「さて……では、どうしようかしら」
櫻良の散々な胸中など知らぬげに、フォウミナが美しく小首を傾げる。
「待ちに待った灯火の来訪ですもの、きちんとしたお披露目をしなくてはね。どう思う、皆?」
「当然だ」
「わたくしもそう思います、姫」
「恐れながら、都への牽制も必要かと。《女神の灯火》が現れたとなれば、向こうも黙ってはいないでしょう」
「ああ……先代の灯火の時もそうだったな。先代が灯火となられたとき、わたくしはまだ七つだったが、あの騒ぎは今でもよく覚えている」
「そうね、リコ。あなたのお母様が第二部隊隊長を務めておられた頃だわ」
「ああ、そうだったね。僕は神殿騎士団に入団したばかりだったけど、灯火を都へ寄越せという触れに激怒して、使者と護衛の王宮騎士たちを半殺しにした彼女の姿は今でも昨日のことのように思い出せるよ」
「うわ隊長のお母さん怖っ。今は神殿中央部で働いてるんだっけ? うわ怖っ」
「ばりばりの現役のはずよ。神殿中央部で神武官を取りまとめておられるんじゃなかったかしら。まあ、リコ隊長を見てたらよく判るけど。親子って似るものでしょ」
「……半殺しっていう表現からして凶悪ですよね。でも、ライラ・ウル・フィールド隊長の話は神殿都市でも色んな伝説になってますし、そのくらいで済んで幸運だったのかも……」
「ねえアティ、リコ隊長とライラ隊長の配下だったら、どっちの方がよさそう?」
「……そんな難しい問題、急に言われても」
「何がどう難しいんだ、アティ? わたくしと母上なら明らかにわたくしの方が優しいぞ、言っておくが。今でも月に何度かは、神武官たちからあの母を何とかしてくれという涙まじりの訴えを聞くからな。とりあえず、お前たちはちょっと黙っていろ。話が進まない」
よく考えると結構恐ろしいことを、まったくの真顔でリコが言うと、話を思い切り脱線させかけた三人の副隊長たちはめいめいに肩をすくめてから口を噤んだ。
彼らがいると、どんなところでも会話がコミカルになる。
フォウミナがくすくすと楽しげに笑う。
「明日は、難しいわね?」
「それはあまりにせっかちすぎるぞ、姫」
「あら、そう? でも、せっかち王のジーンに言われるとちょっとショックね、それは」
「誰がせっかち王だ、誰が。触れも回さねばならないし、準備も必要だ、せめて三日の猶予は必要だろう」
「三日でもせっかちだと僕は思うけど。衣装とか舞台とか、多分それだけの時間では準備出来ないよ。少なくともその二倍、出来れば三倍はあったほうがいいと思うな」
「日時に関してはわたくしも団長と変わりなくそう思うが、ジーンにすれば気長な方だ。しみじみと思うが、ここへ来た当初に比べると丸くなったものだな、ジーンも」
「褒め言葉……ではないと思うが、一応ありがとうと言っておく。それも神殿都市とここの皆のお陰だ」
「そうね、今でも短気なことに変わりはないけど、本当にその通りだわ。よかったでしょう、ここに来て。だから、あなたを隊長に抜擢したわたしを褒め称えるといいわよ」
「……確かにここに来てよかったと心底思うが、そういうことを自分で言われると萎える」
緊迫感のない、先刻まで剣を揮って戦っていたとは思えないやりとりに、櫻良は思わず笑った。
疼く胸を抱えつつも。
心は今も痛かったが、先ほどと比べるとずいぶんましになっていた。
諦めがついた、のかもしれない。
どうあっても叶わないのだと、その運命を甘受する覚悟が出来たのかもしれない。
――それに、叶わないなら叶わないでいいのだ、どちらにせよ、元の世界に帰る方法がない以上、櫻良はここで、この神殿都市で生きてゆくしかないのだから。
結局のところ、櫻良は、ジーンの姿を目にすることが出来、彼と時折関わることが出来るなら、それだけで構わないし、幸せなのだ。いつまで経っても、きっとそういうものなのだ。
きっと、それくらい、軽い恋ではないということなのだ。
そして何より、ジーンや神子姫を筆頭とした神殿都市の人々は、櫻良を大切に扱ってくれたし、彼女にとても優しいから。
それを思えば、櫻良は、不可解ではあれ、自分に課された使命があったことを本当によかったと思う。
(あたしがここにいることで、本当に皆が幸せになれるなら、それだけでいい。……って、思おう)
