ひとつふたつと指差しつつ数えてみると、魔族と呼ばれた黒点、徐々にはっきりとヒトの姿を現してくるそれらは全部で十五あった。
 櫻良は優秀な視力の持ち主だったから、子ども向け番組のヒーローばりに空を飛んでこちらへ向かってくる、不可解な人々の様子を遠くからでもしっかり観察することが出来た。
「魔族、って、空を飛ぶものなんだ……」
「ええ、よほどレベルの低い魔族以外は大抵飛びますね。無論、飛べればいいというものでもありませんが」
 櫻良の、驚きを含んだ言葉に応えたのはケーニカだ。
 厳しく引き締められた声に、彼女を見ると、その鮮やかな色の双眸は、怒りと嫌悪と使命感とで強靭に輝いていた。
 ジーンを初めとした隊長たち、副隊長たちの目に宿るのも同じ色彩の感情で、櫻良は、魔族という存在が、名前の響きの不吉さから表されるごとく、致命的に人間たちとは仲良く出来ないものなのだということを理解する。
「でも……人間と、似てる」
 そう、しかしそれらは、明らかにヒトのかたちをしていた。
 むしろ、その容色は美しかった。
 髪は、明りも月も星もない夜の闇のような、ジーンのきらきらと輝く黒髪とはまた違った艶のない――というより、光を吸い込むかのようだ――黒で、これは全員に共通した色だ。
 目は青やオレンジや緑、赤紫色やグレーなど様々だったが、それらは驚くほど金属的な色合いだった。ジーンの、金にも琥珀にも見える色の目を観た時もありえないと思った櫻良だが、こちらは更に人工の金属っぽい、目という器官にはありえない光沢で、奇妙な寒々しさを感じさせられる。
 性別はあるようで、男性の姿をしたものが十、女性の姿をしたものが五体いたが、そのどれもが、すらりとした美しい肢体と、人形のように整った、白い冷ややかな美貌とを持っていた。
 十代後半を思わせる者から二十代半ばといった者まで、年齢層は様々だが、皆が皆、黒っぽい、身体にぴったりとした印象の、動きやすそうな衣装を身にまとっている。武器を持っている様子はなかった。
 彼らの、隙のないしなやかな姿は、まるで世界有数のバレエ集団のようにも見えた。
 しかしそれらは、地球ではなかなかお目にかかれないほど美しいのに、何故か、どうしようもなく禍々しい印象を与えた。
 不可解に光を反射するメタリックカラーの双眸と、その目や面に宿る、冷酷で残忍な、強い攻撃性を含んだ表情の所為だろう。
「……バグは神の、人間の似姿を取る。恐らくは、神が……そして人間が、どう足掻いても完璧には統合され得ない、プログラム内の欠陥そのものであるがゆえに」
 淡々としたジーンの言に、それはどういうことなのかと問いかけるだけの時間はなかった。
 時速何キロなどという計測は櫻良には出来ないが、少なくとも自転車やバイクでは出せないような速度で飛んできた魔族たちが、北部桃璃門上空で急ブレーキ(と、いっていいものなのか櫻良には判らないが)をかけ、見上げる櫻良たちの頭上十メートルの位置で停止した。
 滞空と言うにはあまりに微動だにしない、その場に固定されたかのような停止だった。
 町の人々がざわざわとざわめいている。
 そこからは、驚愕と恐怖と、そして諦めにも似た納得とが感じられた。魔族とはつまり、そういう感情を向けられる存在なのだろう。そういう感情を向けられるような悪行を、あちこちで重ねてきているのだろう。
 何せ彼らは、櫻良を喰おうとした化け物、魔物と呼ばれたあの生き物の作り主だというのだ、それも当然かもしれない。
 ざわめきはしかし、パニックにはつながらなかった。
 人々は、魔族の見下ろす先にいるのがジーンたちであることを認めると、指先を宙に滑らせるような不思議な仕草をしてから深々とお辞儀をして、静かに……素早く、自分の家や近くにあった建物へ入っていった。
