「降(くだ)る者まで討ちはせぬ、命が惜しくば武器を捨てよ!」
 第九大隊長エツカ・ハウンドが、その大柄な、隆々たる肉体に相応しい、堂々とした雷声(かみなりごえ)を張り上げる。
 その声に、賊が、鞭で打たれたかのようにびくりと身体を震わせ、畏怖と恐れの交じり合った目で彼を見あげた。彼の手で、揮われようとしていた剣が、力を失って項垂れる。
 そこから、抵抗の意志が徐々に失われていっていることが判る。
 エツカの、威風堂々とした出で立ちは、その身体から滲み出る威圧感は、賊の意気地を削ぐのに十分すぎる力を持っていた。
 彼が手にした大剣、『斬月(ざんげつ)』の銘を持ち、三アルネルはあろうかという、長大かつ幅広のそれは、すでに何人分もの人間の血でぬらぬらと濡れ光っている。
 彼は、第三部隊トップクラスの騎士たちの大半がそうであるような異能者ではないが、《轟剣》の二ツ名の示すとおり、剣を持たせれば並の騎士が寄ってたかって撃ちかかっても微動だにしない実力の持ち主だ。
 彼が、四アルネルを超える巨体に似合わぬ俊敏さの持ち主であることは、この場にいた誰もが身をもって理解しただろう。
「だが、あくまでも抗うというのなら容赦はせぬぞ!」
 エツカの声が朗々と――轟々と響く。
 大隊長たちは、黙々と、自分の責務を果たしていた。
 ハルベルト・フェイスの細剣が、狙い違わず頚動脈を断ち切る。
 首を掻き切られた男は、恐慌一色に染まった目で、獣のような絶叫を上げながら、血を噴きだす首筋を押さえ、全身を己の体液にまみれさせて地面に転がった。
 ルヴァ・グレイエコーは、まといつかせた風に、撃ち放たれる矢を拭き散らかせながら、的確に賊を屠ってゆく。
 その、深緑色の目には、作業に精を出す以上の感情は含まれていない。
 ユイもタクスも、その異能を発揮する必要もなく、無造作だが容赦も躊躇もない手つきで剣を揮い、骸(むくろ)の山を築いていった。
 少数対多数の戦いでありながら、その力量の差は歴然としていた。
 必死で抵抗を続けるものの、男たちは、バタバタと、なすすべもなく倒されていく。
 あまりにも圧倒的な力に絶望したか、どうあっても敵わないと諦めたのか、賊の中には、ちらほらと、投降する者も現れ始めた。
 元々は、本来は彼らの情婦であるらしい女たちにその傾向が強い。
 ひとところに集めた女たちを、ケーニカが、氷を編んで作った檻で閉じ込める。氷というかたちを取り、触れると確かに冷たいが、それは、よほど大きな鎚(つち)でもない限り砕けず、ケーニカの意識が失われない限りは溶けない不思議な物体だ。
「手間が省けて結構なことです」
 ケーニカはすでに、剣を向けてきた同性を数人斬り捨てていたが、その少女めいた横顔に、後悔や苦悩の色は存在しなかった。
 その紺碧の双眸は、属性と同じく、氷のように冷ややかだ。
「簡単に済んでよかったというか、手応えがないというか。これなら、ジーン隊長だけでも問題なかったかも」
「ジーン隊長だけでは暴走してしまわれるかもしれませんから、私としては、ここへ来たこと自体は正しかったと思っていますが」
「ああ、それは確かにそうですよね」
 日常を髣髴とさせる口調で暢気な会話を交わしつつも、ユイとタクスの手にした剣は、近辺の賊をばっさりと斬り払っている。
 もっともふたりは、噴き上がる血と、絶望の含まれた絶叫など、眼中にないといった様子だ。
 無頓着に、しかし的確に『仕事』を続ける騎士たちによって、あくまでも抵抗する男たちは、徐々にその数を減らしていた。
「頭目は、どこだ?」
 破れかぶれというよりは、パニックを起こして何も判らなくなり、闇雲に突っ込んできたといった印象の、まだ若い男を易々と斬り倒し、剣から血を払いながらジーンはつぶやく。
