使者たちは一様に、華美で豪奢な衣装を身にまとっていた。
こういう式典に、国の代表として派遣されてくるからには、恐らく、地位の高い人々なのだろう。
彼らは、美麗で動きにくそうな服に、たくさんの高価そうな装飾品をまとっていて、まるで光を反射するかのようだった。
それらは確かに華やかで、派手といって過言ではなかったが、決して趣味は悪くなかったし、きらきらしい衣装が何の問題もなく似合う程度には、彼らの顔立ちは整っていた。
護衛なのだろう、美麗な甲冑に身を包んだ、まだ若いふたりの男女は、決して飾りには見えない剣を腰に下げ、残り三人を守るように、時折鋭い視線を投げかけながら両脇を歩いていた。
真ん中、先頭を歩く男性、三十代半ばから後半といった印象で、金髪に緑の目をした、線の細い美男子に目をやったジーンが、漆黒の、柳刃のような眉を軽く跳ね上げる。
「……グレイシア・ブラックダイヤモンド。わざわざ王弟を出してきたか。よほど腹に据えかねたかな」
「もしくは、灯火の光臨をよほど重要視しているか、でしょうね」
「何にせよ、ここは神殿都市だ。王都の連中に好き勝手はさせんぞ。連中が櫻良に無理を強い、無体を働くようなら、問答無用で斬って捨てる。王弟だろうがなんだろうが例外はない、尻拭いは任せるからな」
「判っているわよ。まったく、誰が主人なんだか判りゃしないわね」
「私にそうあれと命じたのは姫だろうが」
「あぁ、それは確かにそうね、忘れるところだったわ。護衛官付きのようだけど……なんて訊くのは無駄で無粋かしら?」
「あの程度で護衛とは、笑わせる」
「頼もしい言葉をありがとう、と言っておくわ」
「当然だ」
仄かに恐ろしい会話が淡々と交わされるのを脳のすみっこに聞きつつ、櫻良は息を詰めて、美麗な衣装をなびかせて階段を上がってくる、三人の男性と二人の女性を見つめていた。
胸中に不安がよぎったのは、グレイシアと呼ばれた男性を初めとして、様々な色彩を持った美しい人たちが――といっても、その美しさは、神子姫やジーンや竜王たちに敵うようなものではなかったが――、皆一様に、怒りや敵意や憤り、または侮蔑や嘲りといった、この場には相応しくない負の感情で全身を揺らめかせているかのようだったからだ。
尊大と言って過言ではない、グレイシア王弟殿下の表情は、櫻良に大貴族出身の神殿騎士カーズフィアートを思い起こさせ、せっかくの、喜びに沸き立つ神殿都市に、いったいどんな無理難題を持って来たのかと、彼女の気分を少し暗くさせた。
それが、貴い血筋に生まれついたということなのだと言われても、平和で平等な――例えそれが建前上だとしても、だ――日本で普通に生きていた櫻良に、血の貴さ云々が判るはずがないのだ。
やがて長い階段を昇りきった一行が、神殿前の小広場へと歩を進める。
来賓として招かれた人々が、困惑した表情で一行を見つめるのへ、馬鹿にしたような――彼らを軽んずるような目で一瞥し、それから傲然とこちらへ近づいてくる。
神子姫フォウミナが、胡散臭いほど艶やかに、にっこりと微笑んだ。
神子姫の美貌から放たれる笑顔の破壊力たるや相当なもので、王弟を含む使者たちが明らかに気圧され、怯み、また魅了されたのが判ったが、さすがにそれで使命を忘れていられるほど暢気ではないだろう。
櫻良など、彼女の微笑と同時に周囲の温度が下がったような気がしたが、きっと気の所為だ。きっと。
「遠いところからわざわざのご足労、痛み入りますわ。……お招きしたつもりもありませんけれど」
あちこちに棘(とげ)を含んだ白々しい言葉に、櫻良は思わず仰け反りそうになった。
――最初から喧嘩を売っているとしか思えない。
この神殿都市が、国に属する都市のひとつである以上、大元を怒らせてどうするんだろうと櫻良は胸中に冷や汗を流したが、神子姫にせよジーンにせよ、他の神殿騎士たち、神官たちにせよ、誰もが涼しい顔をしていた。
むしろ、怒らせて追い返そう、くらいは思っているような気がする。
神子姫の言葉に、王弟グレイシアの表情が険しくなり、眉間がぐっと寄せられた。エメラルドのような双眸に怒りの火がちらつく。
国王の弟などという、国の中心に近い人物だけに、そんな扱いを受けることに慣れていないのだろうか、白い、滑らかな頬にさっと朱が差した。
グレイシアの背後の、使者ふたりと護衛ふたりも、彼と似たような表情を浮かべている。護衛ふたりなど、いつでも抜けるようになのか、剣の柄に手を添えていた。
