その二日後のことだった。
「……ふむ」
バドの工房を訪れたふたりの男を交互に見遣り、飛鳥は腕を組んだ。
「幻和灯の技術を売ってほしい、か……耳の早いことだな」
実は、それこそが飛鳥の狙いだったのだが、――そして、幻和灯が王宮内で話題になっていることは知っていたものの、彼らの来訪の予想以上の早さに若干驚いてすらいたのだが、そんなことはおくびにも出さず、彼は非常によく似た顔立ちの男たちに座るよう促した。
「懇意にさせていただいております大公家の方が、素晴らしい細工物がある、と紹介してくださったのですよ。それで、いても立ってもいられず飛んで参った次第です」
と、鷹揚な笑みを見せる男の隣では、彼の若い頃を髣髴とさせる青年が、控え目な笑みを浮かべている。
「それで……いかがでしょうか、加護持ち殿。我々の申し出はお受けいただけますか? お売りいただけるのでしたら、白銀貨一千枚、耳を揃えてお支払いしますが」
金貨の十倍の価値のある高額貨幣の名が出て来て、大層なことだと飛鳥は思ったが、そうですか、では、と受けてしまっては何の意味もないので、肩をすくめて男を見遣るに留めた。
「さすがは今をときめくラムペ家……素晴らしい金払いのよさだな」
「いえ、我々など下級貴族の末席を汚しているに過ぎませんよ」
「謙遜はいい。――銀灯の売り上げに停滞感が兆していたところでこれが現れたから、というところかな」
胡蝶蘭に月と雲という彫刻の施された幻和灯を、組み紐に指をかけて掲げてみせながら、あえて直截な物言いをすると、男たち……ラムペ家の当主であるコーネ・グラナ・ラムペと、その長男であり時期当主でもあるクルーク・ビニ・ラムペの笑みが深くなった。
青みがかった灰色の髪に、オレンジがかった茶色の眼、――そう、圓東を痛い目にあわせたヴェーエトロース・ソガエ・ラムペの実父と長兄である。
「……悪いお話ではないと思うのですが」
「ふむ」
「他のどこに持って行かれても、これだけの金額を出すことは出来ますまい」
「なるほど。そして、あんたたちは、他のどこよりも、その投資資金を回収するすべに長けている……ということか。銀灯とは違って材料費もかからず、技術はともかく作成期間も銀灯ほどじゃないからな」
「ええ。技術のレベルを一定以上に保つ努力は必須ですが、数をこなせる、というのは大きな強みです」
「しかも、まだ数が出回っていないから、値段はあんたたちの好きなように決められる。あえて銀灯ほど高価にせず、貴族のみならず平民たちの富裕層までが、いくつでもほしい、と思ってしまう、手の届きやすい価格に設定する、とかな」
「……あなたは聡明な方だ、加護持ち殿」
「そりゃ、どうも」
飛鳥が肩を竦めると、コーネはソファからぐっと身を乗り出した。
「何も、あなたの眷族殿に我々の元へ来て欲しいなどと申し上げるのではありません。ここへ、うちの細工師たちを出入りさせていただければそれだけでいいのです」
「ふむ……技術指導をしろ、ということか。だが、設計図を渡すのではなく、直接に教えるとなると、値は張るぞ?」
その物言いに、男たちは余裕の笑みを浮かべてみせた。
さすがは、アインマールでも有数の実業家たちだ。
彼らならば、自分たちが支払った金額を、軽々と十倍や百倍にしてみせるのだろう。
だが、飛鳥のもくろみは、もっと別の場所にある。
彼らの幻和灯への興味がちょっとやそっとでは薄れないと知っているからこそ、そうそう簡単には折れない。
「とはいえ、そもそも俺たちは、金銭のみを欲しているわけではないんだ」
「と、申されますと」
「あんたたち、あの幻和灯を見てどう思った?」
「……美しいと思いましたよ。素直に、なんのてらいもなく。あんなに美しい光を目にしたのは、生まれて初めて銀灯を見て以来でした」