【番犬とやらの姿も見えぬな】
 優雅な動作で伸ばした手の中に、賊のひとりを捕え、ごくごく無造作に――何の感慨もない様子で、枯れ枝でも摘むかのようにその首をへし折って、塵(ごみ)と同等の気安さでその死体を放り捨てた夜歌が応じる。
 夜歌のように、人間を殺す手伝いをしてくれる神獣は珍しいが、夜歌のように、他者への友情のために甘んじて手を汚すものは皆無ではない。彼らは愛情深く、そして義理堅い。
 ――しかし、それを素手で行う神獣は恐らく彼くらいしかいるまい。
 彼が神獣、玉瑞族の中にあって鬼子と呼ばれる理由はそこにある。
「ふむ……」
 ジーンは、性懲りもなく飛びかかって来た賊を蹴り倒し、その身体を踏みにじりながら周囲を見渡す。ごつい、堅いブーツに蹂躙された男が泣き声を上げるが、それで心を動かされるほどジーンは人が好くない。
 討伐は、殲滅戦の様相を呈していた。
 騎士たちを傷つけ得るものは誰ひとりとして存在しなかった。
 折り重なるように倒れる死体は八十を越えた。
 濃厚な血の臭いが周囲に立ち込め、地面に広がった赤黒いそれらが、生々しい死を喚起させる。
 もはやどうあっても逃れられず、勝利し得ないことを理解して投降する者が増え、周囲は徐々に静けさを増していく。
 だが、ジーンは警戒を緩めない。
 本来この戦いを指揮すべき頭目、この集団の首領たる人物の、それらしい姿が見えず、また番犬代わりの、近隣に多大な被害をもたらす原因となった魔物の姿もない、そのことを訝しく思う。
 恐らく、ここに頭目がおり、番犬たちがいれば、この戦いはもっと違ったものになっていたはずだ。
 勝利は出来ずとも、命を落とさずに済んだものもいるかもしれない。
「……空気の質感が、妙だ」
 周囲を見渡し、目を細める。
【どうやら、ただの魔物ではないような雰囲気だな】
「知っているような気がしないか、夜歌」
【何を、だ?】
「この、空気」
【……ふむ】
「確かに魔のものだ。疑う余地はない。だが……私たちがいつも言う、魔物ではない気がする」
【うむ】
 夜歌が頷く。
 この場所での討伐はすでに終了していた。
 最後まで戦ったものは骸となって血溜まりに倒れ伏し、抵抗を諦めたものはケーニカの檻によって囚われ、これからの裁きを思ってか悄然と肩を落としている。
 死者は百人強、捕虜は男が二十人、女が三十人といったところだろう。
 神殿騎士団の討伐の規模としては大きいが、トップクラスの騎士たちにとっては大した苦労ではなかった。
 しかし。
「……妙ですね」
 剣を腰に戻さぬまま、ユイが夜空を見上げる。
 彼らは、戦いがまだ終わっていないことを理解していた。
「頭目はどこです」
 ユイに対して頷いたケーニカが、檻に囚われた人々に問う。
 問われた男たち、女たちは、怯えた目をして首を横に振った。
 ケーニカの眉根が寄る。
 彼女の所業の一切を目にした人々には、心臓が飛び出さんばかりに恐ろしい表情だろう。事実、檻の中の人々が、一層顔色を悪くし、身体を縮こまらせたのが見える。
「逃げたのですか?」
「ち……違う、違い、ます」
「では、どこへ」
「それが、判らないんだ、……です」
「どういうことですか。番犬代わりに飼っていたという魔物は?」
「あの、それも判りません」
「……あなたは私を馬鹿にしているのですか、それともからかっているのですか。言っておきますがそれは命がけの遊びです。投降してきたわけですし、生かしておいて差し上げようかと思いましたが、協力する気がないのなら、この場で氷柱に埋め込みますよ?」