両親や教師にいろんな場面で怒られてきた櫻良だが、こういう場での諍(いさか)いとは無縁というしかなく、今この場で喧嘩が始まったらどうしよう、などとハラハラした。
しかし、役目をわきまえているというか、ここで喚き散らすほど短気でも愚鈍でもないのだろう、彼は苦いものを無理やり飲み込んだ時のような珍妙な表情のまま、さすがと言うしかない優雅な足取りで櫻良と神子姫の元へ歩み寄ると、懐から書状と小さな包みとを取り出した。
「……《女神の灯火》のご光臨をお喜び申し上げる、との、国王陛下からのお言葉と、祝いの品をお持ちした。残念ながらお招きいただけなかったもので、こうして半ば無理やり訪なうこととなってしまったが、我々も貴い灯火の光臨をともに喜びたいのだ。受け取っていただけるだろうか」
わずかな皮肉をこめつつも、言葉ばかりはしおらしく、穏やかに言ったグレイシアが、片膝をついてその場にひざまずく。背後の四人がそれに倣(なら)った。
――納得の行かない表情ではあったが。
それからグレイシアは、櫻良に、真っ白な紙に金色のリボンが結ばれた書状と、薄紅色の絹を包み紙代わりにした小さな箱とを差し出した。
背後で夜歌が、苦笑交じりに、巧みなことだ、とつぶやくのが聞こえた。
櫻良には、夜歌の言葉の意味は判らなかったが、受け取らざるを得ない雰囲気だったので、彼女は隣のフォウミナを気にしつつ手を伸ばした。
「あの、ええと、」
「――そうね、喜びを分かち合いたいと言ってくださるものを、無下に、邪険にするのも無粋だわ。国王陛下のご厚情に感謝いたしますと、お礼の書状を出させていただきましょう。櫻良、エス=フォルナの国王陛下から、あなたにお祝いよ。受け取って差し上げて」
「あ、は、はいっ。あの、ええと、あ……ありがとうございます……」
やはりしどろもどろになりつつ、グレイシアが差し出した書状と包みとを受け取ると、グレイシアが鷹揚に微笑み、頷いた。
その、エメラルドの双眸の奥で光った感情が、不慣れな櫻良への嘲りであり田舎者めという侮蔑だったことを、幸いにも彼女は気づかなかったが、彼女の周囲の面々には、どうやらばっちり伝わったようだった。
フォウミナの双眸が不可解なまでに冷ややかな光を放ち、ジーンが小さな息とともに、ごくごく自然な動きで腰の剣を確かめ、神官たち、神殿騎士たちはわずかに眉を厳しくする。
人の世のいざこざにはあまり関わらない(らしい)神獣たちは、わずかな苦笑とともに顔を見合わせただけだったが。
「《女神の灯火》のご光臨を歓迎し、また、その安寧と幸いを希う」
どこか上っ面だけの軽薄さを含み、しかし声だけは流麗に、朗々と口上を述べたグレイシアが、ゆったりとした動きで立ち上がり、櫻良の手を取ってその甲に軽く口づける。
「は、はい……あの、ありがとうございます……」
またしても見事に硬直した櫻良だったが、何とか声を裏返らせることなく礼を言うことはできた。グレイシアが鷹揚に――上からものを見る目で――微笑む。
どうしたらいいんだろう、と、受け取った書状と包みとを見ていると、
「中を確かめていただけるか?」
グレイシアがそう促してきた。
この世界の字を読めない櫻良に中身のなんたるかの判るはずもなく、彼女はどう確認したらいいのかちょっと困ったのだが、
「櫻良、貸せ」
端的な物言いとともに、ジーンが、櫻良の手からふたつの品をひょいと取り上げたので、思わず瞬きをしてかれを見上げた。
「ジーン?」
かれにしては妙に強引だったからだが、ジーンのその行動が気に障ったらしく、グレイシアの背後の使者たちが眦を厳しくした。
「騎士風情が、国王陛下の書状に軽々しく触れるでないわ、無礼な!」
口を開いたのは、グレイシアより十ほど年かさに見える男だ。
グレイシアほどではないものの、身につけた衣装の豪華さ、動作の優雅さ、そしてまとった雰囲気の尊大さからして、彼もまた、エス=フォルナという国では高い地位を持った人間なのだろう。
「よい、ウベル」
「しかし、王弟殿下!」
余裕のあるところを見せようとしてか、それとも本当にその程度のことを気にする必要はないと思っているのか、グレイシアが首を横に振ると、ウベルと呼ばれた男は不満そうに言い募ろうとしたが、