もちろん、神子姫のすぐ隣に、ごくごく自然なことのように佇むジーンの姿に、胸が痛まないはずはなかったけれど。
「じゃあ、十日後でどう?」
「妥当なところでしょうね」
「ふむ……それだけあれば盛大な披露目が出来るだろう。では、会場関係は神官たちに任せるとして、警備については誰が何を受け持つ? ちなみにわたくしはパレード関係希望だ」
「わあ。隊長、今ものすごく自分の欲求に忠実に行きましたね」
「何を言うアティ、当たり前だ。《女神の灯火》のお披露目パレードに護衛として参加するなぞ、一生に一度あるかないかの大舞台だぞ。神殿騎士の夢だし、誇りだ。そこはやはり、神殿騎士として、何をおいても主張しておくべきところだろう」
「まあ、確かに。神殿騎士の晴れ舞台ってのは否定しませんけど、でもその場合、俺も絶対参加ですよね……」
「それも当然だ、お前のほかに第二部隊副隊長がいるのなら話は別だが。わたくしがびっくりするほどの盛装で参加しろ。レースもフリルも薔薇もリボンも何でもありだ」
「すみません、できればそれは勘弁してください、多分皆にこの世の果てまで引かれます。大体、俺みたいな恥ずかしがり屋にそんなきらびやかな場へ出ろとか言わないでくださいよ」
「ここは盛大に突っ込むべきかしら、ケーナ?」
「お任せします、メイ」
「……君たちがいるとどんどん話が逸れていくなぁ」
「って、え、ネイク団長、俺たちの所為ですか、それ」
「少なくとも僕の所為ではないよ」
「そりゃまぁそうでしょうけど。じゃあまぁ、一応第二部隊はパレード関係希望ってことで」
「隊長、わたしたちはどうします? どこを選択しても、やらなきゃいけないことは細々とありますけどね」
「じゃあ、お披露目までの都市内の警備を希望しようかな。灯火の来訪で都市内が活気づく分、色んな方面で忙しくなりそうだけどね、そういう忙しさは楽しいだろう?」
「ええ……そうですね。そう思います。楽しい、希望を含んだ忙しさなら歓迎です。判りました、ならそのように心構えをしておきます。というか、第一部隊の面々にそう心構えをさせておきます」
「うん、よろしく頼むよ。僕が言うよりメイにびしっと言ってもらった方が、彼らも気を引き締めるだろうからね」
「それ、あんまり褒めてないでしょう隊長」
「ん? いやいや、褒めてるよ、これ以上ないくらい」
「そうですか。ありがたすぎて涙が出そうです」
「……では、私たちは門の外の警護を」
灯火の訪れとやらがどれだけ重要なことなのかイマイチ判っていない櫻良には理解しづらかったが、それが喜ばしいことに変わりはないらしく、他の神殿騎士たちがどことなくうきうきと楽しげな中、まったくトーンもペースも変わらない声で淡々と告げるのは、黄金の目の少年だ。
「構わないな、ケーニカ」
ジーンが問うと、ケーニカはかすかに肩をすくめてみせた。
「私が構いますと言ってもそうするつもりなんでしょう、隊長は。なら、私が否やを唱えたところで無駄なだけです。出来ればパレードは観たいですけどね、櫻良の晴れ舞台でもあるんですし」
「基本的には私が出る。観に行きたければ行け」
「……あら、ずいぶん働くんですね」
「当然だ。私ほどの働き者はそうそういないぞ」
冗談めかすこともなく、それでいて特に誇るでもなくさらりと言い、そこで少し言葉を切ったジーンが、稀有な双眸で櫻良を見遣る。
櫻良は滑稽なほど自分の心臓が跳ね上がるのを自覚していた。
判りやすい心臓だ、と、思う。
しかしそれは、痛みを伴いはするものの、幸せな自覚だった。
そう思えることすら幸いのひとつだった。
「どうしたの、ジーン」
「いや」
「?」
「《女神の灯火》が――――櫻良が、披露目に臨むめでたき時に、不粋な魔物や魔族など、近づけるわけには行かないからな」
「……ジーンって」
「うん?」
「ううん、なんでもない」
ジーンの、嘘偽りがないと判る言葉に櫻良の心は躍ったが、それと同時に、彼を残酷だと詰る気持ちを否定することは出来なかった。こんな風に優しくされて、真摯な言葉を投げかけられて、期待しない人間がいたらお目にかかりたいとすら思う。
それがジーンという人間の性質なのだとしても、神殿騎士としての責務の一貫なのだとしても、彼は残酷だ。櫻良の気持ちなど、きっと一生かかっても気づいてはくれないだろう。
