1.深い森で

 どうしてこんなことに、と、櫻良(さくら)はつぶやいた。
 歯の根が合わないほどに震えながら。
 ――深い森の中だった。
 樹齢百年を軽く超えそうな巨木があちこちに並び立つそこは、木々の下に入ってしまえば、日の光すら届かなくなる。
 櫻良はその深い暗い森の中を、ともすれば恐怖に竦んでしまいそうになる脚を無理やり動かして、必死に走っていた。
 下生えの草はやけに鋭く冷たく、走り抜けるたびに櫻良の剥き出しの足を傷つける。まだスニーカーを履いていただけよかったと、自分を慰めることも出来ない。
 けれど、痛みに気を遣っているような余裕はなかった。
 早く逃げろ、ここから逃げろと、意識が絶叫を上げて警告する。
 信じがたい事実の連続に、櫻良はパニック寸前だった。出来ることなら、この場に座り込んで何もなかったふりをしていたかった。
 それでも、背後に迫る恐怖が、彼女を追い立てるのだ。
「夢だ、これは夢だ。でなきゃこんなのおかしい。――ねえ、お願い、夢ならもう醒めてよっ、こんな夢、もう嫌だ!」
 あたしは自分の部屋で、お布団の中にいて、ちょっと怖い夢を見ているだけなんだ、と思い込もうにも、感覚はあまりにもリアルだった。
 セオリーに従って頬をつねってみても痛いだけだ。
 目覚めが訪れる様子はない。
 だとしたらこれは間違いなく現実だった。恐怖も疲労も痛みも、何もかもが本当のことなのだ。
 けれど、彼女がついさっきまで暮らしていたはずの町には、東京の中心に近いだけあって、こんなに青々とした森があると聞いたこともなかった。何よりも、時折葉と葉の間からのぞく空は、東京の曇った青ではなかった。
 ならば、ここはどこなのだろう。
 櫻良は泣き出しそうになりながら、先刻からずっとそうしているように家族を呼ぶ。
 ここから自分を助けてくれそうな存在といったら、そのくらいしか思いつかなかった。
「ここどこっ、パパ、ママ、お兄ちゃんっ! ねえ、どこにいるのっ!?」
 しかし、返事はなかった。
 いつも忙しくてあまり口を利く機会のない父と、怒りんぼうの鬼婆だと悪口ばかり言っていた母、そして年頃ゆえの多感さで疎んじていた兄がたまらなく懐かしかった。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 ごめんなさいパパ、ごめんなさいママ。ごめんなさいお兄ちゃん。
 櫻良は何度も何度も謝っていた。家族の幻に向かって。
 ――今日で二学期が終わった。
 明日から冬休みだと浮かれるより、一学期と比べてがくんと下がった成績のことで櫻良は落ち込んでいた。
 一学期、高校入学後初めてのテストはまだ、必死になって勉強せずとも中学生の頃の学力でも何とかなったが、二学期のテストはそうはいかなかった。すべての非は、それをきちんと理解せず、遊び惚けていた櫻良にある。
 料理が好きな彼女は、将来は調理師か管理栄養士になりたいと漠然と思っていたが、こんな成績では口に出したところで笑い飛ばされるだけだろう。そのくらい、散々な成績だった。
 お茶をしに行こうという友人たちの誘いを断り、悄然と帰宅した櫻良は、追い討ちをかけるように母親からお小言を食らった。