「騎士風情だからこそだ。書状や祝いの品に、何か仕込まれていたらことだからな。無論、王都の貴き方々が、このめでたき日にそのような無粋をするはずもないだろうが。念のためとはいい言葉だと思う」
ウベルの言葉などまったく堪えていない様子の、どこまでも淡々とした、感情の読みにくい声でジーンが言い、その、稀有な黄金で使者たちを一瞥すると、彼らは畏怖とも驚愕とも取れぬ表情で黙り込み、どぎまぎと目をそらしてしまった。
あれが《烈火の剛翼》、という、感嘆さえ含んだ小さなつぶやきが、護衛の青年と女性の間で交わされる。
「……ふむ?」
使者たちには興味もないらしく、何の頓着も躊躇もなく、ありがたみも気後れも感じていない様子で書状を開き、中をざっと確かめたジーンの片眉が、またしてもぴくりと跳ね上がった。
そこに含まれているのはわずかな怒りだ。
「これは、どういうことだ?」
「どうしたの、ジーン。国王陛下は、なんと?」
静かな神子姫の問いに、ジーンは純白の紙を差し出す。
それを受け取り、中を見た神子姫が、今度こそ櫻良が直立不動の姿勢を取ったほど冷ややかに微笑んだ。
不吉を感じ取ってか、使者たちが目に見えて緊張する。
「――使者様方にお尋ねした方が早そうね。国王陛下は、どのようなおつもりでこれを?」
硬い、しかし己が優位と正しさを疑いもしない表情で返したのは、グレイシアだ。
「書状の通りだ。我らはエス=フォルナのまつりごとを、人民の安寧と幸いを司る者として、《女神の灯火》の王都への速やかな出座を要請する」
言葉を重ねるようにして、グレイシアとほぼ同年代と思しき使者の女性、こちらもふんだんに美麗な衣装と尊大な雰囲気というオプションをトッピングした人物が言を継ぐ。
「本来ならば、《女神の灯火》が光臨した時点で、即刻王都へ出向かれるのが筋と言うものですが、国王陛下は寛大にも、披露目の式典が終わるまで待つようにと仰いました。国王陛下は、前の折には、灯火のお身体の具合が思わしくないという事実を鑑みて出座は免除されたのです。此度こそ、国王陛下のお心に沿われますように」
「しかし、二度はないと覚え置かれよ。あくまでも神殿都市が拒むというのなら、兄君は――陛下は、野蛮な、手荒な手段も辞さぬとのお考えだ。我らは、王の威信を軽んずるものを許しはしない」
「すぐにとは申しませぬ、準備もおありでしょうから。十日後、迎えの馬車が参ります。どうぞそれを拒まれませぬよう。――拒まれるほど、愚かな方ではないと存じますが」
自分の都合ばかりを言い募る使者たちに、櫻良は困惑せざるを得なかった。どうしよう、どうしたらいい、というのが偽らざる本音だ。
彼女は別に、来いと言うのなら行ってもいいのだ。
《女神の灯火》などという物々しい存在としてではなく、これからこの世界に、この国にお世話になる身として。
それを嫌だとは思わないし、何を言われようと構わない。
だが。
「……ええと、あの、ジーン……?」
使者たちの言葉に、ジーンが恐ろしく殺気立ったのもまた事実だった。
判りました、じゃあ行きます、とはとても言い出せない雰囲気だ。
「――……なるほど」
いつも通りの――しかし、何かが決定的に違った――無表情で、使者たちの言葉を聞いていたジーンは、圧倒的なまでに整った白い面に、冷ややかな笑みを浮かべてみせた。
神殿騎士、神官たちの中には、それを目にして顔色を悪くしたものもいるくらいだ。
「聞きしに優る愚か者どもの巣窟だな、王都とは」
「な……!」
静かに、怜悧に、断絶すら感じさせる厳しさで吐き捨てられた言葉に、使者たちが鼻白み、怯んだのが判る。
ジーンが無造作に一歩踏み出すと、護衛の若い男女が眦を吊り上げて使者たちの前に立ち塞がった。
「国王陛下の御使者に牙を剥かれるおつもりか! それはすなわち、この神殿都市の死を意味するのですよ!」
三十過ぎと思しき護衛の女が、腰の剣に手をやりながら詰る。
「はっ」
ジーンから返ったそれは、鋭い殺意を含んだ嘲笑だった。
かれがこんな風に笑うところを、櫻良は初めて見た。
「王家が、国が何だと言うんだ? 私は神殿騎士、この命をもって灯火を護る者。王にも国にも、権威の一切に帰属してはいない」
黄金の双眸が強い意志を宿して輝く。
護衛の男女が、確かに怯んだのが判った。
「……神殿騎士の前で、《女神の灯火》に無理を強いることは、エス=フォルナ王家の滅亡を意味するのだと教えてやる。王都の馬鹿ものどもが、二度と、ふざけた口を利かずに済むように」
