4.女神の灯火

 櫻良は困惑を隠せなかった。
「……あの、ケーニカさん」
「ケーニカでよろしいですよ、櫻良。呼び辛ければ、適当に音を短くして呼んでくださっても結構です」
「ええと、はい、あの、ケーニカ」
「どうなさいましたか?」
「あの、あたし、これ着るんですか」
「あら、お気に召しませんでしたか?」
「え、あ、いえ、その」
 櫻良は思いっきり当惑していた。
 手渡されたそれ、着替え用の衣装に。
 手触りの優しい、色合いの美しいそれを手にしたまま、見下ろしたままで珍妙な唸り声を上げる櫻良の様子に、何か思い至ることがあったのか、ケーニカがポンと手を打った。
「……ああ、そうか」
「はい?」
「もしかして、廃棄世界ではこのような衣服は身につけない? 着慣れませんか、この類いは」
「……はい」
 櫻良の制服が『汚れ』ていることを気づいていたのか、それともこれから何かがあって必要な所為なのか、着替えを指示したジーンに従ったケーニカが誘ったのは、神殿都市の一角にある仕立て屋だった。
 基本的に置いてあるのは布地ばかりで、ここはどうやら、地球の現代社会のように、完成した衣服を売っている店ではないようだったが、作り置きの品が何点かあって、櫻良はそれらを差し出された。
 ケーニカから何か言われたのか、恰幅のよい、人のよさそうな店主の、櫻良を見る眼差しには畏怖と親愛と歓喜とがあった。
 女神の灯火というその呼び名、先刻櫻良が呼ばれたそれが、何か重要な意味を持っていることは明白で、櫻良は何度も何度も首を傾げたが、判らないものは判らないのだから仕方がない。
 濡れたままの服でいるのも気持ちが悪いし、この際だからとありがたく受け取ってはみたのだが、それらがすべて、いわゆるドレス状のものだったのだ。
 淡いピンク、薄紫、真珠、透き通った水色、菜の花色、淡い緑。
 デザインはシンプルだがラインがとても綺麗で、当然のごとく裾は長い。袖口や裾、襟足にはレースや繊細な刺繍で流麗な飾り付けがしてあって、それらの装飾の、細かいのに正確で美しいことといったら、じっと見つめていても飽きないほどだ。
 どれもが、結婚式に花嫁が着るウエディング・ドレスを更に美しくしたような服だ。手触りがとても気持ちいいのは、母親が大切にしていたシルクのスカーフのような、高価な布を使っているからだろうか。
 それに合わせていくつかの靴が指し示されたが、こちらは店主が仕立て屋の隣の靴屋から持って来たもので、白い布地に金と銀のビーズが縫い付けられた、繊細で美しいものだった。
 着慣れないどころか、生まれてこの方こんな服に袖を通したことはない。
 着方も判らないし、それを着てどう歩いたらいいのかも判らない。
 櫻良の当惑は、恐らく同じように異世界に迷い込み、同じように同じものを差し出された女子高生のすべてが感じるであろう代物だったが、ケーニカはその戸惑いに気づいてくれたらしかった。
「申し訳ありません、私は廃界学には詳しくないもので。では、櫻良はもっと動きやすい衣装をお望みですか?」
「ええと、はい、できれば」
「さて……どうしましょう。《女神の灯火》の希望ならば出来得る限り叶えて差し上げたいですが、まさか貴い《女神の灯火》にみすぼらしい恰好をさせるわけにもいきませんし」
「えと、ケーニカさん」
「ケーニカ、と」
「あ、すみません。あの、ケーニカ」
「はい」
「《女神の灯火》って、何なんですか。なんであたし、そんな風に呼ばれるんですか」
「……ああ、そうですね、無用な混乱をさせてもお可哀相ですし、やはり一度、きちんと説明して差し上げたほうがよろしいかしら。――店主殿、そこにおられますか」
 ケーニカが、着替え用にあてがわれた小部屋の向こうへ声をかけると、
「はい、おります、ケーニカ様」
「では聞いておられましたね。もう少し動きやすい、しかし決して貧相ではない衣装はありますか?」
「はは、難しいご注文ですね。生憎今は、あまり作り置きをしていないものですから。……ああ、そうだ、女性の騎士様方用の平服なら、二着ほど残っていたと思うのですが」
「型は合うでしょうか?」
「少し裾を詰めて、袖を取り替えましょう、灯火様はお可愛らしくていらっしゃるから」
「そうですね、ではそのように」