「私も、父と同じです。我がラムペ区の銀灯は、火の美しさを楽しむための芸術品ですが、あの幻和灯は光の美しさと同時に影の麗しさをも堪能できる逸品だと」
その答えに飛鳥は満足する。
親子の物言いは、決して腹の中のすべてを見せてはいないのだとしても真摯だった。ものづくりに携わってきた一族、美しいものをつくり、世に送り出してきた一族としては、何か通じるものがあるのかもしれない。
飛鳥の感覚は、少なくとも今の彼らが嘘を言っていないことを彼に教える。
「俺は、その感覚を、それを望むすべての人間にもたらしてやりたい。だから……正直、これを金銭でやりとりしたいわけじゃない」
半分は演技、半分は本気でそう言う。
この幻和灯を使ってコトを有利に運ぼうという目論見とともに、圓東が丹精込めた美しい品が、金銭に関係なく、たくさんの人々の心を楽しませればいい、という甘い感情があることを飛鳥は否定しない。
「あんたのところの職人に技術を教えることに否やはない。だが、その結果、これが手の届かぬ存在になり、また、雲の上のものになるのでは意味がないんだ」
「それは、つまり……?」
「本来は俺が言うべきことでもないんだが……技術はやってもいい。たくさんの人々が、この美しいものを共有できるのだとしたら、それはとても喜ばしいことだろうと思うからな」
「おお、では」
「――ただし、コーネさん、あんたたちが、この工房で作られるものがオリジナルであり、自分たちの技術がどこから来たものであるのかを、常に掲げていられるのなら、だ。そして、この工房で、安価な『本物』が売られることに否やを唱えないのならな」
「ふむ……それはつまり、あなた方が幻和灯を特許として申請され、我々はあなた方に許可を得て、特許料を支払いながらそれを複製させていただく、ということですな」
この世界に著作権という概念はないようだが、優れた技術を開発者に独占させることで粗悪な模造品が出回らないようにする、特許権に近い考え方はあり、日本の特許法に準ずる法律も存在する。
飛鳥は無論、この幻和灯を登録すべく手続きを始めているが、ラムペ家のふたりの訪れが予想以上に早かったのは確かだ。
「そうだ。あんたたちがそれでも構わないと言ってくれるのなら、圓東やバド爺さんは、喜んであんたたちの細工師にあの技術を教えるだろう」
とはいえ、正直、こちらの都合一辺倒に過ぎると思わなくもなく、さすがの飛鳥も、この条件を完全に飲ませることが出来るとは思ってはいなかった。もう少し時間をかけて、柔軟な案を示す必要がある、と、すでに別のシミュレーションを始めていたほどだ。
だから、
「判りました……そのように、お受けいたします。一般の人々の手にも渡りやすいよう、材質を少し落としつつ細工の質は落とさない、少々安価なものを販売することも視野に入れましょう」
「……いいのか?」
コーネがきっぱりと言った時、思わず反対に問い返してしまったほどだ。
何せ、いかに飛鳥が様々な事柄に精通しているとはいっても、商売などというもの、その最前線や、金銭を稼ぐことで新たな世界を膨らませていくその循環は、飛鳥のありようからはあまりにも遠いのだ。
ギイとの戦いが控えていなかったら、特許を取ることも、コーネたちとの取引のために思いを巡らせるようなこともなかっただろう。
それゆえに、コーネの返しは、ちょっとした驚きだったのだが、飛鳥の素に近い反応がおかしかったのか、彼は少し笑い、飛鳥が手にした幻和灯を、眼を細めて見つめた。
「私たちを守銭奴と罵るものもおりますでしょうが、我々とて、金銭のためのみに生きているわけではありません。私たちは貴族である以前に商人です。ラムペ家は、元々、細工と商売が巧みなのを認めていただき、貴族の末席に加えていただいた一族ですので」
