店主が準備してくれた衣装は、神殿騎士団に属する女性騎士のための平服を少し作り直したというもので、淡い藤色のズボンに白いシャツ、袖や襟に繊細な花の刺繍が施された同色の上着、そして首周りに巻く紫色のヴェールから成り立っていた。
 靴はドレスと合わせるために用意された、きらきらしたビーズの縫い付けてあるものだ。
 それらは手触りも着心地もよく、目にも楽しく、いかにも高価そうで、支払いは心配ないと言われても申し訳ない気分でいっぱいになったが、ファンタジー映画や漫画、アニメにでも出てきそうな綺麗な衣装に、ちょっとどきどきしたのも事実だ。
 それに袖を通し、ケーニカに手伝ってもらって身支度を整えてから外へ出ると、店先にはジーンのほかに、初めて見る顔が五つばかりあった。
 目の色も髪の色も性別も様々な彼ら彼女らに共通しているのは、彼らが身にまとう衣装、五人がジーンやケーニカと同じく高い地位にある人間であることを伺わせる、シンプルで動きやすそうだが美しく調えられたそれらと、彼ら彼女らが腰に差した長い剣だ。
「彼女が《女神の灯火》?」
 言ったのは、四十歳前後と思われる、ひょろりとした男性だった。身体つきは中肉中背、濃い茶色の、くしゃくしゃのくせ毛と、春の若草みたいな緑色の目をした温厚そうな男だ。目が細くて、いつも笑っているように見える。
 腰に長い剣を佩いていなかったら、とてもではないが騎士なんて職業についているとは思えない。
「先代の灯火も晩年までお可愛らしかったけれど、今代の姫もまた愛らしい。衣装のよく似合っていることといったら、どうだ。ジーン、彼女は君が見つけたのか?」
 次に声をかけたのは、まぶしいほどの金髪に沖縄の海を思わせる青の目、雪のように白い肌をした美女だった。色彩は白色人種系だったが、顔立ちはどちらかと言うとアジア系で、すっと通った鼻筋や切れ長の目は、櫻良に有名なアジア映画の高名な女優を思い起こさせた。
 年齢は二十代後半から三十代前半といったところだろう、動作のきびきびとした、有能そうな女性だったが、瞳の光は明るく、そしてやわらかい。櫻良と目が合うと、にっこり笑ってくれる。
 櫻良はなんだか嬉しくなって、にっこり笑い返すと小さくお辞儀をした。ケーニカがかすかに笑う。
 ふたりの言葉にジーンが頷いた。
「ああ、そうだ。いつものように向こうの山を探索していたら、ソウメンに襲われていたところを見つけた。廃棄世界からの迷い人だと言うことは聞いてもらったか?」
「ああ、君のとこの騎士から聴いたよ。世界とはかくも容易くひずむものなのだね。彼女には気の毒だが……お陰で私たちは世界の守り手を得た。そのことは、感謝しなくては」
 そう言ってから、一歩進み出た男性が、櫻良の目の前でうやうやしく片膝をつく。金髪の美女がその少し後ろで同じ姿勢を取った。
 無論誰かにひざまずかれる経験など平凡な女子高生にあろうはずもなく、櫻良は思い切り狼狽して、救いを求めるようにジーンを見遣ったが、朴念仁は隣の渋い美男と何やら話しており、櫻良の窮状には気づいていないようだった。次いで隣のケーニカを見上げたものの、彼女は小さく肩をすくめただけで、何を言うでもない。
 どうしたらいいんだろう、と途方にくれかけた櫻良だったが、彼女を見上げて口を開いた男性が、
「お初に御目文字つかまつります、貴い灯よ。私は桃天華大神殿神殿騎士団団長を拝命しています、ネイク・ディ・エイトフォレストと申します。ご光臨を歓迎します……我らが神殿都市へようこそ」
 そう、やはりうやうやしく言ったので、思い切り畏まって頭を下げるしかなかった。