「承知いたしました。少々……そうですね、申し訳ないのですが、三十分ばかり、お待ちいただけますか?」
「はい、よろしくお願いします」
「はい、では、準備して参ります」
 恭しい言葉とともに、店主が立ち去る足音がする。
 やり取りを終えたケーニカが、紺碧の目を櫻良に向けてにっこり笑う。
 その目があまりに綺麗で、櫻良はどぎまぎする。
 平均的な日本人の例に漏れず、櫻良は日本人以外の人種に慣れていなかった。ジーンや、アイレストリアスやケーニカのような、目や髪に鮮やかな色のある人たちをこんなに一時に観たのも初めてだった。
「櫻良」
「は、はいっ」
 背筋をピンと伸ばした櫻良にケーニカが微苦笑する。彼女はちょっと見目のいい椅子をふたつ引っ張ってくると、ひとつに自分が腰かけ、もうひとつに手招きした櫻良を座らせた。
「……そんなに緊張なさらないで。何も恐ろしいことなど起きませんよ、ここは桃天華大神殿都市、《女神の灯火》を守り絶やさぬために在る者たちの住まう都市です」
「え、はい、ええと……」
「そうですね、何から説明しましょうか。櫻良は廃棄世界の方なのですよね」
「あ、はい、あの、あたしにはよく判らないんですけど、ジーンがそう言ってました」
「ではまず、その辺りから。この神統世界へも、廃棄世界の方々はたまに迷い込まれますが、やはりどの方も事情をご存知ではないようですし」
「はい、お願いします。ちょっとでも、知っておきたいですから」
 櫻良はそう言って、椅子に座ったままで深々とお辞儀をした。
 ケーニカが微笑して、同じように恭しく一礼する。
「承知いたしました。……廃棄世界の方々には、唐突には信じがたいかもしれませんが、世界というのはいくつもいくつも連なって存在しているんです。そうですね、ちょうど、鎖のようなものでしょうか」
「鎖、ですか」
「はい。長い長い鎖です。その鎖の先端が、廃棄世界と呼ばれる櫻良の故郷なのです。廃棄世界の人々は、自分たちの住まうそこを地球と宇宙という概念で理解しているようですね」
「……どうして地球は、廃棄世界と呼ばれているんですか?」
「あまりよい名ではないとお思いでしょう。その名がついたのは、造物主と呼ばれる存在が、地球を『見棄てた』からだと言われています」
「ぞうぶつしゅって何ですか」
「世界の創り主のことです。神とも呼びますね」
「ああ、そうか。すみません、言葉を知らなくて」
「いえ、気になさらないでください。私もあまり人のことは言えませんから」
「ありがとう、ケーニカ。ええと……話を戻すと、その神さまが、地球を見棄てた? んですか?」
「はい。造物主は最初、宇宙と地球を創られたあと、この世界が失敗作であったことにお気づきになるや、それらを打ち棄てて他次元へ移られました。そして、そこで新たな世界をお創りになり、廃棄された世界を彼らに指し示されて、かくはならじと諭されたそうです」
「じゃあ、失敗作なんですか、あたしたちの世界は」
「それは私には判りません。櫻良の故郷を実際に目の当たりにしたわけでもありませんもの。ただ、造物主は廃棄世界をお創りになり、世界に『時間』を与えられて、その行く末をそっとのぞいてみられたのだそうです。そして、廃棄世界が、どうあっても破滅へ向かうしかないのだとお気づきになり、その放棄をご決断なさったとか」
「……ああ、なんとなく、判るかも。でも……ちょっと哀しいですね、ついさっきまで自分がいたところが、完全な失敗作だって聞かされるのは。失敗したから壊しちゃおうって思われなかっただけましかもしれませんけど」
 櫻良は地球と呼ばれていた世界のことを思い起こしながらつぶやいた。
 たかだか数百年で恐ろしいほどの発展を遂げ、恐ろしいほどの貧富の差と、幸福な地域と不幸な地域、美しい国薄汚れた国を内包したちぐはぐな世界。どこからどうみてもいびつで、自分の欲望のためになら弱者や他者を切り捨てて悔いない醜悪な人間たちばかりが台頭する世界だ。
 それを、失敗だった、これ以上観ていても意味はないと放棄したくなる造物主とやらの気持ちは、虚しくはあるが判らなくもない。
 ただ、それでも櫻良が幸運だったと思うのは、その造物主が、失敗作だからと完膚なきまでに叩き壊すような、陶芸家もどきの創造者ではなかったということだ。失敗だろうが成功だろうが、櫻良たちは実際に、そこで確かに生きているのだから。