 勉強しなさいといっているのにしないから。本当にあんたは小さい頃から集中力が足りない。こんな成績で将来はどうするつもりなの。
 慰めを期待していたわけではなかった。
 悪いのは櫻良自身なのだから。
 けれど、そのことを理由に、誕生祝いに買ってくれると約束していた時計をなしにすると言われて、櫻良はカッとなった。
 それとこれとは話が違うと詰め寄っても、母は冷たく首を横に振るだけだった。
 櫻良は春の生まれなので、もう半年以上前に十六歳になっていたが、クリスマスプレゼントのお祝いとあわせて、今度の日曜日に家族でデパートに出かけ、前から欲しかった高価な時計を買ってもらうことになっていた。櫻良はそれをとても楽しみにしていた。
 父は忙しくて話す時間もなかったし、母はいつも怒ってばかりのうざったい存在だったし、兄は大学という未知の場所にいてよく判らなかったけれど、たまに話をする父は優しかったし、母が怒るのは櫻良のためで、兄は何かと櫻良のことを気にかけてくれていた。
 櫻良は家族が好きだった。
 櫻良と同年代の子供たちがそうであるように。
 けれどそのときの彼女は、約束を破られたという怒りと哀しみでいっぱいになって、
(ママの馬鹿っ。嫌い、大嫌い! こんな家、出て行ってやるっ!)
 幼い衝動のままに家を飛び出し、母親の呼び声を完全に無視して、脇目も振らずに走って商店街を突っ切り、見覚えのない角を曲がったところで――――いきなり落下したのだ。
 遊園地の落下アトラクションさながらに。
 何が起きたのか判らず悲鳴を上げ、衝撃と恐怖のあまり意識を失った櫻良が、次に目をあけるとこの森だったのだ。
 それからおよそ二時間、櫻良は森を逃げ回っている。
 背に迫る悪夢から逃れようと、必死で。
 なんでこんなことに。
 櫻良はまたつぶやいた。
 顎から汗が滴り落ちる。
 東京は――というよりも日本は、寒さの厳しい冬の最中のはずだったが、森の空気は冬のものではなかった。森の姿は冬のものではなかった。
 黒々と生い茂る葉が、マツやスギのように一年中緑色をしているものなのだとしても、それだけでは雑草がここまでよく繁っている理由にはならない。辺りがひんやりとしているのはきっとここが森の中だからで、気温は少なくとも春か秋程度だった。
(ここはどこなんだろう。どうやったら帰れるんだろう。――――それに、あれはいったい何なんだろう)
 全力で、必死で、背後を気にしながら走り続けていた櫻良だったが、『あれ』にほんの一瞬気を取られた所為で、木の根に思い切りつまづいてしまった。
「あっ」
 小さな悲鳴を上げると同時に体勢が崩れ、雑草の中へ転がり込んでしまう。木の根や石ころにあちこちを打ち、身体がずきずきと痛んだ。
「い、いた……」
 櫻良は正真正銘の都会っ子なので、こんな森の中で転がりまわって遊んだ経験はない。森の中での遊び方も、森との付き合い方も知らない。
 知る必要もないと思っていた自分を、櫻良は少しだけ恨んだ。
 痛みと、それにも増して疲労と限界を訴える身体をなんとか起こし、立ち上がろうとした櫻良の耳に、