 静かだが紛れもない怒気を含んだケーニカの言葉と同時に、彼女の周囲で氷片がきらめき、周囲にぱきぱきという乾いた音を響かせた。
 幻想的で美しい光景だが、その『力』がはらむのは、死と破壊以外にはありえない。
 表情のない、だからこそかえって恐ろしいケーニカのその姿に、人々がひぃっ、と、かすれた息を飲んだ。
 男は身体を硬直させ、女たちは涙をにじませて抱き合った。中には、ガタガタ震えて失禁したものすらいる。
 出会ったころからすでにケーニカの本性を知っているジーンは特に何も感じなかったし、彼女よりも恐ろしい存在を主にいただく大隊長たちも動じはしなかったが、神殿騎士の実力を目の当たりにさせられたあとにこんなことをされたら、一般人の膀胱では耐え切れないかもしれない。
「いえっ、その、ですからっ」
 不幸にも、一同の代表を務めるかたちでケーニカの質問に答える羽目になった、四十代前半と思しき男が声を裏返らせる。
「ついさっきまでは確かにいました、本当にいました! でも、あんたたちが来るちょっと前に、頭目も魔物たちも、誰も知らない間に姿を消してたんです!」
「……」
「本当です、嘘じゃありません! 頭目は最近ちょっと変で、俺たち、何があったんだろうって話をしてたんです!」
「変、とはどのようにですか」
「あの、その、魔物たちと一緒にいる時間がものすごく長くて」
「……一緒に、ね」
「魔物を手懐けたのは頭目で、あの人は確かに魔物を可愛がってましたけど、でも、同じ寝床で寝るようなことは、昔はありませんでした」
「それが、最近では、一緒に寝ていたんですね?」
「は……はい、そうです。奥の方に、魔物専用の厩舎があるんですけど、そこに寝具を持ち込んで、飯も全部そこに運ばせて、片時も離れないくらい一緒にいました」
「魔物は全部で何匹? 種族は判りますか」
「全部で十二匹いました。種族は判りませんが、虎のようなのと、真っ赤な蛇のようなのと、大きな犬のようなのがいたことは覚えています」
「そうですか、判りました」
 男の、必死の説明を聞き終えたあと、ケーニカがジーンを見る。
「どう思いますか、隊長」
 ジーンは黒い手袋で覆われた指先を顎に当てた。
「……魅入られたか」
「ああ、たまに聴きますね、その表現。でも、それは、普通に起こり得るものなんですか」
「彼の言から鑑みるに、玄虎(ゲンコ)と針尾(シンビ)と旋狗(センク)だろう。奴らは非常に高い知能を有した高位の魔物だ、脆弱な人間の精神ごとき、取り込むのに苦労はしなかっただろう」
「では魔物たちは、その厩舎とやらにいて、我々を迎え撃つつもりでいるんでしょうか? 頭目を盾にでもするつもりで?」
「いや……恐らく、そうではない」
「?」
「姿を消したと、彼が言っただろう。それが偽りではないとするならば、もっと、面倒なことになっているかも知れん」
「どういうことです?」
「……ケーニカ、魔物とは何か知っているか?」
「魔族が生み出した、世界への悪意ではないのですか」
「概ね正しいな」
「概ね?」
「魔族とは世界の歪みから生じたバグだ。それは、神殿騎士なら誰でも知っているだろう。世界を動かす上でどうしても生まれ、またそれなしに世界は存在し得ない必要悪、世界が生きてゆくうえの業のひとつだ。そのバグが生み出した魔物もまた、世界をひずませるイレギュラー・プログラムのひとつということになる」
「……あまり一般的でない神聖語を駆使しないでください」
「そうだな、蛙の子は蛙、ということだ」
「何となく判ったような判らないような……? それで、なにがどう面倒なんですか」
「魔族よりも肉に近く、実ある器を持って顕現はするが、魔物もまたある種のスピリチュアル・マテリアルのひとつにすぎない」