「ああ……そうなのか。確かに、あの銀灯は綺麗だった。さすがに手は出なかったが」
「ありがとうございます。あれはやはり、我々一族の、そしてラムペ区の誇りですのでね。ですから、我々にとって、美しいもの、有用なものを創り、もしくは見い出して、それらを世に送り出してゆくことは喜びでもあるのです。この美しい幻和灯が、私たちの仲間に加わってくだされば、それもまた得難い喜びとなることでしょう」
「……そうか」
飛鳥は小さく頷き、ぴんと背を伸ばして居住まいを正すと、ラムペ親子に向かって深々と頭を下げた。
敬意を払う価値のあるものに対して礼儀を尽くすことは、飛鳥にとって負担でも何でもないし、そうあってしかるべきだろうとも思っている。
「では……世話になる」
「……はい、こちらこそ」
コーネが微苦笑し、頭を下げる。
クルークも無言のまま居住まいを正し、一礼した。
「では……白銀貨一千枚、すぐにお持ちいたしますので」
「ああ、それはいい」
「は?」
「俺たちは金を稼ぎたいわけじゃないんだ。圓東も、日々の糧が得られる金額さえ稼げればそれでいいと言っている。だから……その金は、あんたたちの区のために使ってくれ」
「しかし……」
ここからが本題だ、という意識は、飛鳥にはあまりなかった。
実を言うと、飛鳥は、このラムペ親子に興味を持ち始めていた。
ものを売り買いし、金銭を貯め込むことのみではなく使うことで更なる利益を上げる、使うべきところでは惜しまず、引き締めるべきところでは引き締める、自分にはない思考回路を持った彼らをもう少し知りたい、彼らからも様々なことを学んでみたい……という意識が芽生えていたのだ。
飛鳥は、自分の知識欲の業深さにほんの少し苦笑したが、それもまた自分だ、と自己完結する。
「お前のような門外漢が何を、と笑われるかも知れないが、俺は、あんたたちからも学んでみたい。そうしてみたいと思った」
だから、彼が口にしたのは、ほぼ本心の、毒も企みも含まない願望だった。
薄情な話だが、この瞬間には、圓東のことも、ラムペの末息子のことも、ギイとの死合いのことも忘れていた。それらは、己が知識欲の前にはどうでもいい瑣末な出来事に過ぎないのだった。
――無論、それはそれで何とでもする、何とでもできる、という強い自信があったことも否定はしないが。
「だから……そうだな、対等であれればいいと思うんだ。俺は幻和灯の技術をあんたたちに橋渡しする。信頼して、圓東の腕を預ける。そのかわり、あんたたちも、俺が信用出来ると思うのなら、何か、大事なものを預けてくれ。俺は、それでいいと思う」
「そうですか……あなたにとってエンドウの創られるものは宝物のひとつなのですね」
「……そう言われると若干尻がむず痒いけどな」
「ふむ、ならば私たちからも、大切な宝を預けましょう。黒の加護持ちが、我々に向けてくださった信頼に応えるためにも」
その、『大切な宝』がどんなものであるか、何も調査をしていなかったわけではない。
飛鳥は、イスフェニアに命じて、ラムペ家の所有する財、価値のある品々を調査させる中で、こういう場において提供するのに最適な品が何であるか、彼らが何を出してくるかを、様々な方面からシミュレーションしていた。
イスフェニアとアルヴェスティオンは、同時にふたりの超級討伐士についての調査も進めており、ギイとエルフェンバインの過去や、ふたりの育ての親であり後見人でもある、とある貴族との関係など、様々な事実を調べ上げている。
その頃には、もう、ギイとエルフェンバインが求めるものが何であるかも、おぼろげに判り始めていたし、それは確かに、手に入れば、五日後に迫った死合いを有利に……劇的に運ぶことが出来る代物だったが、正直、今の飛鳥にとっては、死合いよりも彼らラムペ一族と縁を結ぶことの方が大事だったので、あまりこだわるつもりもなくなっていた。