「え、ええと、あの、はい……あの、証野、櫻良です。ええと……その、本当にどうもすみません、どうぞよろしくお願いします……」
 絶妙のテンパり具合に、ネイクと名乗った騎士の背後に控える女性が笑った。櫻良の田舎者ぶりを嘲笑うような厭味なものではなく、単純に堪えきれないといった風情だった。
 声は少しハスキーだが、耳に心地よい。
「そのように緊張されるな、貴き灯よ。我らはあなたを守るために在るもの、ここにあなたを脅かすものはなにひとつとして存在しないのだから。――ああ、ご挨拶が遅れたが、わたくしはリコ・エス・フィールド。神殿騎士団第二部隊の隊長を拝命している。どうぞ、気軽にリコ、と」
 きびきびとしてよどみのない男言葉は、彼女の凛とした雰囲気にとてもよく似合っていた。櫻良は、ケーニカがおねえちゃんならリコさんはお姉さまだ、などという感想を抱く。
 女きょうだいのいない櫻良にはちょっとどきどきする展開である。
「ネイク団長は同時に神殿騎士団の第一部隊隊長も兼任している。頼りないフリをしているようだが、二十年以上を最前線で務めてきた猛者だ。甘く見ると痛い目に遭うぞ」
 淡々とした美声はジーンのものだ。
 ネイクが苦笑して、リコと一緒に立ち上がった。
「フリなんかしてないよ、ジーン。それは君の買い被りだ」
「……そういうことにしておこうか」
「そういうことにしておいてくれると嬉しいね」
「団長はもう少ししゃきっとした方が男前だとはわたくしも思うがな。それで、ジーン。なにやら違反者が出たようだが?」
「さすがに姐様(ねえさま)は耳が早い。都から預かった例のふたりだ」
「……ああ。預かってたかだか半年で、連中もずいぶんと色々な問題を起こしてくれる。しかしジーン、君はつまり、金章家と青寶家の子息の命を簡単に放り棄てようとしたんだな? 神殿都市と王都との間に軋轢が生じたらどうするつもりだったんだ?」
「……何か問題が?」
 リコの言葉に、もしかしてジーンが何か叱責を受けるのではないかと、櫻良はひやひやしたのだが、まったく調子を崩さない、そしてまったく悪びれないジーンの問いに返ったのは、
「まったくないな。貴族も平民も、神殿騎士である以上その命の軽さは同等だ。むしろ、いい薬になっただろう」
 あっけらかんとした、ジーンと同等に悪びれない言葉だった。
 ネイクも肩をすくめつつ、否定しようとはしていない。
「……神殿騎士って」
 思わず、誰に言うつもりでもなく言葉をこぼすと、途端に七対の目が集中して、櫻良はついつい赤面する。
「いえあの、その」
「そう緊張するな、櫻良。団長も姐様も、そっちのふたりも、皆お前の味方で、守護者だ。誰もお前を傷つけはしないし、何かを少し間違ったからと言って嘲りもしない」
「あ、う、うん……」
「それで、何を言おうとしたんだ?」
「うん、あのね。神殿騎士って、皆の安全とか幸せを守ってすごくカッコいいけど、すごく大変で辛い仕事なんだなって」
「……そうか?」
「うん、だってね、騎士さんたちだって生き物だもん、本当は死にたくないと思うし、殺したりもしたくないと思うんだ。でも、そういうのを全部飲み込んで、神殿都市のために戦ってるんだよね。それって、すごいなぁって。あたしには真似できないなぁって」
「神殿騎士は自分自身で志願してなるものだ、己の手が血に濡れることや、己の痛みや死を恐れていては勤まらない」
「……うん、そうなんだよね」
 淡々としたジーンの言に、また余計なことを言ったかと落ち込みそうになった櫻良だったが、
「だが」
 やはり静かな、感情の含まれない声が、