「だから、一般……」
 呆れの溜め息をついたケーニカが、やる気のない抗議の声を上げるよりも早く、ジーンは断ずる。
「つまり、ある種の要素さえ揃えば、容易く互いに融合し、強大な存在に『創り変わる』ということだ」
 ケーニカが動きを止める。
 大隊長たちも表情を引き締めた。
「要素、とは?」
「欠点を補って余りある、他種同士が集うこと。そしてそこに、核となるものが存在することだ。多種多様な魔物が一堂に会すること自体が稀有だから、そうそう起こるものでもないが」
「では、核とは……人間?」
「必ずしも人間でなくとも構わないようだ。世界の恩寵を色濃く受ける、肉の器に魂を持った『生命あるもの』であれば何でも。人間は魂の純度が高い分、融合を容易くはするだろうな。彼らは融合の際、一旦この世界から『いなく』なる。精神世界にすべてを持ち込んで己を創り直し、再度現れるんだ。――この状況は、それを思わせないか?」
 ジーンが、ことの重大さを理解しているのかと疑われそうなほど平坦な、淡々とした声で説明を終えると同時に、まるでそれを待っていたかのようなタイミングのよさで、集落の後方が大きな音を立てた。
 ゴオォン、という、木材が薙ぎ倒される轟音がして、もくもくと砂煙が舞い上がっている。
 ジーンは、その砂煙の中に、闇が凝(こご)ったかのような色彩の、巨大な何ものかがうずくまっているのを目にして表情を厳しくした。
【……やはり】
 夜歌がつぶやく。
「二十年ぶり、くらいか、お目にかかるのは」
【ああ。あの時は大層難儀したものだが】
「労苦を厭うわけには行くまいな。都市に、灯火に害なす恐れのあるものの、その一切を滅ぼし尽くすことが神殿騎士の務め」
 やはり淡々と、感情の揺らぎのない声音で言い、ジーンは、恐らく、と胸中に付け足す。
 あれはきっと、灯火が光臨したがゆえの、負の影響のひとつなのだろう。
 光、善きものが強まったがために、邪まなるものの力も強まったと言うことなのだろう。
 その結果の、あの『融合』なのだろう。
 灯火は確かに、世界を温め照らし出す、唯一絶対の神の光だ。
 明るい灯に照らされれば、世界に光は満ちるだろう。
 弱い魔物は消滅し、魔族の動きは阻害され、広範囲でものを観れば、世界は穏やかになったと言える。
 だが、それと同時に、まばゆい光によって作り出される影は、以前よりも色濃くなるだろう。色濃くなった影は、以前よりも強い力を持ち、強い悪意となって、局地的な被害をもたらすだろう。
 灯火でも滅びぬ魔物だけが残るということは、範囲こそ狭くなるが、精鋭化が進むということに他ならないのだから。
 しかし、それは自然の摂理、世界の真理だ。
 善と悪と呼ばれるものが、片方だけでは存続し得ないように、光と闇と呼ばれるものもまた、片方のみでは存在できないのだ。
 その残酷な真理、どうしようもない世界の成り立ちを恨み、神に泣き言を垂れるような不遜さ、軟弱さは、ジーンにはない。
 かれにあるのはただ、なすべきことをなすのだという、鋼のごとき覚悟だけだ。
「精々励むとしようか」
 『それ』がゆっくりと身体を起こした。
 『それ』を目にした捕虜たちが恐怖の悲鳴を上げる。
 中には、目を剥いて失神したものもいた。
 恐怖するに相応しい姿を、『それ』はしていた。
「何という名で呼ばれるものですか、あれは」
 先刻まで一切の気負いをはらまなかったユイの声が、わずかな緊張とともに厳しく引き締められている。
 ジーンは『それ』から視線を話さぬまま、静かに答えた。
「業神(ゴウシン)、だ」
 『それ』が大きな口を開け、咆哮する。
 大地は、世界は、頼りないほど容易く、震えた。