――目覚めは唐突に訪れた。
 朝の、熱を伴った強い光が瞼(まぶた)を刺し、ジーンの意識を覚醒させたのだ。
「……」
 目を開けると、谷へ射し込んだ朝日が、もはや使いものにならぬほど破壊され崩れた集落を照らし出しているところだった。
 時刻は、朝の六時を過ぎた辺り、だろう。
 その朝日に照らされながら、夜歌を始めとした一行が、自分の顔を覗き込んでいた。衣装のあちこちが焼け焦げ、身体のあちこちに小さな傷が残ってはいるが、皆、元気そうだった。
 むしろ、ぴんしゃんしていると言っていい。
 無表情のまま安堵し、ゆっくりと身体を起こすと、騎士たちの間からも安堵の溜め息が漏れた。『あれ』のあとは極端に体温が下がり、生命反応が鈍くなるから、死んでいると思われていたのかもしれない。
 感覚が戻りきらず、わずかに上体が揺れると、過保護にも、夜歌が背中を支えて立たせてくれる。背に当たった大きな手の、強くやわらかな温かさが、ジーンの身体に覚醒を促した。
 もっとも、そもそも、出会ったばかりの頃の夜歌は、ジーンの保護者を自称していたから、実を言うと決して珍しいことでもないのだが。
【起きたか】
「……夜歌」
【うむ】
「大事ないか」
【癒したのはそなたであろうが】
「……知らん」
【ああ、そうか……『あれ』か】
「ああ」
【道理で、封じが】
「ああ。帰ったら、また、姫に封じてもらわなくては」
 言って周囲を見渡すと、そう離れてもいない大地に、黒々とした骸が横たわっているのが見えた。朝日を受けたそれが、徐々に解けてゆく――『なくなって』ゆくのも見える。
 骸はすでに、業神のかたちをしてはいなかった。
 それは、幾つもの塊になって、ごみくずのように打ち捨てられていた。
 そこに、あの、禍々しい魔の気配は残っていない。
 ――自分ではない自分、ジーンに重い宿業を背負わせ、孤独な放浪を強いる原因となったモノが、あの、巨大な業神を千々に撃ち砕き、引き裂いた、おぼろげな記憶はある。
 引き裂かれ、滅ぼされながら、粉々に撃ち砕かれながら、業神が――あの『核』が、ひどく楽しげだったことも、覚えている。何度も何度も告げられた言葉もまた、記憶の端々にこびりついている。
 そしてジーンは、その理由を理解しているし、もはや引き返せないことだと、覚悟も出来ている。
 結局のところ、あるがままに進むしかないのだ。
「隊長、ひとまずその恰好、何とかなりませんか」
 業神の骸を見つめつつ、灯火の光臨が成った以上――神子姫にそう命じられた以上、自分の命はすでに櫻良のものなのだと、重要視されるべきはそれだけなのだと胸中に再確認していると、ホッとした表情とともにケーニカがマントを差し出してくる。
「恥ずかしがり屋の私たちには刺激が強すぎます」
 まったく真実味のない声で言われて初めて、ジーンは、自分の身につけていた漆黒の武装がずたずたというのが相応しいだろうほどに敗れ、ほとんど衣服としての用をなしていないことに気づいた。
 『あれ』のために破れてしまったのだろう、あちこちから――至るところから肌が露出している。
 頑丈なブーツでさえもぼろぼろだ。
 ――道理で、背に当たった夜歌の手をひどく温かいと感じたわけだ。
 おまけに、血と土があちこちにこびりつき、どろどろというのが相応しい状態になっている。今のジーンなら、物乞いをしていると言っても誰も疑わないだろう。
 視線を下にやると、左胸を中心に入れられた魔除け及び魔封じのために入れられた刺青、花にも渦にも炎にも翼にも見える漆黒のそれまでが目に入る。精緻で美しくはあるが、どことなく禍々しい雰囲気も持った刺青だ。
 生まれた時から、ひとつ年を重ねるごとに一片ずつ、三十回に渡って入れられたそれは、すでに、ジーンの左胸から左脇腹を覆い尽くし、腋の下を経過して背中にまで至っていた。
 十回目辺りまで、普通の人間で言うと四歳か五歳くらいまでは、さすがのジーンも泣き叫んだほどに痛い儀式だったが、慈悲も躊躇も容赦もなく入れられ続けているうちにこんなかたちになった。
 故郷に留まり続けていれば、恐らく今頃ジーンは、全身を刺青で覆い尽くされていたことだろう。
「その恰好のまま都市に戻って、櫻良に変態行為を働かないで下さいね。絶対に悲鳴を上げられますよ」
「……そうか、それは確かにちょっと困るな」
「ちょっとしか困らないのも困りものですけどね」