 ジーンたちの邪魔をしてはいけない、というように。
『なあ、クローウィイ。灯がともったと思って来てみれば、あれが新たな灯火のようだぞ』
 最初に口を開いたのは、短く切り散らした黒髪と、メタリック・ブルーの目をした男の魔族だった。
 金属光沢のある青の目を向けられ、白い指先で無遠慮に指し示された櫻良は、その目に射竦められるような錯覚を覚えて思わず身体を強張らせる。
 彼は、侮蔑とも嘲笑とも取れぬ、しかし明らかに櫻良を嘲り小馬鹿にした表情を浮かべていた。
 クローウィイと呼ばれた魔族、青目の隣の、肩までの黒髪とメタリック・グレーの目をした青年が、それに呼応して肩をすくめてみせた。
 周囲の魔族からくすくす笑いが漏れる。
 櫻良は、魔族が自分に向けるすべての目に、まったくどうでもいい、つまらないものを見る嘲りと優越感、そして隠し切れない邪悪な興奮を感じて更に身体を縮こまらせた。
 ――怖い、というのが、正直な気持ちだった。
『そのようだ、アルターエ。なんとも拍子抜けじゃないか』
『まったくだ。お前は先代を目にしたことがあるんだったな、カリアン?』
 名を呼ばれた女魔族が、メタリック・オレンジの目を細めて櫻良を見る。
 鮮やかに赤い、官能的な唇が、毒々しいほど深い笑みを刻んだ。
『ええ、アルターエ』
『どう思う』
『そうね……先代は本当に美しかったわ。彼女を引き裂ける日が楽しみで仕方なかったもの。それなのに、たった百年やそこらで老いて死んでしまうのだから、人間とは本当に弱い生き物。でも、彼女に比べると、おかしくなるほど貧相ね、今代の灯火は。ちっとも相応しくないわ、せめて、中身くらいは美しくないと楽しみがないわね』
『忌々しい神威も、そろそろ品切れといったところか』
『ああ、そうだな、クローウィイ。あの灯火を引き裂いて、今度こそ我ら魔族の世を創るとしよう。――あれならば、そう難しくもなさそうだ』
 身勝手な、しかし身動きできないほど恐ろしい内容の会話を続ける魔族たちに、櫻良の身体は自然と震え出していた。
 拍子抜けだとか貧相だとか、そう言われたところでごめんなさいと謝るしかないくらいには櫻良は普通の少女なのだ。その会話の意味するところ、すなわち、彼らが櫻良を殺しに来たのだという事実に、恐怖が込み上げてくる。
 ――饒舌な彼らに反して、神殿騎士たちは何も言わない。
 そのことにも、櫻良は不安を募らせた。
 隊長副隊長などという重責を担う彼らが何も言えないほど、魔族の存在は脅威であり、強大なものなのかと。
 剣を構えたまま身動きひとつしない――それとも、できない、なのか――騎士たちに侮蔑の視線を向け、アルターエと呼ばれた魔族が背後の、周囲の魔族に声をかける。
『騎士様方は動けぬようだ。我々に怖気づいたか……なんとも他愛のない。では、我らは我らの責務を果たそう。我らが親愛なる魔王陛下の御為に、《女神の灯火》の速やかなる抹殺を』
 言った彼の掲げた手、白く美しいそれの先端が、刃のように白く輝く。
 爪だ、と気づいて、そのあまりの禍々しさに鳥肌が立った。
『灯火があの程度では、正直……あまり食指は動かないが。精々、楽しませてもらうとしよう』
 アルターエがそううそぶいた、その瞬間だった。
 美男美女にあの程度と言われようが、貧相、拍子抜け、つまらないと言われようが、平凡街道を驀進してきた櫻良には大した痛手でもなく、そんなもの私にはどうしようもないんだから仕方ない何か悪いかと開き直る程度のものでしかなかったのだ。正直なところ。
 しかし。
「――――虫が」