「お前や、神殿都市の人々が、そう思っていてくれていることは、我々神殿騎士にとっての支えだ。感謝する」
 やわらかくそう言ったので、にっこり笑って頷いた。
「……うん」
 神殿騎士団の重鎮たちがそれを微笑ましく見つめている。
「ジーンは櫻良には過保護なんだな。朴念仁が、珍しいことだ」
「こうして見るとまさに守護騎士と姫だね。お似合いカップルじゃないか?」
「隊長、それオッサンの言い方ですよ」
 ただでさえ細い目を更に細めてネイクが言うと、櫻良がその言葉の意味を正しく理解して派手に赤面するよりも早く、彼の隣に控えていた女性騎士がぼそっと――容赦なく突っ込んだ。
 ネイクが傷ついた顔をする。……というより、大げさに、そんな顔をしてみせる。
「メイ……君はどうしてそう、厳しい物言いばかりするのかな……」
「厳しいのはネイク団長にだけだと思いますけどね、俺は」
「アティ、あまり残酷な現実という名の事実を団長に突きつけて差し上げないように。ああ見えてナイーブらしいから」
「ああ見えて、だけ余計だよリコ」
「なら、人は見かけに寄らないけれど、でいいか?」
「ええと、うん、ひとつ言わせてもらうなら、もっと悪いんじゃないかな、それ……」
 コミカルな漫才もどきのやりとりを始めた神殿騎士団の重鎮たちに、櫻良がまばたきを繰り返し、隣のケーニカが笑いをこらえていると、
「彼らのことも紹介しておこう」
 これぞ朴念仁の本領発揮とばかりに、まったくトーンの変わらない声でジーンが言う。
 櫻良は条件反射のように姿勢を正し、彼を見遣る。
「そっちがメイファ・ライラックヒル。ネイク団長の補佐を司る、第一部隊副隊長だ。そっちはアーティス・ケイプ、姐様の補佐……というよりコンビだな、このふたりはもう。第二部隊副隊長だ。ふたりとも若いが腕は確かだ、何かあったら遠慮なく頼るといい」
 ふたりとも若いが、という表現は、そのふたりよりも更に若そうなジーンが使うべきものではないような気もしたのだが、むきになって追究するべきことでもないか、と櫻良はその疑問を飲み込んで頷く。
 ジーンに紹介されたふたり、ジーンとはまた違った風合いの長い黒髪に赤味の強い茶色の目をした女性と、ひどく硬そうな印象を受ける金茶の髪に鮮やかな朱色の目をした青年とが、櫻良に向かってにっこり笑うと、うやうやしく一礼する。
 櫻良がふたりに対してどぎまぎしたのは、ふたりともが、かなりの美女であり美青年だったからだ。
「初めまして、《女神の灯火》。ご光臨を喜ばしく思います。わたしはメイファ、メイファ・ライラックヒル。神殿騎士団第一部隊の副隊長を拝命しています。別名はネイク団長の手綱取りもしくは団長コントローラーです。その辺りのどうでもいいことは脇に置いておくとして、どうぞメイと呼んでください」
「俺はアーティス・ケイプっていいます。リコ隊長に毎日びしびししごかれてる働き者で可哀相な第二部隊副隊長です。ともあれどうぞよろしく、《女神の灯火》。適当にアティって呼んでくださいね」
「……人聞きが悪いぞ、アティ」
「メイ……いつの間にそんな別名がついたのか訊いてもいいかな……?」
 櫻良は何度かまばたきをしてからぷっと吹き出した。
 四人増えただけで途端にコミカルになったのは気の所為ではないだろう。
 メイファはケーニカより年下に見えるが、線の細い、真顔だとちょっときつそうに見える娘だ。長い黒髪を、きらきらした石の飾りがついた髪留めでまとめているが、それがなんともなまめかしい。しかし言動から察するに、外見に似合わずかなりの突っ込み体質のようだ。