 ケーニカの呆れた声音を聞きつつ、マントを受け取り、無造作に被る。
 性を重要視しない東方人の常で、ジーンに裸を観られて恥ずかしいと言うような感情はない。必要とあらば、全裸でまちを練り歩けといわれても真顔で承諾するだろう。
 恐らく、周囲のほうが嫌がるだろうが。
「ありがとうございました、隊長」
「何がだ、ハルベルト」
「いや、何がと言われても困るんですが。傷を癒してくださったんでしょう」
「……ああ。多分、そうだ」
「多分って何ですか……とお尋ねしたいところですが、やめておきます。ともかく、皆無事でよかったですね」
「そうだな。あれを相手に死なずに済んだなら儲けものだ」
「まったくです」
「お前たちはどうだ? 不具合はないか?」
「うむ、特には」
「エツカの場合は、問題があるとしたら頭の中身と性格くらいのもんですよねぇ? おっと、これじゃ全部問題があるってばらしてるようなもんでした。失敬失敬」
「そういう貴様の問題は顔だろう。三十五歳にもなって髭も生えぬ軟弱者が」
「……」
「……」
「あーまぁ、仲良しさんたちは放っておくとして、俺も大丈夫ですよ。というかね、隊長が癒してくださったのはあの雷光のダメージの一部分だけで、あの時は辛うじて命を取り留めた、死ななくて済んだ、くらいの感覚でした。タクスが治してくれるまでは相当痛かったですよ」
「……ああ、なるほど、タクスか」
「はい。あんな早々に戦線を離脱してしまいましてお恥ずかしい……と言うべきところですが、消耗が少なかったお陰で皆さんの治療に専念できましたから、不幸中の幸いというところでしょうか」
 先刻の戦いの激しさや疲れなど微塵もうかがわせない、人の好い顔で笑うタクスは、神官の常で治癒魔法のエキスパートだ。
 戦いの技には秀でていても、守ることや癒すことには向いていないジーン及び神殿騎士――特に第三部隊は『攻撃は最大の防御』を地で行く突撃タイプなのだ――たちにとっては、彼が同行してくれたことは幸運だったというしかないだろう。
 ジーンは、忘れ去られたように転がっていた剣を拾い上げ、ぼろぼろになった衣装の袖でその刃を拭って、剣帯から下がる鞘へとそれを戻した。千切れる寸前といった風情の剣帯はもう、新調するしかないだろう。
 『あれ』がどうしようもなくまた繰り返されるとしたら、衣装や装備に金がかかって仕方ないのでは、という、ジーンにしては珍しいほど生活密着型の意識がちらりと思考の片隅をよぎる。
「の、ようだ。さて、では帰ろうか。確か今日は、午後から披露目の式典の打ち合わせがある。遅れると姫にどやされそうだ」
「あ、じゃあ私は櫻良の衣装合わせにおつきあいしようかしら。どんなドレスが似合うか、色々試してみないとね」
「あまり飾りすぎるなよ、慣れていないようだから」
「だって、せっかくですし。ねえ、夜歌?」
【うむ。さぞや可愛らしいに違いない。ジン、ともあれそなたは風呂だ。帰りがけに川でもあれば、一番よいのだが。その恰好では、偉大なる桃天華大神殿都市の神殿騎士団員として問題がありすぎる。物乞いの方がまだましな恰好をしておるぞ】
「……そうか」
 言いつつ歩き出すと、ごろごろ転がる死体と、その向こう側で放心したように座り込む生き残りたちの姿が目に入った。中には白目を剥いて失神している者もいるし、まだガタガタ震えている者もいる。失禁している者も少なくはなかった。
 それほどの光景が展開された一夜だった。
 ケーニカが意識を失ったために、氷の檻は消失していたが、数を数えてみると、ひとりも減っていない。
 ユイが肩をすくめた。
「あぁ、そういや忘れてましたね。隊長、捕虜はどうしましょうか。っていうか逃げてなかったんですね、彼ら」
「あれを目にして逃げられるような太い胆(きも)の持ち主はなかなかいないでしょう。賢明だったと言うべきでしょうけどね。逃げれば逃げるほど、そのあとの責め苦が重く辛くなるだけです」
「ふむ、では、縛り上げて置いておこう。獣避けだけしてな。ここで生き残って、裁きにかけられる前に狼に齧られて死んではあまりにつまらないだろう。我々は、帰ってからサイレアナに連絡を入れればいい」
「妥当な線でしょうね。こんな大人数を連れて神殿都市まで帰りたくありませんし。一日や二日じゃ無理ですよ」
「だろうな。では皆、縄や縄の代わりになるものを探して作業にかかるぞ」