 不意に、周囲が凍りつくような声で、ジーンが吐き棄てた。
 お世辞にも表情豊かとは言えない顔と声に、紛れもない怒りをのぼらせて。
 櫻良が瞬きをして彼を見遣ると、その周囲を、虹とオーロラを混ぜ合わせた、とでも表現するしかないような、不思議な光が渦巻いた。
 きれい。
 櫻良がそう思った瞬間、そこからジーンの姿が消えていた。
 あまりに唐突過ぎて、最初からここにはいなかったのではないかと、先ほどまでのあれは幻だったのではないかとすら錯覚させられる。
 魔族たちが、柳眉をひそめたのが判る。
 騎士たちは、身動きもしない。
 まるで、それが当然のことであるかのように。
 ジーンの、魔族たちのそれを軽く凌駕する、静かだが明らかに激しい怒りを内包した美声が再度響いたのは、
「灯火を侮辱することは、すなわち、神殿都市を……神子姫を、神殿騎士を敵に回すということだ」
 ――――魔族たちが停止する空の、わずかに上方で、だった。
 飛んだのではなく、どうやら、跳躍したらしい。
 十メートル以上の高さを、だ。
 不可思議で鮮烈な光が、ジーンの周囲を渦巻いているのが見える。
 滞空時間がやけに長いような気がするのは、目の錯覚だろうか。
「消え失せろ」
 ジーンは、魔族たちが彼に気づいて騒然となるよりも早く、落下していく不自由な姿勢をものともせず、冷ややかな声とともに三日月のような銀刃を目にも留まらぬ速さで揮うと、アルターエを一撃のもとに斬り伏せた。
『が……ッ!?』
 右首筋から左脇腹を一息に斬り下ろされ、アルターエがくぐもった声を上げる。
『あ……アルターエ!?』
 魔族たちから驚愕の気配が伝わってくる。
 櫻良は息を飲んだ。
 深々と潜りこんだ刃がアルターエを無慈悲に斬り裂き、その身体を完全に切断した、と思った瞬間、魔族の身体は音もなく崩れ、真っ黒な火となってわずかに空中で揺らめいたあと、何の痕跡も残さずに消え果てたのだ。
 衣装の残骸すら、あとには残らなかった。
 ――魔族とは、そういう存在なのだろうか。
 骸を残すことも許されないような。
 櫻良の胸中に、寒々しさとも寂しさとも取れぬ感情が訪れる。
 彼女のそんな思いなど知る由もなく、仲間をわずか一瞬で消滅させられた魔族たちが、怒りと警戒とを含んでジーンを睨み据えた。
 ジーンに近づきすぎては危ないと思ったのだろう、忌々しげに高度を上げる。櫻良の高校の、屋上よりもまだ高いくらいの位置だ。多分、二十メートル前後ある。
 息ひとつ乱すことなく、危なげなく着地したジーンは、彼らの殺意を含んだ視線を受けても何ら怯まず、柳刃のごとき眉を跳ね上げると、三日月の銀刃を再度魔族に向けた。
「相手の力量すら測れぬ、たかだか中級程度の魔族ごときが、貴き界護の姫を侮辱した罪、その身をもって贖うがいい」
 黄金の双眸を怒りに炯々と輝かせた彼がそう厳しく断じると、彫像のように静止していた残りの騎士たちが、その時を狙ってでもいたかのように行動を開始した。
 最初に動いたのは――リコだ。
「まったく……舐めた真似をしてくれる」
 静かに、怒りを込めて言った彼女が、身体の正面に、女性が扱うにしては少々大きすぎるような気がする長い剣を構えると、特別な仕掛けがあるようにはとても見えないその剣が、銀色の光を放ち始めた。
 徐々に強くなってゆくその光に、魔族たちがざわざわとざわめく。
 ごくごく自然に動いた誰かが自分の前に立った、と思って見上げると、それは夜歌だった。
「夜歌」
【……心配無用。神殿都市内にあって、そなたを傷つけ得るものなど、何ひとつとして存在せぬ】