 櫻良の言葉を受けて、ケーニカがなんともいえない表情をする。
 悼みとも憐れみとも、共感とも取れぬ不思議な表情だった。
「お気持ちお察しします。いえ、私たちもまた、打ち棄てられた世界に生きているのですよ、櫻良」
「え?」
「造物主がどのような方で、どのような理想に燃えていくつもの世界をお創りになられたのかは、創世神話にも伝えられてはおりません。ただ、かの方がお創りになられた二番目の世界も三番目の世界も、三叉目十八番目の被造世界であるこの神統世界もまた、かの方にとっては打ち棄てるしかない失敗作であったらしいのです。ですから、総じていうのなら、この神統世界もまた廃棄世界のひとつなのですよ。いいえ、現在ではすでに数千も存在すると言われる異世界のすべてが、造物主にとっては廃棄するしかなかった失敗作なのです」
「……そうなんですか」
「その中で櫻良、あなたの故郷は、かの世界からすべてが始まったことへの区切りとして、そして廃棄されながらああまで雑多な繁栄を享受するかの世界へ、ある種の敬意を込めそう呼ばれているのです。他にも“原初の廃墟”“連鎖の根本”“始まりの青”などという呼び名が存在します」
「じゃあ……ここも、神さまに見棄てられたんですか?」
「はい。もうここには造物主はおられません。幸いにも、この世界には、造物主が手ずからお創りになり、創造の手助けとされた神々がお残りになられ、今もその加護を与えてくださっていますから、神統世界は恵まれた世界なのですが。しかしそれと同時に神統世界には――神統世界に住まう人間たちには敵対するものも多く、神々の加護も完璧ではありません」
「完璧じゃ、ない? 神さまなのに?」
「神が完璧でないことは、造物主を鑑みれば当然のこととも思います」
「ああ、そっか。そうですね。いくつも失敗作を創っちゃうような神さまが一番偉かったら、その部下の神さまだって完璧にはなれませんよね」
「そういうことです。櫻良、櫻良はここへ迷い込まれたとき、最初にどこへ降りられたのですか。隊長が一緒だったということは、向こうの山の中ではなかったですか」
「あ、はい、そうです。なんか、変な怪物に襲われてるところを助けてもらったんです」
「やはり。ご無事で何よりでした。……あの怪物は魔物と呼ばれています。たくさんの種類がありますが、あれらは皆、魔族が創り出し世界へ撒(ま)いているのだそうです」
「まぞく?」
「魔の、一族ですね」
「ああ。魔族というのが、その、敵なんですか」
「正確なところはよく判りませんが、少なくとも味方ではないようですね。あれは、神々によると『バグ』なのだそうです」
「バグ?」
「日常的でない神霊語は私には理解できませんが、どうしても生まれてしまうものだとか。魔族は人間の数倍数十倍の強さを持った生き物で、ただ剣で斬っただけでは死なないものもいます。魔族の勢力が強いと、魔物たちの出現も頻繁です。神殿都市は、まだ神子姫さまの強い霊力に守られていますから、魔物に関して言うのなら、中にいる限り危険はありませんが、近年、魔族の力が強まり、この神殿都市が属するエス=フォルナという国だけでなく、世界中の国々が魔族と魔物の被害を受けたと聞きます」
「神さまが守ってくれてる世界なのに、どうしてですか? だって、一番偉い神様のお手伝いをして世界を創った神さまなんですよね、そのひとたちは」
「その疑問はごもっともだと思います。神々のお力は確かに強大です。強大すぎて、直接にこの世界で、存分に力を揮うことは出来ません。一歩間違えば、神統世界という器そのものを疵(きず)つけてしまうからです。それに、そもそも神々は、この神統世界を外から、ここが他の世界の影響を受けぬよう守ることをこそ第一の責務としておられるそうです」
「じゃあ、それじゃあ、人間は魔族に殺されてしまうしかない……なんて、言わないですよね? あんなに強いジーンもいるんだし」
「はい、櫻良。そこで出てくるのが《女神の灯火》です」
「……え」
 唐突に話が次の話題へ移り、更に言うなら自分にもかかわってくることだったので、櫻良は思わず背筋を伸ばし、椅子に座りなおした。
「世界の中では思うように力を揮えないことに気づかれた神々のうち、この大神殿都市の主神であらせられる創世神と生命神は、ひとつ、燭台をお創りになりました」