 あちこちから返る返事は軽やかで、そこに疲労は感じられない。
 タクスの治癒魔法が巧みだったということもあるだろうが、二三時間『休んだ』こともあって、すでにほとんど回復しているらしい。なにせ、基本的に、神殿騎士たちは体力の有り余った筋肉馬鹿ばかりだ。……などと口に出せば、恐らく、何があっても隊長にだけは言われたくありませんと方々から突っ込まれるだろうが。
 櫓を組み立てていたロープを力任せに木材から引き剥がし、同じような過程で縄を得たケーニカとともに捕虜たちへ近づくと、放心していた捕虜のうちのひとり、昨夜ケーニカに問い詰められていた四十がらみの男が、ふたりに気づいた。
 その途端、彼の顔が恐怖に引き攣る。
「ば……」
 震える指が、ジーンを指し示した。
「化け物……ッ!」
 語尾を震わせながら、男が悲鳴のように叫ぶ。
「よ、寄るな……近づくなあぁ……ッ!」
 実を言うとその言葉は、故郷では聞き慣れた代物で、すでに心を動かすこともなくなっているジーンは、『あれ』を見られていたのかと胸中に苦笑しただけだったのだが、
「塵芥(ごみくず)の分際で何を言いますか!」
 ちょっと珍しいほどの怒りの表情で――何せ、普通程度の怒りだと表面に出て来ない女なのだ――、厳しく眦を吊り上げたケーニカが、鋭い語気とともに吐き捨て、
「隊長が戦わなければ全員死んでいたのですよ! それを、何も知らずに化け物? ふざけるのは顔と存在だけにしてください。無知で無恥な、恩知らずの、頭の悪い下衆など、生かしておく価値も必要もありませんね。この場で私が捻り潰して差し上げましょう!」
 いっそ清々しいほどの断定の言葉とともに、素晴らしく滑らかな動きで男を殴り倒した時点で目を瞬かせた。
 聞き苦しい悲鳴が上がり、男が引っ繰り返る。
「まったく、これだから身の程知らずの馬鹿は困ります。世の中にこういう人間があふれ返っているかと思うと、時折世を儚みたくなりますね」
 哀しげな言葉とは裏腹に、硬い頑丈なブーツの底で、泣き声まじりの悲鳴を上げてもがく男の身体をぐりぐりと踏みにじるケーニカに、他の捕虜たちが怯えた目を向ける。
 姿かたちに似合わぬ、ケーニカのそんな所業に慣れきっている騎士たちは、まったく動じることも手を休めることもなく、手に入れてきた縄で捕虜を縛り上げにかかっていた。
 どう反応すべきか判らず、しばし黙ったジーンだが、ケーニカの足の下からべきべきとかぼきぼきという恐ろしげな音が響き、口から泡を吹いた男が白目を剥いて悶絶するに至ってようやく声を上げた。
「ケーニカ。そろそろ死にそうだから、やめてやれ」
「死んでも問題ないでしょう。私は馬鹿は嫌いですし、恥知らずはもっと嫌いです。馬鹿がひとり死んだところで、世の中のためになるだけでは?」
「……まぁ、否定はしないが。どうせなら、裁きにかけて苦しめてやれ。私刑は好かん」
「はいはい、判りました。隊長が言うならそうしましょうか」
 肩をすくめたケーニカが男から脚を退ける。
 男は泡を吹きながら失神していた。骨の何本かは折れたようだが、踏み殺されなかっただけましだと思ってもらうしかない。
 口は禍の門、という言葉が脳裏をよぎった。
「隊長、こっち終わりましたよー」
「私の方も終了です」
「こちらもだ」
「オレも終わりましたよ。あ、ハル、獣避けですか、それ」
「ああ、都合よく、ハーブが貯蔵されていたから。これを焚いて、あとはそこの板を立てかけておけば何とかなるだろう。それで何とかならなかったならもう運命だ、彼らには潔く諦めてもらおう」
「ですよねぇ」
【業神の匂いが残っておるゆえ、数日の間ならば、獣は近づいて来ぬであろうよ。これに気づけぬのはヒトだけだ】
「ああ、なるほど」
 業神に竦み上がっていた状態に加え、ケーニカの所業にとどめを刺されたらしく、捕虜たちは一切抵抗をしなかった。彼らが従順だったお陰で手間取ることもなく、二十分もしないうちに作業が終了する。
 捕虜たちの周囲に、板を組み合わせた囲いが立てかけられ、辺りには独特のハーブの匂いが満ちた。
 それらを確認したあと、ジーンはぽんぽんと手を叩き、埃を払った。
 そして告げる。
「では、撤収だ」
 方々から同意の声が上がる。
 ほんの一瞬、もはや元が何だったのかすら判らなくなりつつある、黒々とした業神の骸へ目をやって、それからジーンは歩き出した。