 アーティスの方は多分ケーニカよりもわずかに年上だろう。かなりの長身で、肩くらいまでの髪を無造作にまとめていて、額には銀色の輪が光っている。こちらは飄々とした印象で、美青年だが軽薄さのつきまとうカーズフィアートより何倍も親しみが持てた。何よりも彼には温度がある。
「はい、よろしくお願いします、メイさんアティさん。あたしのことも、櫻良って呼んでくださいね」
「いやだなぁ、アティさんだなんて他人行儀な。呼び捨てでいいですよ」
「本当に。思う存分呼び捨ててください。もう、ここぞとばかりに。むしろその方がときめきます」
「え、でも、その」
「残念でした、アティ、メイ。櫻良に呼び捨てで呼んでもらえるのは私だけです。ね、櫻良?」
「え、あ、うん……そう、かな……?」
「ええ、そうなんだ? そんなこと、いつ決まったっけ?」
「ついさっきですよ」
「まあ、ケーナはいつそんな抜け駆けを? 灯火に呼び捨てで呼んでもらえるなんて、恨めしい」
「ふふふ、役得というヤツですね」
 同年代だからか、副隊長同士でも仲がいいらしく、三人が他愛ない言葉を交わしてくすくす笑う。
 櫻良はそれを笑いながら見ていたが、そこでも繰り返される《女神の灯火》の名に、ちょっと申し訳なくなって口を挟んだ。
「あの、でも。まだあたしが《女神の灯火》って決まったわけじゃない、んですよね? ただのイソーローになる可能性も高いですし、あの、そんな気を使わないでください」
 自信なげな彼女の言に、ぴたりと動きを止めた三人が、まったく同じ動作でジーンを見遣り、異口同音に声を上げる。櫻良は、そのあまりに呼吸の合った発声にびっくりしたほどだ。
「「「ジーン隊長!」」」
「……なんだ」
「「「《燭台の欠片》は!?」」」
「声をそろえて怒鳴らなくても聞こえる。……ここにある」
 鈍いのか冷静なのか徐々に判断がつきにくくなってきたジーンが、懐から何かを引っ張り出す。
 銀色の鎖が揺れているのを観ると、ネックレスのようだった。
「ジーン隊長的にはどうなんですか?」
「何がだ、メイファ」
「櫻良の、灯火である確率です」
「ほぼ百パーセント間違いない」
「……ずいぶんきっぱり言い切りましたね、珍しい」
「ほら、メイ、ジーン隊長は鼻が利くから」
「ああそうか、《憤怒の犬》だものね」
「ええ、ジーン様がいたら魔物を探し当てるのも簡単ですよ」
「それはまさに犬ね」
「……お前たちの言を聞いていると、私は本当に隊長とかいう重責を担うものなのか判然としなくなるな……」
 さすがに憮然とした表情でジーンが言い、ひとつ溜め息をついたあと、櫻良にその銀色の何かを差し出す。白くて長い、武骨な指先からそれを受け取ってみると、風鈴とランプの中間のような、中に空洞のあるガラス状のモチーフがついたネックレスだった。
「これ、なに、ジーン?」
「かけてみてくれ。それだけで、判る」
「……? うん、判った」
 ネックレスは華奢で、とても美しかったが、別に特別な仕掛けがしてあるようにも見えず、櫻良は首を傾げながらそれを首に通す。
 と、
「……あれ?」
 櫻良がネックレスをかけた瞬間、不意に、ガラス状のモチーフの中に、薄紅色の……桜色の灯がともった。
 どんな仕組みなんだろう、と一旦はずしてみると灯は消える。もう一度かけると再びともる。
 それを目にしたジーンが無表情のままに頷き、ネイクとリコが顔を見合わせて微笑み、三人の副隊長は歓声を上げて互い違いに手を打ち鳴らした。
「……あの?」
 それがどうしたのかと首を傾げる櫻良に、まだ名乗っても紹介されてもいなかった男、漆黒の髪に真紅の眼をした渋い美男が、
【やはり、そなたが灯火か。人の世にはめでたきことよな】
