ジーンはどことなく楽しげに大隊長たちを見ていた。
 ユイ、ハルベルト、ユウン、ティーエ、カルム、ネヴァンナ、サイオン、メリーローズ、エツカ、ルヴァ。
 残念ながらジーンにはあまり人を見る眼がない……というか、何ごともそういうものか、で済ませてしまうもので、十人の大隊長たちを見い出し、抜擢したのはケーニカと神子姫だが、さすがに大隊長クラスの騎士たちの働きはよく見ているつもりだし、彼らの力量も把握している。
「……ふむ」
 静かな戦意を滲ませる十人を見遣って、ジーンはほんのわずかに構えた。
 ざわり、と大隊長たちがざわめく。
 そこに驚愕が含まれていることにジーンは気づいていなかったが、観客席の夜歌などは事情を察したらしく、おやおや、などと苦笑している。
「ジーン隊長、どうされたんですか、一体」
 臆するでもなく声を発するのは第一大隊長のユイだ。
「何がだ?」
「いや、隊長、なんか今すごく張り切ってません? いつもの公開訓練なら、こんなの特別なことでもない、みたいな顔でこなしてるのに」
「……そうか?」
 ユイに言われて初めて、ジーンは、自分が少し逸っていることに気づく。
 ユイの言葉とジーンの返しに、他の大隊長たちが大きく頷いた。
「ジーン様がそんな風にわくわくしておられるの、初めて見ます」
 言ったのは、第四大隊長《宝石使い》ティーエだった。
 黒髪に青い眼、褐色の肌をした、線の細い、華奢で小柄な、どこか童女めいた愛らしさ無邪気さを有する女性だが、神殿都市内でも有数の異能者で、更に言うならケーニカより三つばかり年上である。
「なるほど、そうかも知れん」
 ジーンはかすかに、しかし大隊長たちにもそれと判る程度にははっきりと笑った。かれが人様にも伝わるほど強く感情を表に出すことは珍しく、大隊長たちがギョッとしたり目を剥いたり思わずといった風情で頬を赤らめたりしている。
「もしかして、灯火がおられるからですか?」
 ティーエに言われ、ジーンは少し考えたが、
「ああ……そうだな」
 結局彼女の言を認めて頷いた。
 ――観客席からこちらを見ている櫻良の視線を感じる。
 櫻良がハラハラしているのが何となく判る。
 廃棄世界では、このような訓練は行われないのかもしれない。
 そして、櫻良が、自分に頑張れと言ってくれているのが聞こえる。
 恐らく、だから、ジーンは少し、いつもよりやる気を出している。
 ティーエに言われて気づいたそれに、ジーン自身、珍しいことだ、と他人事のように感心しているくらいだ。
「灯火を護るべき神殿騎士団の一員として、第三部隊の隊長として、彼女に無様なところを見せるわけには行かないだろうな」
「じ、ジーン様が普通の騎士みたいなことを仰ってる……!」
 仰け反って驚くのは第三大隊長《朱疾風(アケハヤテ)》ユウン。
 明るいオレンジの眼に、灰色の髪を持つ、少年のような闊達さを持った長身痩躯の女性だ。細身で身体の凹凸が少ない(というのは口に出して言ってはいけないとケーニカに言われたことがある)女性なので、パッと見には背の高い少年のようにしか見えない。
 このように、第三部隊は斬り込み的な要素の強い、もっとも危険で負傷率も高い部隊なのだが、何故かどの部隊よりも生還率が高く、女性も多い。
「さて、では、始めようか」
 ジーンが淡々と言うと同時に、周囲にぴりりとした空気が満ちた。
 第九大隊長エツカが巨大なと称するのが相応しい剣を構え、その隣のルヴァが魔力を練り上げるのが判る。
「――エツカ・ハウンド、参る!」
 低い名乗りとともに剣を振りかぶり、重く――しかし速く踏み込んだのは、エツカだった。
 それより一瞬遅れてルヴァが力を解放し、刃のように鋭く研ぎ澄ました風を撃ち放つと、陽炎のようなオーラをまとったユウンが刃渡り1アルネル(五十センチ)ほどの短剣を諸手に構えて飛び出してくる。
 同時に、両手を広げて身構えたティーエの周囲に、赤や青や黄色、緑や紫と言った、鮮やかで透き通った、まさに宝石と呼ぶべき小さな欠片が無数に浮かび上がる。
 それらはきらきらと輝くと、回転しながら絡み合い、色彩の洪水を引き起こしながら一羽の大きな鷹の姿を取った。鷹は、ジーンへの戦意を剥き出しにして高らかに啼き、かれの周囲を羽ばたく。
「今日は鷹ですか、ティーエ。格好いいですね」