(忘れるな)

 業神の、『核』の声が、脳裏に甦る。

(いずれ汝は魔へと堕(お)つるであろう)
(守るべきものを得たがゆえに、目映い光を知ったがゆえに)
(光ゆえの影に、いずれ飲まるることとなろう)
(汝の訪れを、心待ちにしよう)
(世界に恐怖と闇を撒くもののひとつとして)

 ――それを真実だと理解している。
 だからといって、何を躊躇するつもりもないが。

 * * * * *

 一行が神殿都市へ帰り着いたのは、十時を大幅に回った辺りだった。
 まちはとっくの昔に動き出し、賑やかにさんざめいていた。
 それは、いのちのエネルギーに満ちた、色鮮やかで楽しげな光景だった。
 しかし、開かれた北部桃璃門を一行がくぐると、周囲をたむろしていた人々は息を飲み、畏怖の目をしてその歩みを見つめた。
 特に、血と泥に汚れた――結局、身体を洗えるような川に行き合わなかったのだ――、壮絶というのが相応しいジーンの姿は、人々に、どこかで何かがあったことを教えるのに充分すぎただろう。
 神子姫の猟犬、狂犬は、神殿都市に害なす敵あれば、己の身など顧みず、例え己が死んだとしても、敵対者が滅びるまで噛み付くのだから。
 つまるところ、多分に怖れを含んだ人々の視線は、この八年間のうちに何度も大暴れをしている『狂犬』にとっては慣れた代物で、特に何か報告するでもなく、ましてや愛嬌を振りまくような可愛げはかれにはなく、無言のまま夜歌の背に揺られていたジーンだったが、
「……櫻良……?」
 ふと流した視線の先に、小柄な少女の姿を見つけて小さくつぶやいた。
 夜歌が歩みを止める。
「ジーン……」
 薄紫の、シンプルだが流麗な衣装に身を包み、背後を女性の神武官に守られた櫻良は、奇妙な表情をしていた。
 泣き出しそうな、怒ったような、哀しいような、そんな顔だった。
 恐ろしく鈍く、他者の感情の機微に疎いジーンだが、それは、人々が普段自分に向けて来るものとは少し違っているような気がした。
 かすかに首を傾げたジーンが夜歌の背から降りると、少女は、無駄のない綺麗な足運びで走り寄ってくる。
 それを、ごくごく自然に受け入れようとして、それを当然のことだと勘違いしそうになって、唐突にジーンは我に返った。
「近づくな」
 淡々と告げると、櫻良はびくりと身体を震わせて立ち止まる。
 背後から、夜歌が避難の声を上げた。
【せっかく出迎えてくれた灯火に、なんと冷たい物言い。もう少し、まともなことは言えぬのか】
「……む」
「い、いいよ、そんなの」
【よくはない】
「あたしは平気だよ。それより……何かあったの、ジーン。どこか痛いの。怪我をしたの?」
 小さな灯火から、自分を案じる言葉ばかりが溢れ出して、ジーンは胸中に苦笑する。
「いや。――――お前が汚れる、近寄ってはいけない」
 静かに言うと、櫻良のふっくらとした頬が紅潮し、そして、
「……?」
 その表情豊かな目に、見る見るうちに涙が盛り上がった。
 じきに、大粒の涙がいくつも、頬を伝ってこぼれ落ちる。
 何がなにやら判らず、眉をひそめると、櫻良が突進してきた。避けて怪我をさせるわけには、などと珍しく躊躇していると、ものすごい勢いで思い切り抱きつかれる。
「ばかっ!」
 無我夢中だったのだろう、それはかなりの衝撃で、ジーンは思わず息を詰めたが、それは大した問題ではなかった。
「ばかっ。ジーンのばかばかばかっ」
 涙声がジーンを詰(なじ)った。
 ジーンは、櫻良の衣装や手が、不要な汚れによって穢れることを心配し、彼女を遠ざけようとしたが、少女はジーンがそうすればするほど、ジーンの身体にしがみついた。
 もっとも、幸い、血も泥もすっかり乾いてこびりついており、それが櫻良を汚すことはなかったが。
「櫻良……?」
「ジーン、ジーン。どこ行ってたの。ねえ、どこ行ってたの。あたし、すっごく不安だった。だって、起きたらジーンがいなかったんだもん。どこをさがしてもいなかったんだもん。置いていかれちゃったのかって、すっごく心配したじゃない……!」
 悲鳴のように言って、ジーンの胸元に顔を埋めた櫻良が泣く。頑是無い童女のように。
 小さな手が、決して離すまいとでもするようにマントを掴み、引き寄せようとする。それはまるで、生まれて初めて目にしたものを親と慕う、寄る辺のない雛鳥のようだった。
 血も泥も、狂犬の名も、今の櫻良には関係がないのだった。
 ジーンは黙ったまま、櫻良のしたいようにさせていたが、やがて数分もすると、おずおずと顔を上げた少女が、ゆっくりと伸ばした指先でジーンの頬をなぞる。
「ジーン。いっぱい汚れてる。怪我したの? 大丈夫? 痛くない?」
 矢継ぎ早な問いに、ジーンは微笑して首を横に振った。
 胸の奥にふわりと浮かぶ、この感情をなんと言えばいいのかと、ほんの少し持て余しながら。
「平気だ」
 淡々と、しかしきっぱりと言うと、櫻良がようやく笑った。
「……よかった」
 その笑顔はどこか幼く、そして、まぶしく澄んでいた。