 こっそりと名を呼ぶと、振り向いた夜歌が、器用に片目を瞑(つむ)ってみせる。彼の力強い言葉と、愛嬌のあるその仕草に、櫻良の恐怖感はすっとやわらいだ。
 リコの静かな声が聞こえてくる。
「神殿都市を狙う者はわたくしの敵。それと同じく、灯火を侮辱しその身を危機にさらす者もわたくしの敵だ」
 まぶしいほどの銀光を放つ、大きな剣を手に、身体を少し斜めにしてリコが構えた。
 だが……魔族のいる空までは、ゆうに二十メートルはある。
 それを理解してのことだろう、少女の姿をした魔族がリコを嘲った。
 長い黒髪が風に踊る。
 彼女の目は、アルターエのものより色合いの明るいメタリック・ブルーだ。
『空舞う翼も持たぬ人間が、どう戦う!? もはや我らに油断はない、アルターエのようには、行かぬぞ!』
 だが、リコには、焦りも、こたえた様子もない。
 ただ彼女は、あでやかに……凄絶に笑って、
「油断? あろうがなかろうが、そんなもの、わたくしには何の関係もないな。虫一匹射落とすのに、空を飛ぶ必要はない。――違うか?」
 その言葉とともに、ジーンと同じく目にも留まらぬ速さで、剣を中段から振り抜いただけだ。
 剣閃が空気を斬り裂く音がしたほどの、激烈な勢いで。
 テニスのスマッシュに、似ているといえば似ている。剣の腹の部分が、どこまでも地面に対して水平であることを除けば。
 一体何を、と、訝る必要はなかった。
 彼女が剣を振り抜いた瞬間、そこに宿っていた銀の光が大きな鳥の姿になったかと思うと、まるで矢のように剣から解き放たれて飛び、メタリック・ブルーの少女魔族を貫いたのだ。
 銀光は少女魔族の胸から腹へかけて、大きな、黒々とした穴を開け、彼女の身体の向こう側へ抜けてから空に解けた。
『な、あ……!』
 リコの不可解な行動を嘲る暇もなく、驚愕の表情を浮かべたまま、少女魔族は黒い炎となって消える。
 魔族たちの間を、鋭い衝撃が走ったのが判った。
『……ベエノ!』
『貴様らは、いったい……!?』
 メタリック・ブラウンの目の少年魔族が詰るような口調で言って騎士たちを見下ろしたのと、
『シャンタン、後ろだ!』
 他の魔族からの強い警告が示すように、彼の背後へピアノ線を思わせる何かが飛び、少年魔族の身体を絡めとって、一瞬のうちに地上へ引きずりおろしたのとは同時だった。
 驚愕と低い呻き声とともに地面へ墜落したシャンタンは、何とか体勢を整えて空へ舞い上がろうとしたが果たせず、身体に絡みつく硬質的な『糸』を振り解こうともがいた。
 『糸』の先にいるのは――笑みを崩さぬままの第一部隊隊長、どこにでもいる普通の、ひょろ長いおじさんとしか思えないネイクだ。『糸』は、彼の左手首から手の甲にかけてを守る防具の、リング状の留め具から出ていた。
 全身全霊で暴れるシャンタンを『糸』一本で抑え込んでいるのだ、彼もまた不思議な力の持ち主なのだろう。
「まったく……残念だ、魔族の諸君。私は無益な争いなど望まないのに、どうして君たちはそんなにも死に急ぐんだろう」
 哀しげですらある風情で言ったネイクが、しかし言葉とは裏腹に、右手に握った剣をシャンタンの頭上に掲げる。
 それを見上げてシャンタンが息を飲んだ。
 櫻良は、そんな場合ではないというのに、魔族にも恐怖心があるのだということを、彼らも死ぬのは怖いのだということを唐突に理解する。つくりや精神構造は違っても、いのちとしてのあり方に違いはないのだ、と。
 無論、だからといって、彼らの狙いが櫻良の命である以上、甘いことなど言ってはいられないが。
 魔族たちが色めき立ち――つまるところ、仲間意識や同族を気遣う心もあるのだ――、一斉にネイクめがけて突撃してきた。
 しかし、ネイクがそれに頓着する様子はなかった。