そう断じ、腰の剣に手をかけたジーンが、――双方のやり取りにハラハラしていた櫻良が、こんなところで人殺しなんてしないよね、あたしは平気だから絶対にそんなことしないでね、と懇願するよりも早く、不意に、空を仰いで舌打ちした。
「……間の悪い」
一瞬遅れて、神殿騎士たちや神官たちがそれに倣い、そして絶句する。
櫻良も同じ動作をして、思わず息を飲んだ。
「ま……魔族……!?」
誰かが、裏返った声で叫んだのが聞こえる。
――空の向こう側から、天を埋め尽くすような数の黒い点が、神殿都市に向かって来るのが見えた。
ようやく点として認識できるあの状態であってすら、こんなにも胸を苦しくする、物理的痛みすら伴うほど禍々しい気配を持った存在を、櫻良は魔族以外に知らなかった。
正確に計測できるような数ではなかった。百や二百では断じてありえなかった。
空を埋め尽くさんばかりの『彼ら』は、ものすごい勢いでこちらへと近づいて来ている。
そして恐らく、目的は、櫻良なのだった。
あんなにたくさんの魔族たちに囲まれ、攻撃されて、この神殿都市は大丈夫なのか、自分の存在が神殿都市の人々に多大な迷惑をかけるのではないか、などと、心臓を鷲掴みにされるような思いを味わっていた櫻良だったが、
「大した歓迎ぶりだな」
「それだけ、今代の灯火の光が強いということでしょう。彼らにとっては由々しき事態ですものね」
「違いない。下級中位から上級下位が勢ぞろいといった趣だな。姫の結界なら、すべて弾くことも出来るだろうが……埒があかんのも事実だ。どうする? 第三部隊で出るか?」
「そうね……ああ、いいえ、いいことを思いついたわ」
静かに言葉を交わすジーンと神子姫に、一切の変化がなかったので、ほんの少しだけ安堵する。このふたりが平然としている限り、それほど大したことではないのだ、などと錯覚すらしそうだ。
「いいこと?」
「ええ。ジーン、せっかくだから、『謳(ウタ)』いなさいな」
「……私がか」
神子姫の物言いに、ジーンが顔をしかめた。
無理やり華美な衣装を着せられたときと同じ表情だ。よほど気に食わないことなのだろう。
しかし神子姫は涼しい顔でにっこり笑っただけだ。
「こんなときくらいしか、東方人らしいことは出来ないでしょう? いい機会だわ、櫻良にも見せてあげなさい」
「だが、」
なおも何か言い募ろうとしたジーンだったが、長いつきあいだからなのか、かれも神子姫に勝てるとは思っていないのだろう、途中で諦めたかのように口をつぐみ、息を吐いた。
「それから、その衣装だけど、結構高いのよ。気をつけてね」
「……了解だ、ご主人様」
再度深い溜め息を吐くと、ジーンは、サファイアの首飾りを無造作に引き千切り、それを神子姫目がけて放り投げた。
乱暴なんだから、などという彼女の言葉に頓着することなく、振り袖めいた黒の衣装を上半身だけ脱ぎ――時代劇の侍が、稽古のときにするような状態だ――、更に、その下の黒いシャツを脱ぎ捨てる。
「じ、ジーン……!?」
そうして現れたジーンの裸体、漆黒の、花にも渦にも炎にも翼にも見える不思議な刺青に彩られた、これ以上ないほど美しく引き締まった上半身に、櫻良が派手に赤面したのは当然だったが、ジーンは彼女のそんな焦りなど知らぬ様子で、わずかに櫻良を振り返った。
そして、
「――……櫻良」
静かに、淡々と、しかしたとえようもなく美しく、櫻良の名を呼ぶ。
「は、はいっ!?」
情けなく裏返った、素っ頓狂極まりない声が出てしまったのはもう不可抗力というしかない。
ジーンは、その美しい双眸で櫻良を真直ぐに見つめると、
「醜い、浅ましい本性をさらすことを許せ」
それだけ言うと、櫻良に背を向けた。
黒い精緻な刺青に彩られた、白く硬質的な美しい背中に、やわな心臓が激しく脈打つ。
「ジーン……?」
しかし、それを払拭するほどの強さで櫻良の首を傾げさせたのは、かれの不可解な物言いだった。ジーンの口から、醜いだとか浅ましいだとか、そんな言葉が出てきても、どうにも釈然としないし、実感がない。
櫻良の胸にあるのは、動作のひとつひとつが、神がかってさえ見えるほどに美しいかれが、何故、という思いばかりだった。
ただ、これから何かが起きるのだと、それを起こすのはジーンなのだということだけを理解して、櫻良は息を詰めてかれの背を見つめる。