(いずれ汝は魔へと堕(お)つるであろう)

 業神の言葉が、また脳裏に甦る。

(光ゆえの闇に、いずれ飲まるることとなろう)

 『あれ』を封じてくれたのは神子姫だった。
 封じられて八年間、たくさんの怒りとともにありながら、たくさんのものを喪い、なすすべもない別離にさらされながら、その封が揺らぐようなことはなかった。
 それが、出会ってたった数日の少女によって、あっさりと砕け散った。
 きっともう、神子姫の封じは、今までのような効力を持ちはしないだろう。これから先、あの銀環は、何度も砕け散ることになるだろう。
 ジーンはそれを、運命と感じる。
(……それが、どうした)
 闇に飲まれる己が宿業だというのなら、それまでに、すべての魔のものを滅ぼし尽くせばいいというだけのことだ。そして、闇となった己を、神殿騎士団に滅ぼさせればいいというだけのことだ。
 そうすれば、灯火の安寧は守られる。
 つまるところ、結局のところ、それだけのことなのだ。
「ねえ、ジーン」
「ん」
「お昼ご飯のあと、式典の衣装合わせなんだよね」
「ああ」
「ジーンも、見に来てくれる? 変じゃないか、確かめてほしい」
 打ち合わせがあると言おうとしてそれをやめ、ジーンは頷いた。
「……判った」
「ありがと、ジーン!」
 櫻良が満面の笑みを見せた。
 ジーンも、思わず笑う。
 ――そんな自分を、稀有だと思う。
「では、準備をしよう。昼食は、何時からだ?」
「十二時からだって。朝ごはんあんまり食べられなかったから、おなか空いちゃった。あ、そうだ、ジーンも一緒に食べる?」
「……ああ、そうしようか。だが、その前に、これをなんとかしなくては」
 言って、みごとにぼろぼろな自分を見下ろすと、櫻良がようやく離れた。
 ――離れたは、いいのだが。
 櫻良が離れたその瞬間、彼女の指に引っかかり、身体を覆っていたマントがするりと地面へ流れ落ちて、
「き……」
 あらわになった半裸の身体に、顔を真赤にした櫻良が、
「きゃ――――っ!!」
 盛大な悲鳴をあげたというのは、また別の話である。