「しょくだい?」
「蝋燭を立てる、台ですね。無論比喩、たとえですが。櫻良は、あの塔をご覧になりました?」
「ああ、はい、さっき綺麗な灯がともっ……あ。まさか」
「そうです、あれが燭台です。あの塔に灯がともるとき、そこを入口として、神々の――双女神のお力は最大限に揮われる。その加護は魔族から力を削ぎ、弱い魔物たちをあっという間に消滅させてしまうでしょう」
「だから、《女神の灯火》なんですね。ということは、さっきみたいな怪物はもういなくなるんですか」
「はい、下等なモノほどあの灯には弱いのです。灯はじきに全世界を覆い、人間の捕食者たちを一掃するでしょう。もちろん、魔族はその程度では死にませんが、格段にすごしやすくなるはずです。――それが、あなたのお陰なのですよ、櫻良」
「え、あ、うん、怪物がいなくなるのはすごくよかったって思いますけど、でも、あれは別に、あたしがつけたってわけじゃ……」
 確かにタイミングはよかったが、自分が何かしたためとは到底思えなかった。何せ、なにをどうやったら着く灯なのかさっぱり判らない。
 それゆえの櫻良の言だったが、ケーニカはうっすらと微笑みすら浮かべ、
「いいえ、あなたがつけたのですよ、櫻良」
 きっぱりと、そう断言してみせた。
 その、ある意味否定を許さない断言に、櫻良の方が戸惑ったほどだ。
「でも」
「櫻良。私は東方神字を少しだけたしなみますが、『櫻』とは花のことですね? 確か、東方だけに咲く、春の花ですね」
「え、あ、はい」
「灯の色を思い出してください。淡い、やわらかい薄紅色でしたでしょう」
「……はい」
「灯は必ず、《女神の灯火》を表す色をまといます。先代の灯火は、ルビィという名の女性でした。ルビィとは、神霊語で紅玉のことを差すのだとか。ともった灯は鮮やかな紅玉の色でした。先々代は東方の方で、紫野(しの)と仰いました。ともった灯は紫色だったそうです」
「だったら、他に同じ意味を名前に持つ人がいるのかも」
「ええ、そうですね、もしかしたらそうなのかもしれません。でも、じきにはっきりしますよ。あなたが、真に《女神の灯火》であるか否かは」
「え?」
「灯は《女神の灯火》が桃天華大神殿領へ踏み込むと『発火』します。あまり詳しく解明はされていませんが、入ればすぐに着くというわけでもないようです。以前にも、誰が《女神の灯火》なのかすぐには判らないということがあったそうです」
「やっぱり。だって、判りませんよね、三百万人もいるんでしょう?」
「ええ。ですがそれは何百年も前の話です。そのときに判明したことがあり、今では灯がともったときにどの方が《女神の灯火》なのかをはっきりと見極められるようになりました」
「それで、あたしも見極められることになるんですか?」
「そうです。実は、灯にはもっとも顕著な特徴があるのですよ。恐らくそれが、じきにあなたを、《女神の灯火》と決定づけるでしょう。あのジーン隊長が断言なさったのですから、まず間違いないとは思うのですけどね」
「そ、そうなんですか……? あの、それで……その、《女神の灯火》? が、いたら、世界は平和になるんですよね? そのために、《女神の灯火》は何をするんですか?」
「何も」
「え?」
「何も必要はないのです」
「……?」
「《女神の灯火》は神々の入口、発露の点です。ですから《女神の灯火》はただ、この世に――桃天華大神殿都市に存在するだけでいい。《女神の灯火》が平和に、幸せにここで生きていてくださるだけで、世界もまた穏やかになるのです」
「ええと……なんだっけ、しょうちょう、みたいなもの?」
「そうですね、まさしく象徴です。もちろん、実益をともなった象徴ですが」
「そうなんだ……じゃあもしあたしが本当にその《女神の灯火》だった場合、ここに置いてもらえるのかな。あたし、ジーンに元の世界には帰れないって言われたんです。鎖みたいにつながってても、別の世界へはそんな簡単には行けないっていうことなんですか?」
「もちろん、いていただかなくては困ります。我ら神殿騎士団は、神殿都市を守る責務と同時に、《女神の灯火》の幸いを守るという役目も帯びているのですから。他世界への移動に関しては、そうですね……のちに創られた世界ほど簡単であるらしいです。ですから、神統世界から更に後世に創られた世界へ移動することは、恐らく不可能ではないはず」