「くひひ」

 あの、櫻良を恐怖のどん底に落とし込んだ気味の悪い声が聞こえた。同時に、獣の唸り声がする。
 櫻良はひっと息を飲んで硬直し、周囲を見渡す。
 立ち上がろうとしていた足が萎え、その場に座り込んでしまう。

「追いついたぞ。捕まえるぞ。――頭から食らうぞ」

 声は年老いた老人のようだった。
 それは、残酷な喜悦を含んでいた。
「いや……」
 ざわざわと木々が音を立てる。
 まるで、近づいてくる何かに怯えて身をすくませるかのように。
「いやだ、来ないで」
 ――草と、土を踏みしだく音が聞こえる。
 ざり、ざり。
 爪が石を噛む音がする。

「おお、美味そうだ。肉は少なそうだが、身は甘いだろうな」

 嬉しそうな声に、獣の唸り声が重なる。
「……来ないで……」
 櫻良は自分の身体を抱くようにして震えていたが、太い幹の向こう側から『それ』が、――肉食獣の四肢に、醜く崩れた老人の顔と半分が腐った虎の顔、ふたつの顔がひとつの頭部の左右に張り付いた、不気味な『それ』が姿を現した瞬間、――――櫻良を観た老人の顔がニタリといやらしく笑った瞬間、
「いやっ、いや、いやだっ! 来ないで、こっちに来ないで――っ!!」
 喉が張り裂けるほどの声で絶叫していた。
 耐え切れず、下着と制服のスカートを生温かい液体が濡らす。
 しかし櫻良には、それを恥ずかしいと感じている余裕などなかった。身体の痛みも疲労も今は遠く、ただただ狂おしいほどの、胸を握り潰されそうな恐怖ばかりがある。
 ニタニタと笑った『それ』が、四つ足でゆっくりと近づいてくるのだ。櫻良は恐怖のあまりガクガクと震える足と、まるで根が生えたかのように重い尻を引きずって、必死で逃げようともがいていた。
 涙がぼろぼろとこぼれ、頬に幾重もの筋を描いた。

「娘の肉は久方ぶりだ。生娘ならば、更によいのだが」

 『それ』はあっという間に櫻良の目の前に辿り着き、その巨大な顔で櫻良を覗き込んだ。左側の顔、普通の人間の十倍はあるだろうと思われる、醜く、ひどい匂いのする老人のそれが、櫻良を値踏みするかのようにじろじろと眺め回す。
 腐りかけた虎の顔が舌なめずりをし、喉の奥でぐるぐると唸った。滝のような涎が滴る。

「おう、たまらんな。まったくたまらん。よい匂いだ。美味そうだ。――怖いか、娘。ひひひ、怖いだろうな。怖がれ、怖がれ。わしはお前を食らうぞ。生きたまま食らうぞ」

 灰色の舌でぺろりと唇を舐めた老人の顔が、ニタニタと笑いながら櫻良の耳元で言う。生臭い息がかかり、櫻良は吐きそうになった。
 老人の顔の言う言葉は冗談には聞こえず、また、人間の顔と腐った虎の顔を持った奇怪な生き物が冗談など言うようには思えず、櫻良はガタガタ震えながら首を横に振った。
 ――こんなところで死にたくは、なかった。
「やめて。いやだ……食べないで。あたし、死にたくない……」
 だが、化け物はニタニタと笑うばかり。
 そして涎をこぼすばかりだ。

「ああ、人間が怖がる姿は愛(う)いものだ。可愛くて可愛くて、喰ってしまいたくなる。心配するな、わしとて一息にすべて食らうほど不粋ではない。お前の悲鳴を聞きながら、ゆっくりゆっくり食らってやろう。さあ、どこから齧ってやろうか。足からか。それとも指からか、はらわたからか。頭はやはり最後だろうな。お前はどこから食われたい、娘」

 舌なめずりをした虎の顔が、その半ば腐って溶けかけた舌で、櫻良の顔をべろりと舐めた。櫻良は、気色の悪い感触と悪臭に失神しそうになりながら、かすれた悲鳴を上げる。助けを呼ぼうにも、歯がカチカチ鳴って大きな声にならない。
「い……いやだ。いや、いや……た、たべ、食べられたく、ない。お願い、助けて……食べないで。何でもするから、食べないで……ああ、あ、誰か、誰か、助けて……ッ」
 うわごとのように繰り返す櫻良を楽しげに見下ろし、老人の顔が、虎の顔が口を開けた。
 櫻良の頭など一口で噛み千切られてしまいそうな大きさだ。ナイフのように尖ってぎらぎらと光る歯に、赤黒い肉片がこびりついているのが見える。骨の欠片や、人間の髪のように見える赤茶色の細い線が、歯のあちこちに絡まっている。
 呆然とそれらを見上げる櫻良の目からは、涙があとからあとから零れ落ちていた。
 ――ママと仲直りも出来ずに、パパにもお兄ちゃんにも会えずに、こんなところで死んじゃうんだ、あたし。
 櫻良が凍りつきかけた思考でそう思い、せめてママにごめんなさいだけでも言いたかった、と、声なく母を呼んだときだった。
 ひゅっ、と、何かが空気を斬る音がした。
 そして、

