汚い手でも喜んで使うさ。お前らみたいな生粋の武人には受け入れ難いことかもしれないけどな」
「俺は確かに戦いの場にしか生きられない武人ですが、アスカがそうと決められたことなら、それがいかなるものであったとしても、俺に否やのあろうはずがありません」
 きっぱりとした物言いに飛鳥は微苦笑した。
 やはり、どうにも、ここには飛鳥に甘い人間が多すぎる。
「お前らって本当に馬鹿だよな」
 しみじみ言うと、そこに含まれた言外の意味、強い呆れと同等の照れに気づいたのだろう、ノーヴァがにっこり笑った。
「アスカにそう言ってもらえることが俺の幸いです。なにせ、俺はあなたの下僕ですからね。多分、イースもそう思ってますよ」
「……居たたまれなくなるくらい恥ずかしいヤツだな、お前も……」
 再度呆れてつぶやくが、ノーヴァはますます嬉しげに笑うばかりだ。
 そこへ、
「……アスカ」
 静かに声をかけてきたのは、ノーヴァの相棒にして親友たる男だった。
 タイムリーなというか何というか、飛鳥が頼んだ『仕事』を終えて戻ったものであるらしく、手にはくず木で作った粗雑な紙の束を抱えている。
 飛鳥は片眉を跳ね上げて彼を見上げた。
「戻ったか。どうだった」
「いくつか収穫が」
「……聴こう」
「では、部屋へ」
「ああ」
 短いやり取りの後、三人は、まだ側近として配属されたわけでもないのに何故か与えられた執務室へと向かった。とはいえ、仕事に使う必要もなし、完全に飛鳥の読書部屋、本の収納庫となっているのだが。
 いい黒檀で作られた執務机、今のところ無用の長物といって過言ではない扱いを受けているそれの前で、机と同じデザインの椅子に腰掛け、イスフェニアの長身を見上げる。
「何から聴けばいい。その様子だと、全部が判ったわけではなさそうだな」
「は」
 イスフェニアの無骨な手が、紙束を繰る。
 この仕事を命じて知ったことだが、中級貴族の一員たるイスフェニア・ティトラ・エルンテには、彼が生まれたときから傍に仕える忠実な人々が多数存在するらしく、その中に、いわゆる忍(しのび)、間者の類いも何人かいるらしいのだ。
 その彼らが集めてきた雑多な情報をふるいにかけ、一定の方向性を持たせて正しく判断するのは、イスフェニアと、飛鳥が貸し出したアルヴェスティオン・バーゼラだ。
 出身こそ貴族だが、騎士である以前に、無口であまり自己主張をしない彼にそんな芸当が出来るとは想像できず、アルヴェスティオンに話を聴くと、イスフェニアの人を動かす能力と情報収集能力は、昔から王宮内でも高く評価されているとのことだった。
 人は見かけによらないものである。
 そのお陰で、今こうして有益な情報を手にすることが出来るのだから、天とやらの采配には感謝しなくてはなるまいが。
「では、端的に。人を動かしてラムペ家の別宅、区役所支所の周囲と、ラムペ区の本宅周囲とを探らせました」
「ふむ」
「ふたりの討伐士は、主にアインマールの別宅を訪れているようです」
「間隔は?」
「一ヶ月に一度」
「何のために」
「密室で行われているらしく、確証は得られませんでしたが、どうやら、かなりの大金を支払っている模様です」
「そうか。……ん? どちらがどちらに、だ?」
「討伐士たちが、ラムペ家に」
「逆じゃないのか」
「いえ、金銭を受け取っているのはラムペ家の方です」
「……何故だ」
「面目ない、そこから先は目下調査中です。ですが、」
「なんだ」
「討伐士たちには、それをしなくてはならない、相当切実な事情があるらしく」
「ほう」
「討伐士たちがラムペ家当主と会う時は必ず人払いがされるそうで、じかに目にしたものはいないようですが、あの屋敷に勤める侍従のひとりが、何かを言い争う声を聞いております」
「内容は」
「何かを返せと、そういう話だったと」
「そのために、毎月大金を支払っている?」
「はい」
「だが、まだ討伐士たちは目的のものを手に入れてはいない。そうでなくては、ギイがレイに多額の金銭を要求する理由がないからな」
「はい。それゆえの日々の言動でしょう。しかし、侍従の話では、当主たちには、それを返すつもりはないようだったと」
「……なんだ、騙されてやがるのか。いや、返すつもりがないと判っていても通いつめずにはいられないくらい大切なものなのかもしれない」
「そう思います」
「ギイのあの性格なら殺してでも奪い取りそうだが……それをしないのも何か理由があるのかな。報告はそこまでか?」
「は」
「判った、ありがとう」
「他はいかがいたしますか」
「なら、引き続き調査を頼む。出来れば、あのふたりが欲しがっているものが何なのか、具体的に知りたい」
「御意。では、しばしお待ちを」
 イスフェニアが恭しく一礼し、踵を返す。
 隙のない足運びで部屋を出て行く彼の背を見送って、飛鳥は顎に手を当てた。様々な算段が、脳裏をぐるぐると回り始める。そのまま、彼が深い思考に沈みこむより速く、
「何か悪だくみを思いついたんですか、アスカ」
 黙って傍に控えていたノーヴァがそう問うたので、飛鳥はにやりと笑って彼を見上げた。
「そうとも、悪だくみだ」
「なんだか楽しそうですね、アスカ」
「ああ……そうだな、面白いことになりそうだ。巧く行けば、俺に楯突いた馬鹿をぺしゃんこにしつつ、ギイたちへの切り札まで手に入ることになる。楽観視をするつもりはないが、なんだろうな、巧く行きそうな気がする。確信といってもいい」
「俺にも何かお手伝いできますか?」
「出来ますか、というか、むしろ問答無用で手伝わせるつもりだが」
「望むところです」
「……言うと思った。と、突っ込むのも馬鹿馬鹿しくなってきた。まぁ、精々、お前たちを退屈させないようにするさ。ああ、あとで工房まで圓東を迎えにいけよ、今は金村が守ってるからいいけどな」
「はい、了解です。キースの身の安全も、はやく確保できるといいですね」
「そうだな、何せ一番攻められると弱い部分だ、早めに解決するに越したことはない。さすがに、見捨てるのは忍びないからな」
 肩をすくめて言うと、ノーヴァが笑ってうなずいた。
 無論、今後、どうしようもない場面に追い込まれたとき、様々なものを天秤にかけざるを得ない状況に陥ったときに、自分が最後に選ぶものが何なのか、誰なのかは、すでに自覚し覚悟もしている飛鳥だが。
 それでも、今は、なすべきこと、はたすべきことのために全力で動くだけのことだ。