「ええ。だって、わたしも灯火にいいところを見せたいですし」
 剣を構えたユイに言われて、ティーエがにっこりと笑う。
「なるほど。じゃあ俺もちょっと頑張らないと」
 頷いたユイが、気合いとともに光の白刃を出現させると、もうその辺りで闘技場は騒然とした。
 他の大隊長たちが次々に飛び出してきて、剣を揮ったり特殊能力を揮ったりする中、ジーンは白刃や魔力によって生み出された攻撃的なエネルギーを軽やかに回避していたのだが、
「あ、危ないジーン! きゃー!」
 見ていられない、と言った風情の櫻良の声が観客席から聞こえたところで、少し表情を引き締めた。
 ――灯火に、櫻良に不安な思いをさせるようでは、彼女の守り手としての名折れだ。
 というのが騎士としてのジーンの意識だったが、同時にかれは、櫻良にはいつも笑っていてほしい、彼女は笑顔の方が絶対に可愛らしい、などと、朴念仁らしくもないことを考えていたのだった。
 恐らく、ケーニカや夜歌が今のジーンの内心を知ったら、この世の終わりを疑ったことだろう。
「ふむ」
 恐ろしい速さで突っ込んできたユウンの一閃を軽くかわしたあと、裂帛の気合とともに振り下ろされた――並の騎士ならここで脳天から真っ二つになって死んでいるところだ――エツカの大剣を右手の人差し指と中指だけで受け止め、勢いを殺して止める。
 滅多に動じないエツカが息を飲むのが伝わってくる。
「少し……本気を出してみるか」
 言うと同時にジーンは動いていた。
 エツカの大剣を跳ね上げ様、一気に彼の懐に飛び込んで、絶妙の回転を加えた回し蹴りでエツカの巨体を吹き飛ばす。
 受身も取れぬまま競技場の壁に激突したエツカが、立ち上がれずにいるのをチラと見遣って、
「ちょっとおかしいですよジーン様の怪力は!?」
 ジーンの前で思わずたたらを踏み、ツッコミを放つユウンを目にも留まらぬ脚払いで転倒させ、彼女が跳ね起きる前に指先で首筋を撫でるようにして――目に見える分にはそうとしか思えないが、実際には一般人ならその場で昏倒する――無力化する。
 ティーエの創り出した『鷹』が鋭い鳴き声とともに急降下し、嘴で貫こうと襲い掛かってくるのへ、
「ふ……ッ」
 低い呼気とともに回転を加えた飛び蹴りを食らわせ、霧散させると、それを狙って飛来したユイの白刃を、気合いとともに強化した両腕で払い落とし、粉々に砕いた。
 この間、わずかに一分。
 もちろん、他の大隊長たちの繰り出す剣を掻い潜り、特殊能力を叩き落しながら、である。
「やっぱりジーン隊長は非常識だなぁ……あーもう、疲れてきた……」
 額に汗を滲ませてユイがぼやく。
 同じく滴る汗をそっと拭ったティーエが、心底同感と言った表情で頷いた。
 ジーンは鋭い気合いとともに突っ込んで来た第二大隊長ハルベルトの細剣をひょいとかわし、無造作に突き出した拳で彼の鳩尾を強かに打ち据えながら小さく笑った。
 呻いたハルベルトがその場に崩れ落ちるのと同時に、両脇からタイミングを計って斬りかかって来たふたりの大隊長の剣、勢いよく、鋭く振り下ろされたそれらを両手の指先で止め、唖然とする彼らの一瞬の隙をついてふたりの首筋を一撃する。
 あっという間に脱落者が増えていく中、ジーンはどこまでも冷静だった。
「そうでなくては、私の意味がない」
 桃天華大神殿都市の、番犬の中の番犬。
 都市に、神子姫に、――そして灯火に害なすもの、そのすべてに噛み付く、恐るべき狂犬。
 桃天華大神殿都市にはそういう犬がいるのだと、ここに手を出すことは即ち破滅を意味するのだと、外の人々が理解しなくては、意味がない。
 だからこそ、ジーンは常に自分が規格外であることを隠しもせずに振る舞うし、惜しげもなくその非常識さを曝け出すのだ。
 今もかれは、観客席からジーンの様子を見て言葉をなくしている人々の中に、神殿都市民ではない人間の気配を感じている。そういうやからのために、ジーンは示威行為に勤しむ。
「……さあ、続きと行こうか」
 汗ひとつかかぬ涼やかな姿のまま、ジーンが一歩踏み出すと、ずいぶん数の減った大隊長たちが、緊張の面持ちのまま構え直し、また、ぴりりとした空気が闘技場を満たす。
 ジーンはどこか楽しげに、脚に力を込めた。
 ――大隊長たちがすべて脱落するまで、そこから五分もかからなかった。