「……ああ。でも、一度行ったら戻れない?」
「初期に創られた世界はそうです。後世……そうですね、神統世界よりもいくつか手前の世界から、造物主は神々の助言に従い、互換性を持たせたとのことで、界から界を渡る特殊な力を持った人々には、非常に行き来のしやすいつくりになっているそうですよ。……無論、私にはよく判りませんが」
「そっか。でも、つまりそれは、一番最初に創られた地球に戻るのはものすごく難しいっていうか不可能ってことなんですね」
「はい、お気の毒とは思いますが、私たちにはどうして差し上げることも出来ません。お力になれずすみません」
「あ、いえ、そんな。こうして、ここにいさせてもらえるだけでも十分です。それに、じー……」
 ――――ジーンがいるから。
 そう言いかけてはっと我に返り、口を噤む。
 ケーニカが不思議そうな顔をする。
「『それに、じー』がどうしたんですか、櫻良?」
「いえっ、な、なんでもありませんっ! はい、気にしないでくださいっ」
「……そう言われると、余計に気になりますね」
「そ、そんなこと言わずに忘れちゃってください。あの、ほんとになんでもありませんから」
「じゃあ」
 ケーニカがいたずらっぽく笑って、片目をつぶってみせた。
 櫻良はきょとんとする。
「その敬語をやめてくださったら、忘れてもいいです」
「え?」
「私は一介の神殿騎士。あなたは貴い《女神の灯火》。そんなあなたに、ずっと敬語を使われてはむずむずしてしまいます」
「でもほら、ケーニカさん年上ですし」
「また『さん』って言いましたね。やっぱり追求しようかしら」
「えええっ!? ででででもっ」
「櫻良はおいくつですか?」
「え、あの、十六歳です」
「八歳違いですね、じゃあ。……そうですか、櫻良にとって二十四歳は敬語を使わずにはいられないほどのおばさんですか」
「ええっ、いや、そ、そういうつもりじゃ……ッ!?」
「なら、普通に話してくださいな。お友達にするのと同じように、お願いできたら嬉しいです」
「でも……ええと……その…………。…………は、はい…………」
 イエスと答えるまではてこでも動かないような気がして、逡巡のあと、櫻良は頷く。
 櫻良とて別に礼儀正しい人間ではないし、ジーンにはすっかりため口だが、年上の、しかも相当高い地位にあると思しき女性に、あっけらかんと普通の口調で話すのは躊躇われたのだ。
 しかし、ケーニカがそれを許してくれないのだから、仕方がない。
「じゃ、じゃああのケーニカ、よ、よろしく……」
 ぎこちなく言うと、女騎士はにっこりと艶やかに笑った。
「はい、櫻良。《女神の灯火》、界護の姫、神々の聖門。我ら神殿騎士団、命に変えてお守りします」
「いえあのっ、なんでそんな大げさな……!?」
「あら、聖女を守ることは騎士の夢ですよ?」
「えええっ、あ、あたしせいじょなんかじゃな……」
「ふふふ、櫻良は可愛いですね。そういうところを観てると、ぎゅーってしてすりすりしたくなっちゃう」
 絶賛混乱中、テンパっているどころではない彼女の様子に、にこにこ笑ったケーニカが言い、おねえちゃんってこんな感じかなと櫻良は思う。そう思うと、少し、馴れ馴れしい口を利くことも許される気がした。
 そこへ、
「ケーニカ様、準備が出来ました」
 店主の、穏やかな声がかかる。
「ああ、ありがとうございます店主殿」
「それと」
「はい」
「ジーン様がお待ちです。《燭台の欠片》をお持ちになっておられます」
「……そうですか、判りました。櫻良の着替えが済み次第参りますとお伝え願えますか」
「承知いたしました。では、ここへ置いておきますので、よろしくお願いいたします」
 その言葉とともに、店主の足音が遠ざかる。
 椅子から立ち上がったケーニカが部屋の扉を開け、その前に置かれた衣装を取ってまた戻ってくる。
「さあ櫻良、準備をしましょう。《女神の灯火》の何たるかを、あなたにこそ知らしめて差し上げましょう。今やあなたはこの都市(まち)の、この世界の賓客なのだということを」
 晴れ晴れとしたケーニカのきめ細やかな顔を、櫻良は不審と困惑といくばくかのむず痒さ、面映さを込めた目で見上げていた。
 ――――ますます、自分の行く先が判らない。