「ぐひゃっ」

 次に、何か堅いものが肉をしたたかに打つ音がしたかと思うと潰れたような悲鳴が上がり、櫻良の前から唐突にあの化け物が消えた。
「……え」
 消えたのではなく吹き飛ばされたのだと気づくのに一瞬かかった。
 化け物はライオンにも似た四肢を投げ出して、十メートルほど前方に転がっていた。
 何が起きたのかと眉をひそめていた櫻良は、自分の隣に誰かいることに気づいて悲鳴を上げかけた。足音どころか気配も感じなかったのだ。
 しかし、
「下衆で下等なソウメンの分際で、神聖なる我が神殿領に足を踏み入れるか。――高くつくと思え」
 静かに響いたその声が、あまりにも美しかったので、恐怖心はすっとやわらいだ。
 のろのろと顔を動かし、声の主を見上げる。
 そこで櫻良の目に入ったのは、あまりにも時代錯誤な衣装だった。
 頑丈そうな灰色のブーツに、ファンタジー映画に出てきそうな濃い青のマント、どことなくアジアや和風っぽい印象の黒い服。腰には長い剣。
 身体の線から、この人物がどうやら男性で、横顔から、櫻良とあまり年の離れていない少年のようだと知れた。横顔は端正で、すらっとした綺麗な身体だが、背はあまり高くないしたくましくも見えない。
 紐で結われた髪は濡れて光るような漆黒で、目は、金色にも見える透き通った茶色だ。琥珀という宝石に似ている。
 ――あたしはいったいどこに来ちゃったんだろう。
 こんな恰好をする人間が、こんな色の目をした人間が、日本にいただろうか。
 それともこれは映画の撮影か何かで、あの化け物やこの人の恰好は作り物で、あたしは知らないうちにそれに参加しているだけなんだろうか。
 そんなことを、櫻良は混乱した思考でぐるぐると考えていたが、ゆっくりと起き上がった化け物の、老人の顔が醜い怒りの色を載せ、

「神殿騎士。神子姫の狗か。高くつくとはわしの言葉だ、飯の邪魔をした罪は重いぞ。貴様もわしの糧となるがいい」

 虎の顔がすさまじい憎しみのこもった咆哮を響かせたので、悲鳴を上げて耳を覆った。
 このリアルな、怖気をそそる声が、作り物のはずがない。
 櫻良は恐怖のあまりまた震え出した。
 こんな化け物を相手に、たとえ剣を持っていたところで、敵うなんてことがあるのかと、ただ死ぬのがほんの少し延びただけなのではないかと、またしても泣き出しそうになった櫻良だったが、彼女を庇うように一歩踏み出した少年は、
「身の程知らずが」
 淡々と吐き捨てるや腰の剣を引き抜き、
「疾(と)く帰れ、お前の領域に」
 そう言って軽やかに地面を蹴った。
 そして、驚くほどの身軽さ、素早さで、今にも飛びかかろうとしていた化け物の目前へ迫る。十メートルほどの距離とはいえ、少年は櫻良が一瞬その姿を見失ったほどの速度で動いていた。
 化け物もまたそれを捉え切れなかったらしく、唐突に目の前に現れた少年に、老人の顔を歪ませた。
 その横っ面へ、少年の回し蹴りが無慈悲なまでの正確さでヒットする。
 いったいどれほどの怪力なのか、化け物の巨体は軽々と吹っ飛び、近くの木の幹にガツンと勢いよくぶつかった。
 めしめしべきばきと何かがへし折れる音がする。
 さきほど化け物が吹っ飛んだのも、少年が蹴り飛ばした所為なのだろう。