「とある方の窮状をお助けしたところそのお礼にといただいた、由緒ある、とても美しい品でしてね。恐らくこれは、戦いの場に生きる方にこそ相応しいのではないかと」
それでも妙な確信があったのは、飛鳥に様々なことを望んでいるらしい神々や世界が、『そう』なるように流れを調整してくれたから……なのだろうか。
「しかし父上、あれは」
「構わん。我らが持つには重過ぎるものだ」
「それは、私も思っていましたが……しかし」
「この縁にもっとも相応しいものと言えば、それしか思いつかない。あれは、それだけの価値のあるものだろう」
「…………彼らが何と言うか」
「次の会合まで一ヶ月ある……それまでに手を打てばいい。いや、いっそ、これを機会に彼らに吹っ切ってもらえばいい」
ぼそぼそとした、飛鳥に更に確信を抱かせるに充分な会話のあと、飛鳥と向き合ったコーネが、顎を引くようにして頷いた。
「承知いたしました。では……用意が出来次第、お届けに上がります。あれならば、あなたの宝をお預かりするに相応しい品たり得るだろうと」
「判った……楽しみにしている、というのも変な話だが、まぁ、楽しみに待っているさ」
いっそ流麗なまでに遅滞なく、一片たりと違えることなくはまっていくパズルのような、運命とでも呼ぶべき何かのことを、飛鳥が、それはつまりとっとと『仕事』をしろということなのか、などと、天と地に意識を向けながら胸中に呟いていると、コーネがかすかに苦笑を漏らした。
「どうした?」
「このようなことを申し上げれば、何を夢見がちなことをと呆れられるかもしれませんが」
「?」
コーネの物言いに、飛鳥が首を傾げると、彼は苦笑めいた色彩を唇の端に載せ、首を緩く横に振った。
「私のような即物的な人間が、おかしなことですが……何故でしょうか、今日のすべての出来事に対して、そうしなくてはならないような気がしたのですよ、加護持ち殿」
「……飛鳥でいい。別に、敬称も敬語も要らない」
「では、アスカ。言葉遣いは……くせのようなものですので、お気になさらず。私は何故か、確信しているのですよ」
「何をだ?」
「私たちが手を取り合うことで、運命が進む、と。そのことが、この小さく美しく慕わしい、麗しのリィンクローヴァを護る力の一端になるだろう、と」
「……そういうもの、か?」
「あなたのことを口さがなく言うものたちが、リィンクローヴァの貴族にいることも存じ上げてはおりますが、私は、血の貴さ云々よりも大切なことは知っているつもりですよ」
――末息子がアレだったもので、どうせ親も……という既成概念があったことは事実だ。
何せここ最近、貴族の方々にはがっかりさせられっぱなしなので、そういう意識内での決め付けはよくないと判っていて修正するつもりもなかった飛鳥だが、ここに来て、それが誤りであったことを思い知らされていた。
どんなことであれ、固定観念によって決定付けてはいけない。
ひとつの言葉、ひとつの行動の奥にある別の真実を見逃してはいけない。
決して折れぬ強固な意志の中にも、変化を受け入れる柔軟さを持ち合わせなくてはならない。
飛鳥はそれを、今のこの時間で再認識させられた。
だから飛鳥は、唇を真一文字に引き結び、ラムペ親子を真っ直ぐに見据えた。
漆黒に見据えられ、親子がほんの少し緊張の面持ちをする。
「……俺は」
「いかがされましたか」
「多分、あんたたちを見くびっていた。――それを、詫びる」
言って、もう一度深々と頭を下げた飛鳥に、ラムペ親子が顔を見合わせ、どこか面映げに笑った。
そこにあった誠を、飛鳥は疑わない。
そして、その三日後、コーネ名義で王城の居宅に届けられたそれは、飛鳥をいたく満足させ、勝利への確信を抱かせたのだった。