無論、それすら仕方がないことなのだと、たかだか数時間で悟りつつあった櫻良だが。
「では、決まりね」
胸中に溜め息をつく櫻良を尻目に、神子姫がにっこり笑って言った。
「お披露目は十日後。第一部隊には都市内の警備の強化を、第二部隊にはパレードの護衛とそれに際しての周囲の警戒を、第三部隊には都市外の魔物や魔族の掃討をお願いするわ」
「御意」
「一身に変えて責務を果たそう」
ネイクとリコが恭しく一礼するのから一瞬遅れてジーンがうなずく。
「判った。……では、櫻良」
「へ、あ、はいっ? なに、ジーン?」
「お前はひとまず休め」
「え?」
「この短時間で色々なことがあった、疲れただろう。廃棄世界の住人には、少々刺激が強すぎたかもしれん。宿は姫がなんとでもする、美味いものでも出してもらえ」
「ジーンはどうするの?」
「……私は、外を見まわってくる」
「そうなんだ」
「灯火の来訪はすぐにあちこちへ伝わるだろう、貴い界護の姫を狙う不埒な輩がいないとも限らないからな」
「うん……あの、でも」
「ん?」
「無理ならいいけど、でも、あの……もうちょっと、ここにいてほしいって、一緒にいてほしいって、言っちゃ駄目? あっ、あの、その、やっぱりまだ、不安だから、だから……」
自分は何をしてるんだろう、ジーンには好きな人がいるんだし、こんなわがまま言ったら困らせる、と思いつつも、どうしても行ってほしくなくて、ここにいてほしくて、――かれが行ってしまうのは寂しくて、もごもごと……しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。
ジーンはしばらく沈黙していたが、ややあって、
「……そうか」
ふわりと、ほんの少しはにかんだように、笑った。
どこか幼さを含んだその笑顔の美しさたるや凶悪なほどで、幸せのあまり櫻良は思わず意識を失いかけたが、
「なら、一緒に飯でも食うか」
ジーンのその言葉に我に返り、ぱっと顔を輝かせた。
「ほんと?」
「ああ。姫、少し離れるが、構わないか」
「ええ、問題ないわよ。少し結界を強化しておくわ、そうね……中級第一位以下の魔族は近づくことも出来ない程度には。あなたは櫻良に美味しいごはんを食べさせてあげて。でも、珍しいわね、ジーンがそんな風に世話を焼くなんて。いいことだと思うけど、きちんとエスコートするのよ、彼女はこの都市の、この世界の賓客なんですからね」
「……肝に銘じよう」
あっけらかんと、さばさばと許可を出し、フォウミナが笑う。
その様は、神々しいまでの美貌に反して親しみ深く、どこにでもいる少女のように明るくて、裏表がなく、櫻良は彼女を好きになりかけている自分にも気づいていた。
無論気後れや嫉妬が完全に消えたわけではないが、こんな人なら、ジーンが好きになるのも判る、とも思う。
「ということだから、ケーニカ、門の警護は任せるぞ」
「はい、了解です。もっとも、姫様が結界を強化されるのなら、私たちの出る幕はほとんどなさそうですけどね。犯罪者たちですら、今は灯火の訪れに浮き足立って、悪事を働くどころじゃありませんよ」
「ふむ、名言だな。なら、心配は要らないか」
「ええ、そういうことです。そもそも、隊長が私たちを心配してくれることがあるのかという話ですが」
「確かに心配はしていないな。信頼はしているが」
「またそういうずるいことを言う。隊長って絶対、天然の性悪ですよね」
「……そういうものか」
ケーニカの言に、ジーンが小さく首を傾げる。
櫻良はケーニカも苦労してるんだろうなぁと思いつつ、そのやり取りが面白くて、つい笑った。
そこへフォウミナが声をかける。
「じゃあ行ってらっしゃい、櫻良。神殿都市にはごはんの美味しいお店が多いの、廃棄世界とは違うから、どうしても戸惑うと思うけど、好きなものを食べさせてもらって。ああ、そうそう、ついでにジーンに案内させて街をまわって来るといいわ」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。櫻良が楽しければ、わたしも嬉しいわ。……そういうことだから、よろしく、ジーン」
「……どうせ私に拒否権はなかろう」