 どことなく聴いたことのある声で言ったので、
「ねえジーン、このおじさん……って言ったら失礼かな、ええと……この男の人は? まだ紹介されてないよね?」
 再度首を傾げて問うと、男は大げさにショックを受けた仕草をして、嘆くフリをしてみせた。
 よく観ると、彼だけは剣を差していない。衣装も、四人のものより裾が長く、このままでは戦いには向かないだろう。しかし、櫻良が彼から感じたのは、他の四人を上回る圧倒的な存在感と力だった。
【なんと冷たい物言い。吾をお忘れか。あんなにも熱く肌を触れ合わせた仲ではないか】
「え、ええ!?」
 問題発言というより爆弾投下的発言に櫻良が目を剥くよりも早く、溜め息をついたジーンが男に向き合う。
「夜歌。誤解を招くような言い方はやめろ。単に背中に乗せただけだろうが」
「や……え、えええ!? 夜歌!? って、あの、馬の!?」
【馬ではない、玉瑞だ】
「女好きの変態神獣であることに変わりはないだろう。まあ、必要もないだろうが、もう一度紹介しておくか? 神獣の一、玉瑞の夜歌だ。神獣というのは奇怪な生き物でな、こうしてヒトガタを取ることも出来る。よくこの恰好で都市内をうろついているからな、痴漢行為を働かれないように気をつけろ」
【奇怪なとは何と失敬な! 美しい乙女と愛を語るに獣の姿では不便であろうが!】
「……痴漢行為のところに突っ込みは入らないのかとか訊いてもいい、夜歌?」
「多分聴かなかったフリをしてあげるのが一番だと思いますよ、メイ」
「ああ、やっぱり」
 櫻良は驚きとともに『夜歌』を見遣った。
 身長で言えば百八十cmくらいだろうか、アーティスより少し低い程度だ。がっしりしているというほどではないが身体つきはしっかりしていて、服のうえからでも素晴らしくバランスのとれた身体だということが判る。
 外見は三十代後半から四十代後半といったところ。つややかな黒髪を、古代中国をイメージさせるかたちにまとめている。髪と同色の髭が小綺麗に整えられているのも、昔の中国人を彷彿とさせた。
 夜歌が神獣だからそうなのか、それとも神獣という生き物の中では特別に整った姿かたちの神獣なのか、ヒトガタを取った彼は、獣の姿をしていた時の彼が美しかったのと同じく、驚くほどの美男子だった。
 その美が、ジーンの美貌、アイレストリアスの美しさ、カーズフィアートやアーティスのような美青年のそれとはまた違うのは、彼が重ねた歳月のゆえだろう。苦味と渋味のある、男性的な雄々しさを多分に含んだそれは、少年期青年期にある男たちには到底持ち得ないものだった。
「夜歌って」
【うむ】
「かっこいいね。馬の時もかっこよかったけど、今もすごーくかっこいい」
【……そう率直に褒められると照れるではないか】
「櫻良、それは真性の女好きだ、変に褒めると後々大変なことになるぞ。気をつけろよ」
【やかましい、朴念仁は黙っておれ】
「黙ってもいいが神殿騎士団の名を落とすようなことだけはするなよ」
【まったくどこまで失敬な奴だ……】
 素晴らしく嫌そうな顔をした夜歌がこぼす。
 櫻良はちょっと笑って、ジーンと夜歌とを交互に見比べた。
 どちらもが、人外のとでも言うべき神々しさを含んだ、ちょっと現実味を欠いてすら感じられる美貌だが、何故かあまり気後れはしない。この世界に来て一番に出会ったふたりだから、刷り込みが働いているのかもしれない。
「……まぁ、それはさておき、だ」
 黙って掛け合いを見学していたリコが、唐突に口を挟む。
 ジーンが彼女へ黄金とも琥珀とも取れぬ美しい双眸を向け、