「ぐ、ふ……き、貴様、」

 苦痛に顔をゆがめた老人の顔が何かを言いかけたが、その傍に軽やかに降り立った少年は、白銀に煌く剣を無頓着に掲げたかと思うと、
「御託はいい」
 静かに言って、その剣を振り下ろした。
 櫻良は思わず顔を背けたが、耳には肉を断つ鈍い音とくぐもった悲鳴が届いた。そしてすぐに、沈黙が訪れる。
 櫻良はしばらくの間硬直したままだった。身動きをすれば、また何か悪いことが起きるような気がしたのだ。
 数分もして、沈黙に居たたまれなくなった櫻良がそっと目を開けると、ふたつの顔がついた巨大な首、ぐったりと横たわる獣の身体から離れたそれが、悪夢よろしくごろりと転がって、虚ろに落ち窪んだ目で櫻良を恨めしげに見つめていた。
「ひっ」
 息を飲んだ櫻良に、剣を腰に戻していた少年が、
「もう死んだ」
 あまり感情の含まれない声で言って、首を櫻良の見えないところまで蹴り飛ばした。櫻良は泣き出しそうなほどに安堵する。
 そこでようやく、櫻良は自分の下半身が濡れていることを思い出し、今度は羞恥のあまり泣きそうになった。不衛生以前に、着替えも何もないのに、こんな濡れたままでいたら風邪を引いてしまう。
 これからどうしたらいいのかと、どうやって家に帰ればいいんだろうと、深く項垂れたまま、ともすれば停止しそうになる思考回路を必死で動かしていた櫻良に、
「大事ないか」
 そう、静かな声がかかって、彼女は弾かれたように顔を上げた。
 金にも琥珀にも見える目の少年が、櫻良に、黒い手袋で覆われた手を差し伸べている。
 少年を呆然と見上げた櫻良は、かれが驚くほど美しい顔をしていることに驚いた。
 身体つきから少年と思ったものの、顔立ちはひどく中性的で、繊細でありながら鋭角的に整ったそれは、絶世の美少女と言われても信じるだろう。
 切れ長の目とすらりとした鼻、かたちのよい唇と頬、滑らかな額と白い肌は、どれもが完璧なまでの配置で少年を彩っていた。テレビや雑誌で見るモデルやアイドルなど、及びもつかない美しさだ。
「あ、ありがとう、ございます……」
 土で汚れた手を気にしながらも、櫻良は黒手袋の手を取った。
 身体つきに似合わぬ怪力で、少年が櫻良を引っ張り上げ、立たせてくれる。立ってみると、少年は櫻良より頭ひとつ分大きい程度だった。櫻良が百五十五センチなので、百七十五センチ前後といったところだろうか。
「……見慣れない恰好だ」
 櫻良を見下ろした少年が言い、
「私はジーン。ジーン・ヴィ・ダブルリーフ。……お前は?」
 そう、日本人たる櫻良には聞きなれない名を名乗った。
 しかし、姓と思われる部分は明らかに英語の発音で、櫻良はかすかに首を傾げる。そこからふと気づけば、明らかにアジア系ではない顔立ちの少年は、滑らかな日本語を喋っている。
 ――言葉が通じてよかった、と、安堵したのも確かだった。
 言葉さえ通じれば、帰り道を尋ねることも出来る。
「あたしは櫻良、証野(しょうの)櫻良です。助けてくれてありがとう、あの、ここはいったいどこなんですか。あたし、家に帰りたいんです。どうやったら、東京の台東区に行けますか」
 勢い込んで尋ねた櫻良に、少年はしばらく沈黙していた。
 櫻良は祈るような気持ちで答えを待っていたが、次に少年の口から紡がれたのは、彼女の希望や祈りを打ち砕く類の言葉だった。
 彼は琥珀の目にほんの少し憐れみの色を浮かべ、そして言ったのだ。
「ああ、廃棄世界からの迷い人か。久しぶりだな」
「……あの?」
「櫻良と言ったな。ここは神統世界、お前のいた世界からは十も二十も離れたところだ」
「何を、言ってるの……」
「廃棄世界の住人たるお前には判らないか。――つまり、ここからお前の世界に戻ることは出来ない、ということだ」
 話の突飛さに思考がついていかず、呆然としていた櫻良の耳を、それだけははっきりと理解出来る言葉が滑り降りてゆく。
 ――戻ることは、出来ない。
 櫻良はそれを何度も反芻し、瞬きすら忘れて少年を見つめていた。

 ――戻ることは、出来ない。
 残酷な現実が、唐突に目の前に突きつけられる。