「うふふ、ご明察。付き合いが長いと理解が早くて助かるわ。まさに以心伝心ね。せっかくだから、櫻良が神殿都市を大好きになっちゃうようなところへ案内してあげて。それと、今後しばらく、夜は双神宮(そうしんぐう)に寝泊りしてもらうから、帰りはそっちへ連れて行ってあげて。あまり遅くならないうちに帰ってくるのよ」
「どこまで子ども扱いだと言い募りたい気もするが、了解だ、ご主人様。では行こうか、櫻良。ああ、夜歌、お前はどうする」
【ふむ、嬢がよいと言うのなら同行したいが】
「だ、そうだが」
「うん、そうだね、一緒に行こう。安心したらおなか減ってきちゃった。そういえば、夜歌も……っていうか、神獣は人間と同じような、普通のごはんを食べるの?」
【食わずとも死なぬが、食えば美味不味は感じる】
「神獣は本来、大気に満ちるエネルギーを摂取するだけで生きていけるからな。夜歌のように人間に混じって人間もどきの生活をしている神獣ははっきり言って珍しい」
「へえ、すごいんだね、夜歌は」
【それほどでもない】
「褒めなくていい。単に女好きで物好きなだけだ」
【……】
きっぱりと断じられ、ものすごく嫌そうな顔をする夜歌に、櫻良は吹き出した。
こんな日々がこれから続くのなら、それも悪くない、と、思う。
「では行こう、櫻良」
言ったジーンが、櫻良へ手を差し伸べる。
彼と出会った一番最初、途方にくれる彼女へしたのと同じような、無造作で温かい仕草で。
「……うん」
櫻良は恥ずかしげに――嬉しげに笑い、胸の痛みとジーンの残酷さを心の中に思いつつも、彼の手を取った。黒い皮の手袋に覆われた手は、どこかごつごつとして武骨だったが、温かかった。
そしてそのまま、ジーンに手を引かれるままに歩き出す。
真紅の眼を細めつつ、夜歌がその隣に並ぶ。
明るい太陽は、いつの間にか、空の天辺へ来ていた。
ジーンに手を引かれ、夜歌にとなりを護られて歩み去った櫻良は、知らない。
三人の背を見送った神子姫が、めいめいに仕事へ戻って行った騎士たちの中、唯一その場に残った第三部隊副隊長へ声をかけたことを。
――その、話の内容を。
それを聞けば、彼女の希望は、あっという間に戻ったのだが。
「ねえ、ケーニカ」
フォウミナの言葉に、ケーニカが応じる。
「なんですか、姫様」
その口調は、神殿都市の支配者と彼女に仕える騎士の交わすものにしては不釣合いなほど親しげで砕けていた。
「あのふたり、どう思う?」
「可愛らしいですよね」
「そうよねえ? ジーンがあんなに可愛い態度を取ることがあるなんて、知らなかったわ、わたし。もう五十年くらいの付き合いなのに、あんなジーン、初めて観た」
「本当にね。私も初めてです。もっとも、私はまだ付き合い始めて八年くらいですけど、隊長、何を考えているのか判らないときがあるから」
「いつものことでもあるけれどね、それは。……櫻良も可愛いわね」
「ええ。彼女は隊長のことが好きですね、絶対」
「そう?」
「んー、多分。なんというか、こう、向ける目が違うというか。でも、あのくらいの年の子って、一生懸命で本当に可愛い。もし私に妹がいたら、あんな感じでしょうか」
「じゃあ、ケーニカを櫻良の世話役に任命するわ。あなたなら櫻良を任せて問題ないでしょうから。というか、わたし思うのだけど、ジーンと櫻良なら、お似合いよね」
「そうですね、隊長に櫻良のような可愛い子はもったいないような気もしますが、悪くはないと思いますよ」
「応援してあげなくちゃねえ、ケーニカ?」
「ええ、姫様」
言って顔を見合わせ、ふたりはくすくす笑う。
他の神殿騎士たちがいたときとは違い、今のふたりの間にあるのは、長い時間を共有してきた友人のような、生まれた時から傍にいる姉妹のような、運命をともにする恋人のような、そんな近しい感情だった。
「灯火も、東方人の末裔も、どちらも幸せであってほしいわ。いいえ、きっと、その幸いを護ることが、わたしの責務なのね」
「お手伝いしますよ、姫様。当然のことですけどね」
「ええ、判っているわ。ありがとう、ケーニカ」
「どういたしまして」
にっこり笑ったケーニカが、フォウミナの褐色の繊手を取り、その指先と手の甲に恭しく口づける。
――そう、それが騎士たちの、貴人に対する親愛の情を示す仕草なのだと、騎士たちが日常的にするごくごく普通の、恋愛感情などかすりもしない行為なのだと櫻良が知っていれば、彼女は落胆せずに済んだし、嫉妬も気後れも哀しみも感じずに済んだのだが。