「間違いないようだな。櫻良は《女神の灯火》だ」
 リコの言葉に頷く。
「ああ。もうじきとは思っていたが、こんなにも早く、しかも廃棄世界からの客人が灯火とは、少々驚いた」
「先代が身罷ってから十年か。色々あったが、これで世界の混乱は収束してゆくだろうな、喜ばしいことだ」
「そうだね、毎日のように魔物討伐に借り出されずに済む。でも、ついに神殿騎士としての本来の責務が動き始めたことと、新しい脅威が身近になったことを、我々は忘れてはいけないんだろうね」
「無論だ。神子姫から直々に命を賜ったのは私だからな」
 櫻良は、色彩も年齢も様々な三人の隊長が、静かに……しかし重い何かを含んで言葉を交わすのをぼんやりと見ていた。
 自分が《女神の灯火》。
 存在することで、世界の平和を担うもの。
 ――実感は湧かない。
 それどころか、何かに騙されているような気分ですらある。
 巨大なショーに、自分ではそうと気づかぬままに出演させられていて、一喜一憂する様をどこかで笑いものにされているのではないか、などという、どう考えても無理のある妄想が脳内にのしかかる。
 灯がともったことで、櫻良自身に何か変化があったわけではなかった。
 櫻良は、どこからどう見ても櫻良でしかなかった。
 それなのに、櫻良の眼前の人々は、櫻良の困惑など知らぬげに、櫻良には理解の出来ない歓喜に身を委ね、喜びと決意の言葉を口にしているのだ。
 期待され、己の存在を喜ばれていることへの面映さと、それにも増して募る不安とが、胸の奥底をひたひたと浸していた。
 いったいどうしたらいいんだろう、本当にあたしが世界の平和なんて大それたことを何とかできるような人間なんだろうか、と、櫻良が途方にくれそうになったとき、まるで奇跡のようなタイミングのよさで、淡々としているのにどこかやわらかい美声がかかった。
「……櫻良」
 声の主など、確認する必要もない。
「なに、ジーン?」
「不安か?」
「……うん。だってあたし、ついさっきまで普通の地球人だったんだもん。《女神の灯火》って、人間の希望なんだよね。そんなすごいものに、あたしがなるの? 本当に、なれるの?」
「なれる」
「でも、もしかしたら、ものすごい出来損ないの駄目な灯火かも」
「お前以外の灯火を観たことのない私には、何とも言ってやれないが。少なくとも、私には感じられる」
「何が?」
「神々の門が開いたこと、神々の手が差し伸べられたことを」
「それって、世界を守ってる神さま?」
「ああ。その力が、ゆっくりとこの神統世界を暖めようとしていることも、判る」
「ジーンはどうしてそんなことが判るの?」
「東方人だからだろう」
「……そっか」
「廃棄世界の住人たるお前が、はいそうですかと納得できるはずもないことは判る。《女神の灯火》の称号がお前の重荷となり、お前を危険にさらすだろうことも、事実だ。だが、」
 そこまで言いかけたジーンが、唐突に口を噤んだ。
「……ジーン?」
 櫻良が訝しげに問うと、
「私たちは、何を持ってしても、何を犠牲にしてもお前を護るだろう。それだけ、覚えておいてくれ」
 静かに言って、ジーンは上空を黄金の双眸で睨み据え、
「団長、姐様。――――客だ」
 端的に告げ、腰から剣を引き抜いた。
 空を見上げた神殿騎士たちが、厳しく表情を引き締めると、ジーンと同じように剣を抜く。
 櫻良は彼らにつられて空を見上げ、そして、息を飲んだ。
「なに……あれ……?」
 空を飛び、ものすごい速さで近づいてくる、いくつもの黒点。
 それらは明らかに、ヒトのかたちをしていた。
「――――魔族だ」
 ジーンの一言が、重々しく響いた。